Game Changer
浅葱は半眼になって、口をへの字にした。
「いやだから、そのつもりはないんですってば」
ビッ、と。
ヴィシスが刃状に変形させた右腕で、浅葱の頬を薄く裂いた。
けれど浅葱は――微塵も、動じない。
どころか。
ピクリとも動かなかった。
瞬きすら、しなかった。
「…………驚いた。アサギさん、あなた――死を恐れていない」
「死じゃないんだなぁ。それはアタシにとってただの、ゲームオーバー」
にっ、と浅葱は不敵に笑む。
「実はもう付与してあるんだけど【痛覚遮断】は本当にアタシにぴったりの能力だよ。アタシね、死は怖くないけどやっぱ痛いのはちょっとヤなのよ。自殺したいけどできねーってやつの大半もこれだろ。死にたいけど、その過程の痛いとか苦しいのはイヤってやつ。つまり幸福な死にとって痛みや苦しみっつー道のりは最大の障害なわけ。このスキルはそこを見事クリアしてくれた。だから、怖さはないな」
それよりアサギさん、とヴィシス。
「例の大逆転可能なあなたの固有スキル……本当に今、使わなくてよいのですか?」
「いやだから、ヴィシスちんの力なしでどーやって三森君とゲームしろっつーのさ」
「…………」
今度は。
浅葱の方から、手を離す。
彼女は指先で自分のこめかみを示し、
「アタシはここで三森君と戦いたい。でもこの通りアタシの戦闘能力はショボショボだからね。ヴィシスちんとか神徒さん、聖体の軍勢の力が必要になってくる」
「……本当に勝算があるんです?」
「そうねぇ……勝率はよくて6割弱――いや、5割強ってとこかな?」
「あらあら、これはまたなんとも微妙な確率なんですねぇ。まあ……大言壮語でないぶん真実味があると言えば、そうですが」
「過大評価でもなくあの蠅王さんは並の相手じゃないからねぇ。あとはこっちの手駒の数や性能で変動してくるかな~……てゆーかぶっちゃけ今、こっちにはどんだけの手駒があんの?」
ヴィシスは右腕を元の形に戻すと、姿勢を緩めた。
「それ、今すぐ必要な情報です?」
「ん? 後でもいーよ、別に」
「…………」
かすかに黙り込んだあと、ヴィシスは口を開いた。
「……三人の神徒のうち、ヨミビトはもうだめですね。それからアルスは完全停止状態のようなので、こちらも頼りにはできないかと。残念ながら、まともな稼働状態にあるのはヲールムガンドだけのようです。そのヲールムガンドも、駒として問題があると言えば問題のある感じでして……」
「えぇ? 神徒とかいうの、もう二体も使いものになんねーの? はー、蠅王軍団マジでつえーな。そりゃあヴィシスちんも、この浅葱さんの力を頼ろうかと考えるわけだわ」
「あとは――」
「稼働状態の聖体が迷宮内にそこそこって感じかね。他は天界とやらに送る用の特別な聖体の軍勢が、この地下に未稼働状態で眠ってます……と」
「……そうなりますかね。その把握力、ちょっと怖いんですが」
浅葱は指先を左右に振り、
「こんくらい把握力――想像力を広げておかんと、あの蠅王を出し抜くのは難しーよ? まーでもヴィシスちんとそのヲールムガンドさんが戦闘面でけっこうやれるなら、あとは聖体の性能しだいかにゃー」
「それで……そろそろお聞きしたいのですが、どうやって勝つつもりなのです?」
「ん? 具体的に決まってはないよ?」
「はぁああ?」
「いや、だってある程度はその場に合わせて動きを変えてかなきゃでしょ? つーか向こうの蠅王さんだって、あのアホみたいな柔軟さがこえーとこなんだし。我々取材班が綿密な取材を続けた結果、驚くべき事実が判明しまして……蠅王さんあいつ、あれだけ先回りして全体を動かしてくるくせに、さらにその場のその場の対応力まで高すぎなんですよね……面白すぎるでしょ。相手にとって不足なしって、まさにこのこと」
「いや相手を評価してる場合じゃなくて……私は、勝ち筋を聞いているのですが」
「あいつら潰す方法なんて、意外とシンプルな話なんだよ」
「ほぅ?」
「三森灯河さえ潰しちまえば――あとは高雄聖が少し厄介なくらいで、他はどうとでもなる」
「……ほんとですかぁ?」
「セラスお嬢ちゃんはまず三森君なしには機能しないでしょ。依存っぽいキモさがあるから、三森灯河を喪失したあの子がまずまともに機能するとは思えない。ムニンママも禁呪使うっつってもさ、やっぱ三森君ありきの運用だ。反則スライムも使い手の三森君がいなけりゃやっぱり脅威じゃない。綾香はクラスメイトのアタシが相手すればチョロ助だろうし……こっちには小鳩っていうカードもあるしね。狂美帝はご存じの通りもう対処済み。迷宮外に残ってるネーアの姫さまも、まあ三森君に比べりゃ脅威にゃならん。ヴィシスちんと同じ神族だっていうちっこいロキエラちゃんは、力の大半を失って助言役のみの参加っぽいから、やっぱ三森君や他の戦力ありきな存在だしね」
その時だった。
「は?」
ヴィシスが、想定外の事実を突きつけられた顔をする。
「ロキ、エラ……? 今、ロキエラと言いました? アサギさん……お手紙にそんなこと、書いてませんでしたよね?」
「うん。だから言ったじゃん。保険として、全部の情報は書かなかったって」
「…………」
ヴィシスが不平そうに浅葱を軽く睨む。
が、そこからヴィシスは何か思案げな表情へと移行した。
「……なる、ほど。それなら辻褄が合います。私の知らない神族が別に来ていたのではなく……あのクソエラが私に隠していた能力で分身を作り……ニャンタンあたりと一緒にエノーを離れて向こう陣営に潜り込んでいた、と。そうか……そういうことでしたか……あの、白カスタヌキ」
とまあそんなわけでさ、と浅葱が続ける。
「総戦力だと一見劣勢っぽく見えるけど、三森灯河一人潰せば向こうは総崩れに等しい状態になる」
「ヒジリさんも厄介なのでは?」
「三森君に比べりゃ楽な相手だよ。ひじりんは三森君ほど外道になれないからね。高雄聖は外道を知ってはいる。でも外道に堕ちるまではできない。相手が道を外れず歩いてくるのがわかってるなら、アタシにとっちゃ敵じゃないよ。やりようは、いくらでもある」
「……アサギさん」
「ん?」
「私にその本性を、もっと早く見せてほしかったです」
「だってヴィシスちん人格破綻者っぽくて怖いんだもん。我が強すぎるせいで人を使うの下手すぎ」
「……………………」
「笑顔のまま無言で威圧してくる、そういうとこもだぞ♪ あらあらあら、大丈夫ですかぁ?」
「……煽りますねぇ♪ そういうところが――私に、似てるのかもしれません」
「あら嬉しい。てゆーか――小鳩ちゃん。そろそろ泣き止んでくださいな~? さっきからずっとひっぐひっぐ泣いてて、マジでうざすぎるっぴ……」
小鳩は。
もう何も、できなくて。
気力が――湧かなくて。
「浅葱、さん……ひぐ……どう、して……ひっぐ……こんな……こんなの、って……」
ただ泣いて、会話を聞いていることしかできない。
そんな自分が、情けなくて。
だけど……泣くことしか、やっぱりできなくて。
ヴィシスが苦笑する。
「あらあら、カシマさんはずぅっとそんな感じでしたねぇ。本当に何もできないまま……ふふ、でもよかったじゃないですか♪ アサギさんからこんなに目をかけてもらって♪ はい、ご安心ください♪ ちゃんと提示された条件通り、生かす側として選んでさしあげますからね♪」
ヴィシスの言葉には反応せず、小鳩は言った。
「――浅葱、さん」
「ん? どうした、ポッポ?」
小鳩は自分の胸の前で両手を組み合わせていた。
身を――心を、守るように。
涙の量はもう減っているけれど。
小鳩はまだ静かに、嗚咽していた。
「……浅葱さんは……元の世界に帰りたいとか……ないの……?」
「はぁ……またその話ぃ? だからさ……戻ってどーすんの、あんなとこ」
「…………」
「まあもうあんま事例をいくつかピックアップしてグダグダいうのもアレだからやめとくけどさぁ……一部の親ガチャ成功勢以外、地獄みてーな国だろあそこは。世界的に見れば恵まれてるとか言い出すアホもいるけど、違うんだって。そいつは大事なペットが死んで無茶苦茶ショック受けてる人に”戦争に比べたらペットが死んだくらい全然大したことないじゃん”って言ってるのと同じ。種類が、違ぇーの。想像力がねーの」
はぁ、とため息をつく浅葱。
「ま、アタシみたいなのにとってはなかなか面白い国だけどねん。でも、面白いけど――やっぱ息苦しーわ。天変地異みたいな激変はないけど、真綿で首を絞められながら徐々に酸素がなくなっていく感じ? いずれ気づいたら酸素が欠乏してて死ぬ、って感じだね。十代のアタシが見てても”あ、もうこれ先が長くねーな”って思うもん。つーか、ポッポちゃんみたいなのこそ生きてくのが辛い国になると思うよー? あーでも顔とカラダが親ガチャ成功だから、それを活かせばとりあえず生きてはいけるかー。若さっていう武器が使えるうちはねー」
「浅葱、さん」
「はいどうぞ鹿島小鳩さん」
「一緒に、遊ぼうよ」
「……は? ポッポちゃん……ついに、おかしくなった?」
「わたしは……好きだよ……元の、世界……」
「本気でお花畑っすなー。ていうかそこで遊ぼうってなんだよ、遊ぼうって。ウケる」
「わたしは……世界のこととか難しいこと、わかんないけど……元の世界に戻ったら色んな、いいところ……色んな楽しいこと……一緒に、探そうよ……わたし――浅葱さんともっと、仲良くなりたい! 浅葱さんのこともっと、知りたいよ……ッ!」
「――何それ? お涙ちょうだいで情に訴えてるつもり? ……うっざ」
「うざくても――浅葱さんと仲良くなりたいもん! そんなこと言う浅葱さんに、試してみたいって思うの! わたしの色んな好きなこと――二人でやってみて、それから決めてもらいたい! 悪く、ないよ……元の世界……そんなに……悪く、ないよっ……う゛ぇぇ……」
小鳩はまた。
恥も外聞もなく、泣きじゃくった。
「幸せな世界で生きてきたんだねぇ、ポッポちゃんは」
「だから、浅葱さんが生きてきた世界を……わたしも――知りたいの! わたし……わたしっ……」
ふふ、と浅葱が微笑む。
「おまえにアタシの何がわかるってんだよ」
「わからない、からっ……知り、たいのっ……」
「困ったなー、ほんと邪魔だなー。まーアタシは戻らなくてもいっかな? こっちの世界の方が自由がきくし、縛りプレイは元の世界でけっこう堪能したからさ。生存は保証したげるから、小鳩ちゃんもアタシと一緒にこっちの世界で生涯を終えなさい――まる」
「まあまあ……冷たいのですねぇ、アサギさん」
笑顔でヴィシスが口を挟む。
「え? マジで? これでもアタシ、健気で優しいって自負あるんすけど……、――ん?」
浅葱が頭を捻った。
ふと、何かに気づいたみたいに。
「あれ?」
「あら? アサギさん……どうしました?」
「……猫?」
「はい? え? なんですって? 猫? ……どこに?」
考え込む仕草を見せる浅葱。
「んん? なんだ……?」
涙を流しつつ、小鳩もその様子を不思議に思った。
浅葱は口もとを手で覆い、何か……訝しむ顔をしている。
突然、どうしたのだろうか……?
「観測されることで……”猫”の存在の有無は確定してる、わけで……そう……蓋を開けても猫は、いなかった……つまり”揺らぎ”は収束している……アタシは確かにそれを、観測している……うん、だから……いないんだよな?」
「?」
ヴィシスも首を傾げていた。
そして小鳩も――混乱していた。
誰かと会話しているわけでもなさそうである。
何か、ぶつぶつと。
まるで独り言みたいに。
内容的に何を言っているのかもわからない。
脈絡が、ない。
「猫はもういない。猫はもう、いなくなった……いないことはもう観測されてて……いないんだからアタシはもう、自由なわけで……、――は? なんでだ? 猫はもう、いないはずなのに……」
注意深く何かを確認するみたいに。
「私の――目には」
浅葱の目がすぅと細められる。
「猫がまだ、見えている?」
意味が――わからない。
やはり、脈絡もなければ。
文章として読み取ろうとしてもそこに意図や意味を、見出せない。
浅葱にとっては何か意味がある言葉なのかもしれない。
けれど少なくとも小鳩には――
浅葱が何を言っているのか、まったく理解できなかった。
(浅葱、さん……?)
「んー……なんだ、これ?」
「あの……大丈夫ですか?」
「……あーごめん、なんでもない。ところで、ヴィシスちゃん」
「はい」
「ヲールムガンドって神徒さんは、役に立つ?」
「強いのは確かですねぇ。というかヲルムさんは、意外とアサギさんの方が上手く使えるかもしれません」
「ならとりあえず、そのヲールムガンドって神徒さんと合流しよっか。つーか……ここから動かないのって、ひょっとして近くに来てるのがわかるからとか?」
「――――なんでそれがわかるんです? なんだか、気持ち悪いんですけど」
「にゃるほど、やっぱヴィシスちんはなんらかの方法でそれがわかるわけか。遭難した時は下手に動き回らない方がいいともゆーしね。じゃーそのヲルムさんがこっちに向かってるなら、もう少しだけここで待ってよっか。どう? その間に二人で戦略会議でもするかい、ヴィシスちゃん」
「そうですねぇ……肝心のミモリさんをどう倒すのかについてまだあまり聞いていないので、そこを聞きたいですねぇ。あと……先ほど話に出ていたアサギさんたちの世界に興味がありまして。まあこれは、戦いが終わったあとで色々お聞きしたい感じです」
「三森君かぁ。まー対処はさっき言ったように状況に合わせてなんだけど【女王 触 弱】――彼の場合、常に最善手を打てるって点が……逆に弱み、に……」
ヴィシスが、目を見開いた。
「は?」
浅葱もなぜか動揺した様子で、
「あ、れ? ……は?」
視界の先で起こったことに。
小鳩は、理解が追いつかない。
(……え?)
浅葱がヴィシスの腕に触れ――使用した。
あの固有スキルを。
女王蜂の手が、女神の手に触れて。
自らの弱さの領域に――――
神を、招き入れた。
ことさら不可解なのは。
使用した浅葱自身もなぜか、驚いているように見えることである。
「…………はぁぁ」
ヴィシスが、盛大にため息をついた。
「アサギさん……どういうことなのでしょう? あなたの様子からすると……どうも、何かの手違いのように思えるのですが? 説明してくれます?」
「……なん、で? ……は?」
浅葱が呆然顔で、自分のてのひらを見つめる。
その直後、
「くっ――そういう、ことか……ッ! くそっ!」
浅葱はヴィシスに背を向けると、小鳩の方へ走り出した。
そして言った。
「固有スキルは通ってる! まだ痺れ薬がそこまで効いてないなら――やれ、狂美帝ッ! ヴィシスを!」
浅葱が。
これまで目にしたことのない悔しさに満ちた顔で、
「くそっ――猫はまだいたんだ! ちくしょう、アタシとしたことが! おまえが猫の幻影か! ああくそ! もう台無しだ! 何もかも!」
見たこともない殺意の塗り込められた形相で、
戦場浅葱は、小鳩を睨みつけ――
「てめぇのせいだぞ、小鳩」




