神葬命宮
◇【女神ヴィシス】◇
器官が閉じている?
先ほどの耳鳴り……。
そして――さっきまで空気中に浮かんでいたあの光の粒子……。
まさか、とてのひらを前へ突き出す。
ヴィシスは眉間に小さなシワを寄せた。
「使えない……神級魔法が」
神命の炎球すら使えない。
神の力の一部を封じられた?
何かされたのだ。
何かを、仕掛けられた。
しかし神族に影響を及ぼす力など……。
ヴィシスの脳裏に、この前潰した鴉の姿がよぎった。
ギリッ、と爪を噛む。
「アナオロバエル」
あれは優秀だったが情を捨てきれなかった。
考えの相違さえなければ――くだらぬ情さえ持っていなければ。
下僕たる半神候補にしてやったのに。
長寿ゆえに人のゴミ性を存分に知ってもらいたかった。
心変わりを期待していた。
やはり――殺しておけばよかった。
「なるほど」
あのアナオロバエルが協力しているのか。
数々のあれこれの裏には禁忌の魔女の助力があったのだ。
「……よくもまあ、今の今まで存在を隠し通せたものですねぇ」
ならば今回、あの魔女も迷宮入りしている?
……それにしても、神族に影響を及ぼす力とは。
自分もあずかり知らぬ虎の子の太古の魔導具でも用いたか。
「…………」
何か、おかしい。
ゴミ虫どもの動き……。
想像以上に、迷いがない。
そう。
それこそ、神族の知恵でも拝借していなければ――
(まさか……来ている神族が、ロキエラとヴァナルガディアだけではなかった……?)
テーゼ辺りが来ている?
まさか――主神のオリジンが?
今、天界がゴタゴタしていると言っていたのも嘘だった……?
……いや。
最初の二人を寄越すだけでも苦渋の決断だったはず。
それに、である。
他に来ているのなら、なぜロキエラたちに同行していなかった?
分散する意味がない。
であれば――追加で誰か送り込んできた?
こんなに早く?
遅れて到着する予定だった他の神族がいた?
あるいは、この神級魔法封じもその神族の手配か。
他の神族の存在も想定しなくてはならない?
「…………」
いや、と思い直す。
神族ならば問題ない。
むしろ好都合。
対神族の能力は超特化的に高めてある。
そう――逆に今は、神族ならば敵ではない。
ヴィシスは、自分の身体や感覚を注意深く検めた。
器官は閉じている。
が、あくまで使用不可が確認できたのは神級魔法のみ。
刃状に変形させた爪で腕の肌を裂く。
ビッ!
すぐに肌が再生し、傷も消える。
身体の変形や再生能力に特に問題はなさそうだ。
ただ、基礎能力がやや落ちている感覚がある。
いうなれば……。
100を完全とするなら、90くらいに減衰している感覚か。
――問題ない。
そう。
問題など何もない。
他の能力の確認も終える。
やはり、これといった問題はなさそうだった。
神級魔法の使用不可。
それから、わずかに基礎能力が落ちているのみにすぎない。
壁に触れる。
……神創迷宮の方にも影響はない。
次に膝をつき、床に触れる。
目を閉じ、王都に施した刻印も確認する。
起動状況……効果にも、問題なし。
ヴィシスは立ち上がった。
「さすがに現出した概念魔法や刻印にまでは、干渉できないようですねぇ」
次に懐から神器を取り出し、確認する。
確認したのはもう何度目だろうか?
聖眼は――まだ、起動している。
冷たい視線を手もとの神器へやり、しまい直す。
「…………」
ヴィシスは――――笑った。
「クソカスども」
神創迷宮――否。
今回、ここで行われるのは遊戯的訓練ではない。
クソカスどもが命を散らし、神によって葬り去られるのである。
これぞ――神葬命宮。
「ふふ、ふふふふ……まったく……飛んで火に入るなんとやら、ですねぇ♪」
御託は、無用。
気に入らないから、悲しませたい。
気に入らないから、怒らせたい。
気に入らないから、傷つけたい。
気に入らないから、痛めつけたい。
楽しいから、苦しませたい。
楽しいから、破壊したい。
楽しいから、嘲笑したい。
楽しいから、不幸にしたい。
気に入らないから、
楽しいから、
殺戮するのだ――――人の、幸せを。
コリッ、と。
親指と中指で摘まんだ黒紫玉を、ヴィシスは口に含んだ。
「信念は貫きます」
だからこそ――――殺戮を。
「殺戮を、する」
◇【十河綾香】◇
対ヴィシス用の魔導具を発動させた十河綾香は、通路の先を見据えた。
(すごく静か……音がしない……)
先ほどリスク覚悟で、誰かに届くかと大声で呼びかけてみた。
敵を呼び寄せてしまうかもしれない。
が、敵と遭遇したら倒せばいい。
今はそのリスクを負ってでも、味方との合流を優先すべきだ。
(まずはムニンさんと合流できるのが、ベストだけど……)
順番が前後でも必ず近くに転送されるわけではない。
これがやはりネックである。
しかもこの防音っぷり……。
基本的に自ら駆けずり回るしか合流の手立てがない。
灯河の指示通り、綾香は発動後の魔導具を破壊した。
ちなみに発動にMPは消費していない。
イヴから渡された発動用の魔素を貯蔵した魔導具を使用した。
綾香は一旦、走り出す。
まだ固有銀馬は使わない。
この迷宮内の戦いにおいてMPは有限である。
睡眠を取る余裕はない。
つまり回復手段がない。
節約を意識しなくてはならない。
見覚えのある建物が視界に入ってきた。
間違いなくここは王都エノーの中らしい。
白い物質が家を二つに分断していたり、八割覆っていたりする。
今のところ……人の気配もない。
足もとは石畳。
所々、雪が積もったみたいに白い床になっている。
踏みしめてみると、白い部分は硬い蝋みたいな感触だった。
あるいは、かすかに弾力のある骨と言ってもいいかもしれない。
通路も広さは様々。
横幅が広いところもあれば、天井が高いところもある。
吹き抜けみたいな空間もある。
見ると、階段状に変形している部分もあった。
通路と通路の間に時たま広い部屋があるイメージだろうか。
話にきいた”訓練”においては、その部屋が戦うための空間なのかもしれない。
愛用の槍を手に、駆けながら天井を見上げる。
日光が届いていないのに内部は明るい。
(外側から不透明な膜で密閉されている印象だったけれど……)
酸素はあるし、不思議と風が吹いている空間もある。
白い謎の物質に侵蝕――あるいは、雑に”合成”された街並み。
合成に失敗し、そのまま放置されたような印象もなくはない。
綾香は近場を巡ったのち、その方角を見た。
(お城は……あっちの方ね)
召喚後、この王都には長く滞在していた。
所々姿を見せている建物や通りはそれなりに記憶の中にある。
自分の場合は地図を出さずとも目指せそうだ。
皆、灯河から城を目指すよう指示を受けている。
(城の方を目指していけば、どこかで自然と合流できるはず……)
と――
(聖体……ッ!)
ランスを持った中型聖体が、横合いの通路から現れた。
綾香は、その現れた聖体を瞬殺した。
(ある距離から足音が聞こえてきてたけど……逆に言えば、あの距離まで来ないと足音は聞こえないのね……)
これでは。
離れた場所で戦闘音や悲鳴が上がっても、駆けつけようがない。
なんだか――心細さもある。
思った以上に孤独感が強い。
が、今は孤独感による寂しさで膝を抱えている場合ではない。
(やっぱり三森君の予想通り、神徒以外に聖体も迷宮内に放たれてるのね……)
綾香は、再び駆け出す。
(早く、戦いに不向きな誰かを見つけて合流を――)
「……、――――――――は?」
「え?」
遭遇、した。
向こうも目を瞠り、こちらを見ている。
相手も、
”思ってもいない相手と遭遇してしまった”
そんな、反応で。
その遭遇者がいたのは、通路を曲がった先にあった少し広めの空間だった。
(どう、して……ここに――)
動揺を遠ざけようと努めながら、綾香は唾をのみ下した。
が、引き起こされた混乱が彼女の思考を一時的に停止させている。
開けた空間の奥――壁際に近い位置。
おそらく、そばに見えるあの通路に入ろうとしていたのだろう。
そう、咄嗟に振り返ったような姿で綾香の視界の先に立っていたのは――――
「ヴィシ、ス……?」
ヴィシスが、言った。
「よりにもよって――――ここで、おまえか」