偽物ゆえ、人間
「もし敵対した場合、搦め手が必要となるか」
「正面からぶつかるのは悪手かと」
「実直な人物とも聞くが」
「彼女の場合――ゆえに、読めない」
単純に見えるからこそ、逆に、シンプルじゃない。
つまり、どんな方向にでも転ぶ可能性を秘めている。
危うい可能性のかたまり。
そんな風に思える。
「邪王素の影響を受けぬ異界の勇者……彼らの影響はやはり根源なる邪悪との戦いのみにはとどまらぬ、か」
ある意味、俺もその一人と言えるのか。
「そういえば……そちが倒したのも異界の勇者とのことだが、死体の報告があがってきていないようだが」
「死体はこちらで処理しました――跡形もなく。ご心配なく。必要な情報は吐き出させてから、始末しましたので」
……よく考えると、まったくもって悪役めいた台詞である。
「そうか」
それ以上、狂美帝は追求してこなかった。
話は、今後の動きの方針へと戻った。
東へは狂美帝が向かう。
では北への対応はどうするのか、という話へと移る。
「ミラの北は、ヨナトとマグナルとなりますが……両国とも疲弊しているとはいえ、帝都の残存戦力で対処できるのですか? それとも、陛下は早速――」
「ああ。ことによっては早速、最果ての国の助力を請う」
ミラは強い。
しかし形としては孤立無援。
そんな中、最果ての国の存在は大きい。
交渉時、あれだけの条件をあっさり受け入れたのも頷ける。
ちなみに一応海路についても聞いてみた。
海軍はあるが、大きな動きはできないという。
これは他国も同じはず、とのこと。
理由はある。
”根源なる邪悪が現れると、凶悪な海棲生物が活発化する”
海流も目に見えて乱れる。
岩礁が変化し、隆起し、軍艦がほぼ役に立たなくなるとか。
漁もリスクが増し、遠洋まで出るのも躊躇われる。
で、根源なる邪悪の地――その周辺は元より航海不能領域。
ゆえに根源なる邪悪が現れると海路は選択肢から外れる。
これはセラスから軽く聞いてはいたが、やはりそうらしい。
「いちかばちかで、ヨナトの港から西方の不毛の地へ脱出したがる者もいるがな」
皮肉っぽく、狂美帝は言った。
ヨナトの西――海の向こうには別の大陸があるそうだ。
が、不毛の地だという。
その途中にある小さな島に住み着いた者もいる。
けれどそこもさほど安全な地ではないらしい。
海から魔物が現れ、人を襲うこともあるとか。
「大魔帝を倒さない限り、海にも平穏は戻らぬ。そして――根源なる邪悪の地へは、やはり陸路しかない」
「しかし、その陸路も限られている」
「うむ」
根源なる邪悪の地とそれ以外は、山越え不能な山脈で区切られている。
北の果てへ向かうにはマグナルの大誓壁を通るしかない。
「マグナルといえば……例の白狼騎士団はどうなのです?」
「勇者を除けば、今や女神の手駒で警戒すべき数少ない戦力の一つだな。聞き及んでいるだろうが、団長の”黒狼”ソギュード・シグムスは出色の人物だ。兄の白狼王も普段から『本音を言えば王座はソギュードに譲りたい』と言っているほどだった。弟がかたくなに首を縦に振らぬために仕方なく王座にいる、とまで言っていたとか……そのソギュードを含むマグナルがヴィシス寄りなのは、残念なことだがな」
白狼王は行方知れずで、巷では戦死したとみられている。
ならば、実質的に今のマグナル王はその”黒狼”ともいえるわけか。
「他に警戒する相手を挙げるなら、ヴィシスの徒――ニャンタン・キキーパットか。ヴィシスの徒の中では一人突出して優秀と聞く。人材難と見える今は、女神にとって貴重な人材であろう」
ニャキのねえニャ。
「それで……そのニャンタンだが、そちの身内の姉だそうだな?」
「ええ」
「敵として立ちはだかるなら最後は戦うしかない。が、できるだけ無事に引き渡せるよう努力はしよう」
「ありがたく存じます」
「しかし白狼騎士団も、ニャンタン・キキーパットも……いや、ヴィシスも勇者も、今後どう動くか、現状がどうなっているかはわからぬわけだ」
狂美帝は物憂げに、しかし、あまり陰鬱さのない息をついた。
「やはりすべては、その時の状況に合わせての対応となろう……余も先を想定こそするが、すべてを見通すことはできぬ。想定外とは、常に起こるものだ」
それは――俺がセラスたちに以前言ったことに、近い。
「最も重要なのは……備えつつも、急変の事態にどう素早く対処できるかだ。臨機応変に動けねば、上に立つ者としては足りぬだろう」
言って、狂美帝は足を止めた。
そのまま俺を見上げる。
彼は目もとを少し和らげ、薄い微笑みを浮かべた。
そして、薬指の先を自分のこめかみに添えてみせた。
「この狂美帝を全知全能の神か何かと勘違いしている者も多い。その期待に応え続けることの、なんと困難なことか……そちにも、少しはわかるか?」
「ええ、わかります。とても」
ただ、と俺は続ける。
「たまには”それが困難である”と近しい者へ素直に吐き出すのも、大事かと。あまり、お一人で抱え込まぬことです」
俺が言うことじゃないかもしれないが。
……それに、それは俺もセラスから言われたことがあった。
「案ずるな」
言って、再び歩き出す狂美帝。
「少なくとも二人、余にもそういう理解者はいる」
途中で右へ折れ、俺たちは隣の棚の並びに入った。
セラスたちとちょっとずつ離れてきている。
狂美帝は、また足を止めた。
彼は、左右の胸に垂れる二房の髪を手で梳いた。
首の辺りで紐で結ばれ、束ねられた左右の髪。
二本の尻尾のようにも見える。
狂美帝はその二房の髪を、それぞれ両手で持ち上げた。
さらり――と。
上質な絹めいた金髪が、両のてのひらから滑り落ちる。
さながら、澄んだ流水のように。
「この二房の髪……これを結ぶこの紐は、ルハイトとカイゼが定期的に結び直している……儀式的にな。これは決意の証なのだ、我々の」
この美しき小さな皇帝の理解者。
それはどうやら、二人の兄たちらしい。
「我が一族の悲願……女神ヴィシスの排除――復讐。ヴィシスを討たねば、我が皇帝ミラの一族はこの螺旋から解放されぬ。二代目ドット帝がヴィシスから受けた屈辱……歴代の皇帝たちが跪き、辛酸を舐めさせられ……遠回しに自らやその周囲の者を消され……初代ファルケン帝の抱いた覇権の夢も、いまだ果たされずにいる。ある意味、ゼーラの言は正しい。そう、我々は呪われているとも言えるのだ……”ファルケンドット”という飾帝名……我が名も、その呪いの泉の中に……」
独白めいて、狂美帝はそう呟いた。
瞳には感情が見て取れる。
憂愁。
悲哀。
声にも、しっとりした影のようなものが感じられた。
狂美帝にしては珍しく、感情がはっきり出ているように思える。
”繋いできた呪い”
今の言葉を信じるなら。
狂美帝は、その呪いを断ち切るべくヴィシスを討ちたいのか。
連綿と受け継がれてきた――皇帝一族、すべての呪いを。
……追放帝とかいうヤツはまあ、違ったのかもしれないが。
「つまり二人の兄上も、あなたとその呪いを共にする者……共犯であり、理解者なのですね」
「ああ。本来なら帝位争いの一つくらいあってもよさそうなものだが、ある段階であの二人は降りた。あれらの母も折れた。そして――余に仕える道を選んだ」
気になることがある。
「失礼を承知で、一つお聞きしたいことが」
「なんでも聞くがよい。答えるか否か――感情を動かすか否かは、余が決めるゆえ」
「ルハイト殿が陛下を快く思っていない……そんな噂があるようです。そしてこの噂は秘されたものではなく、それなりに知られているもののようです。この噂、実際のところはどうなのでしょう?」
狂美帝なら、その噂も耳に入れているはずだ。
しかし……。
さっき語った兄二人の話とその噂が、どうにも噛み合ってこない。
「予備だ」
狂美帝はそうひと言、簡潔に答えた。
予備?
謎かけのように、俺へ流し目を送ってくる。
思考を走らせる。
予備。
つまり――保険?
……、……まさか。
「その後のこと……失敗した時のことを考え、その噂を自ら?」
「ふふ、今のひと言で至ったな。理解が早くてよろしい。……ああ、その通りだ。確実ではないが……機能する目も、なくはあるまい?」
少し悪戯めき、わずかに首を傾ける狂美帝。
要するに、こういうことか――
ミラが敗北した場合はルハイトが裏切り、狂美帝を討つ。
”元々ルハイト・ミラは狂美帝に不満があった”
今までは力差や恐怖、あるいは弱みなどの理由で逆らえなかった。
しかし、狂美帝が敗色濃厚となった時……。
好機とみたルハイトが、反乱を起こす。
”内心ルハイトは狂美帝を快く思っていない”
以前からそう噂されているなら――”伏線”は、張られている。
「そうなった時、余は乱心すればよい」
民から信奉される皇帝はそう言って、
「その際、民から憎まれるように振る舞えば振る舞うほど……ルハイトは手のつけられぬ”悪帝”を討った英雄となる。それならば、こたびの戦いが最悪の結果となっても、ミラという国はかろうじて生き延びられるかもしれぬ」
「…………」
ヴィシスに反逆の旗振り役の首を差し出す、って算段か。
……あのヴィシスが、それで許せばいいがな。
「今の話はルハイトもカイゼも承知している。あの兄たちが協力すればそれなりに上手く運ぶであろう……そう、兄上たちなら……」
狂美帝は、微笑んでいる。
すべてを受け入れるみたいに。
けれど、どこか儚げに。
「この戦いが勝利で終わったとしても、その過程で起きたことでミラは他国民から一身に恨まれるかもしれぬ。それが無視できぬ程度まで膨らめば、やはり、余はこの首を差し出す覚悟がある。処刑は、盛大に行えばよい。余のこの首一つでおさまるなら、安いものと思わぬか?」
……ともあれ、この戦い。
狂美帝は相当な覚悟で臨んでいる。
皇帝一族の悲願。
復讐を果たすために。
呪いを――解くために。
しかし、
「勝てば、よろしい」
「?」
「負けた時のことを考えるのも大事かもしれません。ですが、勝てば問題はありますまい。また……」
蠅面越しに狂美帝を見下ろし、
「勝利後の懸念のこともです。首を差し出さずとも、操り切ればよろしい。そう……今のあなたのように。今だって、あなたはたくさんの者たちに”全知全能の神か何かと勘違いさせている”のでしょう? つまり、あなたならそれができる――ワタシは、そう思いますが」
一瞬、狂美帝の表情が固まる。
彼は視線を落とした。
それから、フッ、と淡い笑みを浮かべた。
「まったく……簡単に言ってくれる」
「ワタシなりの激励、と受け取っていただけましたら」
「余が”激励”されるとはな……ふん」
不敬な物言いだったかもしれない。
が、狂美帝が気分を害した様子はなかった。
むしろ、逆に見えた。
「ああ、それから……ルハイトが余に不満を持っている――そんな噂を流す効果は、もう一つある」
「……反皇帝派のあぶり出しですか?」
カリスマに溢れているとはいえ、全員が心酔者ともいくまい。
狂美帝は口端を少し吊り上げると、横目で俺を見つつ、人差し指を立てた。
「そうだ。それによって裏でルハイトを担ごうとする者をあぶり出せる。その者を見定めるには、よい機会であろう?」
なるほど。
そういう狙いもあるのか。
……にしても。
俺は棚の隙間から覗く遠くのセラスを一瞥し、
「陛下は、セラスにもう少し休んだ方がいいとおっしゃってくださいましたが……陛下も、少しお休みになった方がよろしいかと」
「全知全能の神でも、か?」
「失礼を承知で申しますが――所詮、偽物ですゆえ。休息も必要かと」
くすり、と。
狂美帝から笑みが漏れた。
今度は……なんというか、不意に出たくしゃみを隠すみたいな笑いだった。
「確かに余は、偽物だな」
彼は目もとを緩め、
「わかった。できるだけ、そうしよう」
「…………」
人は、疲れていると本音が出やすい。
弱気にもなりやすい。
狂美帝とて人間。
いや……。
案外、誰かに話したかったのかもしれない。
さっきみたいな話を。
……そんな感じがしたので、話させたのもあったが。
ま、立場的に、愚痴や弱音は周囲にこぼしにくいのかもしれない。
たとえそれが、理解者だと話した兄二人であっても。
いや……。
俺だってそうか。
大好きな人たちだからこそ。
叔父さんたちだからこそ――話せないことも、ある。
「身内ではないからこそ、話せることもありましょう」
「……かもしれぬな」
ちなみに今話に出てきたルハイトの噂話の件ですが、ほんのちらっとだけ勇の剣のエピソードの時に出てきていたものですね。




