純粋構造
(少し告知となります)
最新13巻が4/25発売予定となっているのですが、タペストリー付きの特装版(【描き下ろし】【STORE限定】「ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで 13」A3タペストリー付きSTORE限定セット)がOVERRAP STORE様で現在予約受付中となっております。
気づいた時には告知の方がギリギリになってしまったのもありまして、予約締切は3/25(火)23:59までとだいぶ短いのですが、「ハズレ枠」はグッズ的なものがあまり出ていないので、そういったグッズが欲しいというかたには(タペストリー付きなのでそれなりのお値段になってはいますが)お勧めの一品かもしれません。
タペストリーのイラストは描き下ろしになっていまして、魅惑的なセラスのイラストとなっております(ここにリンクを貼るのが規約的に大丈夫なものかどうかわからないので、ひと手間になってしまい申し訳ないのですが、お求めのかたは検索していただけましたらと。「ハズレ枠」「13巻」「タペストリー」のワードで検索をかければ、検索結果の一番上に出てくるかと思います)。
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「この世の中にはね、どうしようもない邪悪ってもんが存在する」
ある日。
いつもの道場でそう言ったのは、綾香の祖母だった。
「あたしはろくでもない世界で生きてきたからね。この家に来てしばらくは、こんなお花畑な世界が同じ国に存在してる事実に、ある種の憎しみすら覚えたよ。正直言っちまうと最初は”なんだこいつら”と思った」
祖母はあぐらを掻いて道着の袖に右手を突っ込み、続けた。
「とはいえこっちの世界にそれなりに住んでみると、あんたらの世界はあんたらの世界で別種の邪悪さがあったわけだがね。あんたらの世界の邪悪は、そうだね……言うなればホールデン坊やの言うインチキをさらに腐らせたような種類の邪悪だから――ま、あたしのいた世界の邪悪に比べりゃあ、まだマシと言えなくもない」
「ええっと……読んだことはないんですけど、そのホールデンさんっていうのは確か『ライ麦畑でつかまえて』という小説の主人公ですよね?」
ふん、と祖母が鼻を鳴らした。
「あたしが小説なんか読んでたのが意外か?」
「あ、いえ……」
にやり、と祖母が口角を上げる。
「その通りだ。あたしが人生で読んだ小説なんか、せいぜいサリンジャーにヘミングウェイ、あとはフィッツジェラルドに庄司薫くらいのもんさ。あんたやあんたの祖父と違って、あたしは活字が苦手でね。漫画の方がまだ読める。剣豪のやつとかヤクザのやつとか、格闘のやつとかな――あぁ、話が逸れたね。邪悪の話だった」
そう。
祖母はこの時、邪悪について語ったのだ。
――、…………祖母はこの時、なんと言っていたのだっけ?
その記憶はどこか新鮮に、追体験のように再生されていく。
「その先の問題はね――もちろんそういう邪悪の存在自体も問題なんだが――あんたみたいな人間なんだよ、綾香」
この時の祖母は少し心配そうな顔をしていた……と思う。
「え? 私、ですか? つまりその、私も――」
「別に、あんたが邪悪ってわけじゃないさ」
祖母が懐からタバコのパッケージを取り出しかけた。
しかし何か思い直したように懐へ戻し、続けた。
「世の中には”善人”ってのがいる。で、この括弧つきの”善人”ってのは時に厄介でね。ご立派な理想や崇高な意志をお持ちなのはわかるんだが……どうもそういう”ご立派”なやつらに限って、あたしがいたような世界を知らなすぎる――いや……見ようとしなさすぎる」
「…………」
「そいつらはね、まるでそんな世界がこの世に存在していないかのように振る舞うんだ。そういう話がとにかく嫌いか、もしくは都合が悪いんだろう。存外、そういうやつらにとっての”痛いところ”なのかもしれない。ご立派な理想や崇高な意志とは相反する、言うなれば宿敵みたいなもんなんだろう。都合の悪い真実ってやつだな」
「…………」
「で、普段生きていて”ないもの”としているその都合の悪いもんに運悪く遭遇すると……そいつらはまず目を閉じ、耳を塞ぎ、見当違いのことをしゃべり出す。そうなると、もうまともな”会話”は成立しなくなる」
この時、自分は。
祖母が何を言っているのか半分も理解できなかった――と、思う。
「ま、こいつは仕方のない話でもあるんだ。そういうやつは精神的に潔癖症というか……頭の堅い傾向があるからね。でかい矛盾に遭遇した時、人並み以上にパニックを起こしちまう――異常を、引き起こしちまう。都合の悪い事実を”ないこと”にするのは、そいつらにとっては自己防衛本能が働いた結果なんだ。向き合わなくて済むように、自分の世界に存在しないものとして扱う。自分の世界にとって都合の悪い矛盾は、そもそも”ない”ことにしちまう……でもね、綾香」
祖母は視線を床に落とし、
「あたしはそういうやつらの”ご立派な理想”や”崇高な意志”もけっこう悪くないんじゃねぇか、と思うこともあるんだ。いや……思うようになった。あんたの祖父と出会ってからね……まあそういうのも悪くねぇか、と。ふん……こんな不良娘を、こんな由緒正しい家柄の男が嫁として選んだんだぜ? そりゃあ当時の十河家は、大騒ぎだったさ」
懐かしむように、祖母は語る。
「……あんたはやっぱり、あの人に似てるよ。だから――少し危うい。ただその一方で、取り越し苦労な気もしてるんだ。この家の娘として、そしてこの家の庇護下で生きていく限りは、あんたはそのままでも大丈夫な気がする。あんたは真っ直ぐで、気立てもいい。賢いし、優しいし、いい子だ。……あたしの若い頃に似て美人だしな。けど、あんたにはさっき言ったような傾向がある。これも、事実だ」
「…………」
「もし万が一あんたの中にそういう矛盾が発生して、その矛盾からいよいよ逃げられなくなった時……あんたが壊れちまわないか――あたしは、それが心配でね」
あの人にもそういう傾向があったからね、と祖母は言い足した。
「だからこそあの人は、あたしみたいな不良娘を必要としたのかもしれない。あたしは精神が腐ってるし、知っての通りちゃらんぽらんな性格の不良ババアだ。だがそのおかげで頭も柔らかいから、大したことじゃあ悩まねぇ。むしろ他人の小言なんざで悩んでやるかよと、逆に反発するくらいさ。ま……そういう真逆の人間がそばにいることで、救われるタイプの人間もいるってことさね」
「…………」
「あたしみたいな不良じゃないにしても、あんたにもいずれそういう味方が現れてくれたらと思うよ――つまらねぇ邪悪と出遭っちまう前に」
「…………」
祖母はどこか、自虐的に笑った。
「ま……あたしも邪悪っちゃあ邪悪かもしれねぇがな。孫の前でヤニを吸ってたような人間だし……」
「私は、好きです」
「…………」
「おばあさまのこと――大好きです」
祖母は目を閉じて、ふっ、と微笑んだ。
「ありがとな」
言って、祖母は道場の明かり取りの窓を見つめた。
「……この子に、あんまり口うるせぇことは言いたくねぇなぁ」
それは何か、複雑な心境の中で口にした言葉に聞こえた。
「さっきの邪悪についての話も、あんたはそのうち”なかったこと”にしちまうのかもしれない……あるいは今日の記憶ごと。けど……それもいいさね。遭遇せず済むに越したことはないのさ……真の邪悪なんてもんとはな。この世の余計な穢れなんざ知らんまま……真の邪悪とは無縁なまま、あんたにはただ真っ直ぐに生きていってほしい……これからもずっと、今のままでいてほしい……そう思うあたしも、確かにいてな。だから……複雑だね、正直」
窓から道場の中に春の日差しが注ぎ込んできている。
板張りの床に陽光が溜まっていた。
春の風がふわりと道場の中に吹き込んできて、香る。
あの時、祖母は何を思っていたのだろう。
眩しそうに道場の中に溜まった光を見やり、祖母は言った。
「綾香、今度…………ばあちゃんと二人で、花見にでも行こうか」
▽
「…………」
忘れて、いた。
こんなにも大事な記憶を。
そして、私はずっと。
色んなものを――自分の世界にとって都合の悪いものを。
ずっと”ないもの”として、生きてきた。
生きてきて、しまった。
そうして、その果てに巨大な矛盾を抱え――壊れてしまった。
あんなにも……
あんなにもおばあさまが、心配してくれていたのに。
元の世界に戻ったら。
改めて言おう。
大好きなおばあさまに、お礼を――
「――――――――」
気づく。
私……
(私は――)
おばあさまの葬式に、参列した。
自分の愚かさに。
涙が、溢れてくる。
――、…………あぁ、そうだ。
そうだった。
大好きだったおばあさまの死が。
どうしても、受け入れられなくて。
私は。
そんな大事なことすら”なかったこと”に――
してしまって、いたんだ。
目を反らし、耳を塞いでいた。
この世界でも同じだった。
矛盾に押し潰されないよう自分の中で”なかったこと”にして。
あれやこれやを見えないことにして。
挙げ句、壊れてしまって。
たくさんの人に、迷惑をかけてしまった。
「…………」
アギトさん。
どうしてあんないい人に、あんなことをできるのだろう。
どうしてあんなひどいことを――やれるのだろう。
……おばあさまは、なんと言っていた?
そう……邪悪について。
心の中で耳を塞いでいた私は、あの時――
おばあさまから何を聞いた?
思い出せ。
もう、向き合わなくちゃいないんだ。
邪悪は、邪悪でしかない。
裏返ることはない。
決して。
真性の邪が、善へは。
おばあさまは。
なんと、言っていた?
『あんたは悪人の改心ってのを信じてるみたいだが……この世には、救えない邪悪ってのが確かに存在する。そういう邪悪による惨事は世界中で起きてきた――いや、今も起きてる。この国でもだ。昭和、平成……今の元号でだって、現在進行形で起きていることだ。ひどい話はたくさんある。こんなことをやれる人間が本当にいるのかと……人間とは、こんなにも残酷になれるものかと……仮に思いついたとしても、少しでも人間らしくあろうとするならそんなひどいことは実行できないだろうと――そんな目を背けたくなるような”悪事”を行う人間……改心の余地などありえない、始末する以外手の施しようのない邪悪……それは確かにこの世に、存在する』
なんと、言っていた?
……ああ、そうだ。
そうだった。
『あたしはね……そんな救いようのない邪悪を、人間と思わない。そいつらは人間じゃない。そいつらはね、人の形をしたただの――』
記憶の中の祖母の声と自分の声が、重なった。
「――――『畜生だ』――――」
こんなことも、言っていた。
『あんたには似合わないし、あんたは悪いものと考えるかもしれないが……時にね、負の怒りや憎悪ってのは武器になる――武器になるんだよ、綾香。強力な、武器に』
固有スキルを解除した状態で、綾香はそこに立ち尽くしていた。
――こんなにも。
こんなにも、誰かを憎んだのは。
許せないと、思ったのは。
憎悪、したのは。
生まれて、初めてかもしれない。
こんな黒々とした感情が、自分の中に生まれることがあるなんて。
「…………」
アギトはもう完全に溶解し、存在していない。
綾香だけが。
その部屋に、立っている。
手を握り込む。
どこまでも……強く。
爪が肉に深く食い込んで血が滲んだが、気にもとめなかった。
綾香は――走り出す。
恐ろしい声だ、と思った。
信じられなかった。
口にしてから、
「 ヴ ィ シ ス 」
それが――――自分の声と知った。




