死報
◇【ソシオ・ユーカリオン】◇
ソシオ・ユーカリオン。
彼はアライオン貴族で、ユーカリオン家の長男である。
このたびヴィシスからアッジズ攻略を命じられ、総指揮官を務めている。
彼は投石機によって攻撃を受けるアッジズを眺めていた。
ソシオは、弟であり副官でもあるクジャ・ユーカリオンに言った。
「このまま降伏しないものかな」
「あちらは打つ手なしのようですからねぇ」
弟のクジャは新生アライオン騎兵隊の隊長も務めている。
彼は、ヴィシスとタクト・キリハラの会談の場にも居合わせていた。
次男のミカエラは最果ての国攻略に失敗し、死亡。
ミカエラの率いたアライオン十三騎兵隊も全滅と言っていい状態になった。
ソシオは、ため息をついた。
ミカエラはいわゆる色狂いだった。
しかも酔狂――年々、性癖のひどさにも拍車がかかってきていた。
さらに悪いことに、戦という刺激に飢えてもいた。
が、戦場に出たことで死んでしまった。
(だから戦場になど、出るものではないのだ)
ソシオは自らの頬に指で触れる。
(万が一にもこの顔に傷でもついたらと思うと……あぁ……)
ソシオは美しさを愛する男だった。
逆に醜さ――不細工は彼にとって悪であった。
ユーカリオンの一族は美しく、さらには権力もある。
アライオンでの貴族としての地位も盤石。
けれど。
そんなソシオにも、恐怖するものがある。
老いだ。
死に際の祖父などはひどかった。
老いさらばえてゆくさまを見るのが辛かった。
年々曲がってゆく腰を見るのが、嫌いだった。
しゃべり方が”老人”になっていくのが、不快だった。
祖父の晩年は寝たきりに近かった。
糞尿は垂れ流しに近く、まれに糞便を侍女に投げつけてきたとか。
寝具に塗りたくっていたなどという恐ろしい話も聞いた。
あぁ、なんとおぞましい……。
何より恐ろしいのは。
自分もいずれ年老い”ああなる”かもしれない――そんな恐怖。
考えるだけで絶望に苛まれる。
人はなぜ年を重ねると輝きを失ってゆくのか?
人はなぜ最も輝ける年月がこんなにも儚く短いのか?
が、
(ヴィシス様の提示した半神化とやらを施してもらえれば、半永久的にこの美しさを保って生きられる……この顔……この肉体を、維持したまま……)
聞けばヴィシスはしばらく天界とやらに戻るとかなんとか。
こことは違う世界なのだろう。
ならばこの地の統治は自分に任せてもらえるよう掛け合おう。
半永久的な不老と化した自分がこの大陸を変える。
変革だ。
美しい者だけを生かし、不細工は殺処分。
一定の年齢になった者にも死ぬ義務を与えよう。
素晴らしい考えだ。
こうすれば美しい者の資質だけが次の世代へと受け継がれてゆく。
美しくない者が次の世代を作る行為自体がそもそもの間違いなのだ。
子まで不幸になる。
誰だって美しい者の資質を引き継いでこの世に生まれてきたいはずだ。
間違いない。
「理想郷だ」
だからこそ、病弱を装い避け続けてきた戦場にこうして足を運んだ。
総指揮官として。
遠路はるばる。
すべてはこの戦いの功績により、不老なる半神にしてもらうために。
「クジャ」
「はい、兄上」
「殺すな」
「……え? ま、まさかアッジズの者らをですか?」
「ヨナトの女王、マグナルから逃げ込んだアートライト姉妹……ヨナトの聖女は――今は傷だらけと聞くから処刑でよいか。それから、もしこの地に来ていればルハイト・ミラやカイゼ・ミラは生かそうと思う」
目を閉じ、白馬の上で両手を広げるソシオ。
「美しい者にはただそれだけで、生きる価値がある」
たとえばセラス・アシュレインや禁忌の魔女。
肖像画を見たが二人とも美しかった。
エルフは驚くほど長寿と聞く。
(エルフ……)
そうだ。
片がついたら、この大陸に隠れ潜むというエルフたちを探してみよう。
美しい者ばかりの種族だという。
(男も女もその大半が美しい種族……)
完璧に近い存在だ。
まさにこの美しい自分と生きるにふさわしい。
(私はエルフを重用するぞ……エルフは、我が側近にふさわしい種族だ……)
クジャがニヤニヤし、
「で、では……他の者は?」
「ん? あぁ、アッジズを攻略したらまず顔と年齢で選別を行う。選ばれなかった者はいたぶる目的で生かしてもよい。趣味の拷問がしたいのだろう?」
「あ! は、はい!」
目を輝かせる弟。
「ふ……その嗜虐性、おまえはミカエラの方に似たかな……」
まあ、と思う。
不細工を死滅させても皆が平等な世界はありえない。
美しき者の世界にも序列は構築せねばならぬ。
ただし奴隷ですら――私の世界では、美しい。
(……そういえば)
思い出す。
第九騎兵隊だったか。
あそこの隊長……かつて会った時、何かバカを言っていた。
『美しさについての私の考え? そうですねぇ……個人的にですが、人の美しさとは容姿や性別、年齢に寄らないと思いますよ? 表現を変えれば、そう……人の美しさとは”心根”のあり方によるものかと』
戯言も、ほどほどにしてもらいたかった。
極まったバカ思考。
そもそも容姿の整っている貴様やその副官は”こちら側”だろうに。
第九の隊長は、さらにこんな世迷い言まで重ねた。
『まー……たとえば、うちの副長が顔中に大火傷でも負ったとしましょうか。だとしても話し相手になってくれたらいい。もし喉が焼けて話せなくなったなら、盤上で行う遊戯の相手でもしてくれればいい。きっと死ぬまでそんな付き合い方ができますよ、あの副長となら。いやまあ、はは……向こうもそう思ってくれてたら、完璧なんですけどねぇ……』
あんなバカ話で大衆のご機嫌取りでもしたいのか。
バカ、極まれり。
その第九騎兵隊も最果ての国攻めの際に壊滅したとか。
第九が壊滅したと聞いた時。
それみたことか、と凄まじい歓喜があった。
感動した。
まさしく――ざまぁみろ、である。
頭バカにはそんな無意味かつブザマな死がふさわしい。
仮に美しくとも醜さを擁護する頭バカなど、この世にはいらない。
(まあ……あのスノーという副官が死んだのは、少々惜しかったか……)
そんなソシオに、弟のクジャが尋ねた。
「しかし兄上……アッジズ攻略、どのくらいかかるでしょうか?」
「何を言っている。あっさり終わるさ。今のアッジズで気を吐いているのは所詮、燃えカスの集まりにすぎん」
先の大侵攻でズタボロになったヨナトとマグナル。
比較的戦力を温存していたミラはアライオンへと向かった。
脅威となりうる異界の勇者もそちらに同行しているそうだ。
そもそも脅威の名に値する勇者はせいぜいがアヤカ・ソゴウくらい。
女神によれば上位等級の勇者はアヤカ以外、すでに亡き者となっている。
「……ああ、蠅王ノ戦団とやらも向こうだったか」
セラス・アシュレインが来ていないのは少々残念なところではあるが。
蠅王ノ戦団がこちらに来ていないのは幸いである。
激戦かつ劣勢だったと聞く魔防の白城の戦い。
その戦局をひっくり返したのが蠅王ノ戦団だったとか。
相手にすれば厄介この上なかったに違いない。
「ふ……しかし、早く変えたいものだな」
ソシオは言った。
「あのアッジズを、阿鼻叫喚の坩堝に」
▽
報告が入った。
「敵が東門より打って出たようです!」
「籠城していても遠くから効果的な攻撃を受け続けるだけで、なすすべなしと判断したか。さすがに哀れすぎる」
「出てきたのはどうやら、マグナルの騎兵軍のようです」
数を一応聞くも、大した数ではない。
いや、それなりの数ではあるだろう。
が、この大軍勢相手にと考えるとアホバカな数としか言えない。
南門の方からも多少兵が出ているようだが、そちらもブザマな数のようだ。
打って出た狙いは手に取るようにわかる。
投石機の破壊だろう。
無駄に命を散らす特攻。
あまりに愚かしく――あまりに不細工。
ソシオは盛大にため息をついた。
「窮鼠にすら及ばぬ……なんと不細工な特攻か……」
顔に憐れみを浮かべ、ソシオは腕を前へ振る。
「磨り潰せ」
視界のずっと先で――火の海が、広がった。
「……は?」
馬上で唖然とするソシオ。
「な――なんだ……? あれは……」
黒い炎。
「…………」
黒い炎だと?
「ま――」
魔導具。
魔導具だ。
魔導具に、違いない。
……ありえない。
そんなこと。
ありえては、ならない。
「……く、ぅ」
いたのは、知っている。
黒炎を操る勇者が。
しかし、
「――、……言った。女神は言った。黒炎を操る勇者は死んだ――死んだと、そう言ったぞ!? 確かに言ったッ! エノーを出立する前に!」
右の耳たぶを摘まみ、思わずねじりながらソシオは叫んだ。
「この耳で聞いた! 聞いたのだ! 聞いていない……聞いていないぞ!? 勇者がここにいるなど――黒炎の勇者が、生きているなど!」
黒い炎が。
まるで、炎の大蛇のようにうねって。
白い軍勢を焼き殺し、移動している。
「兄上!」
クジャの声に、弾かれたように我に返る。
「あ、あぁ……」
「あやつらの狙いは投石機かと! 早く、守りの指示を――」
投石機が、燃え上がった。
凄まじい速度で焼け落ち、崩れていく。
顔から血の気の失せたクジャが、悲鳴を上げた。
「あぁああ!? 兄上! あ、あれを!」
燃えている。
今度は、攻城塔が。
しかしソシオはなんとか気を持ち直す。
そうだ。
失敗は許されない。
半神化のために。
「つ、潰せ……潰せぇえええ――ッ! 守れ! 守るのだ! 投石機と、櫓を――」
遠くの巨大聖体が、足もとから燃え上がった。
背負ったカゴの――聖体ごと。
ぐらり、と巨大聖体が倒れ込む。
巨大聖体は。
倒れる先にいた聖体を押し潰し、そのまま息絶えた。
「何を……している……バカども……」
聖体たちは指示通り敵軍のところへ向かっているようだ。
が、敵の動きが止まる気配がない。
どうも、接近するなり次々と聖体が焼死していっているらしい。
渦巻く黒き炎によって。
「と……」
ソシオは、身体から力が抜けていくのを感じた。
「止められんのか……」




