聖眼防衛戦
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
◇【安智弘】◇
安智弘は、迫る聖体軍を遠くに眺めていた。
心臓が大きく鼓動を打つ。
――やっぱり、怖いと思う。
魔防の白城での戦いを控えていた時は、怖いと感じなかった。
どちらかと言えば、楽しみで。
そして……何も、見えていなかった。
今の方があの時より戦う能力は上がっている。
なのに今の方がなぜか、よっぽど怖い。
あの大猿たちと戦った時も、そうだった。
「…………」
城壁の上に並んでいる兵士の人たち。
彼らは怖くないのだろうか?
みんな、落ち着いて見える。
やっぱり訓練された人たちだからなのか。
と、近くにいた兵士たちの会話が耳に入ってきた。
「……家を出る前、うちのガキがよ」
「ん?」
「怖くなんかないよ、って言うんだ」
「へー、肝の据わった子じゃねぇか」
「いやその……言うんだよ」
「言う? 何が?」
「とーちゃんが守ってくれるから大丈夫だ、って」
「……そっか」
「この前の大魔帝軍との戦いで生き残ってから……うちのガキの、おれを見る目が変わってなぁ。憧れの目で見てくる、っつーか……」
「うちもあれだ……女房がな」
「いつもおまえをどやしてるっていう?」
「ああ……けどこの前の戦いが終わってから、ちょっと優しくなったっていうか……」
「……んじゃ、お互いまた生き残らねぇとだなぁ」
「だな」
「……………………、――ッ」
ふと、子どもの話をしていた兵士が面を伏せた。
槍に体重を預け、支える姿勢になっている。
力を少し抜けば今にもくずおれてしまいそうだ。
その兵士は、嗚咽していた。
「――ふ、ぐっ……ぐふ……死にたく、ねぇよぉぉ……怖ぇ……怖ぇぇ……」
「お、おい……気持ちはわかる、けどよ……士気ってもんもあるし……」
焦った顔で周囲を見回すもう一人の兵士。
と、
「いいだろ」
会話を聞いていたまた別の兵士が、嗚咽する兵士の肩に手を置いた。
「……みんな同じだ。みんな怖いさ。俺だって怖い。でも戦う――そうだろ?」
「ぐすっ……ああ……ここで負けたら、うちのガキだって死んじまうんだろ……? だから……やるよ……ぐすっ……やって、やる……ッ」
他の兵士も、様々な反応でその光景を見ていた。
優しく苦笑する者。
つられて涙ぐむ者。
ほぼ表情は変えずとも、覚悟を決め直している者……。
「…………」
そうか、と思った。
怖いのだ。
自分以外の誰かだって……。
そうだ。
怖いと思ってもおかしくはない。
こんなの――誰だって、怖い。
昔から安智弘は、とある感覚が不意に湧くことがあった。
”他人と比較した時、自分がこの世で最も劣っているのではないか?”
思い出したように、そんな気分になることがあった。
今も時おり、それは発作のように起こる。
自分以外の全員が、自分よりしっかり生きているように見えて。
自分一人だけが、この世でだめな感覚の持ち主に思えて。
自分だけが、何か間違ったやり方で生きているように感じられて。
なんとなく――騙し騙し、生きていけているだけ。
たまに似た者同士と思える人がいても、なんやかやで上手くやれている。
同じ国に住んでいても――
自分以外のすべての人が、別の国の住人のように思えて。
だから、
”ここでも、本当の意味で怖いと感じているのは自分だけなんじゃないか?”
そんな感覚が、安の中に湧いていた。
(だけど……違うのかもしれない)
自分のてのひらに視線を落とす。
それから視線を、再び兵士たちに向ける。
見える。
今は――以前より。
自分以外の人たちの”顔”が。
自分だけだと思っていたのは。
きっと、自分しか見えていなかったから。
と、
「怖いってのは、悪いことばかりでもねぇさ」
リンジが言った。
「怖いと感じるってことは、逃げずに向き合ってるってことだろ」
「向き、合ってる……」
たとえばホラー映画とか。
”怖くなかった”
”どこが怖いのかわからない”
こんな感想を抱く人の方が心が強い人なのだと、そう思っていた。
この世界へ召喚された後だって同じ。
異世界に来て――強力な異能を手に入れて。
戦いを前に恐怖など抱かぬ者こそ真の”勇者”だと思っていた。
リンジは言う。
「真摯に向き合うからこそ、怖い」
「――――――――」
だから、とリンジは続けた。
「その恐怖から逃げないことが、勇気ってやつなんじゃねぇかな」
……ああそうか、と思った。
それもまた、一つの”勇者”のかたち。
決意や覚悟はあっても――”怖い”はどこかにずっと、残っていて。
それは、あの金眼の大猿たちと戦った時も同じだった。
(でも……)
なぜだろう。
ふっ、と。
自然と、笑みがこぼれる。
(怖くても、いいんだ)
この”怖さ”を胸に戦っていい。
表情を引き締め直す。
「……この戦い」
安は、迫る聖体軍を確と見据えた。
「みんなを守るために――――僕のすべてを、ぶつけます」
▽
聖体軍が白いかたまりから、いよいよ個々の姿を見せはじめる。
横に広がる隊列。
その隊列のはるか後ろへかけて、大軍勢が続く。
どう少なく見積もってもまず20000~30000はくだるまい。
ここから望むだけでそれがわかる、とリンジは言った。
壁上では攻撃用の魔導具部隊と弓兵が迎撃準備を進めている。
配置型のボウガンのような弓も、巻き上げられていく。
リンジが目を細め、
「向こうさんが用意してきたのは……ありゃあ、投石機か」
「投石機だけじゃないね」
「リリ」
いつの間にか、剣虎団のリリが上がってきていた。
リリがあごで、砂塵を上げる聖体軍の方を示す。
「攻城塔も持ってきてやがる。アライオンから馬鹿正直に持ってきたとは思えないから、この王都が近づいてきた段階で組み上げながら運んできたんだろう」
「大きな……台車みたいなもんを使ってか?」
「普通の人間でやりゃあ厳しい話かもしれないけど……あっちにゃ疲れ知らずの聖体もいれば、人間の何倍もでかい聖体もいる。ばらした部品を運ぶのも、組み立てるのも、普通の感覚で考えちゃいけないね」
攻城塔――攻城櫓とも呼ばれる攻城兵器。
通常、兵たちは梯子をかけて壁をのぼる。
しかしこの櫓を使えば、梯子より楽に高い壁の上へ兵を送り込める。
元の世界にいた頃、安も映画や漫画で似た兵器を見たことがあった。
リンジが頭を掻く。
「考えたくねぇな……あんな大群が、この壁上に詰めかけてくるのは」
「攻城塔だけじゃなく……通り道にあったマグナルの砦とか要塞都市からも色々持ってきてるかもね。武器とか、馬とか」
半馬の聖体もいるが、普通の馬に乗っている聖体もいる。
当然、武装もしている。
リリは言った。
「聖体……アタシらが使ってた時より、賢くなってる感じだねぇ。多分、やれることが増えてる」
もっと単純な命令しか実行できなかったはず、とリリはつけ加えた。
その時、
「攻撃準備ぃぃいいいい――――ッ!」
号令がかかり、角笛が吹き鳴らされた。
ここまで伝わる――小さな地鳴りめいた振動が。
本当に、近づいてきているのだ。
交戦が始まる、その時が。
「女王と聖女の方針としては、ひとまずこっちからは打って出ずに、守りに専念して敵の動きを見るそうだ。門も岩で内側から塞いでるから、破城槌での破壊も当面は防げるだろうって話だが――」
「……ッ! くるぞぉーっ!」
突然、壁上がにわかに騒がしくなった。
まだ聖体軍は攻撃魔術や弓矢の射程圏内に到達していない。
しかし安たちも”それ”を目にする。
気づけば。
誰もが、空を見上げていた。
壁を易々と越えていく、その四角い箱のようなものを。
誰もが、仰ぎ見ている。
リリが目を丸くし、
「――んだ、ありゃあっ!?」
投石機の使用は想定されていた。
壁はあらゆる破壊に耐えうる硬さを持つ。
一方で投石機による岩などの”壁越え”がある事態は、想定されていた。
けれど。
投擲され、第一守護壁の中に放り込まれたのは鉄製らしき素材の箱。
大きさは建物のちょっとした広い部屋くらいはあるだろうか。
安たちは移動し、第一守護壁の内側を覗き込む。
バンッ!
大きな音と共に、箱の一辺が開いた。
中から、
「あの中に……聖体が、入ってやがるのか……ッ!」
そう、聖体が箱の中に詰め込まれていたのである。
ただし落下した際の衝撃でそれなりの数が潰死しているようだ。
が、すべてではない。
リリが歯噛みした。
「ぐっ……無茶をさせられる聖体ならではの作戦、ってわけかい」
これが人間であればまず実行は不可能に等しい。
通常の兵士なら箱の中は”ぐちゃぐちゃ”になっているだろう。
あるいは、あれはこのために調整された聖体なのかもしれない。
ただ、入っていた聖体の数はそれほどではないようだ。
着地の際の衝撃で死んだ聖体もたくさんいるのだろう。
第二守護壁付近にいるこちらの戦力で容易く殲滅できるはずだ。
しかし内側――背後に敵がいるという状況はどうしても、意識の集中を妨げる。
”突破された”
どこか、そう感じてしまう。
壁上の兵にそれが動揺として駆け巡り、そして滞留する。
さらには、
「ひと箱辺りの数はともかく……あれをこのまま次々放り込まれると、やばいな」
中にいる聖体がそれなりに潰死しようが知ったことではない。
敵はそれをやれる。
事実、
「ま、また来たぞぉ――――ッ!」
兵の一人が叫んだ。
続々と。
聖体の入った”箱”が、投擲されてくる。
中には、
バシュゥッ!
高度がありすぎて聖眼に空中で迎撃される箱もあった。
が、敵はそれでもおかまいなしに放り込んでくる。
加えて大きな岩も投げ込んできていた。
このような通常の投石は事前に予想されていた。
ゆえに現在、第一守護壁の内側にある陣地には人がほとんどいない。
なので、投石による被害は少ない。
「とはいえ……心理的には、やり込められてる感じがあるな。それに……あの岩が壁上の方に落ちりゃあ、そこにいる兵士は潰されちまう」
”こちらはまだ動けないのに遠距離から一方的に攻撃され続ける”
確かにこれは心理的に辛いものがある。
通常の投石も行っているのも、またタチが悪い。
第二守護壁付近にいる部隊の動きがいまいち鈍いのだ。
そう……
壁の内部にいる聖体を排除しに出た際、降ってくる岩に潰されかねない。
心理的に前へ出ていきにくいのは仕方あるまい。
さらに――
ドガァン!
兵士が目を見開き、
「な、なんだぁ……ッ!? ば……爆発ッ!?」
魔導具か。
あるいは(あるのなら)火薬を用いた何かか。
放り込まれた木製らしき箱の一つが建物に衝突し、爆発した。
舌打ちするリンジ。
「あれじゃあさらに、第二守護壁の近くに待機してる戦力が出てきにくくなる……」
安たちのいる壁上近辺を指揮する騎士が、敵軍の方を振り返る。
騎士は悔しげに、
「くっ……あの距離では、こちらの投石機はまだ届かない……ッ」
第一守護壁の内側や壁上にも投石機は設置してある。
しかし、射程が敵側の投石機に及ばない。
あの箱を見てもわかるように、投擲できる岩も敵の方が大きい。
その時、
「あぁ!」
逆側――第一守護壁の外側を見ていた兵士が指を差し、叫んだ。
安たちもそちらを見る。
巨大な聖体が次々と、底が浅めのカゴのようなものを両肩に担ぎはじめた。
カゴの中には――こちらも、聖体が詰め込まれている。
「なるほど……攻城塔や梯子で送り込む前に、あの巨大聖体を壁に張りつかせて壁上の”道”を空けさせるつもりか」
リンジの言葉に、忌々しそうに口を曲げるリリ。
「あれなら壁をのぼる行程は省ける……さらに壁上を確保して”道”を作っちまえば、攻城塔や梯子で後続を送り込みやすくなる――と」
しかも。
こちらはその先行した聖体の対処にも、壁上の戦力を割かねばならない。
「のぼってくる敵の数をできるだけ壁際で減らす守り側の戦法を……可能な限り、封じるつもりか」
見ると、壁上の兵たちも浮き足立ち始めている。
指揮役の騎士たちがどうにか落ち着かせようと檄を飛ばす。
先の大魔帝の大侵攻。
各国ともその精鋭の多くが犠牲になった。
よく訓練された兵たちもたくさん散った。
”ここに残り集まった者たちは、大侵攻の兵たちと比べれば練度が低いだろう”
こんな話を聞いた。
中には訓練などろくに受けていない民兵もまじっているとか。
この東壁は比較的練度の高いマグナル兵が多い。
が、やはり数が足りない。
ゆえにその数を補うため、どうしても練度の低い者も多くまじる。
そうも聞いた。
だから。
ちょっとしたことで浮き足だってしまうのも、無理はないのだ。
それでも彼らは――残ってくれた。
集まってくれた。
大事なものを、守るために。
誰も彼らを責められまい。
どころか安個人としては、感謝したいくらいで――
『死にたく、ねぇよぉぉ……』
先ほど壁上で嗚咽を漏らしていた男のことを、安は思い出す。
遠距離攻撃中だからか、聖体軍は今、動きを止めていた。
左右に長く整列する聖体軍を見据え、安はリンジに声をかけた。
「もっと近づいてくれば、あの巨大聖体や攻城兵器は僕の炎で対処できるかもしれません」
「おまえの炎は強力だからな……頼むぞ、トモヒロ」
でも、と安は言った。
「対処できる数は限られます」
リンジが不思議そうに安を見る。
「?」
敵の軍勢は、横に広がっている。
壁に張り付かれた際、どのくらい自分は壁上で移動できるだろう?
移動する時、どのくらいの時間がかかるだろう?
どのくらいの範囲を、カバーできるだろう?
だったら……、――――
「…………」
ごく、と。
唾を飲み込む。
そして、言った。
「僕が門から打って出ることを許可できるか……確認を、取ってもらえませんか」




