対
「――――――――」
桐原拓斗が建物の中に、入ってきた。
エリカの使い魔から得ていた桐原拓斗の動き。
使い魔は、見た目は本当にそこらの動物と遜色がない。
軍魔鳩なら違和感を抱かれるかもしれない。
が、使い魔はその辺にいてもそこまで違和感がない。
特に――鳥類などは。
桐原周辺の状況を、探ってもらっていた。
周辺に、ヴィシスの姿は見られない。
従属させてているという魔物はかなり離れた場所にいる。
伏兵らしきものも確認できず……。
しかも――そのほとんどが動く気配がない。
俺は入ってきた情報に合わせ、対応を選んで動いた。
いくつかのプランを用意していた。
一旦この建物を使うプランに決定したのが、少し前のこと。
ここへおびき寄せる方法もいくつか考えていた。
ピギ丸の分身を使った方法だったが――
入ってきた。
桐原、自ら。
強さを増した雨を気にして入ってきた、と見るべきか。
金波龍とやらは、出していないようだ。
「…………」
俺は今、天井に張り付いている。
ピギ丸の新たな能力によって。
最後の強化剤は地味だが、文字通り地味に便利な能力だった。
単純に言えばピギ丸が器用になった、といったところか。
まず、粘着力が格段に向上した。
使い方によっては垂直の建物の壁をのぼることも可能。
剣虎団とやった時は掴まるところがあったから成立した。
が、今は何もないところでも貼り付くことができる。
これによって、対象の死角に潜む選択肢は各段に増えたと言える。
他は、質量的な能力の向上。
ロープ状になった時の長さや強度がかなり上がっている。
その副産物なのか、ピギ丸の分裂も可能になった。
分裂し、ピギ丸がそれを分身のように動かせるのだ。
また、分身は武器にも形を変えられる。
この分身や武器は、破壊されてもピギ丸にダメージが入らない。
いわゆる、
”分身がやられても本体にはダメージがいかない”
というヤツか。
が、分身は本体ほどの粘着力や巨大化能力は持たない。
他には、硬度も飛躍的に増した。
つまり武器として使用可能なほどの硬度を得た。
手もとに武器がなくとも、ピギ丸自体を武器として扱える。
そして、今……
俺は室内の死角に貼り付き、息を潜めている……。
足音。
近づいてくる。
……桐原か。
あの時以来――形としては、再会。
平静は、保てている。
動揺は、ない。
深い闇の奥へと。
桐原が、やってくる。
「……………………」
きた。
足音の位置……。
いる。
桐原と、同じ空間に。
気づかれた様子は、ない。
入った。
射程――圏内。
「ピッ――」
先に分裂させて置いておいた、分身したピギ丸の鳴き声。
鳴き声は、俺のいる方角とは真逆の位置から。
桐原の意識はそちらへ―――
ここ――
「【パラライズ】」
――ピシッ――――、……バキィン!――
小さな――ガラスの割れるような音。
何かが。
脳の奥、から。
記憶から。
引き出されるような、感覚が――
「【金色――
確認を――
「【バーサク――」
「――龍鳴波】」
――バキィン!――
あの時。
クソ女神に廃棄される直前。
がむしゃらにヴィシスに【パラライズ】を放った、あの時。
多分。
無我夢中で、その時はそこまで認識できていなかった。
けれどその意識外で……。
おそらく俺はこの音を聞き――そして”それ”を、見ている。
そう。
同じだ。
あのエフェクト。
あの、クソ女神の【女神の解呪】と。
……ドシュゥゥゥ……
渦巻く金龍を纏う桐原拓斗。
うねるエネルギー体の金龍。
金龍の放つ光が、一気に闇に包まれた室内を照らし出し――
「残念……と言わざるをえねーな。誘い込まれたのはてめぇだ――下級、本質」
さっきの桐原の固有スキル。
エネルギーの放出による攻撃、ではなかった。
俺はその時、すでにピギ丸に合図を送っていた。
ロープ状になったピギ丸はここから対角線上にある壁に、張り付き――
凄まじい勢いで、俺を引っ張る。
俺はそのままピギ丸に引っ張られる形で、壁目がけて飛んでいる。
先には古い鎧戸。
材木が腐って脆くなっている。
経年劣化によってできた隙間は、先んじて塞いでおいた。
塞いだのも、分裂したピギ丸を用いてできたことの一つ。
今のピギ丸は透明度をなくし、遮光もできる。
なぜ塞いだのか?
外の光が入って、一筋でも室内の闇へ光が注がぬように。
この空間に、闇をつくるために。
ただ。
その鎧戸が存在する最大の意味は”最悪の事態”が起きた時のための、
脱出口の確保。
■
この前の追放帝の話を、俺は狂美帝から詳しく聞いていた。
”女神から力を分け与えられた”
追放帝はそう話していたそうだ。
力を分け与える?
あのクソ女神は、そんなことができるのか……?
……ならば、と思った。
万が一にも……ありうるのか?
あの【女神の解呪】を、分け与えることも?
今までは必要なかった。
が、もし蠅王が”俺”だとヴィシスが気づいたなら。
そしてヴィシスが桐原に、俺の正体を教えたなら。
何か画策する中で、俺に桐原を殺させたいと意図しているのなら。
当然、対策を練る――与えるはずなのだ。
もし、できるのなら。
桐原に俺を始末させたい。
ヴィシスがここに来ていないのなら。
何か別のことをしている。
やることがある。
つまり。
ヴィシスがここに来ないのなら、桐原の状態異常スキル対策は必須。
俺が。
シビトも。
アイングランツも。
ルインも。
ジョンドゥも倒している、と思っているのなら――必要な措置。
状態異常スキル対策。
こうくる確率は低いかもしれない、とは思った。
さすがに考えすぎかもしれない、とも思った。
が、備えはしておくべきと考えた。
…………。
やはりしておくべきものだ。
最悪の事態の――想定というものは。
▼
「くたばれ、三も――」
桐原が何か言い終える前に、鎧戸が、粉々に砕け散る。
破裂し、建物の外側へと弾け飛ぶ木片。
「ピッギィィィイイイイイイイイイイイイッ!!!」
ピギ丸の鳴き声と共に。
鎧戸を粉砕し、俺はもう外へ飛び出している。
細かな木片が雨の中、宙を舞い――――
「小賢しさの局地と……言わざるを、えない。悪あがきと言わざるをえない。下級本質の足掻きは……見ていて、目に余りすぎる! どう、足掻いてもだ……ッ!」
何匹もの金龍を従えた桐原が建物の残った壁を粉砕し、飛び出してきた。
桐原自身も金のエネルギーに包まれ、加速しているように見える。
ドシュゥゥゥゥッ!
刀を抜き放ち、桐原はその刃にも金色の波を纏わせた。
追い、ついてくる。
巨大な竜の集合体が、牙を剥く。
ロープ状のピギ丸の先――ピギ丸は、外にあった遺跡跡の柱に巻き付いている。
俺はまだ宙に浮いている状態。
再び、ピギ丸は俺をその柱の方へもの凄い力で引っ張った。
柱の手前。
そこで、着地。
柱を背に――俺は、構える。
「セラス」
柱の裏にあった瓦礫の山が、激しい風圧で、弾け散る。
迸る光。
柱の陰から飛び出してきたのは、剣を手にした――
セラス・アシュレイン。
桐原が、目を見開く。
「――セラス、アシュレインかッ――」
セラスは、起源涙によって進化した精式霊装を身に纏っている。
名を―― ”起源霊装”
元の精式霊装に比べると各装甲やパーツが増えている。
元々あった形状が変化している装甲もあった。
そして、光の精霊による高出力の光の精霊剣。
剣の刃から放出されているかのように渦巻く光の束。
俺めがけ襲いくる複数の金龍――その中心に、跳びかかる姿勢の桐原がいる。
まるで、荒れた海の大波同士がぶつかるような衝突音。
セラスの精霊剣が桐原の金龍と衝突し、打ち払ったのだ。
桐原の目が、セラスを射貫く。
「ようやくか……ようやくオレたちが、出会った。ついにオレは、あるべき正しさに近づいてきたらしい。だが、しかし……ッ」
桐原が、俺を睨み据える。
「…………」
さっき部屋から飛び出す直前、わずかに、金龍の端が俺にかすっていた。
蠅王のマスクの前部がそれによって裂け、俺の顔が覗いている。
少し額の皮も裂けたらしく、俺の鼻筋を一筋の血が伝っていた。
桐原拓斗は――爛々と憎悪を宿し、言った。
「セラス……おまえは、まさかそこの下級本質を守っているのか? ちっ……つくづくこのオレに、正しくない異常な光景を見せやがる……まだ、そいつの洗脳が解けていないらしいな……ッ、まったく……”オレのもの”によくもやってくれたな――」
俺は、黙ったまま蠅王のマスクを脱ぎ捨て――桐原を見据える。
「三森…………ッ」
「――――――桐原」




