アサギ・イクサバ
「味方だよ?」
「それは――最後までか?」
「……さっすがぁ。そこは逃げ道、しっかり塞いで来ますなぁ」
「以前、鹿島から聞いた。おまえは”勝ち馬に乗るだけ”と言っていた、と。その真意を知りたい」
ほほーん、と。
浅葱は小指で髪の先を絡め取りつつ、
「ちゅまりぃ……浅葱さんに寝返りの可能性があるかを問いたいのね? これからの戦いで女神ちんが優勢になったらあっさり寝返るんじゃねーかが、心配と……そういうことでしょ?」
「端的に言えばな」
「ストレートなご回答をどうも」
うんとねぇ、と浅葱は続ける。
「あたしのミッションはまず、浅葱グループが全員無事な状態でこの異世界勇者物語を終わらせること。そして、浅葱グループのみんなを元の世界に帰してあげることなんじゃよ。まー、浅葱さん個人としては帰還するかどうかはどっちでもよいんじゃがね」
今のもポッポちゃんからもう聞いてるかもしれんけど、と。
浅葱はそう言い足した。
「おまえはそのミッションってのを達成できるなら、どっちの陣営でも構わないってことか?」
「うん。ただねぇ……どうも女神ちん側についたままだとセカンドクリア目標が達成できそうにないのでわ?と、そう感じ始めまして」
俺は無言で先を促す。
「つまり女神ちん、あたしらを元の世界に帰す気なさそーな感じがしててさ。はてさて、過去の勇者さんたちはちゃんと元の世界に戻れたのでしょーか? 廃棄遺跡に送られた過去の勇者ってのも案外、帰還できずにこっちの世界で処分されたんでねーかい?」
頬に指先を当て。
ぷぅ、と。
可愛らしい具合に口を尖らせる浅葱。
「まー……そうする理由として考えられるのは、元の世界に戻す時に使うっていう大ボスの邪王素の存在かな? かな? 他のオイシイ使い道があるのかもねー、神族的に。ふふふ……元の世界への帰還っていうニンジンぶらさげといて、ゴールしたら殺処分とか……ガチでそうだとしたら邪神もいいとこだヨ」
その辺りの推論には、浅葱も辿り着いてたか。
鹿島は、緊張を孕んだ面持ちで浅葱を見ている。
「つまり……おまえは、ヴィシスを信用できないと思っている」
「うん。ていうか洗脳でもされてねー限り、フツーあの女神ちゃんを全面的に信用しろって方がむつかしーっしょ。あの笑顔からしてもう嘘っぽいしにゃー。にゃはは」
浅葱は上機嫌な調子でそう言って、
「けどほら、女神ちんは異世界の存在だし? アタシらと違う価値観で動いてるかもしれないじゃん? 信用できないっぽく感じるのも人間の小さな物差しゆえなのかもしれん。神とか言ってるから、人間に及びもつかない超高次元な考えがあるのかもしれん。偏見、いくない。んで、三森君が死んだあと――失礼、廃棄されたあとも観察を続けてみた。したら……やっぱこの女神ただの俗物な邪神じゃね、ってオチよ」
「……俺にはほぼ最初から、クソに見えたがな」
正確には――本来の”俺”が出てきた辺りから、か。
中指立てて呪いの啖呵切っちゃうくらいだもんねぇ、と浅葱がケタケタ笑う。
「んでも、女神ちんの洗脳力と煽り力はけっこう評価してるぞい。異様なご長寿によって培われた前例主義的慢心と、たまに出るストレス性の衝動からくるっぽい視野狭窄行動が、ちょっち足引っ張ってる印象ですけど」
浅葱は人差し指を立てて宙空でくるくる回し、
「ただ、なんか執念みたいなのはすっげぇ感じるよね。目的は知らんけど、あれが女神ちんの強さの秘訣なのではなかろーか?」
言い方は違うが、聖の見立ても今の分析に近かった。
が、浅葱の方が言語化の解像度が高い印象がある。
そういえば。
あの時は聖でなく俺自身との比較だったが……
城の食堂で狂美帝の分析を聞いた時も、似たことを思った記憶がある。
「で、浅葱……おまえの口からまだ、はっきり真意を聞いてないが――」
飄々と肩を竦める浅葱。
「別に他意はないよ? 女神ちんがいまいち信用できないからどうしようかなって時に、ツィーネちんから勧誘を受けた。女神に頼らなくても元の世界に戻る方法がある、ってね。んで、あたしはツィーネちんの方を”勝ち馬”に認定した。こうして浅葱さんは、ツィーネちんの側に乗った」
浅葱は腰に片手をやって。
ふぅ、と。
俯きがちに息をつき、
「これはそれだけの、実にシンプルな話でしかないのさ」
そして顔を上げ、
「女神ちんの方は元の世界に戻す気がなさげなのと、不信感が強まりすぎたののダブルパンチで、そもそもミッション達成が不可能そうだからね。ま、勝ち馬にはなりえませんわな」
「だから寝返りもありえない、と?」
「うむ、そゆこと」
「…………」
それから浅葱は、
「もう、ポッポちゃんってば~。チミの伝え方が悪かったせいで話がややこしくなっちゃったじゃないかよ~。ていうか……浅葱さんが信用できないってニュアンスがポッポちゃんの言い方に漂ってたから、こんな魔女裁判みたいな展開になっちまったんでないかい?」
「え? あ……ご、ごめん……」
「小鳩」
「……う、ん」
「信用してもらわないと本気で困るんだが?」
「そ――そういうわけじゃ……ごめん、なさい」
「死ね」
「……えっ?」
「え?」
「あ、えっと……」
俺は、そこで口を挟んだ。
「いや、いくらなんでもそこでいきなり死ねはないだろ」
「ん――そうだね。ごめんなポッポちゃん。ちょっとしたきつめの冗談だったんだよ~ほんとにごめんよ~。まあほら、浅葱さん真意の見えにくいミステリアスキャラだから……誤解されやすいんです、とっても……ぐすん。あ、今のちょっと女神ちんっぽかった?」
「…………」
さっき鹿島に”死ね”と言った時の……浅葱の感じ。
……いや。
今そこをつついても、何も出ないだろう。
それより今は、
「浅葱……個人的に一つ、気になることがある」
腑に落ちない、というか。
どうにも、見えてこないものがある。
「おう、なんでも聞いてくれたまえ」
さっき。
味方なのかと俺が問いかけ――
ミッションがどうこうと、浅葱が話した時。
浅葱は、気になることを口にした。
『まー、浅葱さん個人としては帰還するかどうかはどっちでもよいんじゃがね』
幕舎の壁を背にして。
浅葱の背後やや斜めに立たせてあるセラス。
嘘の合図は出していなかった。
ゆえに浅葱の”どっちでもよい”は――本心。
”帰還できなくてもいい”
戦場浅葱は、そう思っている……。
つまり浅葱個人にとって帰還は、目標ではない?
”浅葱グループを全員生存させる”
”浅葱グループを元の世界に帰還させる”
これを目標にしてるのは、わかった。
が、浅葱自身に限っていえば”帰還したい”わけではない。
では、なんだ?
「おまえはどうなんだ、浅葱」
「ほい?」
「今まで聞いた話じゃ、どうにも見えてこなくてな」
「と、おっしゃいますと?」
「おまえ自身の動機だよ」
たとえば、俺には個人的な動機がある。
復讐という動機が。
一方で他のクラスメイトの大半には、
”元の世界に戻りたい”
という動機がある。
十河綾香にも、
”クラスメイトを守りたい”
そういう、強い動機がある。
そして十河はその先に”帰還”があり――戻りたい、と思っている。
しかし、
「おまえは、元の世界に戻りたいってわけじゃないのか?」
感心した風にあごを撫で、俺に対し、猫のような目つきで笑みを向ける浅葱。
「ははーん……三森君、面白いところに気がつきますなぁ? 浅葱さん……そこをつっつかれるとは思ってなかったにゃー」
「こっちの世界が気に入ったから自分だけ残りたい……ってのも違うよな? おまえはさっきどっちでもいいと言ったんだ。つまり――残ってもいいし、残らなくてもいいってことだ。よって、おまえはこちらの世界に残りたいと強く思っているわけでもない」
他のクラスメイトのように、元の世界に戻りたいわけでもなければ。
この世界に残りたいと、強く願っているわけでもない。
もちろん俺のように、女神に復讐したいってわけでもあるまい。
そもそも――強い情念のような感情が、浅葱からは見えてこないのだ。
となると。
戦場浅葱は一体、何を動機に動いているのか?
それが、わからない。
口にした通り戦場浅葱が味方なのだとしても。
そこがわからないと。
こっちもいまいち、動きにくい。
いやいや、と浅葱が口を開く。
「これはね、もっと簡単な話なんだよ三森君……ていうか、もう話した通りさ。別に浅葱さんは、ただ定めたミッションをクリアするだけだよ。うーん、しかしねぇ……こういう方面の話は、語らずの方が面白いと思っとったんじゃがのぅ」
セラスを見る。
嘘は――言っていない。
はぐらかしの文言も、なさそうに聞こえる。
…………。
高雄聖がこいつを評して言った――”異物”。
今、俺の脳裏に先ほどからよぎっていることが……一つ。
思い当たる動機が一つ、ある。
もっと簡単な話だ、と浅葱は行った。
もしかすると。
戦場浅葱は――
「ゲームか?」
戦場浅葱は黒曜石の照り返しのような鈍い光を瞳に湛えて、
「イエス」
回答を、口にした。
□
異世界召喚後――どこかの時点で、戦場浅葱はミッションを定めた。
もしかすると。
どんなミッションにするか決める前にはもう……
駒――プレイヤーだけは、適当に集めておいたのかもしれない。
そして。
設定後はそのミッションを達成するために、動いていた。
そう。
おそらく戦場浅葱は。
浅葱グループの連中を大切に思っているから”がんばっている”んじゃない。
浅葱グループの連中の”無事”と”帰還”をミッションと定めたから、がんばっている。
ならば。
思考の大元はたった一つに、集約されているはず。
ゲームをクリアするためにどう動くべきか――どう、動かすべきか。
すべては。
ミッション達成のため。
ひょっとすると。
浅葱自身が先ほど、そのゲーム名を口にしていたのかもしれない。
さっき”終わらせる”と口にした――『異世界勇者物語』。
以前、帝都の城で。
俺が正体を明かした時、鹿島はこう言っていた。
『浅葱さん……”あたしは勝ち馬に乗るだけ”って言ってた。あ、それと……帰還はセカンドクリア目標で、最優先クリア目標はこれ以降浅葱グループが全員無事であること、だったかな? そんなことも、言ってた』
それを聞いたあと、俺が口にした発言。
あれは、実はそのまま正解になっていたわけか。
いや、だからこそ。
先ほど、ありうる解の一つとして思い当たったのかもしれない。
しかしだ。
これが戦場浅葱にとって本当に、ただのゲームなのであれば。
逆に、懸念材料が一気に消えることになる。
なぜならこっちは――
さっき浅葱が口にしたミッション内容を軸として、今後の方針を組み立てればいいだけになる。
▽
つーか。
浅葱のヤツ……
おそらく今回、逆にこっちの真偽判定を利用しにきやがった。
違和感はあった。
今回……浅葱は比較的、明確な回答を提示してきている。
イエスかノーも、はっきりと返していることが多い。
はぐらかそうと思えばできるはずなのに、だ。
あの城の食堂での会話で、それができるのは証明されている。
しかしいくつかの回答の際、おそらく浅葱は――
証明するために”あえて”明確な回答を提示していた。
なんのために?
自分への疑いを、晴らすために。
自らの潔白を、証明するために。
なぜそんなことをしたか?
もちろん。
そうした方が、ミッション達成にとって有利になると判断したからだろう。
「…………」
ゲーム、か。
俺は改めて浅葱を見据えた。
飄々とした顔で「なんじゃろ?」と首を傾げる浅葱。
こいつは、下手をすると……
成功も、失敗も。
生も、死も。
さほどこだわりが、ないのかもしれない。
だから軽い――軽く、見える。
ゲームを続けているうち、いつかは死ぬ。
しかしゲームでの死は同時に、リスタートでもある……
そういう考え方もある。
死んでもただリセットがかかるだけ。
プレイするゲームが、変わるだけ。
ひょっとすると。
戦場浅葱の人生そのものが――
ゲーム上のキャラを演じているに、過ぎないのかもしれず。
ゲームクリアに最適化された自分を――演じているだけ。
プレイヤーとして。
たとえば今回のゲームでは”アサギ・イクサバ”を、演じている。
演技で”本当の自分”を、覆い隠して。