ヒトであるがゆえに
ロキエラは、責めるような目でヴィシスを見据えた。
「キミは被造物を――ヒトを、愛していない」
「あら? 常識的に考えれば、ここで土下座すべきでは? ここでしないのは非常識ですねぇ~」
「一方のボクは、これでもヒトを愛しているんだよ。ボクはヒトを我が子のように思っている。親が子に愛情を注ぐ……それをキミは、あたりまえだとは思えないのかな? 親が子を愛せない……自分の欲望を満たすための道具や玩具としか考えられない。これほど哀しいことはないと、ボクは思う」
「へーそうですか。それよりほら、土下座がまだですが~? 土下座土下座~。私も暇ではないのです~。土、下、座、は、ま、だ、か。あぁ、忙しい! さあ早く!」
「言ったはずだよね」
「わかったから土下座をしろ。早く」
「ボクはキミが嫌いなんだよ――――ヴィシス」
「私も嫌いと言いましたよね――――ロキエラ」
ロキエラが、消えた。
いや――違う。
消えたように見えただけ。
動いたのだ。
ニャンタンの目では捉えられない速度で。
おそらくは――ロキエラが攻撃に出た。
一方、ニャンタンの隣からも気配があった。
感じられたのは――気配の揺らぎだけ。
ヴィシスも、動いたらしい。
「――――――――」
「やれやれ……だから言っただろ? ボクに勝てるつもりなのか、ってね」
二人の神族が、互いに距離を詰めた。
そして一瞬のうちに何かしら攻防があった――のだろう。
気づくと……
正面を向いた首のない身体が、ニャンタンの前に立っていた。
直後。
その身体が断裂――バラバラに、なった。
肉片となったその身体の向こう側に立っているのは、
「ふふふ、あなたの口調を真似してみました♪ 似てました? あらあら、勝てるつもりでしたか――ロキエラ?」
突き出したヴィシスの右手には――ロキエラの頭部。
振り向くヴィシス。
――ゾクッ――
ニャンタンは、戦慄を覚えた。
ヴィシスの目が。
黒一色に、染まっている。
「弱すぎる――そして、強すぎる」
にぃ、と。
不気味に笑むヴィシス。
「干渉値をこれだけ増やせば、当然それなりの神族を派遣してくるのも予想していました。ロキエラ級が来たのはむしろよかったですねぇ。対神族強化が本当に上のクソどもに効果的なのか試したかったので……まー余裕すぎて、さすがの私も度肝を抜かれましたが♪」
「ヴィシ、ス……」
「んーその美しいロキエラのお顔、私好みではないのですー」
ヴィシスの右手に収まったロキエラの顔が、しなびていく。
まるで、急速に老化していくかのように。
「ふふふ……抵抗を受けないと楽ちんですねぇ? 楽、ちん。ほぉら? 存在力を削いでるのわかりますー? ああ、ブザマすぎて……とっても、かわいそう……」
「う゛ぃ、し……」
「あら!? 嘘でしょう!? シワシワの枯れ木みたいなお顔になってしまって! 嘘ぉ!? 本気で、大丈夫ですか!? あははは面白すぎます! これが――あ、あのロキエラ!? まさかあなたロキエラなんですか!? あははは最高! お腹痛いっ……し、神族もやはり面白いかもしれません! 耐久力がある分、やり方によってはすぐ死ぬ人間より面白いのでは!? あ、でも人間は数で勝負ですよ~! 大量に苦しむ姿はやはり、それはそれで壮観だと思いますので!」
「ホォォ――……、ォォォオオ――……」
ロキエラの眼窩は今、洞穴のように深く。
その口も、痩せた木のうろみたいになっている。
「えー? もしかして何かしゃべってるんですかー? しょぼい風穴の音みたいなのしか聞こえませんが? あははは……ふー死ぬほど、面白いですー……あー面白い。ロキエラのせいで、涙が出てしまいました」
心からヴィシスは、面白がっているようだった。
幸福。
そう――幸福そうに、見えた。
「ヴァナルガディアはひとまず消滅させますけど……ふふふ、ロキエラは消滅させずにおきましょう♪ もっと立場をわからせてあげませんと! 天界の惨状もしっかり見せつけなくては! 彼女がアイシテルとかほざいた人間も殺しまくらなくてはなりません。愛する者が苦しみの果てにブザマに憎しみ合い、殺し合う姿……あぁ、きっちり見せつけたい……。ブザマすぎる」
ぽーん、と。
ヴィシスがロキエラの頭部を上へ放った。
落下してきたその頭部を、今度は軽く蹴り上げる。
ほいほいほい、と。
落ちてくる頭部を蹴り上げ、また、落ちてくる頭部を蹴り上げ……。
それを、繰り返す。
遊んででも、いるかのように。
「えーい」
ヴィシスが落下してきたロキエラの頭部を、
ドッ!
遠慮なく、蹴り飛ばす。
頭部は勢いよく壁に衝突し、そのまま床に転がった。
「ホ、ォ……ォォ……」
「んん? 何か言ってます? 聞こえないのですがー?」
耳に手をやり、音を拾うような仕草をするヴィシス。
次いで、ぷっ、と噴き出した。
「ですから――何をおっしゃっているか意味不明なんですってば! ぷーくすくす! 哀れすぎて私もう、泣きそうです! これでは神族の面汚しですねぇ~」
見てられない、とでも言うように肩を竦めるヲールムガンド。
アルスとヨミビトは黙って手すりの向こうから見ている。
両者とも、特に反応はしていない。
「さーて……私は、聖体の起動とゲートの準備に入らねばなりません。西で蠅の王とか狂美帝とか目障りな虫がブンブン飛び回っているようですが、間に合わないでしょう♪ ここへ辿り着く頃には、私はもう聖体と共にゲートを通って天界に行っていますから♪ ふふふ、せっかく禁呪を携えて来るのに残念でしたー。無駄な努力すぎて泣けてきますねぇ。さようならー」
手をひらひらと振るヴィシスの目は、元の金眼に戻っていた。
「しかし……蠅の王どもが間に合わないといっても、聖体の完全起動とゲートの展開までまだまだ時間がかかるのですよねぇ。うーん……一応、対神族特化でない方の聖体たちに、警戒と時間稼ぎくらいはさせておきましょうかね。こしらえた聖体がちゃんと機能するかの試用も兼ねて……」
言って、ヴィシスがロキエラの頭部を踏みつける。
ガッ!
「あらゆる次元、世界に……最高の苦しみ、憎しみ、そして……無意味な死を――――ありとあらゆる存在そのすべては、この、ヴィシスがために」
白き神が、宣す。
「我に与えよ――さすれば我は、悦楽の宴を与えられん」
笑顔で、両手を打ち鳴らすヴィシス。
「あぁ、とっても楽しい♪ 嬉しいー」
▽
ヴィシスはあれ以来、あの地下空間に籠もり始めた。
地下にひしめいていた無数の聖体。
ゲートという天界への門。
その二つを起動するには、ここからそれなりの時間を要するようだ。
『ああニャンタン、あなたの半神化も忘れてはいませんので。あとでやりますよー』
どうも――気が変わりかけているのではないか。
ニャンタンはそう感じた。
笑顔の中に面倒そうな――興味のなさそうな感じがあった。
自分に色々と語って、それで満足してしまったのかもしれない。
ヴィシスは、自分が地下空間にいる間の代理をニャンタンに頼んできた。
(機会があるとすれば、今……なのでしょうか)
あの三人の神徒は幸い今も地下空間にいるようだ。
つまり今、ニャンタンは比較的自由な状態にある。
(ヴィシスはあの神族に勝利したことと、計画が順調に進んでいることで……明らかに私へ注意を払わなくなってきている……?)
聖体とゲートの起動。
(これ以外のことに対し、日に日に注意が雑になってきている印象がある……)
一日一回の地下空間への報告すら、もういらないと言われた。
起動さえ終われば、もう他のことはどうでもいいと思っているのか。
「…………」
王都にいる勇者たちは今も宿舎で待機を命じられている。
タモツ・ザクロギの居場所もわかっている。
妹たちが囚われている場所は――この王都から南西の位置。
馬車で半日も行けば辿り着けるはず……。
自室の寝具の縁に座るニャンタンは、祈るように手を絡ませた。
絡ませた手に、額をつける。
(……ヴィシスの言葉は音声としてスマホに記録してある。しかし――私では止められない。ヴィシスを止められそうな者に、伝えなくてはならない。ヴィシスがもしこの世界に戻ってくれば、いずれ妹たちも苦しみの中に……? けれど――)
どうすれば、いいのか。
西のミラ軍――禁呪を持つという蠅王ノ戦団。
進軍速度の報告は受けている。
今日明日にこの王都へ到着はできない。
ヴィシスは、今の速度では間に合うまいと言った。
いや……。
ヴィシスがゲートと聖体の起動を終え、天界へ行けば。
(行ってしまえばむしろ時間を稼げる……?)
飽きっぽいあのヴィシスのことだ。
この世界にはもう、戻ってこないかもしれないではないか。
そう、天界とやらでヴィシスが逆に返り討ちにあうことだって――
「……ふぅ」
息を落とす。
希望的観測がすぎる。
世の中、そう上手くはいくまい。
希望的観測に縋るだけでは何も変わらない。
これまで、嫌というほど学んだことではないか。
その時、何者かが部屋の戸を小さく叩いた。
それはいささか奇妙な訪問の合図だった。
音の位置からして靴の先などで叩いたと思われる。
しかし、そっと叩いた印象があった。
足で叩くような乱暴さがあるのに、そっと叩く……。
丁寧に叩くなら普通は手の甲を使う。
なんだか、奇妙に思えた。
「……何か、ご用でしょうか」
相手が誰かわからぬまま、ひとまず応答する。
「とりあえず話をする前に、入れてくれると助かるんだけど」
「……?」
(この、声……? ……、――――ッ!)
ニャンタンはサッと扉に寄った。
慎重に、しかし手早く扉を開く。
そこにいたのは、
「ああ……開けてくれると思ったよ。うん、キミはやっぱり信用できそうだ。何よりキミは――ヴィシスが好きではない。ボクには、わかったよ」
てのひらくらいの大きさで、幼児のような姿をした――
「ロキ、エラ……?」
「ヴィシスが口にしていた蠅の王と狂美帝……そして禁呪について知っていることがあれば、教えてもらえないかな?」
真剣な面持ちでそれはニャンタンを見上げ、
「ボクの子らを――ヒトを、救うために」
ニャンタンは戸惑った。
「わたしがヴィシス様を好きではない……なぜ、そう思ったのですか?」
「勘も含むかなー」
「あ」
小さなロキエラが勝手に部屋の中へ入ってきた。
ニャンタンはひとまず扉を閉め、ロキエラの方を振り向く。
「なぜ、わたしのところへ?」
「イチかバチかの消去法」
絨毯の上で、くるりと振り返るロキエラ。
「この城内で頼れそうなのがキミしか見当たらなかった――というか、ボクはこっちに来たばかりだからね。それで、ボクの賭けは正しかったかな?」
ニャンタンは警戒する。
これは……ヴィシスが自分の信用度を試すため仕掛けた茶番、だろうか。
「シワシワになったあのボクの頭部はまだ地下にある。もう自力で動けない状態と思われてるから、管理がけっこう雑なんだ。今のヴィシスは対神族用聖体の強個体をさっさとすべて完全起動させ、ゲートを開くことにしか気がいってない。で……ボクは自分の一部を切り離してこうやって動かせる。頭部から切り離したこの姿で抜け出し、ここまで来た。これは、ヴィシスも知らない能力だ」
ロキエラは絨毯の上にあぐらをかき、
「うん、いきなり信用しろって方が無理だよね。ボクだって同じだ。キミが完全に信用できるかはわからない。けど、ボクはキミを信用したい。そして、できれば蠅の王と狂美帝と接触するために、力を貸りたい」
「なぜ……彼らを?」
「嫌がってる」
「?」
「ヴィシスがその二人の名前を出した時――特に蠅の王の名前を出した時だよ。かなり嫌そうだった。その人間たちはもう間に合わない……ヴィシスは”自分はこのまま天界に行ってさよならするから残念でしたー”みたいに勝ち誇り顔で言ってたけどさ。ボクには、ヴィシスがその人たちからさっさと逃げたがっているように見えたんだ」
言われてみれば。
どこか急いている感じは、あったかもしれない。
「ですが……あなたたち神族でも勝てなかったヴィシスに、人間が勝てるのでしょうか?」
「逆だよ」
ロキエラは不敵に微笑み、
「人間だからこそ、勝ちの目がある」
「人間、だからこそ……?」
「たとえばヲールムガンドを含めたあの三人の神徒。根源素の配分をかなり対神族強化に寄せてるんじゃないかな? そして――実はね、ボクら神族にも成長限界は存在する。異界の勇者の加護と同じだね」
ロキエラは人差し指を立て、
「簡単に言えば、なかなか突出しすぎた単独の最強存在にはなれないってこと。だからヴィシスはああやって神徒や聖体に、根源素による強化を振り分けてるってわけ。ボクたちが神徒を造る理由も、また同じ」
「……対神族強化分の影響を受けず戦える分、人間の方があなたたち神族よりも可能性があると?」
「いい理解力だ。そういうこと」
「…………」
「異界の勇者が邪王素の影響を受けず戦えるのと同じさ。それで――どうかな? 神族であるボクなら対ヴィシスのことで色々助言できると思う。今、あえてこうして説明しているのはキミに”いけるかも”と思ってもらいたいからだ。胸襟を開いて素直にあれこれ開陳しているのも、キミに信用して欲しいから……それに尽きる」
その時だった。
ロキエラの表情がふと、母性に似た雰囲気を帯びた気がした。
「……悪あがきなのは、わかってる。でも、ヒトを自分の箱庭で遊び壊すオモチャのようにしか思っていないヴィシスは、やっぱり気に入らないんだ。というか、あそこまでひどいとは思ってなかった。天界の方も長らくゴタゴタしてたし、クリスタルによる観測反応もずっと問題なかった。根源なる邪悪もしっかり消失していた。ヴィシスはヴィシスで、あれでも神族としての責務を全うしている……そう思われていたんだ。ここまで干渉値が上がらなければ、通常は神族がもう一人派遣されるのは許可されないしね」
ロキエラが、カーテンの閉じた窓を見上げる。
「でもまあ、それも言い訳くさいな。ともかくさ……ボクはヒトを信じてあげたいんだよ。ボクはやっぱり彼らが――キミたちが、愛おしいから」
ロキエラの目。
ニャンタンはふとそこに”何か”を感じた。
とても大事な何かを。
正体はおそらく――愛情。
強い愛情だ。
それは。
自分が妹たちに抱いているもの。
似ている、と思った。
似たものを――ロキエラは、持っている。
「……今の言葉が本物なら」
「うん」
「あなたがこの大陸に派遣された神族だったらよかったのに、と……そう、思いました」
どこか申し訳なさそうに、ロキエラは苦笑を浮かべた。
「ごめんね」
口もとは笑っているけれど。
なんだかこっちが申し訳なくなってくるような、そんな笑みだった。
「…………」
彼女が、自分に賭けてくれたのなら。
自分も、彼女に賭けてみるべきなのではないか。
母性を漂わせるロキエラから先ほど感じた愛情。
自分がもし、それを信じられないのなら。
それは。
自分が妹たちへ抱く愛情も信じられないことになるのではないか?
ふと、そんな気がして。
だから。
信じたい。
自分のこの――愛情を。
「……わかりました」
ニャンタンは意を決し、
「あなたに、協力します」
「うん……キミなら、そう言ってくれると思った」
だがここで一つ、疑問があった。
「しかし、ヴィシスの口ぶりでは……ヴィシスが対神族聖体軍とゲートというものを起動して天界へ行くまでに……蠅の王と狂美帝は、間に合わないのでは?」
するとロキエラは、得意気に微笑んだ。
「ボクは急いでこの世界に来たわけだけど……あの地下へ来る前、一つだけ確認してきたことがあるんだ」
「?」
おそらくね、とロキエラは言った。
「ヴィシスは一つだけ、とても大事なことを見落としてる」
「大事なこと? それは一体……、――ッ!」
瞬間、ニャンタンは警戒を強めた。
「…………」
ロキエラも気づいている。
カーテンの締まった窓の方。
何か、気配が現れた。
いや――先ほどからそれがいるのはわかっていた。
しかし、気にせずともよい気配に思えた。
けれど突然、その気配の質が変わったのである。
カーテンの隙間から見えるのは……梟、だろうか?
何か――
『悪いけれど、あまり長くはしゃべれないのよね。部屋に入れて話をさせて――お願い。蠅の王の……いえ。きみだったら、ヒジリからの使者だと言えばいい?』
窓越しに放たれたのは、人の声。
……しかも。
今、声はなんと言った?
「ヒジ、リ……?」
『妾は、ヒジリが寄越した使い魔よ』
「! 使い魔だってッ!?」
ロキエラが驚く。
「この世界には、まだそんなものが残ってるのか……」
ニャンタンは咄嗟に判断し、その梟を部屋の中に入れた。
ロキエラも特に反対はしなかった。
梟が机の上に降り立ち、
『ずっと接触する機会を狙ってたのよ。城の人間の話を盗み聞きしたところだと、このところヴィシスの姿も見えないって話でね。だから、今しかないと思って――いえ、こんなのは余計な話。いい? 極力、要点だけまとめて話すからよく聞いて……』
梟の話した内容の中に、驚愕すべき情報がいくつもあった。
が、途中で出たその情報を聞いた瞬間。
ニャンタンは思わず、両手で口を押さえた。
「――ニャキ」
感極まったせいか。
涙声になってしまった。
ニャキしか知り得ないと思われる情報も、混ぜられていた。
梟の話は、事実で間違いあるまい。
『そのニャキって子もずっときみ……”ねぇニャ”の安否を心配してたみたい』
「蠅王が……助けてくれたん、ですね?」
『そう。あーっと……まだ話は終わってないわ。続けるわよ』
梟は叩きつけるように、次々と情報を伝えていった。
どうやら王都のすぐ外にミラの間者が待機しているらしい。
脱出のための手配は整えてある、とのこと。
そうして――
”伝えるべき情報は、ひとまず伝え終わった”
梟はそう言って、
『今、から……そのミラの、間者に……きみがここに居残っている勇者たちを連れて脱出する、と……伝えに、行くから』
「あの、大丈夫ですか? 言葉が、途切れ途切れに……」
『笑止――と、言いたいとこだけど……こうやって発話しての、伝達は……かなりの負荷がね、かかるの。だから意識が切れたあとは当面、妾はきみたちを補助できなく、なるから。でも最後に……ミラの間者に、話は……通して、おくから。逃げる時……動き、やすいように。いい? 絶、対……逃げ切るの。わかった、わね?』
「はいっ」
『よし……いい、返事』
梟が、窓から飛び立つ
あの使い魔はロキエラの存在が気にはなっていた感じだった。
が、ともかく残された時間が少なかったのだろう。
この場では情報の伝達のみにすべてを注いだようだ。
ニャンタンは今後の行動を、頭の中で構築していく。
まずは勇者の宿舎へ行き、勇者たちを集める。
カヤコ・スオウとは以前から何度か接触していた。
彼女は、勇者に用がある時はまず自分にと言っていた。
アヤカ・ソゴウから勇者のまとめ役を頼まれたのだという。
脱出の際には、カヤコに勇者たちをまとめてもらおう。
タモツ・ザクロギもどうにかなるはず。
ヴィシスに極度の恐怖を抱いているので、暴れる可能性はある。
最悪、気絶させて連れて行けばいい。
そして――囚われている三人の妹たち。
先ほど梟が告げた情報や指示を脳内で反芻し、
(おそらく今が、実行すべき時……)
ここから脱出し、西を目指す。
そして。
蠅の王の勢力と、合流する。
今、自分は城内でヴィシスの右腕扱いになっている。
自由に動き回るのは比較的容易い。
ニャンタンは手早く支度を済ませた。
次いで、服の衣嚢からスマホを取り出す。
念のため、あの時の音声もしっかり呼び出せるか確認する。
『――私、もしこの計画がしっかり成就したら……手始めにこの世界に戻ってきて、この大陸の人間を一割まで減らそうと思うんです』
よし。
問題ない。
ロキエラが、不思議そうに尋ねた。
「なんだいそれ?」
「私たち人間の、切り札の一つです」
「ふむ……なかなか面白そうな代物だね。暇があったら、あとでどういうものか聞かせてよ」
はい、と言ってからニャンタンは腰の革袋の蓋を開き、
「ここにあなたを入れて運ぼうと思いますが、よろしいですか?」
「ばっちりさ」
革袋にロキエラを入れる。
彼女は綺麗にすっぽり収まった。
少し身を縮めてもらって蓋を閉めれば、姿も隠せる。
「ありがとうニャンタン。礼を言うよ」
「まだ礼には早いかと、ロキエラ様」
「様はいらないよ。子どもだって基本、親に対して様づけはしないだろ?」
「……では、ロキエラ」
「よろしい。うん、そっち方が距離感も近くていい。とこ、ろで……ニャン、タン……」
「! 大丈夫ですか? どこか、具合でも……」
「さっきの、使い魔と同じで……悪いん、だけど……ボクも……少し、眠らせてもらえる……かな? ここに辿り着くのだけで、大変で……今、この身体にはほとんど力が残ってない、んだ……。回復も、この身体だとほんと遅いから……けっこう、長く……眠って、起きない……かも……」
「わかりました。蠅王たちと合流するまで――命に代えても、あなたはわたしが守ります」
「ごめ、ん……ね……あ、それ……と……せ――」
何か言いかけたようにも、思えたが。
もはや限界だったのか。
ロキエラは目をすぅっと閉じ、そのまま眠ってしまった。
「…………」
静かな夜だった。
月明かりがカーテンの隙間から漏れている。
部屋の床に差した一筋の月光を見つめ――表情を引き締める。
「行きましょう」
眠るロキエラの収まった革袋の蓋を閉め、ニャンタンは戸の方を見た。
「あなたの子どもたちを、救うために」




