S級勇者は決意する
◇【十河綾香】◇
異世界に召喚されてから数日が経った。
十河綾香は王都の南西に位置する森を歩いていた。
周囲を警戒する。
枝が折れる音。
咄嗟に構えを取る。
綾香が手にしているのは、長槍。
「ぐルるルる……がぁァぁアあアあア!」
涎をダラダラと垂らす口犬。
金眼。
テラテラ光る牙が並んだ大口。
口がいびつなほど大きい。
前の世界ではあんな生物、見たことがない。
異世界。
ここは本当に異なる世界なのだ。
実感がより醸成されていく。
犬型の魔物の方へ一歩、踏み込む。
「勝負、するの?」
自分への問いかけか。
魔物への問いかけか。
わからない。
「グるルるルぅ……ッ!」
口犬が臨戦態勢で威嚇してくる。
「どぉこ行きやがったぁぁああああ!? おらぁぁクソ犬ぅぅぅうううううう!」
小山田翔吾の怒声がした。
近づいてくる。
葉擦れの音が、迫ってくる。
バサァッ!
大剣を振りかぶった小山田が、茂みから飛び出してきた。
「――ッ!? が、ォぅゥ!?」
小山田の姿を認めた瞬間、口犬が飛び退いた。
俊足で小山田の反対方向へ駆け出す口犬。
綾香の中に迷いが生じる。
自分の距離からなら、口犬の行く手は阻める。
が、
「そいつはおれの獲物だぜ十河ぉ!? 冷える邪ぁ魔すんじゃねぇぞぉ!? てめぇはおれたち上級グループの一員じゃねぇんだからなぁ! ネツい獲物を渡す理由なんざどこにもねぇんだよ!」
小山田は綾香の加勢を認めなかった。
「ま、おれの誘いでグループに入るってんなら――あの口犬、譲ってやってもいいぜぇ!? せいぜい考えとけや! 身の振り方ってもんをなぁ!?」
大上段の言葉を残し、小山田は再び茂みの奥へ消えた。
一人になった綾香は周囲を確認する。
怪しい物音はしない。
警戒の度合いを下げる。
ひと息つく。
「……ふぅ」
現在2−Cの勇者たちは女神の命で戦闘訓練を行っている。
王都の傍らに設けられた訓練用の森林地帯。
このエリアは巨大な壁で周りを囲まれている。
今、エリアの中には凶暴な魔物が放し飼いにされている。
ただし強さは今の勇者たちに合わせたと聞いた。
(邪悪から世界を救う、か)
綾香は切り立った岩に背を預けた。
槍をギュッと抱く。
数日前。
城で捕えている魔物を、女神が生徒たちに殺させたそうだ。
生き物を殺すのに慣れさせる。
目的はそれだと聞いた。
綾香はその頃、城内の一室で眠っていた。
女神に気絶させられていたからだ。
目覚めた時、すでに”通過儀礼”は終わっていた。
けれど”通過”できなかった生徒もいたそうだ。
彼らはどうしても魔物を殺すことができなかった。
嘔吐して動けなくなる者。
泣き崩れてしまう者。
気絶してしまう者。
錯乱する者。
当然だ。
自らの手で意思ある他生物の命を奪う。
皆、そんな行為や思考とは無縁の世界で生きてきたのだ。
自分だってそうだ。
綾香の意識が戻った時、女神が会いにきた。
女神はまず儀式を通過できなかった”脱落者”の話をした。
次に、彼らを”廃棄”するつもりだと告げた。
『私としては残念ですが彼らは廃棄せざるをえません。死んでしまったトーカ・ミモリさんと、同じ末路ですね……』
三森灯河の最期も少し聞かされた。
ただ、少し自分の知っている三森灯河とは違う気がしたが。
『…………』
いずれにせよ、救えなかったのは事実。
『ぐすっ……申し訳ありませんソゴウさん……悔しいですが、これがアライオンの確固たる方針なのです。規律なのです。仕方ないのです……大変申し訳ない、非常に申し訳ない……』
綾香は女神の意図を理解した。
『はっきり言います、女神さま』
『はい? どうぞ? はっきり言ってください?』
『女神さまのああいうやり方に私は賛同できません』
『ん〜? はて? どういうやり方の話ですかねぇ?』
『……弱い人を切り捨てるようなやり方の話です』
『うふふ、世の中には様々な意見がありますからねぇ〜。神を名乗るだけあって、私はとても寛容です。ですので少しくらいの考え方の違いは受け入れますよ〜? ただ……勇者としての役目を果たしていただけない方には、やはりご退場を願わないと……』
『S級勇者は価値が高いんですよね?』
『はい! とぉっても高いですよ!』
選択肢はなかった。
女神の望む返答を綾香は口にした。
『女神さまの言う”通過儀礼”を突破できなかった生徒の分まで、私がS級勇者として役目を果たします。それで彼らの”廃棄”をなしにしてくれませんか?』
『わぁ! なんと勇気ある素敵なご提案でしょうか! さすがはS級勇者です! やり方に違和感は覚えつつも、身を粉にして私たちに協力してくださるというのですね!? この世界を、救うために!』
『はい』
『本当に嬉しいです〜! では、仲直りの握手をしましょう! 極度の緊張状態で錯乱したソゴウさんを落ち着かせるためだったとはいえ、お腹を殴ったりしてすみませんでした〜』
綾香は女神と握手を交わした。
氷と思えるほど冷たい手。
手の冷たい人は優しいなんて嘘だ。
そう思った。
(錯乱、か……そうね……召喚されたのが何日前だったか程度の情報をまともに思い出せないくらいには、私は混乱している……)
だけど、やらなければ。
彼らのために。
最初の試練を突破できなかった生徒たち。
名を聞く限りだとクラスでも優しい人たちばかりだ。
それから彼らのまとめ役は担任の柘榴木だと聞いた。
ただ、今の彼はすっかり気力を失っていた。
目覚めたあとで見た時は、別人のようだった。
『いや〜D級勇者のセンセーとか正直ナイっすわ〜! 尊敬しろとか言われても無意識が拒否しますわ〜! 冷え冷えっすわ〜! あ、おれらのグループ的にも当然ノーセンキューっす! そうだ! 城の厨房で皿洗いとかイイんじゃないっすかね!? 柘榴木クン!?』
小山田から叩きつけられた言葉にぽっきり心が折れてしまったようだ。
綾香は言い過ぎだと小山田を注意した。
気の毒に思ってそのあと柘榴木に声をかけた。
が、柘榴木は綾香を無視してフラフラと歩き去ってしまった。
「…………」
(強く、ならないと)
武器は城のものを自由に選ばせてもらえた。
桐原拓斗は、刀。
小山田翔吾は、大剣。
安智弘は、双剣。
高雄聖は、長剣。
高雄樹は、細剣。
この世界には刀があるらしい。
過去の召喚勇者が持っていた武器と技術が一部で広まったそうだ。
十河綾香は、槍。
迷わず選んだ武器。
綾香にとっては慣れ親しんだ武器。
綾香の祖母は”鬼槍流”という古武術の流派の師範代だった。
どんな経緯で資産家の祖父と結婚したのかはわからない。
幼い頃から綾香は、祖母に鬼槍流を教え込まれてきた。
鬼槍流は槍術だけにおさまらない。
元を辿れば、槍で対応できない間合いへ入り込まれた際に使用していた武術が発達したものだそうだ。
勉強や習い事、トレーニングの傍ら、祖母から稽古を受けるのがひそかな楽しみだった。
稽古のあとはシャワーで汗を流し、寝るまで読書。
十河綾香の日常。
今では懐かしさすら覚える日々だ。
(古武術が何かの役に立つとか考えたことはなかったけど……)
綾香は祖母が大好きだった。
だから稽古を続けていた。
(まさかこんな形でおばあさまから学んだ鬼槍流が、役に立つなんてね)
けれど安心はできない。
綾香が結果を出さねば脱落した生徒に危険が及ぶ。
S級勇者に期待された結果を出せねば――
(三森君……彼の、ように)
間違っている。
弱者を切り捨てる思想など。
ノブレスオブリージュ。
ひと昔前に流行した言葉だ。
力ある者は義務を果たす。
果たさねばならない。
綾香は決意を固める。
まずは魔物を殺して”レベルアップ”しなくてはならない。
この世界では強い魔物を殺すと自分も強くなれるらしい。
殺すと経験値(エネルギーのようなもの?)が手に入るのだという。
「ステータス、オープン」
【アヤカ・ソゴウ】
LV1
HP:+700
MP:+300
攻撃:+1300
防御:+300
体力:+500
速さ:+700【+500】
賢さ:+700
【称号:S級勇者】
女神から説明は受けている。
レベルが上がるとこのステータスの数値が増える。
レベルという概念は召喚勇者にのみ存在するらしい。
現地の人間に経験値や補正値の概念はない。
彼らは自分のステータスを確認したりもできない。
速さの横の表示はユニークアイテムの効果だ。
綾香は耳のイヤリングに軽く触れた。
大抵のユニークアイテムは補正値加算の効果があるという。
確かに今は、少し前より足が速くなった気もする。
(経験値……)
人間を殺しても経験値は入らない。
レベルアップもしない。
当然と言えば当然か。
人を殺して簡単に強くなれるのなら、世界中で殺人が横行する。
最悪、守るべき人間を勇者が殺すことにもなりかねない。
毒殺や暗殺だって頻発するだろう。
また、経験値を得られる魔物にも二種類あるそうだ。
多く経験値を持つのは”金眼の魔物”らしい。
金眼の魔物はその分、強く凶悪らしいが……。
(あとは……)
スキル項目を表示。
この操作にも慣れた。
綾香の固有スキルは灰色文字のまま。
ただ【固有スキル】とだけ表示されている。
いずれ魔法めいた力が使えるようになるのだろうか。
ところで綾香は魔物をまだ一匹も殺していない。
レベルは1のまま。
(魔物を殺す……私に、やれるの? いや――)
やる。
やらねばならない。
救えなかった三森灯河のためにも。
今度こそ守り抜いてみせる。
もう誰も、殺させない。
力なき人たちを救ってみせる。
三森灯河の死を、無駄にはしない。




