執着――そして、終着へ
雨が、上がった。
放たれた半透明の鎖が桐原拓斗に吸収され、その肌に浮かび上がる。
そして――――パァン、と。
何かが弾けるような音が、続いた。
そして、
「【パラライズ】」
――ピシッ――ビキッ――
あの音も。
エフェクトもない。
効いた。
禁呪は確かに――破壊、できる。
あの忌々しい【女神の解呪】を。
「……なかなか骨だったぜ、桐原。金龍まで巻き込んで、おまえをここまで激昂させるのはな……」
「三、もッ――、……ッ!?」
ブシュゥゥ!
無理に動こうとしたせいだろう。
桐原の身体から、血が噴き出した。
しかしダメージはやや少なく見える。
ステータスのせいか。
あるいは何か本能的なやばさを感じ、動きをすぐ止めたか。
と……金龍が、消えた。
「消え、た? オレの、スキル……何、が……? 三、森ぃぃ……何、を……」
ダメージの影響か。
俺の【パラライズ】によるものか。
はたまた禁呪の何かが影響でもしているのか。
それは、わからない。
桐原は、背後で荒く息をしている女――ムニンにはまだ気づいていないようだ。
鋭い目つきで口と目から血を流す桐原。
と、桐原がセラスを見据え、片手を上げた。
ブシュッ!
無理に動いたことで、桐原の腕から血が噴き出す。
桐原が、
「今、だ……セラ、ス……」
そう、言った。
まるで、命じるような調子で。
「三森、を……殺、せ……」
セラスが一歩、後ずさる。
「……トーカ殿、を? 私が……? あ、あなたは何を……」
「オレ、の……王の、戦いを……見、て……目が覚めた、はず……それが……摂、理――キリハラ……この……オレ、こそ……が――」
「【スリープ】」
白目になる桐原。
桐原はそのまま目を閉じ……眠りについた。
持続時間を示すゲージが出現している。
地面に倒れ込む桐原。
俺は、桐原を見下ろす。
「…………」
こいつ。
セラスがてのひらを口に添え、青ざめている。
「トーカ、殿……彼は今、本気で……おそらく”そうなる”と信じ切って、私に……」
セラスが怯えた理由もわかる。
最後の言葉に嘘偽りがなかった。
それが、わかったからだ。
「こいつの中には、多分こいつの世界がある……こいつの作り上げた”世界”がな。こいつの世界の中では、必死に戦った桐原の姿を見て……三森灯河に洗脳されていたセラスの目が覚める……そんな筋書き、だったのかもしれない」
隙を生むために放った俺の煽り。
図星だったからこそ桐原はあれだけ激昂した……。
けれどもう一つ、ある可能性が存在する。
激昂したのは事実。
しかし――
本来の自分とあまりにかけ離れた身勝手な自己イメージを突きつけられ……つまり俺の煽りを”身にいわれのない侮辱”と受け取り、激昂した。
そんな可能性も、なくはない。
わからない。
無論、これも考えすぎかもしれない。
小山田はわかりやすかった。
が、桐原は。
わかりやすいようで、どこか不鮮明なところもある。
浅葱も、桐原についてはそんなことを言っていた。
なるほど――あいつの分析の通り、か。
「……まあ、どうあれ」
こいつは俺を殺しにきていた。
明確な殺意をもって。
殺意には――殺意で。
こいつは越えた。
一線を。
越えて、しまった。
ルールはルール。
すでに【パラライズ】はかかっている。
「…………」
こいつから得るものは、あるだろうか……?
たとえば、ヴィシスに関する何か特別な情報。
話すだろうか?
こいつが。
……いや。
ない、か。
得られる”かもしれない”情報よりも。
こいつの場合――完全に無力化する方を、優先すべきだ。
やはりここで……。
俺は、桐原に手をかざし――
「…………なんだ?」
「トーカ殿、何かがッ――」
セラスも気づいている。
突如として出現した――
この、全身が総毛立つような重圧感。
「――ムニン!」
「え?」
「こっちに来い! 急げ!」
「は、はいっ」
ムニンがちょうど、構えを取るセラスの背後に入ると同時――
「だめ、殺させない」
そいつは、現れた。
目にも止まらぬスピードで、そいつはそのまま、俺に肉薄しようと――
ギィインッ!
セラスが阻み、剣でメイス状の武器を防ぐ。
ギリギリだったように見えた。
多分。
今のは、セラスだから間に合った。
俺だったら回避はもちろん、まともに防ぐのも無理だっただろう。
……しかし。
来る方向が、わかっていて。
セラスが先んじて予測し、構えていて――
これなのか。
「ぐっ!? あな、たは――」
「どいてください、セラスさん……ッ!」
切迫した目で、そいつは俺を見た。
「三森君、あなたは――ッ! あなたは今、何を――――ッ」
ちら、と。
そいつはうつ伏せに倒れている桐原を一瞥し、
「クラスメイトに何を……何をしようと、していたの……ッ!?」
今の一瞥で、まだ桐原に息があることを確認したらしい。
ほんのわずか、そいつの戦意が弛緩したのがわかった。
…………。
どう、取り繕っても。
直前――先ほどの俺は。
桐原にとどめを刺そうとしていたとしか、見えまい。
そして。
そう見えたのは、間違ってはいない。
ただ……。
殺していたら、むしろここで”終わっていた”かもしれない。
「…………」
『こんなの間違っています! 三森君はクラスメイトなんですよ!?』
……ああ。
おまえは、間違っていない。
もしここから、俺が桐原にとどめを刺そうとしても。
それは――かなうまい。
この相手では。
状態異常スキルを放つことも、難しい。
放とうとした時点で敵対行為と見なされる確率が高い。
ここで俺が気絶させられるのは――まずい。
何より、もし……
こいつにも【女神の解呪】が与えられていたら。
無力化もできず。
敵対行為という”意思表示”だけが残る。
ここでの状態異常スキルの発動は、最大の悪手となりかねない。
でなくとも……
桐原に使おうとしても。
こいつに使おうとしても。
即座に、制圧される。
確実だ。
わかる。
できると――やると、物語っている。
そいつの目は。
だから動かないで、と。
この場で唯一対抗できそうなのはセラス。
が、先ほどの戦いで著しく消耗してしまっている。
誰であろうと、クラスメイトを絶対に守る。
そう誓ったこのS級勇者……。
今、この場であいつを力づくで止められる者はいない。
誰一人として。
そう……”敵対”では、勝てない。
俺は桐原に手をかざしたままの姿勢で、その名を呼ぶ。
「……、十河」
そして――鹿島。
これはおそらく。
鹿島の決断による行動の結果が、ここに繋がったと見ていい。
『おまえが十河を守りたいと思うなら、そしてその時この情報が必要だと思ったら……俺の正体も含めて、今から話す内容を十河に明かしてもいい』
仮に十河が嘘の情報などを吹き込まれ、操られていた場合。
つまり、クソ女神がもし蠅王を悪役に仕立てていたのなら。
蠅王として俺がしてきた”事実”を十河に伝える。
たとえば――安を救ったこと。
安が心を入れ替えてくれたこと。
その情報は十河への足枷として機能するかもしれない。
話し手が鹿島なら十河も聞く耳を持つのではないか?
説得に至らずとも――話くらいは、聞くのではないか?
俺はそう考え、鹿島にいくかの情報を明かしていた。
…………なるほど。
こうなったわけか。
どうやら、思った以上に――
「三森君……どうして」
三森灯河の生存。
鹿島から聞いてここまで来るまでに、それなりに時間があったはず……。
驚きと衝撃は薄まり。
気持ちの整理もある程度つけてきたのだろう。
もちろんさっき俺を見た瞬間は、それなりに衝撃を受けた顔はしていたが。
……この場所は、鹿島が伝えたか。
あるいは浅葱か。
「桐原がここにいる理由……鹿島から、聞いたか?」
「……ええ」
悲痛そうに目を伏せたあと、十河は、力強く顔を上げ直した。
「だから――止めにきたの。桐原君も、あなたも」
「桐原は危険だ。こいつは邪魔だと感じた者を殺すことへの躊躇がない。事実、俺も殺そうとした」
「だ……だからといって殺していい理由にはならないわ! 殺す必要があるの!? 勝ったのは三森君なのよね!? ならそんなの、絶対におかしい……見れば、もう決着はついてるわ! そう、安君みたいにッ……きっと変われるはず! 柘榴木先生だって、変わってくれると約束してくれたわ! なら、桐原君だって……じっくり話し合えば、きっと!」
「桐原に……話し合いは、通じたのか?」
「それは……私の力不足、で……けれど、今の私は違う!」
十河は決然と、
「今の私なら作れる。話し合うだけの時間を――この力で。この力は、対話のために必要な要素……私は、それを知った。力がなければ……誰も”真っ直ぐな”話になんて、耳を貸してはくれない! だから私、強くなったの! ベルゼギアさんに――あなたにあの時、伝えたように!」
「本気で――」
俺は言った。
「本気で桐原を、説得できると思うのか?」
「桐原君の考え方に……私は、賛同できない。でも……弱い人が強い人の足を引っ張るだけみたいな考え方は……間違ってる。本当は……力のある人は、力のない人を助けるべきだもの……切り捨てるとか、犠牲にするとか……そういうのは、違う。間違ってる……絶対に。ねぇ三森君……人は、成長できる生き物だと思う……変われるの、必ず。だから強い人は、そのお手本になって……力を、貸してあげるべきなの……ううん、多分……それも少し違う。強いとか弱いっていう区別自体……間違ってるんだと思う。世の中にはただ、できる人とできない人がいるだけ……そしてその”できる”と”できない”は、きっと人それぞれに違っていて……そう……だからこそ、できない人をできる人が手伝ってあげて……できないことを互いに、補い合って……できないと思い込んでいる人にも絶対に何か”できる”ことは、あるはずだから……そうして思いやりを持って、足りない部分をみんなで埋めていけば……みんなが幸せになれる世界が、きっとくると思うの! だけど! それを信じられない人がいるから! 信じられる世界に、していかなくちゃいけない! 変えていなくちゃいけないの! 今、力ある人たちが!」
委員長らしい考え方だ。
そう、思った。
どこまでも正しい。
ただ……。
でかすぎる。
桐原の語る、世界の話も。
十河の語る、世界の話も。
俺は――手の届く範囲で、自分の思うままに生きるしかない。
そんな立派に、俺は、世界を語れない。
顔も知らない他人のことまで、考えられない。
「…………」
ともあれ。
条件が、変わった。
桐原は――殺せない。
少なくとも、この場では。
殺そうとすれば十河に制圧される。
十河は桐原を殺させない。
絶対に。
そして、できるなら十河との敵対は避けたい。
女神を確実な敵と認識してもらえれば――
十河を味方にできれば、対女神戦を有利に運べる。
ここで桐原を殺せばそのルートはおじゃんになる。
いや――それどころの話じゃない。
暴走。
十河が暴走し、こちらが何か致命的損害を被りかねない。
桐原をここで殺すのは、リスクが高すぎる。
さっき殺していたら――アウトだった、かもしれない。
しかし……。
桐原を生かすのも、これはこれでリスクでしかない。
これからの俺の復讐にとって。
以後、桐原を拘束し切れるか?
意識がある、という状態。
思考できる、という状態。
この状態であることが、危険に思える。
桐原拓斗という”気がかり”がその状態でいること。
その状態であることは、それはそれで捨て置けないリスクとなる。
ならば、
「わかった」
「え?」
「桐原は今、俺の状態異常スキルで眠ってる。その傷は俺のスキルによるものだが、桐原が自分自身で負ったものでもある」
「桐原君が自分自身、で?」
俺は【パラライズ】の性質を説明した。
「三森君自身には……殺す気はなかった、ということ?」
「ああ」
十河は葛藤するように、唇を噛んだ。
「聞いてくれ、十河」
「…………」
「状態異常スキルの中に【フリーズ】ってのがある」
今度は【フリーズ】の話をした。
そう。
このスキルを使えば”殺す”には至らない。
死者ではなく生者に使えば。
300日。
特殊な氷の中で、時が止まる。
そう伝えた。
十河は、何かを必死に考えているようだった。
「死ぬわけ、じゃない……それは……300日経てば解除、される……の?」
俺は懐中時計を取り出し、
「ああ、300日だ」
十河はまた、しばらく沈黙した。
「……三森君」
「ああ」
「私、嬉しいの――あなたが、生きていてくれて」
セラスは、黙って構えたまま動かずにいる。
ムニンも同じく、黙って成り行きを見守っている。
ピギ丸も静かだ。
遠くで、スレイのいななきが聞こえた。
「…………」
「あの時、魔防の白城で……私を助けてくれたのが、あなたでっ――」
「……ああ」
「鹿島さんから話を聞いた……あなたはたくさんの人を助けるために、自分の手を……汚した、のよね……?」
「そいつは……すべて、自分のためだ」
俺が救われるためでもあった。
俺がしたいから、やった。
だが十河は、
「違う! 私は全然、違うと思った! 助けてる……安君だって、助けてくれたんでしょう!? あなたは、ただの冷酷な復讐者なんかじゃない! クラスメイトを手にかけたりするような――そんな人じゃ、ない! 違う! 違う……違う! あなたは……三森君は……ッ」
十河は何かを、否定しようとして。
けれど――できない。
そんな風に、見えた。
今、十河が口にした言葉。
俺に向けてというよりは、多分、自分自身への――
「でも……でもね、三森君……どうしてあの時、教えてくれ――なかった、の?」
「…………」
「どうして、私を……信頼して、くれなかった……の?」
ついに。
こらえきれなくなった、とでもいうかのように。
十河の表情が崩れ――その目からとめどなく、涙が溢れてくる。
「本当、なの? 本当に……魔防の白城で別れたあとのあなたは……今のあなたは、狂美帝さんに洗脳されているわけじゃないの? 鹿島さんも、騙しているんじゃないの? 鹿島さんに嘘を教えて……私を、操ろうとしているんじゃないの? 浅葱さんは分からないところがあるけど……鹿島さんは、信じられる……でも、鹿島さんはとっても素直な子だから……鹿島さんには失礼かもしれないけど……彼女みたいな素直な子なら……騙されてしまうかもしれないッ! いいえ、もしかしたら鹿島さんは……浅葱さんにも! ねぇ、三森君っ……安君も本当に――殺してないのっ!? 本当にっ!?」
「アヤカど――」
口を挟もうとしたセラスを、俺は手で制した。
「鹿島のことは信じられても……鹿島にその話をした俺のことが信じられない、か」
わかっていた。
俺は、欺き続けてきた。
廃棄される時に庇ってくれた十河を、ずっと。
生きていることを伝えず。
暗躍していた。
だから――無理なのだ。
信じてもらいたくとも。
十河はセラスのように真偽判定などできない。
自分で信じると判断したものしか、信じられない。
しかし。
その判定する”自分”が、揺らいでしまったなら。
翻弄され ズタズタになってしまったなら。
「もう……わた、しっ――」
崩壊するように。
十河はボロボロと濁流のように、涙を流し――
「だめ、なのっ……ごめん、なさいっ。この世界に、来て……もう……誰も彼もを信じ、られない……この世界に、来る前から……この世界に来て、からも……信用できる、ほど……あなたと過ごした時間……少な、すぎるからっ……だから、わた、し……三森君……三森、君を――」
俺と十河がこの世界で共に過ごした時間は。
あまりに、少なすぎる。
だから。
十河綾香に、俺を信じろという方が土台――
「私っ――三森、君をッ……、――信じ、られない……ッ!」
無理な話なのだ。
だからこれは、結局。
「ではたとえば――――この世界でそれなりの時間を一緒に過ごした私なら、信じてもらえたりするのかしら?」
「……、――え?」
泣き崩れんばかりの十河が、ふと顔を向けたその先――
「ようやくの再会ね、十河さん」
「う、そ……ひ……」
ぶわぁ、と。
今度は違う種類の涙が、十河綾香の目に溢れ出す。
「聖さんッ!」
木の後ろから現れたのはS級勇者――高雄聖。
そう……
鹿島小鳩と違い。
十河綾香が”信用している”という条件だけでなく――簡単に他人から騙されないと思える人物。
絶対、ではない。
だが。
少なくとも――俺よりは、信じる値する相手だろう。
ふぅ、と。
ひと息つく。
ひとまずは。
間に合った――か。




