リズベット
◇【リズベット】◇
大気が、震えた。
共鳴するように微振動が、大地を駆け抜ける。
直後――
白い光が迸り、すべてをのみ込んだ。
目が潰れるかと思うほどの光量だった。
やがて、その不気味な白光は収束していった。
少しずつ視界が戻ってくる。
(今の、は……?)
使い魔の鴉――リズベットは混乱した。
(あれ? わたし、お城の敷地内の木にいたはず……ううん、この木の枝は直前までとまっていたのと同じみたい。つまりわたしは……ここから、動いていない? じゃあ……)
王城の方が――
変貌を、遂げたのだ。
見上げるも空は見えなくなっている。
上空、と呼んでいい高さのところは白い天井のようなもので覆われていた。
(何が……起き、たの……?)
リズベットは直前までヴィシスたちを監視していた。
すると突如、大地が鳴動し――瞬く間に光が広がったのである。
(落ち着け……落ち着け……)
使い魔との接続に意識を再集中させる。
確認して、報告しなくては。
よく観察すると城の原型は残っている感じだ。
変貌したというよりは……そう、たとえば――
中途半端に合体した、というか。
白い壁や膜が建物とまざりあった感じ、というか。
巨大生物の腹の中みたいな、そんな感覚もなくはない。
少し冷静さを取り戻したおかげか。
思い切って、リズベットは少し高い位置まで飛んでみた。
「!」
(何、これ……)
見えない。
白い壁のようなもので覆われていて、王都が見えない。
どころか、少し先も白い壁や天井で覆われている。
この城全体があの白い壁や天井に包まれている?
(閉じ込められた……?)
しかしよく見ると、出入り口のような穴がいくつか確認できる。
(穴を通っていけば、外へ出られるのかな……?)
もう一度、上方を中心にぐるりと周りを仰ぎ見る。
他の鴉が飛んでいる。
自分以外の生物が消えたわけではないらしい。
ハッとする。
いけない。
ヴィシスと神徒は?
この異変はトーカたちに伝える必要がある。
ただ、今の光でヴィシスや神徒が消えているかもしれない。
どこかに転移したなんてことも、可能性としてはありうる。
特に、この戦いはヴィシスがどこにいるかが最重要だと聞いた。
リズベットは引き返し、監視に使っていた木の上へ戻った。
あの位置からだと窓越しに王の間が覗けるのだ。
ちなみに鴉は自分一羽ではない。
エノーには以前から鴉が生息している。
最近は数が増えた。
王都の衛生事情が悪くなっているせいだとか。
同じように、蠅を目にする機会も多くなった。
白足亭にいた頃、ゴミにたかる蠅がちょっと苦手だった。
(でも、今は……)
あの人のことを、思い出せるからだろうか?
変な話だけれど。
蠅を目にすると、不思議と心強い気分になる自分がいた。
――がんばるんだ。
あの人のためにも。
自分を救ってくれた人。
おねえちゃんと一緒に、わたしをあそこから助け出してくれた――
「!」
ヴィシスが、王の間から出てきた。
ヲールムガンドという神徒の一人を連れ、回廊を歩いている。
回廊の左右に並ぶ柱の間からその姿が見えたり隠れたりしていた。
この城の変貌……何か、始まるのだろうか?
リズベットは全神経を集中させ、今どう動くべきかを思案する。
と、
(……あれ?)
柱の陰に入ったあと、ヴィシスが出てこない。
捜しても、ヲールムガンドの姿しか確認できない。
ヴィシスは、どこに――――
「 お ま え か 」
目の前に――真夜中の沼みたいな黒に染まった、二つの眼球、が――
――グちャっ――
肉と骨が柔く潰れる嫌な音がして――視界は、消失した。
▽
不意に意識を取り戻したリズベットは、ハッと目を開いた。
「――は、ぁッ! はぁっ、はぁ……ッ!」
死者が息を吹き返したかのように、酸素を激しく取り込む。
急速に意識が鮮明さを取り戻そうとする。
「はっ、ぁ……はぁっ、はぁっ……」
使い魔と断線した直後、自分は悲鳴を上げた――気がする。
はっきりとは、覚えていないけれど。
悲鳴を上げて倒れ、そのまま意識を失ったらしい。
ここは――、……エリカ・アナオロバエルの、家の中。
「――――――――」
冷たい感覚が、ぶるっ、と小さな身体を震わせた。
空虚な冷たさ。
完全なる無。
あれが――死?
自分は擬似的に死を味わったのだろうか?
怖い。
怖かった。
目の前に現れたヴィシス。
嗤っているのに――笑っていなかった。
無機質なのに、底知れぬ憤怒があって。
虚無的なのに、充溢した邪悪があった。
(……怖、い)
使い魔と意識を接続する行為。
それ自体が、もう怖いと感じる。
あんな恐怖をまた味わうかもしれないと思うと……。
「…………」
リズベットは、ふらふらと立ち上がった。
頭が痛い。
ズキズキする。
身体も、だるくて重い……。
まるで、水中を歩いているかのようだ。
これまでの使役による負荷も積み重なっている。
背骨に沿うように伝う汗。
それが、ひどく冷たい。
小さな身体を庇うように己を細腕で抱き、接続用の水晶の前に戻る。
エリカには不要だが、自分はこの水晶を使わないと、まだ使い魔と接続できない。
(……怖い。怖いよ……、――でも)
おねえちゃんやみんなを失う方がもっと怖い。
みんなはあんなものと戦おうとしている。
だから、
(伝え、なきゃ……トーカ様、たちに……ッ)
耳にした情報や目にした情報は、すべて伝えなくては。
エリカがまだ動けない以上、今は自分にしかそれはできない。
冷たい汗を全身や顔に感じる。
この汗は、このあとの行動を拒否する警告的な印なのかもしれない。
「…………」
ずっと昔にイヴがくれた、木彫りの首飾り。
首にかけたそれを、ぎゅっ、と握りしめる。
わたしたちは、
二人で、強くなろうと決めた。
でも――わたしはとても、弱くて。
……だけど今は。
もしかしたら……ほんの、少しだけ。
目を閉じ、震えの残る両手のてのひらを、水晶にくっつける。
(……ねえ、おねえちゃん)
わたし、あの頃より――
「少しは強く、なれたかな?」
リズベットは再び――――使い魔との接続を、開始した。




