天界へ
◇【女神ヴィシス】◇
その日の朝――すべての準備が、整った。
ヴィシスは、王城の外へ出て空を見上げていた。
目の前に広がっているのは勇者たちを訓練するのに使用される区画。
この下に、あの地下空間が広がっている。
訓練区画は、地下空間の天井の蓋が開くような構造になっている。
かつて古代人はあの地下空間を使い、何をしていたのか?
神族であるヴィシスにもそれはわからない。
天井の開閉にも大量の魔素を必要とする。
しかし、貴重な根源素を消費しないだけマシと言える。
手に握りしめているのは、ゲート起動を開始する装置。
あとは――
この装置を操作すれば、天界へのゲートが開く。
足もとには外の目から隠しておいた水晶球。
この水晶球に魔素を流し込めば、地下空間の天井が開く。
魔素を――注入。
やがて。
ヴィシスの目の前の地面が、振動と共に、左右に割れていく。
地面が水平に横滑りでもしているかのような光景。
両開きの扉のように開放される構造ではない。
脇に置いた聖体操作装置。
円錐型のクリスタルに触れ、ヴィシスは操作を始める。
意思を流し込む感覚を作る……。
大量の聖体に意思――方向性を与え、これで操作するのだ。
ほどなくして。
開いた天井の縁に白い手をかけ、一体の巨聖体が頭部を現す。
数体の巨聖体が、最初のその一体に続く。
この大きさはもはや巨人と言っていい。
天を見上げる巨聖体。
次の瞬間――巨聖体たちの背に、白き翼が生えていく。
美しい、とヴィシスは感激する。
ニャンタンの裏切りのことなど、吹き飛ぶくらいの感激が胸を揺さぶる。
「やっぱり人間はだめですねぇ」
クソすぎる。
「あぁ……ニャンタンのせいで人間は、永遠の苦しみを背負う宿命となりました」
天界の方が片づいてさらなる力を得たら。
やはりまず、この世界の人間を遊び殺してやろう。
しかし、
「まずは~天界~♪ ひとまずこことは~おさらば~♪」
適当に追っ手は出しておいた。
が、もはやどうでもいい。
正直なところ。
自分の計画を語り尽くしたら。
ニャンタンのことも、なんだかもうどうでもよくなってきてしまった。
「んー、私は無知な驚き役が欲しかっただけだったのでしょうか……? まあ――無知ではありませんが、今の私には”彼ら”もいますし?」
肩越しに、背後を振り返る。
堕神――ヲールムガンド。
初代勇者――アルス。
虚人――ヨミビト。
三人の神徒が、静かに立っている。
昔から生意気なところはあるものの。
暇潰しの話し相手としてヲールムガンドは、及第点であろう。
「いよいよかぁ。オラァ根元素で目覚めてからあんまし時間が経ってねぇから……この世界でのんびりとかも、ほとんどできてねぇんだよなぁ。ったく、忙しねぇや……ま、天界への復讐をやれるんだからそこは感謝ぁしねぇとか」
ヲールムガンドの口はいつも開いている。
そのせいか、常時半笑いみたいにも見える。
「ヲルムは人間を殺すべき、というお考えなのでしたよね?」
「補足すんなら、増えすぎてもろくなことになんねぇ気がするから、神族が管理して数を抑制すべきじゃねぇか――そう思ったぁだけさ。周りを腐らせそうなのは始末しつつ、な」
ふぃー、と緊張感のないため息をつくヲールムガンド。
「しかしそれが主神たちの不興を買っちまった。ロキエラよろしく、主神どもはどーも被造物に甘ぇよなぁ。けど、適度に殺して数を絞らねぇと……ヒトってのはいずれひどい状態になると思うんだがなぁ。なんつーか、オラァたちが介入して管理しねーと……いずれヒトは自滅してくと思うんだよなぁ。放っとくと、不幸になる割合も増えるだけだと思うぜ?」
ロキエラの頭部は、専用の箱に入れてアルスに持たせてある。
天界の阿鼻叫喚をしっかり見せつけるために、連れて行く。
「もーですから、それだとつまらないんですってば。増え続けてこそ遊具として楽しいのではありませんか~。増え続ければ、勝手に自滅していって苦しむ。放っておけば、勝手に不幸になる者の割合が増えていく。適度な知性を持った欲望に弱い短命種なんて、もう見世物――遊具としては最高ですっ」
「けどよぉ」
「あ、もうゲートを開くのであなたの反論とかいいです」
「へいへい」
ヴィシスは両手を広げ、右手のゲートの起動装置を操作し始める。
こんなにも心地よい朝の風を感じたのは、初めてかもしれない。
なにものにも束縛されない自由。
これぞまさに。
自由、そのものである。
己のみがこの世界において唯一の神であり。
他存在はすべて、神の遊戯のための供物である。
神に選ばれし者だけが、供物から下僕へと格上げされる。
勇者と同じ。
格上は下僕として扱ってやるが。
格下は供物として、踊ればいい。
神を楽しませるために。
いくつもの白い光が、稲妻のように空に奔る。
天高き上空に水平の輪――――
ゲートが、出現した。
輪の内側は、溢れんばかりの白い光に満ち満ちている。
「おぉ、あれぞ天界へと続く道」
翼を広げた巨聖体たちが羽ばたく。
この巨聖体たちの問題は、ヨナトの聖眼であった。
ヨナトの聖眼は、一定の高度以上にいる空中の金眼を攻撃する。
あの強力な光線によって。
この大陸のどこにいても、あの光線で撃墜してくる。
聖眼の破壊はもちろんできなかった。
干渉値が上がってしまうからだ。
しかし――ヴィシスは辿り着いた。
長い長い年月をかけ、聖眼に撃墜されない方法を発見したのだ。
どんな方法か?
魂力の性質を、変化させたのである。
こっそり一度、魂力の性質を変えた小型飛行聖体で試してみた。
ちなみに。
極限まで戦闘能力を削いだ小型聖体にしたのは、干渉値対策のためである。
そしてその飛行聖体は、聖眼の反応高度を越えても――
撃墜、されなかった。
さらに副産物として、勇者が殺しても経験値を得られなくなっていた。
ゆえに、どれだけ聖体を殺しても勇者は経験値を得られない。
追放帝も経験値を持たなかったはずだ。
そう。
魂力の性質を変えた聖体ならば。
勇者のレベルアップによる成長や一部ステータスの回復も防げる。
聖体に不満点があるとすれば、まともな知性を持てぬことか。
複雑な自律行動はできない。
行動指針も、他者が示す必要がある。
この点がやはり、聖体と神徒との圧倒的な差と言えよう。
「しかし――やはり頼るべきは、私の因子を持つ聖体や神徒ですねぇ」
あの裏切り者……ニャンタンを半神化しなくて、本当によかった。
無駄な力を使うところだった。
半神化にしても、膨大な力を消費するのだ。
ああ、それにしても。
目をかけて、やったのに。
腹が立つ。
あの名も思い出せぬ騎士団長に捕まって、苦しみ抜いて死んで欲しいと思う。
「……、――まーもうどうでもいいです! ニャンタンもクソ蠅王も……何もかもどうでも! さーゆきなさい、我が仔らよ!」
巨聖体が、飛び立つ。
ひと筋の光線が――――空を奔った。
直撃。
「はぁあ?」
崩壊――瓦解、していく。
ゲートが。
「あぁぁあああああああああああ゛あ゛――――ッ!?」
聖眼が。
聖体、ではなく。
ゲートの方を、破壊した。
手で庇を作り、消滅していくゲートを眺めるヲールムガンド。
「あーららぁ……」
ヴィシスは――
「うーーーーーーん………………クソすぎるでしょう……これは、さすがに」
聖体と違って。
起動準備に大量の根源素を消費するゲートは、実験をしていない。
そもそも。
ゲートが聖眼の破壊対象などという想定は、していない。
金眼、だとか。
魂力、だとか。
そういうものが、破壊対象なのではないのか?
「…………あー。あー……あー、これはむかつく。なんというか、腹が立ってしまいますねー……うーん……」
ヴィシスは消滅していくゲートの破片を背にし、神徒の方を向いた。
「ら~らら~らら~ら~らぁ~♪」
「どうしたぁヴィシス? 精神的負荷が強すぎて、現実逃避でも始めたか?」
「いえいえ~。別に、ゲートまた開こうと思えば開けますので」
根源素は、まだまだある。
すぅ、とヴィシスの目が据わる。
「対神族強化の数値が低い聖体軍をすべて起動し王都周辺――地上に、展開。北回りでヨナトの王都へ向かわせ……聖眼を、破壊させましょう。んー一応、ヨナトの女王には聖眼の機能を停止させるよう、軍魔鳩で指示を出しておきましょうか。聖眼はあの女王の自己同一性なところがありますから……言うことを素直に聞いてくださるか、はてさて……るるる~♪」
目こそ笑っていないが。
ヴィシスの口もとには、微笑みが戻っている。
「あーあと……聖眼を停止もしくは破壊させるまでは、西から来ている目障りな蠅王と狂美帝のクソどもを足止めしておきましょうね~。ららら~♪ 聖体軍を振り分けて、足止め足止め~♪ 邪魔させてたまるものですか~るるる~♪ まー、先にあの鬱陶しい蠅どもを叩き潰しておくのもいいかもですねぇ~♪ いい気分ですか、おい?」
虚無の瞳で、ロキエラの入った箱を見据えるヴィシス。
「でも、残念でしたー」
パンッ!
ヴィシスは、笑顔で両手を打ち合わせた。
「どのみち…………最後に勝つのは、この私です♪」




