イヴ・スピード
……ああ、そうか。
リズがこっちのルートを、指定したがったのは――
「わかりました」
俺は言った。
「その者を、ここへ連れてきてください」
▽
「ふふ……ずいぶんと物々しい装いになったものだな、我が主」
そいつは俺に会うなり、口角を上げて笑みを浮かべた。
「元気そうだな」
俺は蠅王のマスクを脱ぎ、
「イヴ」
先ほど、俺はイヴ・スピードを幕舎の中に招き入れた。
「久しぶりだな、トーカ」
俺を訪ねてきたイヴは人間の姿だった。
その疑問を抱くのを先んじて予想していたのか、
「大量の魔素そのものを凝縮し、さらに一定期間貯蔵できる魔導具をエリカが発明したのだ。だからその魔導具を使えば、我一人でもこの姿になれた」
得意げに胸を張るイヴ。
詳しく知ってるわけじゃないが……。
それは、この世界的にも何気にすごい発明なんじゃないのか?
「ピギー♪」
にょろん、とピギ丸が俺の肩の上に出てきた。
「む? ピギ丸もいたか。気配を消すのが上手くなったな」
「ピギ~♪」
「久しぶりに会ったから、そっちに行きたいとさ」
俺から手渡されたピギ丸が、イヴの肩に乗る。
「ピニュイ~♪」
嬉しそうにイヴに頬ずり(?)している。
「ふふ……我もそなたと再会できて嬉しいぞ、ピギ丸」
「……つーか、よく魔群帯を抜けて来られたな」
うむ、とドヤ顔寄りの表情で腕を組むイヴ。
「抜けられた要因は、いくつかある」
ニッ、と笑む彼女の口の端には白い歯が覗いていた。
「そなたたちが魔戦車であの家を出たあと、エリカはすぐに次の魔戦車づくりに取りかかっていた。あのあと、一人用のものを作っていてな。まあ、今回のは戦車型ではなく馬型の魔法生物に近い造りだったのだが」
「ん? あれって、そう簡単に量産できるもんだったのか? そういう感じじゃなかった気がするが……」
エリカの口ぶり的に……。
あの認識阻害の能力は魔戦車の一点物、って感じだったが。
「ここで、先ほど話した魔素を貯蔵できる魔導具の話が関係してくる」
「……いまいち、話に関係性が見えない」
「エリカは研究者でもあろう? 認識阻害の力を持った魔導具を自分でも作れないかと、以前から研究をしていたらしい」
「で――この時期に、ちょうどよく思いついたと?」
「ある意味ではな」
「…………、――――聖か?」
ああ、そうか。
イヴが来た理由。
「ふふ、気づいたようだな。さすがはトーカだ」
イヴは腕組みを解き、大きな背負い袋を地面に置いた。
ちなみに彼女の服装は蠅騎士装ではない。
一般人に近い格好――あの家でエリカからもらった服を着ていた。
「話が少し横道に逸れるが、これの話はすでに聖から聞いているか?」
「ああ」
高雄姉妹の言葉を記憶から引っ張り出す。
『エリカさん、ずっとあそこで対女神用の魔導具を研究していたらしいの』
『神族の能力を若干だけど阻害できる魔導具を完成させられるかもしれない、と言っていたわ』
『あの時、姉貴のひと言がヒントになって完成のピースが揃ったみたいな感じだったよなー』
”神族の能力を阻害する魔導具”
これは俺も、魔群帯に取りに行くべきか迷っていた。
が、俺がこの軍を何日も離れるのは難しい――そう判断した。
高雄姉妹に頼む手も考えた。
だが、戦力をどこまで削いでいいかわからなかった。
何より完成”させられるかもしれない”って話だったしな……。
しかし――
「そいつが完成して、そして、おまえが持ってきてくれたわけか」
「うむ」
「話を戻すと、つまり……聖がエリカに与えたヒントによって、その神族の能力を阻害する魔導具のみならず……魔素の貯蔵魔導具やら認識阻害の魔導具も、完成に至った?」
どうにも、都合のよい話にも聞こえるが。
「どれほど長く生きても、年を重ねると思考は硬直しがちになる。エリカはそう言っていた。長く生きたからと言って”天才”になれるわけではない、と」
ま……一理あるか。
元いた世界でも十代の天才なんてのはざらにいた。
年上より優れた結果を出す人間なんてのも、たくさんいた。
「他者や外部からの刺激が少ないと思考が硬直化し、本来なら簡単に気づけたようなことに意外と気づかない――気づけない。それはやっぱり、あるのかもな」
「ヒジリなどは”ステータス補正値の【賢さ】の影響もあるかもしれない”と言っていたがな」
みょーんとイヴが糸目になり、指先でほっぺたを緩く擦る。
「その【賢さ】の補正値が脳の疲労を和らげ、長期の集中力をもたらすだとか……処理能力的には本来マイナス行為となる”まるちたすく思考”を可能にさせ、状況や情報の処理能力を向上させているのではないか、とか……その辺りは、我にはよくわからなかったが……」
実際、ステータス補正値は”どこ”に作用してるのかわかりにくい。
ヴィシスですら勇者たちに改めて、
”一部の項目は、実を言うとまちまちなのです”
そんなふざけた説明をしてたとか。
分析によって一定の説得力を持たせるのは、聖らしい。
といっても、自身で考えると特段頭がよくなった気もしないが……。
案外”直感”とか”察知”も【賢さ】由来だったりするのかもしれない。
と、イヴの表情から緩さが消えた。
しかしその顔に浮かんだのは険しさではなく、労るような表情だった。
「我としては……この魔導具が完成したのは、エリカ自身のたゆまぬ努力もあるのではないかと思う。エリカは完成間近まで土台を作り上げていた。いくらヒジリの助言による閃きがあろうと、その土台なくしては答えにたどり着けなかったのではないか――そう思うのだ」
「あいつは――信じて、作り続けてたんだろうな」
たった独りで。
いつかヴィシスを討つために。
討とうとする者がいつ、現れてもいいように。
「そなたたちが発ったあとも、エリカは根を詰めて研究やら作業やらをしていた。あるいはヴィシスを討つために旅をするそなたらと会って、希望が見えたのかもしれぬ。ふふ……あの根の詰め方を見ると、生活面で支えられる我やリズが残ってよかったと思えた」
何かを思い出すように、イヴが微笑む。
「そういえば、作業中のエリカが言っていた」
作業をしながら額の汗を拭い、エリカはこう言ったという。
自らに言い聞かせるように。
絶対に笑ってやる――と。
女神討伐が果たされるまで自らの”笑み”を禁じたダークエルフ。
「あの地に縛られている分、どうにかエリカなりに力になりたかったのであろう」
「――禁忌の魔女が、あいつでよかったよな」
「うむ。エリカには、むしろ我らの方こそ感謝すべきなのかもしれぬ」
……勝たないと、だな。
あいつが笑えるようになるためにも。
ところで、と俺は疑問を口にする。
「認識阻害の魔導具だが、エリカの家から魔群帯を出るまで効果が持続するよう改良されたのか?」
「いや、やはりあの魔戦車と同じく、深部を抜ける程度の距離しか効果はもたなかった」
ちなみに効果は金眼の魔物に限定されるらしい。
また、作れても時間や素材の問題で一つが限界だったという。
なので、残念だが今後の決戦には組み込めない。
「それで、残りを一人で抜けられたのか?」
「うむ、そなたの疑問はもっともだ」
以前、
”自分なら魔物と思われて魔群帯ではターゲットにならないかも”
みたいなことを言ってたが……。
「我は魔群帯を東へ進んだ。やや南寄りだったから、南東寄りとも言えるが」
金眼の魔物とはまともに遭遇しなかった、とイヴは続けて語った。
「腑に落ちる理由はいくつかある。まず、あの時――我の失態で大量の金眼を引き寄せてしまった時だ」
「俺とピギ丸、スレイが囮になって大立ち回りをした時か?」
「うむ。あれによって、エリカの家の近くにいたけっこうな数の人面種や強力な金眼が倒されていたのだ。深部を少し出たところにいた金眼は、その多くが引き寄せられていたらしい」
で、数が減った。
それに、
「過去に、俺たちはウルザを出たあと南方面から魔群帯に入って北へ進んでいる」
あの頃、経験値稼ぎがてら金眼どもを殺して進んだ。
さらに先ほど話に出たあの囮になった時の戦い……。
あれであの辺りの金眼はかなり数を減らしていた。
さらに言えば、のちに北方魔群帯から来た金眼たち――
そう、桐原が引き連れてきたヤツらだ。
そいつらと南に残っていた金眼はこの前、セラスと倒しに行った。
あの時、口寄せのパワーアップ版みたいな魔帝器とやらが使われた。
南東方面の金眼どもも、あの時に俺たちのところへ集まって来ていた可能性は高い。
「けど、深部を出たあとにも金眼はいるだろ?」
「ヒジリによれば、勇者たちが経験値を稼ぐために東部方面の金眼を以前狩っていたそうなのだ」
そうか。
外縁部の金眼は、その時……
「それから――ヒジリがヴィシスの毒刃を受け、エリカのところを目指していた時の話は聞いているか?」
「……なるほど」
姉妹はS級とA級。
毒を受けた聖も深部近くまでは戦えていたらしい。
その時に――
「金眼どもを殺しながら進んだ」
新たな生息地を見つけたと思い移動してきたら――殺される。
あの辺りは危険地帯。
このように判断されたのかもしれない。
そう――人間側ではなく、金眼たちから。
……皮肉なもんだ。
金眼の魔物が跋扈する危険地帯と恐れられていた魔群帯。
今やその南東部は、逆に金眼たちが避ける地帯と化した。
「おかげで、アライオン方面へ向かう経路は金眼とほぼ遭遇せずに来られた。我一人だったのも大きいかもしれぬがな」
初めて踏み入り引き返した時には、リズが同行していた。
リズの見た目ではターゲットになりやすい。
イヴの言っていた、
”魔物と思われるから大丈夫かも”
は、意外とハッタリではなかったのかもしれない。
「ダメ押しとしては、リズの使い魔による事前偵察だ」
「使い魔がいわゆる偵察役になって、安全なルートを探りながら抜けてきたのか」
で、無事イヴが魔群帯を抜けたため、リズの使い魔はこっちへ来た。
「そなたたちの方の支援に回っていたエリカが倒れてしまったことで、リズも焦ったようだがな」
こうして聞いてみると。
魔群帯をイヴが単独で通過できたのも、納得できる気もする。
「にしても、イヴ」
「む?」
「こっちに向かってるなら、リズの使い魔を通して先に知らせてくれてもよかったんじゃないか? まあ――」
俺は地面に置かれた背負い袋を見て、
「理由の想像は、つかないでもないが」
「ふふ、最悪の事態を想定して動く……これは、そなたから学んだことでもあるのでな」
対ヴィシスにおいて大きな役割を果たすかも知れない魔導具。
どこにヴィシスの”目”や”耳”があるか、わからない。
「この魔導具が完成した話や、我がこっちへ向かっている話は伏せることに決めた。我が直接そなたと合流するまで、な。この件はひとまずリズ、エリカ、そして我の三人のうちにのみとどめておくことにした。エリカは『トーカが知れば迎えに来ようとしてしまうだろうから』とも言っていた。余計な思考をさせたくなかったのであろう。この魔導具が想定した効果を必ずヴィシスに発揮するかどうかも、やはり使ってみなければわからぬそうだしな」
エリカの環境では神族への試し撃ちなど当然、やりようがない。
「絶対でないものに余計な思考や手間をかけさせないよう気を遣ったのもある……か」
どこまでも――気遣いのダークエルフだ。
そして、
「イヴ」
「うむ」
「絶対に魔群帯を無事で抜けられる保証は、なかったはずだ」
「かもしれぬな」
「それだけの覚悟を持って、おまえは駆けつけてくれた」
だから、
「なんつーか……ありがとな」
再び腰に手をやって目を閉じ、ふふん、と微笑むイヴ。
「気にするな。それにこれは、この世界を……リズがこれから生きてゆく世界を守るためでもある。あのヴィシスが消えてくれるのなら、あの子がより住みやすい世界になるであろう。何より――我も一応、蠅王ノ戦団の古株」
強い覚悟の灯った目で、イヴはニヤリと笑んだ。
「主が決戦の場へ赴くというのなら、配下の我にも活躍の場を与えてもらわねばな」
……しかし。
蠅王ノ戦団の初期メンバー的な間柄だから、なのか。
「む? どうした、トーカ?」
「なんていうか――やっぱり話しやすいよな、おまえは」




