彼の目が見据えるその先には
「……は?」
「とある場所に……配下の一人に隠させた。隠した場所はそいつしか知らない。つまり、ここでオレを殺して奪い取ろうとしても無意味というわけだ。ああ、それから……」
キリハラは淡々と続ける。
「一定期間内にその配下へオレから通達がいかなかった場合、そいつは大魔帝の心臓を始末することになっている。破壊するなり、どこか絶対に見つからない場所へ捨てるなり……」
「…………」
「要するに……仮に、ここでオレを殺したり捕らえたりすれば自動的に大魔帝の心臓は失われる。何をしても無駄だ……オレの展望に大きな狂いが生じるのなら、もはやおまえも道連れにせざるをえない。このオレがオレでない世界は、すべてが終わりだ」
はったりなのか、否か。
表情や声から真偽は読み取れない。
そしてなぜかこの男からは、確信しか感じ取れない。
たとえば事実と食い違いがあったとしても――
案外この男はそれを”事実”として、本気で信じ込んでいるのかもしれない。
ヴィシスはふと、そんな風に思った。
さて、とヴィシスは考える。
どう動くべきか?
やりようはいくつかある。
しかし――こればかりは最大限慎重を期さねばならない。
今回の根源素は絶対に失うわけにはいかない。
失う可能性は欠片ほども残してはならない。
下手に動くのは危険だ、とヴィシスは判断する。
「ふふ……ええっと、しかしなぜそんなことを? 何がしたいのでしょう? 心臓を渡していただかなければ、元の世界に帰れませんよ?」
ヴィシスの真意に気づいているとは、考えがたい。
「元の世界には戻るつもりだ。ただし、まだ帰還するわけにはいかない」
話が、変わってきた。
「んんー? それは……どういうことでしょう?」
「オレはこの世界で王としてのキリハラを知らしめる必要がある。そしてこの世界で王を達成したあとで元の世界へ戻り、そっちでも王となる宿命がある。わかるか?」
「……あー多分、わかった気がします」
つまり。
こちらの世界で”まだ楽しみたい”ということか。
「では、目的を達成したあとなら素直に心臓を渡していただけるのですね?」
「当然だ。オレはいずれあの国に帰らざるをえない。しかし、今ではない……」
「なる、ほど」
ヴィシスは考える。
「ではキリハラさん、私もそのお手伝いをしましょう♪」
「無論でしかない」
「ただ、詳細は聞かねばなりません。具体的には何をどうしたいのです?」
キリハラは語った。
まず、国を一つ手に入れること。
次にその国の王として即位すること。
そして自分が、
”すべて達成した”
と感じたら、ヴィシスに心臓を渡し、元の世界へ戻ること。
「他の勇者どもにはこのオレをわからせる必要がある。オレを残して先に帰る、といった錯乱した真似を許すわけにはいかない。仮にオレが許しても、因果がそれを許さないだろう」
「つまり……あなたがこちらの世界で理想を達成するまでは、ソゴウさんたちも帰還できないのですね?」
「オレがいなければ大魔帝は倒せなかった。あいつらは、納得するしか道がない」
過去にも似た考えの勇者はいた。
”世界の大敵を討ったのだから、それに見合う褒美がほしい”
こちらの世界の居心地の方がよくなってしまった例もある。
元の世界に戻りたくないという者もやはりいた。
しかし。
根源なる邪悪の消滅後に残し続けると、神族的には問題がある。
長引きすぎると悪い”影響”が出てきてしまうためだ。
一人か二人ならばその”影響”を極小にできる。
数を選別すれば寿命まで残すくらいなら問題ない。
だが、キリハラの要求する人数を残すとなると長期間は難しい。
最も簡単な方法は、始末して数を減らす手だが――
「……わかりました。ではソゴウさんたちには説明をして、しばらく残っていただきましょう♪ それで……キリハラさんは、根源なる邪悪の地に新しい国を作りたいのですか?」
「いや、マグナルをもらう」
「マグナルをですか?」
「人間の民は必要だからな……そして当然、根源なる邪悪の地もオレの国の領土とする。マグナルを選んだ理由はわかるな? 根源なる邪悪の地と行き来できる大誓壁がマグナルにあるからだ……気になるなら、オレの従属下にある魔物や魔族は根源なる邪悪の地に押し込んでおいてもいい。安心しろ……マグナルの民も、キリハラの民となれば悪いようにはしない。王の責務は果たす」
「なるほど。んー……マグナルの白狼王は先の大侵攻で戦死したので……現在、王座は空位ですが……」
「白狼騎士団に白狼王の弟がいるだろう。東軍を助けに行った時、オレも会っている……」
「騎士団長のソギュード・シグムスですね。今、彼は白狼騎士団と共に私たちのいる東へ向かっているはずですが」
「そいつとマグナルの真の王を明らかにする決闘を行う」
「ハァ決闘ですか。決闘……」
「真の王にふさわしい男がどっちかを決めねーとな……決めざるを、えない。もちろんオレの王性に気づきひれ伏すなら、命を助けることも視野に入れる。それだけの寛大さが、このオレにはあるに違いない」
「うーん」
あの”黒狼”が了承するであろうか。
ヴィシスは訝しく思った。
白狼王不在のマグナルの近況をヴィシスは知っている。
ソギュードを王位にとの声が国内で日に日に高まっているのだ。
しかもソギュードもその待望論を受け、
”兄が見つかるまでなら一時的にその役目を負ってもいい”
と言い出しているという。
王の不在。
ソギュードはそれが家臣や民に与える負の影響を、よくわかっている。
それにしても、とヴィシスは内心嘲笑う。
消息不明――死体が出ていない。
ならば生きているかもしれない。
いや、きっと生きている。
人は”消息不明”と聞くとなぜか生きていると思い込むらしい。
現実を直視できない――したくない。
人間という群れの特徴の一つ。
根拠なき楽観論に縋り続けた挙げ句、いよいよ手遅れになってから喚き始める。
あるいは悪い目が出た途端に打ちひしがれ、無様に、そして醜悪に騒ぎ出す。
何度見てもあの流れは滑稽であり、喜劇である。
人間というのは、数が増えると愚かしさを煮詰めたような”味”を出す。
種として保存しなくてはならない。
守らねばならない。
娯楽の贄――玩具として。
短命種。
「それと、マグナルのアートライト姉妹はこのオレが引き受けた」
「まー……いいのではないですか」
通称”マグナルの宝石”とも呼ばれる美貌の騎士姉妹。
「せいぜい、側室だがな」
「はー、では本命はやはりソゴウさんですか?」
「所詮、ヴィシスだな」
「な、なんてひどい言い草なのでしょう……ひどい……」
「さすがオレの隠れた才能に気づかなかっただけはある――おまえは所詮、自分が好きすぎる。それで……本当に心の底からわからないのか? 結局、愚かの極地か?」
「……ああ」
「今さら気づいても、もう遅い。正室は――」
キリハラはその名を口にした。
「セラス・アシュレインしか、ありえない」
大して興味のない話だったので最初は真面目に考えなかった。
しかし考えてみればそれはそうなる、とヴィシスは納得する。
そもそも。
アートライト姉妹がいまいち話題にのぼらない理由がそれだ。
美貌で言えば狂美帝の存在もあるだろう。
が、何よりセラス・アシュレインの存在が大きすぎるのである。
…………。
セラス・アシュレイン。
「――――――――」
その時、ヴィシスは閃いた。
今は時間がほしい。
今後を考えて色々動いておきたいからだ。
しかし、邪魔な存在が”邪魔”である。
キリハラ。
蠅王――ミモリ。
ヴィシスは思い出す。
トーカ・ミモリを廃棄した時のことを。
キリハラとミモリのやりとりを。
「…………」
黙考ののち、ヴィシスは口を開いた。
「キリハラさん、セラス・アシュレインで思い出したのですが……少々、面白いお話が」
「つまらない話だったら、おまえの信用はここですべて終わる」
「興味深い話かと」
ヴィシスは、キリハラの耳もとで囁いた。
さすがにこの事実には心を動かしたか。
キリハラの表情が変わった。
「――なんだと?」
「私も、変だと思っていたんです……蠅王とは何者なのでしょう、と。呪術とか言われても、やっぱり意味がわからなくて……」
「あの時……廃棄される前、おまえは――」
睨みつけるキリハラ。
「ハズレ枠と、確かに言ったな?」
「……………………」
「なんだその沈黙は」
「……うぅ、気持ち悪いですよね……うじ虫みたいに、墓地から湧いて出てくるなんて……怖いです……」
「ほざいてる場合か? 例の廃棄遺跡とやらはハリボテか? 社会を舐めるのも、大概にしろ」
ヴィシスは、ミモリの固有スキルについて推測を話した。
「戦場みたいにあいつも……分不相応の、身の丈にそぐわない……成金仕様スキルだったということか……」
「そう考えないと辻褄が合わないのです。ただ、食糧問題をどうしたのか……そこだけが私にも、まったくわからないのですが」
「それで神だと? せいぜい、笑わせてくれる」
「ふふふ、面白いですか?」
グイッ!
キリハラが、乱暴にヴィシスの胸倉を掴んだ。
「とんだ落ち度だったな、女神ヴィシス……ッ、――しかもあいつが蠅王ノ戦団の戦団長、ベルゼギアで――」
わずかに開いたキリハラの口の端。
ギリッ、と。
歯が、軋んでいるのが見えた。
「あいつがセラス・アシュレインの、今の”所有者”だと……ッ!? 舌が抜けるほど馬鹿げた話をもってきたらしいな、ヴィシス……ッ!」
軽やかな笑みを浮かべるヴィシス。
「まー……セラス・アシュレインは、カトレア・シュトラミウスから渡世を学び、また、剣技でも名高い騎士です。しかし……他はどうでしょう? 冗談の通じない気質で、清廉で、男慣れしていなくて――ですので、男性経験もおそらくなく……つまりは異性としてそこそこ惹かれる”何か”が起これば、コロッと手ごめにされてしまう娘だったのでしょうねぇ。あ、断っておきますけど、これは侮辱とかではなくあくまで私個人の感想ですので♪ あなたが魅力を覚えるセラス・アシュレインを否定しているわけではありませんので、あしからず」
トーカ・ミモリはおそらく、黒竜騎士団の手からセラスを救った。
ヴィシスはその自説を話した。
「――それでミモリさんに、心惹かれたのだと思います。ですのでおそらくセラス・アシュレインは、そのまま蠅王ノ戦団の一員として行動を共に……」
「三森のことだ……”人類最強”は卑怯な手で騙し討ったに違いねーか……だが、オレなら正面からやり合って”人類最強”に勝てたな……。ちっ……どうもセラス・アシュレインは巡り合わせが悪すぎるらしい……オレより低ランクの男に救われて喜んでいるとは、見る目がないにもほどしかない。見た目は最強かもしれねーが、中身はこのオレが再教育するしかねーな……やれやれ、手間のかかる女だ……」
キリハラが、ヴィシスの胸もとに唾を吐いた。
ブッ!
「……………………」
突き放すように、キリハラが勢いよく胸倉から手を離す。
「今の今まで……ゴキブリのごとくこの世界を這い回っていた勘違い最下級の生存に気づかなかった罪……今ので、少しだけ減刑としてやる……」
「そうですか――――ありがとうございます」
「…………怒りか? 今この場で、オレを殺したいか?」
「さあ?」
「ふん……しかし、もはや許すことはできそうにない。寛容の代名詞であるオレもついに切れたらしい――堪忍袋の緒、というものがな。断然……裁く路線を取らざるをえない」
キリハラがカタナの柄に手をかけ、強く、固く握り締める。
「あの空気底辺だったその他大勢の分際で、てめぇのランクとつり合わねぇ美品を満足げに手もとに置いてるなど……このオレの摂理に完全に反している――完全に」
「キリハラさん、あなたは真の王です」
「今さら言うまでもない。太陽が東からのぼって西に沈むのと同じくらい、当然のことだ」
「真の王の隣には、やはりふさわしい相手が必要かと」
「前菜としてアートライト姉妹は俄然もらう。が、真にこのオレの隣にいるべきメインディッシュはセラス・アシュレインしかありえない。最上級の者には最上級があてがわれる因果こそが摂理だ。圧倒的摂理……下級本質は成り上がっても、どこかでメッキが剥がれなくてはならない。なぜなら、摂理に反しているからだ。思い上がった下級本質どもが、その本質にふさわしい人生を送る正常な世界が今必要とされている……オレのいた世界もそうだった。自分の程度を理解できていない下級本質どもの声が――分不相応に、大きすぎた」
「その通りですキリハラさん。きっと、その通りです」
「ふん、ヴィシス……今回はこの話、あえて乗ってやるぜ……この世界を正常な姿へ戻すために、このオレがすべてをキリハラへと還す。もはや、三森を許すわけにはいかない」
「ではキリハラさん。これよりあなたの目標達成まで、私たちは共闘関係を結ぶ……それでよろしいですね?」
「王が神と手を結ぶ。いいだろう。何より、元の世界へ戻るにはおまえを殺すわけにはいかねーからな……共闘相手くらいが、妥協の産物か……」
ふぅぅぅぅ……、とキリハラが息を吐く。
「ソギュード・シグムス、
アートライト姉妹、
十河綾香、
高雄聖、
セラス・アシュレイン……
ソギュード・シグムス、
十河綾香、
セラス・アシュレイン……
ソギュード・シグムス、
セラス・アシュレイン……」
キリハラは金の小型龍を再び纏い、首を傾けた。
……コキッ……
「三森、灯河」




