完全開戦
こちらのパートを書いていると改めてトーカは”正統派の主人公”ではないなぁ……と感じますね。
再びハッとなるソシオ。
彼の周りにはユーカリオン家と縁のある配下たちがいる。
皆、狼狽する自分を見ていた。
かぁ、と顔中に熱が灯る。
ソシオは歯噛みした。
なんと――ブザマな……ッ!
「ぐっ――何をしている聖体どもぉッ!? 我が軍をもってすれば、あの程度ものの数ではない! 潰せぇえ! あの炎が女神の加護による力なら、いずれ精神力は尽きる! 無限には続かぬのだ! ならば数の優位を活かし、消耗させ――数で押し潰せぇぇええ!」
脂汗を滲ませ、ふっ、とソシオは余裕ぶった笑みを浮かべる。
汗を吸い額に張りついた前髪を指で華麗にかき上げ、
「知っているか皆の者? 黒炎の勇者と言えば、魔防の白城の戦いでなんの戦果もあげられず、あまつさえ錯乱し、戦場から一目散に逃亡したそうではないか。他の勇者と違い、その後も何一つ功績について耳にしなかった。あぁ、私も一度だけ姿を見たが……ふん、せいぜい頭の悪いカスバカにしか見えなかった。そう! 黒炎の勇者は大した勇者ではない! よいか!? 相手は最上等級でもない! あの人面種殺しのアヤカ・ソゴウでもなければ、女神に逆らい死を与えられたヒジリ・タカオでもない! タクト・キリハラでも――、…………」
「…………兄上? どうかしましたか……?」
「――――――――」
□
ここでソシオ・ユーカリオンの頭の中に生まれた――とある思考。
この思考により、前線にいた聖体軍はしばらくその動きを大きく鈍らせることとなる。
◇【安智弘】◇
安智弘は移動を止めず目標を焼き尽くしていった。
前方は自分の炎で道を作る。
少しでも焼き払い、後続の負担を減らすために。
巨大聖体へ向けて腕をかざす。
まさに、巨人。
しかしその巨人の足もとには黒い炎が絡みつき、頭上まで燃え上がる。
目と口しかない顔の聖体。
咆哮めいた声を上げ、焼けながら巨人が沈んでゆく。
(カゴを担いでいない巨大聖体も可能な限り処理しておきたい……)
馬上で後ろを振り向く。
「リンジさん! 後ろの人たちは大丈夫そうですか!?」
「あぁ! ついてきてる! はっ――やっぱマグナル騎兵はすげぇな! 特に白兎騎士団はすげぇ!」
斜め後方の視界。
白兎騎士団長のシシリーの姿が見えた。
両手の斧で、彼女が両脇の聖体の首を左右同時に刎ねる。
白狼王も次々と剣で聖体を斬り伏せている。
ちなみにリリら剣虎団は最後尾につけているので状況はわからない。
やがて――角笛が鳴り、奇襲軍は転進を始める。
あまり敵軍の深くまで入ってしまうと完全に囲まれ、帰還が困難になる。
転進のタイミングは白狼王の判断に任されていた。
見える範囲の投石機は破壊できている。
確かに、引き上げ時だろう――その時だった。
「――――――――」
聖体ひしめく流れゆく景色の中に、
安の目は、人間の姿を捉える。
その男は、聖体の中にまぎれるようにして馬上にいた。
煌びやかな装いをしている。
位の高い貴族なのかもしれない。
距離は近い。
男は目をカッと見開いていた。
不意をつかれた、とでも言いたげな顔。
あるいは、
見つかった。
そんな風にも、見える。
”聖体は人間が指示を与えることで、より細かく運用できる”
指揮官のいる軍といない軍の違いみたいなもんだよ、と。
過去に聖体を率いた経験を持つリリが言っていた。
ならば。
指示を行う敵側の人間を減らせれば。
同時にそれは、味方の被害を減らすことにもなるのではないか?
――けれど。
安智弘は。
元の世界はもちろん、この世界に来てから。
人間を一人も、殺していない。
金眼の魔物や聖体は殺してきた。
否……同じではないのか?
魔物であれ。
聖体であれ。
人間であれ。
殺せばそれは同じ”殺し”ではないのか?
いやしかし――やはり、違うのではないか。
人間が、人間を殺す。
人が人を。
殺せるのか、自分に。
人を。
――、……重い。
なぜだろうと、自問する。
魔物や聖体。
やっぱり同じ”殺し”じゃないか。
なのに、なぜ。
こんなにも――重いのだろう。
……殺す?
僕が?
人を?
なんのために?
――――――――守るためだ。
その葛藤のすべては、ほんの一瞬の出来事だった。
安の手からのびた炎。
気づいた時にはもう――すれ違ったその馬上の男を、焼いていた。
燃え上がった瞬間、悲鳴が上がった。
はっきりその悲鳴を安は耳にした。
次第に悲鳴は遠ざかり……やがて周りの音にのまれ、完全に消える。
「……、――っ」
なんだろう。
この、締めつけられるような胸の重さは?
緊張と不安を混ぜ込み、そこへ重しをつけたみたいな――
「半分だ」
力強いその声の主は、リンジだった。
何かを察した言い方。
彼はいつの間にか、安の隣にかなり馬を寄せていた。
「……リンジ、さん」
「全部なかったことにするなとは言わねぇよ。けど半分は、おれたち大人がやらせたことだ」
「ぁ――」
「さっきのは、おれたちがおまえの力に頼ってるから起きたことでもある。そもそも味方のためにやったことだろ? なら、おまえ一人が背負い込むなんてのは――おかしな話さ」
「……僕は」
「ま、トモヒロなりに向き合う必要はあるのかもしれない。けど、おまえが一人で背負い込む必要もねぇんだ。おまえが重荷に感じるもんを一緒に背負ってやれる……重さを分かち合う。そのくらいのことは、おれにだってやれるはずだ。なあトモヒロ、大人である以前におれたちは……」
リンジは言った。
「仲間だ」
「――――」
「だから、安心しろ。そいつはおれも一緒に背負う。いや……背負わせてもらわなくちゃならねぇ」
それにな、とリンジ。
「その苦しさは、おまえが正常な証拠でもある。つーか何も感じない方が異常なんだよ。だから……恥じることなんて、ねぇんだ」
会話を聞いていたオウルが、口を挟む。
「さっすがリンジさん」
「おまえも一緒に背負ってやるんだぜ、オウル?」
空気を明るくするためか。
リンジは少し陽気に言った。
それを察してか、オウルも軽快に答える。
「わかってますって!」
安は。
前を、向き直す。
「…………ありがとうございます」
震える声を抑えるのに、必死だった。
そして――もう一度。
安は、心の中で礼を繰り返した。
ありがとう、ございます。
□
アッジズの東門より打って出た奇襲軍。
ひとまずの目的を果たした彼らは、どうにか東門から壁内へと帰還した。
被害は軽微で、想定よりもはるかに少なく済んだ。
安智弘の黒炎や最後尾の剣虎団らの奮戦の功績も大きい。
しかし――それ以上に、聖体軍の動きがいやに鈍かった。
これが何より大きかった。
どこか攻撃を躊躇しているような、そんな動きになっていたのだ。
一方、囮役として南門から出たミラ軍の方は苦戦を強いられた。
想定以上の数の聖体が南門の方へ押し寄せてきてしまったのである。
それは、まだ聖体軍の動きが鈍る前のことであった。
聖体たちの動きにも、この時はキレがあった。
”このままでは南門から壁の中へ帰還できなくなるかもしれない”
帰還のため再び門を開ければ、聖体がそのまま入ってきてしまう。
それを危惧されるほどの数と勢いだった。
ここに現れたのが――
アッジズへ向かっていた、最果ての国軍である。
これにより戦況は一転。
南門側の聖体軍が、ミラ軍と最果ての国軍に挟撃される形となった。
特筆すべきは、敵の指揮官らがひどく混乱したことである。
実は、最果ての国軍自体はそこまでの数ではない。
本隊は狂美帝のいるミラ軍の方へ行っているためだ。
むしろ戦力としては乏しいと言える。
しかし聖体軍の指揮官たちには敵の援軍の規模がわからない上、
”背後から奇襲を受けた”
”挟み撃ちにされた”
この事実が、混乱に拍車をかけてしまったのである。
さらに途中から目に見えて聖体軍全体の動きが鈍った。
いち早くルハイト・ミラはこれを好機と判断。
角笛により改めて帰還命令が出され、ミラ軍は援軍と共に王都内へ帰還した。
そのため、囮役のミラ軍もさほど大きな被害を受けずに済んだ。
こうして――不死王ゼクト率いる最果ての国軍も、聖眼防衛戦への合流を果たしたのである。
◇【ソシオ・ユーカリオン】◇
「ソシオ殿!」
投石機を守る聖体たちの指揮をしていた将の一人が、馬でやって来た。
「なぜ全軍に様子見など命じたのです!? 敵は我が軍にあそこまで深く入ってきていた! 囲んで数で押し潰せば、もっと被害を与えられました! いや、あのまま勇者ごと叩き潰せたかもしれないのですぞ!?」
「……だ」
「?」
「黙れ」
「なっ……!?」
「貴様は……何も、わかっていない……」
ソシオは口もとを手で覆い隠し、黙り込む。
(……ヴィシスめ。確かに黒炎の勇者は”死んだ”と……そう言ったではないかッ)
□
ソシオ・ユーカリオン。
彼が危惧したのは、他の上位勇者の生存であった。
もっと言えば――
敵側に回っている可能性。
ソシオは特にこれを危惧した。
アヤカ・ソゴウについては生存情報が回ってきていた。
行方不明になったあと敵側の人間として戦場に現れた、と。
生存と、確認された場所を把握できていた。
しかし――
ショウゴ・オヤマダ。
ヒジリ・タカオ。
タクト・キリハラ。
これらは誰も死体を確認できていない。
少なくともソシオが知る範囲では、誰も彼らの死体を確認していない。
女神が”死んだ”と言った黒炎の勇者が生きていた。
しかも、敵側に回っている。
つまりこれは、ヴィシスの情報が信用に足らなくなったことを示す。
となると他の勇者も出てくる可能性を考慮しなくてはならない。
たとえば――タクト・キリハラ。
弟のクジャはヴィシスとキリハラの会談の場に居合わせた。
キリハラは金眼の魔物の軍勢を従え、率いていたという。
もし……もし、である。
キリハラが人面種すらも従えられるとしたら?
どこかにその軍勢を待機させ、今、奇襲の頃合いを計っていたとしたら?
この大陸に住む者なら人面種の恐ろしさは嫌というほど耳にしている。
人面種を含む金眼の軍勢が襲いかかってくるなど、想像するだに恐ろしい。
否――それだけにとどまらない。
大侵攻時のキリハラやヒジリ自身の活躍ぶりも聞いている。
この二人で東侵軍の大半とやり合ったとか。
二人についての情報は、ヴィシスからだけではない。
東軍に参加した何人もの兵が口にしていた。
信憑性がある。
ソシオは考える。
生死不明のその二人がもし生きていて……この戦場にいるとすれば?
どころかオヤマダやヒジリの妹までいるかもしれない。
もしありうるなら――撤退も、考慮しなくては。
いざとなれば聖体たちを盾にして時間を稼がせる。
この世で最も可愛いのは我が身。
決まっている。
そうだ……。
自ら抱いたこの危惧――戦略的推察は。
ありうる。
死亡と聞いていた黒炎の勇者が生きていたのだ。
ならば他の”死んだ”と聞いた勇者の場合も、また然りではないか。
あるかどうかも知れぬ”最悪”を想定し、ソシオ・ユーカリオンは――
保身に走った。
これにより聖体軍は動きを鈍らせた。
好機とも言える攻勢の機を、逃したのである。
▽
ソシオはジッと虚空を睨みつけていた。
(動けぬ)
下手に、動けぬ。
……そもそも。
悪いのはヴィシス。
不確かな情報を与えたヴィシスが悪い。
女神は適当なことを言っているのではないか?
信用ならぬ。
あの女神の情報は。
私は。
私は、悪くない。
「…………」
「ソシオ殿、指示を!」
「……、……そうだな……ここはまず半日ほど様子見を……、――ん?」
……オォオオォォォオオオオオオ……
聖体が。
口を開き、吠え始めた。
眉根を寄せるソシオ。
「なんだ……? 聖体どもが……」
――ズッ――
「……え?」
見ると。
弟のクジャの左胸から、穂先が突き出ていた。
背後から――槍で、突き刺されている。
「あ……兄う、え……、――ごふっ」
クジャが吐血し、馬上で息絶えた。
その身体がぐらりと傾ぎ、そのまま地面に落下する。
ソシオは、怒号を発した。
「だ――誰だぁ!? 一体、誰がそのような命令を――、……ッ!?」
言葉を失い、目を見開くソシオ。
「ぎゃあぁああ!?」
「な、何をするぅ!?」
「やめろぉおお!?」
次々と配下たち――人間が、聖体たちに殺されていく。
気づくと、馬上にいるソシオの足も聖体の手に掴まれていた。
「なっ!? 貴様、無礼な! 放せ! た、待機っ……待機だ! おいっ――、ぐぁっ!?」
数体の聖体に馬上から引きずり下ろされ、地面に転がされるソシオ。
「ぐっ、命令を……きかないだと? なぜ……、――ッ!」
倒れたソシオを。
武器を持った聖体たちが取り囲み、見下ろしている。
聖体の一人が槍を構えた。
ソシオに向かって。
「! ま、待て……やめろよせ! ……よせ! 待機だ! た、待機……、――よせぇえええええええええッ! ぐあぁっ――」
――ドッ――ザクッ――ザシュッ――
次々とソシオに突き刺さる刃。
ソシオは少しだけもがいたが、
「こん、な……ブザマ、な……、――――」
それも、むなしい抵抗に終わった。
こうして――
アッジズ攻略軍の人間たちは、一人残らず聖体の手にかかった。
”アッジズ攻略に人間が邪魔である”
果たして。
ヴィシスの意思が、聖体たちになんらかの影響を及ぼしたのか。
本来の機能から。
聖体たちは今、逸脱しようとしていた。
寓話に登場する森深くに棲む幽鬼のように吠える聖体たち。
この不気味な咆哮はアッジズの壁内にまで届いた。
聖体が、行進を始める。
行進は次第に――地を打ち鳴らす突撃へと変わってゆく。
統率が取れているのか、いないのか。
動きだけ見れば取れているように見えなくもない。
けれども聖体を統率する人間の指揮官たちは、もういない。
仮に指揮官たりうるものがあるとすれば、それはやはり”ヴィシスの意思”か。
進む。
地を這う虫の、大群のように。
聖体がアッジズの壁に群がる。
壁の上で号令が飛んだ。
「弓を、引けぇええッ!」
駆け迫る、聖体。
そこへ、
「放てぇぇええええ――――ッ!」
矢の雨が、降り注ぐ。
続き、聖体の頭上から攻撃魔術が飛んでくる。
それでも――
聖体の大群は、止まらない。
矢の雨の下を駆け抜け、聖体の群れがそのまま壁に衝突していく。
が、衝突してもやはり止まらない。
後続の聖体が、壁に衝突した聖体を足場に上へ行こうとする。
他の聖体も壁の上を目指し、他の聖体を次々と”足場”にしていく。
外の壁際が――そんな聖体たちで、溢れてゆく。
聖眼防衛戦。
アッジズの地で繰り広げられるもう一つの決戦は――――ここより、さらなる激戦へと突入していく。




