表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

376/440

神と蛇の食卓


 更新後に推敲をしていて思いましたが(推敲は今さっき終わりました)……これはやっぱり、クソ女神だなと思いました……。







 ◇【女神ヴィシス】◇



 王の間でヴィシスは食事をとっていた。


 開け放たれた大窓からは白色の朝日が差し込んでいる。

 玉座前の段差を降りた先――王の間のちょうど中心。

 そこに王家に代々受け継がれてきた王卓が置かれている。

 卓の脚には細密かつ格調高い彫刻が施されていた。

 卓上には贅を尽くした料理の数々。

 銀杯には稀少な葡萄酒がなみなみとがれている。

 擦れ合う銀食器の音が静寂の中に響いた。

 ヴィシスはフォークで肉を口に運び、咀嚼する。

 次に杯を傾け、葡萄酒を煽る。

 ゲート破壊の数日前から、稀少な酒の備蓄は次々と放出されていた。

 血のような葡萄酒をヴィシスは銀杯の中で回しながら、


「こういった上質な葡萄酒を作れる人間は残してもいいかもですねぇ。美味な料理を作れる人間や、その食材を提供する人間も残しましょうか。はふぅ……優雅な朝食に、るんるんです♪」


 杯を卓に置き、ヴィシスは布で楚々と唇を拭いた。

 うーん、と苦笑する。


「そういえば、ソゴウさんが壊れていなかったのは意外でしたねぇ」


 ヴィシスは玉座ではなく人骨で作らせた椅子に座っていた。

 干渉値をもう気にしなくてよいので何をしてもいい。

 いくつかの骨には、まだ真新しい血が淡い桃色として薄らこびりついている。

 王都で周囲をコソコソ嗅ぎ回っていたミラの”ネズミ”の血も、そこにまじっている。


「んー……壊れなかった要素は、薄色の勇者たちとミナミノさん……あとは彼女……あーなんでしたっけ? ソゴウさんの腰巾着すぎて名前がよく思い出せない――ああ、スオウさん。そう、スオウさんでした。うーん、スオウさんは早めに殺しておいた方がよかったのかもしれません。スオウさんが生きているなら――続報のないニャンタンを追ったアライオン騎士団はしくじった、と考えてよさそうですねぇ。ふふふ……堅王と同じで、心底使えませんねぇ。まったく――――カスすぎる」


 いいですか、とヴィシスはフォークの先を対面席のヲールムガンドに向ける。


「カスはカスでありカスであるからして、カスゆえにカスになるしかなく、カスとして生きるしかないカスだからこそ、カスなのです。カスはカスのくせにカスをほざき、カスを自覚せぬままカスのような言動を繰り返しカスのまま死んでいくのです。なぜかって? カスだからです」


 フォークを置き、ヴィシスは唇を拭いた布を丁寧に折り畳み始めた。

 ヲールムガンドは卓上で手を絡め、両の親指を遊ばせている。

 彼は視線の先の親指の動きを止め、笑った。


「手塩にかけた対神族用の本隊じゃないとはいえ、西に送った聖体軍は全滅かよ」


「えー、だって仕方ないじゃないですかー。予想以上に向こうの戦力が膨れ上がっているみたいですし。それに、恩知らずのソゴウさんも壊れてなかった上に裏切ったのですから。壊れたふりをしていたのでしょう……ああ、本当に気持ち悪い。あーあ、最後まで本当に癪にさわるクソガキでした……」


「そのソゴウが壊れ切らなかったのは、例の蠅王の手腕じゃねぇか? 聞く限り、相当な喰わせもんだぜ」


 布を畳むヴィシスの指がピタッと止まる。


「トーカ・ミモリ……んー、そうなんですかねぇ? あー……意外とソゴウさんを使っているのかも? なんだか彼、小賢しいみたいですから。はぁ……彼も裏切り者なんですよねぇ。私が召喚したのに。こんなの……あまりにもひどすぎます! しくしく……うーん……廃棄遺跡送りにしたのが、そもそも間違いだったんですかねぇ」


 廃棄は他の勇者たちへの先制的な”見せしめ”だった。

 選ばれし者の意識を他の勇者に植えつける意図もあった。

 過去、低等級の勇者が問題の火種になりがちだったのも事実である。

 ゆえに――あの廃棄は手続きとして、間違ってはいない。

 が、トーカ・ミモリの排除は……

 後になって思えば――無意識の忌避感、だったのだろうか。

 否、と見方を変える。

 己の直感は間違っていない。

 結果としてアレが想定外に生き残ってしまっただけだ。

 問題は、その廃棄した勇者が想像以上に面倒な存在だったことである。


「こんなことになるのでしたら……別のやり方で殺しておけばよかった――もっと、確実な方法で」


 しかし。

 あの時の自分が果たして思うだろうか?

 なんの変哲もないあんなクソガキが、あの廃棄遺跡を脱出するなんて。


 ビリッ


 畳み終えかけていた布の端を、ヴィシスは引きちぎった。


「あ、破れちゃった……」

「で、これからどうすんだ?」


 ヴィシスはゴソゴソと神器を取り出し、確認する。


「…………」


 聖眼はまだ動いている。

 さすがにこの時期になっても聖眼が動いている、ということは――


「これ、ヨナトの女王にも裏切られたみたいですね。はー……人間はもうだめです。誰も彼もが私を裏切ってばかりです。まったくもって、恩知らずです。しかも……」


 ヴィシスは椅子に座ったまま反り返り、背後を見た。

 玉座の手前の絨毯の上に、結晶型の神器とその台座が鎮座している。

 この王の間が城内で最も聖体との”線”の繋がりがよかった。

 あの神器の一定距離内にヴィシスがいると、聖体が強くなる。

 そう、ヨナト方面へ送った聖体たちを強化できるのだ。

 また、王の間の絨毯の下には神の刻印が施されている。

 長い年月をかけて施した強力な刻印。

 発動時間に制限はあるが、聖眼破壊までは余裕でもつだろう。

 この刻印も、ヴィシスが刻印上にいることで効果を発揮する。

 場に自らを縛る系統の限定刻印はその効果を爆発的に高めやすい。

 刻印上にいれば、ヴィシス自身も爆発的に強化される。

 であるため、結果として聖体も強くなる。

 力の配分は聖眼破壊に向かったヨナト方面の聖体を優先した。

 特に移動速度に多く配分しているため、アッジズ到達までの期間を短縮できる。


「恩知らずのカス女王が裏切ったとしても、どうせもうヨナトに大した戦力は残っていないでしょう。さっさと到達して、ちゃっちゃと聖眼を破壊して欲しいものです――ね!」


 語尾の大声と共に、ヴィシスは反っていた上半身を元に戻す。


「ま、時間の問題でしょう」


 盛り付けられた果物を一つ手に取り、囓る。


「聖体との視界共有ができれば完璧だったんですけど、結局、視界を繋げるのは最後まで無理でしたねぇ……およよよよ。時間差のある軍魔鳩で、ある程度しか確認できないのがもどかしいです。やっぱり、神徒を誰か一人やるべきだったかも……はぁ……古代に失われた使い魔でもあればよかったのですが……あぁ、やきもきします。やれないことがあるというのは――本当に、つまらない」


 むくれ顔で、ひと口囓った果実を放り捨てる。

 ヴィシスは頬杖をつき、


「それにしても、戻ってきた報告によるとあのクソ蠅どものがわは動きに迷いがないですね! 忌々しい! はぁ……烏合の衆が集まって何をそんなに必死になっているのやら……あぁ、気持ち悪い。仲よしこよしがそもそも気持ち悪い。ヲルムさん……私ね、人間どもがこうして――」


 ヲールムガンドが厚い肉を指で摘まみ、あーん、と口に運びかけた時だった。


「ん? なんか来たぜ?」

「…………」

「『おい、お客様だぜ!』」


 報告したのは、神徒の一人であるアルス。

 彼は人間であった頃の言葉の引用でしか言葉を紡げない。

 また、今の彼には口らしい口がない。

 声は頭部にある十字の暗黒の中から響くのみ。

 そのため、彼の声はまるで死後の世界から届く残響のようでもある。


「あら、まあまあまあ! 来ましたか! いらっしゃい! はーい、こっちですよ~♪」


 銀盆を持った侍女が王の間に入ってきた。

 アルスたち神徒はヲールムガンドのずっと後方で黙って控えていた。

 侍女は、足をガクつかせながら他の神徒たちの間を抜けてくる。

 彼女の唇は白く、その顔面は貧血を起こしそうなほど蒼白だった。


「ヴィ……ヴィシス、様……あの、こ……こち、ら……」


 銀盆を持つ手がブルブル震えている。

 彼女の持つ盆の上には――アライオンの堅王の生首が、載っていた。


「ちゃんと注文通りですね♪ ありがとうございます♪ で――」


 ヴィシスは肘を卓上につき、手の甲の上にあごを載せた。

 期待の目で侍女に問う。


「どんな風に死んでいったか、詳細を」

「あ……ぁ――」


 彼女は、堅王の世話をしていた侍女の一人である。


「早く」

「あ――」



「は、はい! へ、陛下を……ヴィシス様の、ご、ご命令通り……寝具の上で、皆で、おさえつけ、まして……」

「ふんふん、それで?」

「首を……生きたまま……調理用の、肉切り包丁で……」

「あらあら♪ 陛下のご反応は、いかがでした?」

「よ、弱々しい声で……苦しげに……『痛い、痛い』……と……」

「まーまー♪ かわいそうに♪ ほら、もっと――臨場感を持って、しっかり話してくださる? 情緒的に……時に、詩的に」

「え……?」

「…………」

「ひっ!? は、はい――ッ! あの……陛下は、あまり頭がはっきりしていないご様子でして……その、まるで幼い子どもがイヤイヤでも、するみたいに……少し動きながら、ただ『痛い、痛い』……と……」


 ヴィシスは目を閉じ、微笑みを浮かべる。


「ああ……その光景、目に浮かぶようです……尊厳も何もない、哀れな姿……」

「や、やがて……お声も、出せなくなり……くぐもった呻き声のようなものを、しばらく出していましたが……しゅ、出血がひどくなったあたりで……事、切れました……」

「首を切り離すのは大変でしたか?」

「あ……は、はい……」

「これからもずっと、寝る前に思い出しそうですか?」

「え? わ、わかり……ませ、ん」

「ふふ♪ 大丈夫です♪ きっと、思い出しますから♪ 安心してください♪」


 やれやれ、とヲールムガンドは首を振っている。


「では、陛下のその首と亡骸は家畜に”処理”させるように」

「――――え?」

「”え?”ってなんですか? まさか不服なのですか? 食べ物を粗末にするのはだめですよ!? そうですねぇ……では、あなたとその親族に”処理”させましょうか♪」

「ひぃっ!? い、いえ……ッ! かしこまりました! お、おおせの通り家畜に――」

「あ、陛下の骨はこの椅子に付け足すので残しておいてください。ほら、まだ空きがあるでしょう? クソ蠅や狂美帝、勇者たち、他の各国の代表もこの椅子の一部として加わる予定なのです♪ がんばりましょうね♪」

「か、かしこま――わっ!?」


 極度の緊張ゆえか。

 侍女が、盆から生首を落としてしまう。

 生首が絨毯の上に転がった。


「まあ! これはとってもいけないわ!」


 ヴィシスは立ち上がり、生首を慌てて拾おうとする侍女の横についた。


「まあ大変っ! ほら、急いで拾って! 拾うのよ! あぁもうなんてこと! 陛下の首なのですよ!?」

「あわ、あわわわわ……」


 極端に急かされているのもあるのだろう。

 侍女は、ほとんど錯乱状態になっていた。

 生首を必死に拾おうとする侍女。

 しかし手が震えすぎて力が入らないのか、何度も取り落としてしまう。


「あわ、あわわっ……あわわわわっ……」


 ヴィシスの急かし方が、余計に侍女を冷静から遠ざけていた。


「あぁ――陛下! な、なんておいたわしいお姿に……ッ! 仮にも一国の王だったお方が絨毯の上でこんな……ッ! あーほら! あなたぁ! ちゃんとお首を持って! あーもう! 何をしているんですかっ! ほら、落ち着いて! しっかり! あなたならできる! 真剣になれば、やれる! がんばって! あははははははっ♪ ほら、どうしたんですか!? 大丈夫ですかっ!? ねぇっ!? ねぇっ!? あはははははははっ!」



     ▽



 侍女が生気のない足取りで退室したあと、ヴィシスは椅子に座り直した。


「はー、面白かったです♪ 人間の積み重ねてきた歴史や尊厳なんてこんなものですね♪ 残念♪ 簡単に失われるし、簡単に損なわれる♪」

「…………」

「あら? ヲルムさん、何か?」

「いいや? 別に」


 ヲールムガンドの開きっぱなしの口。

 まるで、いつも薄ら笑っているみたいに見える。

 そして洞窟めいた黒き空洞の中に、小さな満月のごとく浮かぶ金眼。

 自分の因子を持つ神徒だがいまいち考えが読みにくい。

 これはアルスもヨミビトも同じ。

 他者性――自我を残したゆえ神徒として完成に至ったわけか、とヴィシスは思った。


「そうですか? 何か言いたいことがあれば、素直におっしゃればいいのに」


 香辛料を振って焼いた魚の切り身。

 高価な皿の上にひと切れずつ綺麗に並べられている。

 ヲールムガンドはその皿を持ち上げ、傾けた。

 口の中へ一気にかっ込まれる料理。

 凝った盛りつけが台無しである。

 そうして乱暴に平らげ、ヲールムガンドが言った。


「おめぇさんこそ、王様の首が運ばれてくる直前に何か言いかけてたんじゃねーのかい? 人間どもが、どうとか」

「あ、そうでした――作劇の話です」

「作劇?」

「ほら……劇って、ありますよね? わかりますか? 劇の筋は基本的に起承転結で組まれていて……こう、いわゆる観客の喜ぶ筋道みたいな……いわゆる、定型が決まっているのですね。で、人気があるのはやっぱり王道ですね! そう、王道! 結末に向けて徐々に盛り上がっていく劇……私、そういうのをいくつか見たことがありまして」


 げっぷ、と。

 自分の腹を手で撫で、ヲールムガンドが濁った息を吐いた。

 ヴィシスは軽く眉根を歪めるも、特に咎めず続ける。


「それは何度も上演された人気の劇でして……その日も大盛況でした。主役を演じる役者も、人気の役者でした」


 ヴィシスが爪で銀杯を弾く。

 キィン、と硬い鈴のような音が鳴った。


「劇は……それはもう、上演中は盛り上がっていましたよ? 観客みんなが望む大団円へ向けて……しかし、その日の劇は大団円では終わらなかったのです」


 ヲールムガンドは黙って聞いている。


「なんと劇の終盤で……巨悪である大貴族を打ち倒す主役を演じている役者が、舞台に乱入した一人の観客に刺し殺されてしまったのです」

「ひでぇ話だ」

「まあ、私が仕組んだことなのですが」

「おめぇさんの差し金かよ」


 ぶるっ、とヴィシスは震えた。

 あの感動が蘇ってくる。


「私……定期的に招かれてあの物語の劇を何度か観ていて、ずっと思っていたんです。ここにいる観客たちが望む結末を叩き潰してやったら、こいつらはどんな顔をするのだろう、って。ふふふ……そう思ったのは、繰り返し観劇しているうちに、打ち倒される大貴族側に私が感情移入しがちになっていったせいかもしれませんけど」


 何やら――鼻につくように、なっていた。

 主役の役回りが。

 主役に集まる仲間たちが。


「その劇の内容を簡単に説明するとですね……領民を苦しめる悪の大貴族を、片田舎に暮らす鍛冶職人の男が、たくさんの仲間を集めた末に打ち倒す……そんな物語なのです。まあ、主役である鍛冶職人だった男には、かつて王族の剣術指南役だった追放貴族の息子という秘密があるんですが……うーん、なんていうんでしょう……」


 冷めた厚切り肉の表面を、ぎゅぅぅ、と親指で押し込むヴィシス。


「賛同する仲間が集まっていって”みんなで力を合わせたらきっと勝てる!”みたいな流れが……個人的に気に入らないなー、って思ったんです。世の中そんなに都合よくいきませんよー、って。皆さんちゃんと現実見ましょうよー、って。でも観客の皆さんはその”勝てる!”の流れに、なぜか感動してるんです。怖くないですか? もう筋道がわかってるのに、感動してるって」


 親指についた厚切り肉の脂を、べろり、と舐め取る。

 ですから、と唇から脂の糸を引いてヴィシスは続けた。


「――傑作でした。あの時の観客たちの顔……あれこそ、人間の利用価値だと思います。一点の曇りなく、心からそう思えます」


 ヲールムガンドが、まだ汚れていない清潔な布をヴィシスの方へ投げる。


「で、反ヴィシスに回った連中の動きがその観客たちと被るって?」


 受け取った布で指を拭き、悩ましい顔をするヴィシス。


「ええ、そうなんです。みんなで仲よくお手々を繋いで……何やら、自分たちがいっぱしの存在になったかのように錯覚しているんだと思います。つまり――ガキどもが、勘違いをしている。今、彼らは高揚感や強い連帯感を覚えて”勝てる!”と信じているのでしょうねぇ。ですが現実は”みんなで力を合わせれば勝てる”なんて甘いものではありません。子どもじゃないんですから……ねぇ? ですので……」


 ヴィシスは、指を拭いた布を放り捨てる。


「思い通りにはさせません。神として、正しく人間を導かねば」


「……ククク。生粋の人間嫌いだよな、おめぇさんは」


「え? 大好きですよ? だから抱きしめて――――刺すのです」


 ヴィシスは葡萄酒の入った銀杯を持ち、逆さにした。

 稀少な葡萄酒が血のように、純白の卓の上を流れる。


「人間は自らが被造物であるという宿痾しゅくあを忘れてはならない。それを完全に心に留めねばなりません。神より劣った存在である自覚をいつも持たねばならないのです。少し調子に乗るくらいは、のちに起こる悲劇の味付けとして――まあ認めましょう。しかし調子に乗りすぎるのは認められない。私はですね、自覚なき下位存在という”目障り”が心の底から大嫌いなのです。身の程知らずどもが」


「ゲラゲラゲラ、やっぱり怖ぇ女神サマだ」


「その見下したような嗤いをやめろ」


「ゲラ、ゲラッ! ゲラ、ゲララララララッ!」


「………はぁ。昔っからこれですもんねぇ、ヲルムさんは。なかなか聞く耳を持っていただけません。もう言い疲れました……シクシク……悲しい……うぇーん」


「ま……総体として見たヒトがそう褒められた生き物じゃねぇのは事実だ。下等な生き物って主張にはオラァも部分的に賛成してる。その主張を通すために、主神やロキエラみてぇのが邪魔だって考えもな」


「主神を誅滅(ちゅうめつ)し天界の”資源”を手中に収めたら、計画を次の段階に進めましょう」


「あぁ? 次の段階?」


「異界の勇者たちが元いた世界……あなたは興味、ありませんか?」


「ゲラゲラ、本気かよ。元々その世界にいなかったこっちのもんを、あっちに送り込むぅ? 天界でもそれを為し得たもんは過去、ただの一人もいねぇんだろ?」



 ヴィシスは、口もとを弓なりにした。

 が、目の方は笑っていない。

 ヲールムガンドが卓上に腕をのせ、再び、組んだ手の中で二本の親指を遊ばせ始める。


「クク……じゃ、話を近い未来の方に戻そうか。で? オラァたちはこれからどうするんだ?」

「ふふ、どうもこうもありません。聖眼がそのうち破壊されますので、そうしたらさっさとゲートを再び開いて天界へ行くだけです。簡単な話では? その理解力で、大丈夫ですか?」

「聖眼が破壊される前に”鍛冶職人たち”がここへ到達したら?」

「私がただ作劇の王道を破壊するだけです」

「向こうはヒトだ。で、オラァたちは対神族特化だぜ?」

「あら? まさか負けるとでも? 対神族特化の分を差し引いても、私たちの敵ではないでしょう」

「かもしれねぇが……どうなんだ? 例の、蠅王――」




 ガッシャァアアアアン――――ッ!




 豪速で腕を振りおろし、ヴィシスは王卓を破壊した。

 代々伝わる王の食卓が真っ二つに割れ、砕け散った。

 硬い木片が粉砕され、宙に舞う。

 格調ある食器たちも哀れな脆い悲鳴を上げ、形を失った。

 高い技術を尽くした料理も絨毯に散らばり、稀少な葡萄酒もこぼれる。

 ヴィシスは両手で頭を挟み込み、


「あ゛ぁい゛やぁぁああああああああ――――ッ! 王家に代々伝わる貴重なあれこれがぁぁああああ――――ッ! 私のお気に入りでしたのにぃいい! ぎぃゃああああああ――っ!」


 ヴィシスは腰の後ろに手を回すと、両手を組んで前屈みになった。

 そして――鼻歌を始める。

 絶叫し蒼白だった形相は一転、幸福そうな笑みへと変わっている。


「るん、るん、るん♪ るんるん、るんっ♪ ふふふーん♪ るるんが、るん♪ るん、るん、るん♪」


 軽快な歩調。

 まるで、川面から頭を出す飛び石の上を跳ねるようでもある。

 踊っている風にも見えるかも知れない。

 散らばった木片や食器、料理、こぼれた酒を避けるように、ヲールムガンドへと迫る。


「るんるんるんっ♪ るるーん♪ るん♪ ふふふーん♪ るん、るん、るんっ――っと!」


 バッ、とヴィシスは両手を左右へ広げた。

 無事”対岸”に辿り着いたのを誇示でもするみたいに。

 ヴィシスが今立っているのは、椅子に座ったままのヲールムガンドの真正面。




「もういいじゃないですか、ヲルムさん――――クソ蠅の話は(殺すぞ)




「…………」


「彼らがここへ到着するより前にどうせ聖眼が破壊されるのです。彼ら哀れな”鍛冶職人たち”は空っぽのこの城へ踏み入って、情けなく地団駄を踏むのですよ」


 ヴィシスはそこで、聖眼がまだ動いているか確認してみた。


「……ちっ」


 小さく舌打ちする。

 期待しているより聖体の移動速度が遅いのかもしれない。

 まったく、何をやっているのか。

 しかし再び、笑みを顔に貼りつけるヴィシス。


「まあ、仮に到着しても時間稼ぎをすればいいだけの話です。そもそも今のヨナトに何ができると? ここに籠もっていればそのうち聖眼は死にます。ふふ……私は用意周到ですので、一応ここでの時間稼ぎの手も打ってありますしね。それから、ニャンタンから地下の対神族聖体の情報が漏れていたり、ゲート起動装置の存在が万が一嗅ぎつけられていたとしても、私が無事なら問題ない――問題ないようにしてあります。どれほどの年月、私がここで準備をしてきたと? ええ、すべてはつつがなく進行しているのです。ですので――」


 にこ、とヲールムガンドに笑いかけるヴィシス。



「いらぬ不快感を催す話題を、出さないでいただけます?」



「ゲラゲラッ。クク……よぉくわかったよ、女神サマ」

「それに……もし辿り着いたとしたら、彼らの方がむしろ不幸ですよ」


 ヴィシスは薄く目を開け、


「万が一私たちと戦ったとして……何人、死ぬことやら。拷問したり同士討ちの遊戯をさせるために極力生かして捕らえたいと思ってはいますが……戦いの中で死ぬかたも、やはりたくさん出るでしょう。あーあ……おとなしくしていれば、もう少し長く生きられたかもしれませんのに。とてもかわいそう。私たちが先に天界に行ってしまった方が、彼らはむしろ幸運なのですけどねー。さすがに頭が悪すぎる」



 その時は、せいぜい嘆くがいい。

 仲間の死を。

 苦しみを。



「無駄な戦いでどれだけの死体を重ねるのか――まったく、楽しみです♪ ねぇ?」



 言って、ヴィシスは巨躯なるヲールムガンドの腕に手を置き、通り過ぎる。



 堕神――ヲールムガンド。



 ヴィシスが歩み寄る先には、他の神徒の姿がある。

 彼らは、ずっと黙って二人のやりとりを見ていた。



 初代勇者――アルス。



 ただひたすらに力を追い求めたその果ての勇者。

 誰もが知るほどではないが、初代勇者の名は今も語り継がれている。

 そう、今でも我が子にその名を与える親がいる程度には。

 たとえば今は亡きアライオン十三騎兵隊――

 その第十二騎兵隊の老隊長なども、確かそうだったか。

 異界の勇者という特殊な存在。

 当初、ヴィシスは勇者をこの男基準で考えてしまっていた。

 しかしアルスはそもそもが”違って”いた。

 最初に召喚した勇者が、極めて異質だったのだ。



 虚人――ヨミビト。



 もう一人の異質。

 召喚時、ヨミビトは記憶の大半を失っていた。

 確かに一人だけ他の勇者と何か違う雰囲気はあった。

 事実、違っていたらしい。

 なんでも、


 ”時代が違うのではないか”


 召喚された他の勇者たちはそんな風に言っていた。

 他の勇者は彼について色々考察していた。

 ムサシ、とか、オダ、とか……ケンシン、シンゲン、とか。

 コジロー? ヤギュー? イットウサイ? アマクサ?

 タダカツ? サナダ? ダテ? ヨシツネ?

 よくわからないが、彼らの世界の人の名らしかった。

 ある勇者は、


 ”この者はヨミの国から来たのではないか?”


 そんな推理をしていた。 

 そして己の名も覚えていなかった彼は、


 ”ヨミビト”


 と呼ばれるようになった。

 中には、


 ”ヨミビトシラズ”


 などと、妙なあだ名をつける勇者もいた。

 ともかく――ヨミビトは、強かった。

 その時代の大魔帝は彼が一人で倒した。

 他の勇者たちは早々に討ち死にしていった。

 決して弱くはなかったが、驚くほど早く脱落していった。

 今回ほどでないにせよ、極めて大魔帝の軍勢が強かったのだ。

 あの時はさすがのヴィシスもハラハラした。

 敗北の二文字が、初めて頭に浮かんだ。

 しかしまさか――

 ヨミビトがほぼすべて、一人で終わらせてしまうとは。



 ヴィシスは、品のよい笑みを作る。



「大丈夫だとは思いますが……もし身の程知らずの”鍛冶職人たち”がここへ来たら相手をお願いいたします。ふふ、期待していますよ?」



 双眸を細め、ヴィシスは三人のうち一人に微笑みかけた。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ヨミビトの正体は誰なんだろう?
>王の間の絨毯の下には神の刻印が施されている。 >発動時間に制限はあるが、聖眼破壊までは余裕でもつだろう。 >この刻印も、ヴィシスが刻印上にいることで効果を発揮する。 >場に自らを縛る系統の限定刻印は…
[一言] 斬首シーンが生々しい為、記憶に残る、すす●のホテル殺人及び死体損壊事件を題材にされたのかと途中で暗に感じました。作者様の想像力・好奇心が怖いです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ