導き手
「…………」
「とはいえ? この浅葱さんも三森君のヤバさは、初期の頃に見抜けなかったからのぅ。それこそ元の世界にいた頃はもう見事な擬態だったと言う他ないな。ひじりんや桐ちゃんなんかと比べものにならねーあんなやべーのが、うちのクラスにいたとはね。さすがの浅葱さんも見抜けんかったぞい」
「…………時間稼ぎ、ですか?」
「ん? ああ……三森君とか綾香とかの増援が駆けつけるまで、おしゃべりで時間稼ぎしてるんじゃないかって? え? それヴィシスちゃんの口から言っちゃう? はなからアタシの申し出を疑ってかかって、無駄に説得の時間を使わせてるあなたが?」
微動だにしないまま、ヴィシスは細いため息をついた。
「ああ言えば、こう言う…………ほんとに殺すか」
「てか、アタシの固有スキルが怖いってんならさ」
浅葱がヴィシスの方へ両手を差し出す。
「両腕、斬り落としていーよ?」
「…………」
「痛覚は固有スキルで遮断できるし。それにヴィシスちんなら、佐倉ちゃんの手をくっつけたあの神ヒール的呪文であとで再生させられるんでしょ? 斬り落としちまえば手で触れらんねーし……ほぉら、時間ないから早くぅ。あ、でもアタシは両手使えなくなるんで止血はよろぴこ」
ヴィシスの目に――少し、変化が現れてきていた。
「私も……これまで数々のカスどもに騙されてきたので、以前よりしっかり相手を観察するようになったのです。もう騙されないように。アサギさんあなた……本気で、私の味方になろうとしてますよね? 嘘じゃないと判断する自分の確信が逆に不気味なのですが。演技なら大したものです。また私は、騙されるのですか?」
「だ~か~ら~言ってるじゃ~ん。本気だってば。ていうかほら、時間もったいないから早く斬り落と――」
「ぁ――浅葱さん!」
それまで小鳩は、黙って会話を聞いていた。
浅葱のことだ。
ヴィシスを欺く作戦のはず、と。
小鳩は、自分にそう言い聞かせていた。
あるいはヴィシスの言うように時間を稼ぐ作戦なのだと。
だから今まで口を挟まず、見守っていた。
自分や狂美帝に知らせていなかったのは――
敵を欺くにはまず味方からを、実践したから。
狂美帝も同じだったのではないか?
だから小鳩も狂美帝も黙って、二人の会話を聞いていた。
でも、
「ほ、ほんとなの!? 浅葱さん本当に――そっち側にいっちゃうの!? その三森君と戦うのって、この戦いじゃなきゃだめなの!? 他の方法で……こ、この戦いが終わってからとかじゃ……元の世界に戻ってから普通のゲームで戦うとかじゃ……だめ、なの……っ? わたし……浅葱さんのこと、信じてたから……わた、し……わたしっ――」
ぽろぽろと。
気づくと、小鳩は涙を流していた。
信じていた。
信じたかった。
ヴィシスが微笑み、
「あのすっトロそうな勇者さんはええっと……カシマさんでしたっけ? どうしてこの場にいるのかわからない低級勇者さんがああ言ってますけど……そこのところ実際どうなのですか、アサギさん?」
「はい、女神せんせー」
「…………」
「味方する代わりにですね、ちょいと条件をつけさせてもらいたいのですよ」
「……一応、聞くだけ聞いてあげましょう」
「小鳩ちゃんと、あと、うちの浅葱班……それから、ツィーネちんとミラの人たちだけ助けてやってくれません?」
小鳩は――愕然とする。
今の条件を聞いたことで逆に。
本気なのだ、と。
わかってしまった気がしたから。
狂美帝も驚きを隠し切れない様子だった。
やや間があって、ヴィシスが口を開く。
「アサギさんの班は特にムカツク態度とかもなかったので、まあいいですけど……なぜ狂美帝も? まさか美しさに惚れたとか、そういうクソみたいな理由です? 反乱の首謀者なので、さすがにアレには目にものを見せたいんですけど……」
「ツィーネちんとミラの人たちにはお世話になりましたからのぅ。そういう人らが悲惨な目にあうとやっぱ後味悪いぢゃん? あとはほら、アタシたちがこっちの世界に残るパティーンになったら、我が輩たちにも居場所が必要ですけん。第二の故郷とするならそこそこ住み慣れたミラがいいかにゃー、と」
「んー」
ヴィシスがあごに手をあて、悩む仕草をする。
「ですが狂美帝は――ほら、あんな敵対的な態度なのですよ? 捕らえる時に抵抗されたら私、鬱陶しくて勢いそのままに殺してしまうかもしれません……」
「あ、それは大丈夫」
浅葱が小鳩たちの方へ振り向く。
彼女は今、ヴィシスの隣に立つ形になっていた。
ヴィシスはまだ警戒している様子である。
固有スキルを使われぬように、浅葱と距離は取っていた。
「あの三人には、遅効性の痺れ薬を飲ませてあるので」
小鳩は唖然とし、
「……え?」
「ほっとけばいずれ、動けなくなるかと」
してやられた様子で狂美帝がその美しい顔を歪め、
「――あの紅茶か」
浅葱が銃の形にした右手で狂美帝を指差す。
「ピン、ポーン」
チェスターが狂美帝に視線をやり、
「陛、下」
狂美帝は唇を噛み、浅葱を睨み据えた。
「しかしそんなもの、どこで……」
「進軍途中にさ、モンロイに立ち寄ったじゃん?」
「……モンロイ、だと?」
「うん。あそこの血闘場とかゆー場所の話は前から知っててさ。あそこに限らんけど、勉強家の浅葱さんは一応この大陸の国々のことを調べてんのよ。したらね、なかなかおもろーな噂を発見してさ。なんでも遅効性の痺れ薬を、最後の試合をする血闘士に飲ませてたとかなんとか」
浅葱は銃の形にした手の指先に、ふっ、と息を吹きかけた。
「人気の稼ぎ頭が”引退します”とか生ぬるいこと言い出したら、運営側としては次の稼ぎ頭を探す必要が出てくるわけじゃん? そこで強い血闘士の引退戦の時、引退する血闘士に特殊な痺れ薬をこっそり飲ませるのよ。最後の血闘前の儀式と称してね。んで、負けさせる――死なせる。すると、本来の力が出せなかった人気の稼ぎ頭を殺した対戦相手が、死んだ稼ぎ頭の名声を引き継ぎ、次の稼ぎ頭になる……あれだ、大して人気じゃない血闘士は普通に引退させてたから、絶対に引退の血闘で死ぬわけじゃないってとこがミソだね。なかなか頭のいい運営だと思うよ。はぁ……アタシが向こうの世界で最後にやってたソシャゲの運営さんもそんくらい頭よく運営してくれてりゃなー。典型的な”素材はよかった”のパティーンだったよ、ありゃ……」
あぁ話が逸れると女神ちんにまた時間稼ぎとか言われちゃうネ、と浅葱は話を戻す。
「痺れ薬は調合具合で効果の現れる時間に差が出るみたいでさ。皆さんのはちょい効果が現れるのが遅めな調合となっております。ちなみにアタシも同じ痺れ薬入りの紅茶を飲んでるから、いずれアタシも痺れて動けなくなるよん。解毒薬的なのは一応あーしのポッケの中にあるけど……アタシだけ道中で飲んで変に勘ぐられたらヤだしね」
小鳩は小刻みに震え、
「ど、どうして……そんなこと……あ、あの時はまだ……誰に遭遇するかなんて、わからない状態だったのに……」
「そりゃあ、もうあの時点で三森君と戦う方向で考えてて――んで、あの時点でヴィシスちんのいる城が近づいてたから、そろそろと思って実行したってだけのハナシ。これでも一応ギリギリまで悩んだんだけどねー。んま、ミスったと思ったら素直に認めて謝罪するつもりだったし? そんでそこで仮にアタシの裏切り作戦が露見しても、アタシを殺すってのはあの委員長が許さねーだろ。うちらの元いた国とおんなじよ。犯罪やっても待ってるのが生ぬるい罰なら、やっちまった方がヤリ得ってこと」
「――アサギ」
狂美帝が、自責的に言った。
「余にとっては……あの紅茶を飲んだのは、アサギ・イクサバを信じているという意思表示でもあった」
「甘いなぁ……ツィーネちん。飲んだ紅茶みたいに甘いよ。てかクールそうに見えて普通にイイ人だよね、狂美帝さん」
ふっ、と。
狂美帝が、微笑む。
今度のそれは、何かを受け入れたような微笑だった。
「トーカが……そなたは裏切らないだろうと、そう言っていた。余はそれを信じた……初めてできた我が友の言葉をな。これはその結果…………受け入れるしか、あるまい」
「潔し。いいね、ツィーネちん」
「しかし――貴様の提案を受け入れるとは言っていない。そなたを信じた自分のせいでこの状況になった。あくまで余は、それを認めたにすぎん」
「うーん、そっかー。でもあんまりそういうナマばっか言ってると、こわーいヴィシスちゃんに殺されちゃうゾ? 浅葱さんは差し伸べた手を取らない自滅くんの面倒までは見切れません。勝手にしなさい」
狂美帝もチェスターも、すでに戦闘の構えは取っている。
が――二人とも、攻撃に出られない。
攻撃に出る前に、もうわかっているからではないか。
ヴィシスと戦っても勝てない、と。
おそらくは二人とも強者だからこそ。
ある程度、ヴィシスの力を測れてしまうからこそ。
敵わないのが――わかってしまう。
浅葱が首を傾け、ニコッと笑った。
「あ、小鳩はもう条件受け入れるのけってーな?」
「え……」
「ポッポは状況が落ち着くまでおとなしくしててくれれば、それでいーから」
「浅葱、さん……」
「ツィーネちんとチェスターさんは……死にたいなら、どーぞお好きに。赤い薬と青い薬のどちらを飲むかは自由だから。あ――薬はもう盛られたあとか。上手いこと言おうとして失敗しちった♪ てへぺろっ」
チェスターが浅葱を睨みつけ、
「くっ……アサ、ギ……ッ」
その時、
「――なら、他は……」
ヴィシスが口を開いた。
今の会話の間、ヴィシスはずっと何か考えているようだった。
「他のはすべて殺しても――何をしても文句は、ないわけですね?」
浅葱はそう尋ねられ、
「うん、別にいいよ?」
と答えた。
小鳩は涙を頬に伝わせたまま、息を呑む。
聖さんも……樹さんも。
三森君も。
浅葱班以外の、クラスのみんなも。
一緒にこの迷宮の内外で戦ってくれている人たちも。
十河、さんも。
「浅葱さん……だめだよ……そん、なの……だめに、決まってるよ……」
「ふふ……ポッポちゃん、今の発言はだめだぜ? 今のは、だめだ……」
「え……?」
「アタシが勝つかもと――そう思ってるからポッポちゃんは、そんなに必死になっちまってる」
「!」
「ま……つまりはそーゆーことよ、ヴィシスちゃん」
浅葱が視線をヴィシスに向け、
「今の蠅王軍団を相手にしてもアタシなら勝つかもって……小鳩ちゃんすら無意識下でそう思っちまってる。まー実際んとこ、アタシくらいだと思うよ? この盤面で三森灯河を相手に勝ち筋の図を描けるのは」
「……うーん、一体どこからそんな自信が? 失礼ですがあなた、そんなご大層な知略家なのですか?」
「そうねぇ、知略家っつーか……厨二っぽく言えば海域の近さかにゃ? その上で、あの男と近い深度まで潜れるのはこの異世界じゃアタシくらいかなーと。闇深な人はいっぱいいそーだけど、アタシや三森君とは海域が微妙に違うのよね」
「んー比喩がよくわからないです」
「ヴィシスちゃんでもいまいち理解できないところがあるからこそ、このアタシならヴィシスちゃんに思いつかない策を打てるってことさ」
「うーん、なんだか化かされているような……」
「何? まだ裏切られるかもとか、そんなつまんないこと思ってるんすか?」
浅葱は――少し、面倒臭そうに言った。
「ガキじゃないんだからさぁ……そろそろ大人になりなよ、ヴィシスちゃん」
ピキッ、と。
ヴィシスが青筋を立てる。
静かながらも冷酷な目で向かい合い、浅葱を見下ろすヴィシス。
「だからおまえを信じられる根拠は? というかさっきから態度が舐めすぎだなクソガキ」
「だから早く保険にこの腕切り落とせって言ってんだよクソババア」
浅葱も。
ヴィシスと同じくらい冷たく昏い目で、言葉を返した。
「…………」
しかしすぐに浅葱は笑みを浮かべ、
「ふふーん、ほらほら~? 早くしないと恐怖の蠅王さんが来ちゃうかもしれないゾ? 時間がないゾ? は、や、く~」
「……、――ぷっ」
「おりょ?」
「ぷはははははっ!」
ヴィシスが。
笑い声を上げた。
そして、
「なるほどなるほど……これはちょっと私、アサギ・イクサバという勇者を見くびっていたようですねぇ。まさか、ここまで使えそうな勇者だったとは……わたくし、少し反省です」
「お、これはいけそうなカンジ?」
ヴィシスが左手で、浅葱の右手を取った。
「あなた――少し、私に似ていますね」
「おぉ……歳いった強キャラが主人公を認める系の流れ、きましたねぇ……、――おりょ?」
浅葱の右手が。
ヴィシスの左胸に、押しつけられていた。
浅葱から手を伸ばしたのではない。
ヴィシスが自ら、導いた。
「さあ、アサギ・イクサバ……やってごらんなさい」
ヴィシスが目を剥き気味に、嗤う。
「こうして触れている今なら発動できるでしょう? 大逆転可能な――あなたの例の、固有スキル。ほら、今が好機ですよ?」




