帝都脱出
◇【セラス・アシュレイン】◇
セラス・アシュレインに、ムニンが問うた。
「トーカさんは西へ向かったと思う?」
新たな白き軍勢が発生した方角。
「いえ……合流地点に向かったと思います。今回の作戦を終えたあとは私たちとの合流を最優先にする……トーカ殿はそうおっしゃっていました。いずれにせよ、一度帝都は出るべきかもしれません」
「わかりました。副長のセラスさんがそう言うなら、従うわ」
「ありがとうございます、ムニン殿」
スレイは第二形態の状態で、館の敷地内に設置された簡易厩舎にいる。
『スレイにMPを9990分注入しておいた。あとMP10分くらい注げばそのまま第三形態になれる』
帝都を出る前、トーカはセラスにそう話した。
第三形態になるために必要な魔素量は多い。
さらに第三形態になったあとの行動による消費量も大きい。
トーカは大量の魔素を練り込み、貯蓄できる。
スレイを第三形態にするためには彼の”MP”が不可欠と言えた。
そこで彼は、そういうやり方であらかじめ魔素を注いでおいたのである。
ただ、第三形態を維持するには魔素の補給も必要となる。
そこはムニンに頼ることになりそうだった。
ムニンは魔素の扱いに優れている。
扱いの苦手なエルフ族のセラスとは比べものにならない。
こういう時、彼女は頼りになる。
セラスは言った。
「では、まずは最初の合流地点へ向かいましょう。トーカ殿がこちらを目指して移動している可能性も考慮せねばなりませんが、私たちがここからいなくなっていた場合、合流地点の方へ追って来てくださるはずです」
出立前のトーカと、セラスはこんなやり取りをしていた。
『このままここにいると危うくなると判断したら、俺が戻ってくるのを待たずに合流地点へ向かえ。仮に入れ違いになっても、俺の方が改めて合流地点へ向かって追う』
『狂美帝や異界の勇者の方たちは……よいのですか?』
『もちろん失うのは痛手だが、俺たちが最も危惧すべきはムニンを失うことだ。ムニンを失ったら、もう禁呪についてはフギに頼るしかなくなる。それは俺も避けたいし、ムニンだって同じなはずだ』
ムニンも命を賭けている。
トーカも。
そして、自分も。
だからこそ。
尊いと感じるからこそ。
絶対に守りたいと思う。
何より、
『おまえもだセラス。セラスを失ったら、俺にとっても失うものが多すぎる』
そう、言われた。
(……私もです、トーカ殿。私もあなたを万が一にも失ったら、きっと、自分の中のすべてが崩れ去ってしまう……そんな確信に似た予感が、今はあります――あるのです)
セラスはカーテンに指を差し入れ、隙間からそっと外の様子をうかがう。
「今、この辺りはひと気が引いています……元より人の多い区画ではありませんでしたが、この近辺にいた者たちは避難したようです」
第三形態のスレイで脱出すれば目立つ。
ただ、今の城の状況なら脱出は可能な気もする
脱出経路は事前にいくつか候補を挙げていた。
今いる場所は要人級を迎え入れる区画だ。
逃走用の隠し通路がいくつかある。
驚くことに、馬車で逃げ出せる隠し通路まで存在している。
「平時ならともかく、この混乱ならどさくさに紛れて突破できるかと――、……ッ!」
「? セラスさん? どうしたの?」
セラスは、唇を軽く噛んだ。
「……ホークさんが、捕らわれています」
「えっ!?」
男が一人、石畳の上を歩いていた。
ホークが後ろの襟首を掴まれ、ずるずると引きずられている。
怪我をしているようだ。
意識があるようには見えない。
引きずっている方の男の風貌に、見覚えはなかった。
……いや。
「まさ、か――」
(あの体格に、顔つき……あの男はまさか、トーカ殿のおっしゃっていた――)
「異界の、勇者……?」
セラスが自らの目で見たことのない勇者もまだまだいる。
しかし、トーカから顔つきや体格の特徴は教えてもらっている。
たとえば、タカオ姉妹。
タクト・キリハラ。
そして、
「ショウ、ゴ……オヤマダ?」
特徴は一致している。
彼が”オヤマダ”なのだろうか?
そのオヤマダらしき男が、不特定多数に呼びかけるみたいに、声を上げた。
「禁字族の方は、本当にここにいらっしゃるのですか!?」
「!」
彼は、ここにムニンがいると掴んでいる。
「人質の連鎖! 思いやりは真実を吐き出させますね! 母上の言う通りでした! 肉体的苦痛もいい! 相手に”真実を吐かないとこいつはいくところまでいく”と相手に思わせるのがミソです! 狂美帝に忠誠を誓っていようとも、人間は弱い生き物ですからね! この男くらいでしたよ、決して重要な情報を口にしなかったのは! ですが母上は言いました! こういう口の堅い者は人質として価値の高いことが多い、と! さすがは母上ぇ!」
拷問まがいの尋問をつなげて――ここまで、辿り着いたのか。
それにしても、とセラスは引っかかりを覚えた。
「……母上?」
「そしてまさに、ワタクシが今手にしているこの男はなかなか重要なポジションにいる者らしいのです! 侍従に吐かせたところによると、禁字族の世話係みたいなことをしているとか! さあ、禁字族殿! 姿を現さねば、この男を痛めつけてから容赦なく殺します! 指を一本ずつ落としていくのがいいですかね!? あ、耳を引きちぎってからの方がよろしいでしょうか!? ひどいと思うなら出てきてください! 禁字族の方! 聞こえていてください! どうか、どうか! 母上最高!」
その呼びかけの声を聞いてか、剣を手にした騎士らしき男が姿を現した。
「!? ホーク殿! くっ、貴様……何者だ!?」
「ワタクシ!? 異界の勇者で、ございます!」
「なっ!?」
「女神ヴィシスの唯一なる息子――ショウゴ・オヤマダでございますよ! あなたには人質の価値がございますか!? なさそうですので――【赤の拳弾】ぉお!」
「ぐぎゃっ!?」
オヤマダの拳から赤いかたまりが放たれた。
そのかたまりを受けた騎士が、吹き飛んでいく。
砕け散った鎧の破片が噴き出た血を浴びながら、床上に転がった。
見れば、彼の近くにあった建物の柵――
それも赤いかたまりの被害を受け、柵の上部が砕け飛んでいる。
高い破壊力。
矢のような速度。
あれには、注意しなくてはならない。
そして――――
「……っ、やはり彼は、トーカ殿の……ッ」
「どうしましょうセラスさんっ……ホークさんがッ」
セラスは逡巡した。
ホークは悪い人間ではない。
ミラへ来たあと、自分たちに細やかな気遣いを見せてくれた。
狂美帝に命じられてなのはわかっているが、
「いざという時の脱出経路を教えてくれたのも、彼でした。私たちの脱出案を知らないはずですが、身の危険を感じたら脱出も考えておいてほしい、と言ってくれました」
見捨てるのか、ここで。
「禁字族!? 出てきませんか!? はいでは――い、っぽぉおおん!」
「ぐ、ぁ……ッ!?」
苦鳴。
オヤマダが、ホークの指を一本斬り落とした。
ホークの声には憔悴がうかがえた。
負傷は重く、かなり衰弱しているらしい。
合理で考えれば……。
自分たちは誘いに乗らず、スレイで逃げるべきである。
幸い簡易厩舎はオヤマダのいる場所と正反対の館の裏手にある。
このまま裏手に回ってスレイに乗り脱出すれば、逃げ切れるかもしれない。
「……………………善意には、善意で」
セラスはふと、復唱めいて呟いた。
ここで見捨てるのが、正しいのか。
”おまえの判断に任せる”
あの人は自分に判断を任せた。
(私、は――)
ショウゴ・オヤマダ。
A級勇者。
あのトモヒロ・ヤスと同じ等級。
勇者の中では上位の強さを持つのだろう。
といっても、S級より脅威度は低いはず――
これはトーカの分析である。
また、トーカの話を聞くにかなり感情的な男性のようだ。
冷静さを失わせられれば、隙をつけるかもしれない。
(たとえば私が”セラス・アシュレイン”であることが、何か隙をつく突破口になるなら……)
と、そこでムニンが真剣な調子で言った。
「セラスさん、私は――」
「ムニン殿、私はホーク殿の救出に向かいます」
「!」
「彼は狂美帝の有能な側近でもあります。助ける意味はあるかと」
「え、ええ……では、わたしも一緒に――」
「いえ、行くのは私一人です」
「! そ、それはだめよセラスさん……ッ! それはっ――」
「申し訳ありません。あなただけは危険に晒すわけにいかないのです。それが、あの人との約束ですから」
「いいえ、それを言ったらあなたの身の安全だって――」
セラスは――微笑みを、湛えた。
ある種のやるせなさを、明確に込めた笑み。
「ムニン殿のお心遣いはありがたいですが……今は、議論している余地がなさそうです」
「……セラス、さん」
窓の外へ再び視線をやり、
「では、こうしましょう。ムニン殿は鴉の姿となり、二階の部屋の窓辺からいつでも脱出できる状態にしておいてください。それと……二階へ向かう前に、裏手側の簡易厩舎にいるスレイ殿を第三形態にしておいていただけると助かります。私の方はホーク殿を救出したのち、彼を連れてスレイ殿とここを脱出します。あなたも機を見て脱出し、上空から私たちを見つけて合流してください」
強く握ったこぶしを胸にやるムニン。
ぐっ、と堪える顔をしている。
「……そう、ね。わたしは戦力としてはむしろあなたの力を削いでしまう。あなたが集中して戦うのに、わたしはいない方がいいわね」
拗ねや自虐ではない。
彼女の的確な現状分析から出た言葉。
ムニンの本領は無効化の禁呪である。
近接戦の心得は多少あるし、セラスも道中軽く訓練を行った。
だが相手が上級勇者となると、戦力としては逆効果になりかねない。
ムニンもそれを理解してくれている。
彼女が自分自身を冷徹に見られる女性である点は、感謝だった。
「ムニン殿……汲んでいただき、ありがとうございます。そして、ムニン殿の口からそれを言わせてしまい申し訳ありません」
「ふふ、いいのよ。こういうやりとりで必要以上に時間を消費するのはトーカさんも本意ではないはず。あるいは……ホークさんをここで見捨てることも、ね? それにあなたが言うように、ホークさんをここで助けるのは、後々わたしたちの得にもなるはずだわ。あなたの作戦でいきましょう、セラスさん」
その時、
「もう、いっぽーん! ペナルティとしてぇ……ぶん殴りも追加しましょう、そうしましょう! 母上に見せたい! 是非に!」
「ぐ、ぁ――ぁ!? ……がふっ!? ご、ふ……」
「――――ッ! 時間がないわ、セラスさん! このままでは、ホークさんがっ」
セラスは鋭く応えた。
「はい」
二人は準備を手早く整え、廊下へ出た。
表口。
裏手側。
真逆の方向。
二手に別れる直前、セラスは最後に言った。
「もし私が失敗した場合は、ムニン殿お一人で合流地点へ」
「セラスさん、それは――」
「私の望みはトーカ殿の目的を果たして差し上げることです。つまり、あなたを失えば私の望みも叶わないのです。そしてあなたの悲願も潰えてしまいます。ですからどうか、お願いします」
そんな風に言うのはずるいわ、と。
ムニンは表情で語った。
けれど、飲み込んでくれた。
「だったら約束してくださいセラスさん……絶対に、成功させるって」
「――お約束します」
ここで一度、互いに微笑みを交わした。
直後、すぐさま二人は別々の方向へ足を踏み出す。
発光が外へ漏れぬ場所で――急ぎ、セラスは精式霊装を展開。
精神を研ぎ澄まし、颯爽と表口の方角へ向かった。
廊下――オヤマダの視界に入らぬ位置の窓。
そこからするりと外へ滑り出る。
セラスは建物の壁を背に移動し、様子をうかがう。
(視界に入らず近づけるのはおそらくここまで……距離は、20ラータルほど……)
トーカの麻痺スキルなら射程圏内。
自分にもあの力があればと思う。
外は、雨が降っている。
風精霊に頼らずとも足音をかき消してくれるのは、むしろ幸いか。
「あれぇ!? もう逃げたあとなのでしょうか!? あーくそぉ! くそくそくそぉおお! 禁字族、出てきません! 出てこない! あぁ神よ! 母上! ワタクシはどうしたらいいんですかぁああ!?」
ホークはぐったりしていた。
オヤマダに襟首を捕まれたまま、力なく項垂れている。
気力も尽きたのか、動く気配もない。
幼子がいやいやでもするみたいに、身体を左右に激しく揺するオヤマダ。
「あぁああ! このままじゃ母上に面目が立たないーっ! あぁああああ゛やだやだ! やだぁ! や――」
ガリッ!
「――、……痛、っ」
「?」
オヤマダのすぐ傍の横手。
先ほど騎士を吹き飛ばした際、半壊した柵つきの塀がある。
半壊したことで柵が変形し、尖った柵が鋭く突き出ていた。
今、彼は左右に振り回していた左手の甲を、その先端で引っ掻いたのである。
「――――あ――――」
再び、オヤマダの様子に違和感を覚えるセラス。
それはまるで、落雷にでも打たれたかのような表情で。
オヤマダは目と口をぽかんと開き、口に手をやっている。
何か、そう……。
今、衝撃的な事実にでも気づいたみたいに。
「……ぁ、あぁ……そう、か。く……ふはっ! おれ……あの女神に洗脳されて、こんなとこまで? あー覚えてるわー……これ、すっげ。洗脳されてた時の記憶も……全部、あるわ。すげぇ体験じゃねこれ? おれなのに、おれじゃなかった感じ……あーはいはい。禁字族ね! 手に入れりゃあ、あの洗脳女神のデカパイに飛び込んでよしよししてもらえるわけ!? おれのマザコン化ウケる! ぎゃはは! てか女神のカラダ柔らけー! あーどうすっかなーっ! このまま洗脳されたフリ続けて成り上がるかぁ!? こっちの世界でよ!? おれも”遺跡潜り”のおかげで、強くなっちまったしなぁ!?」
(遺跡、潜り……? 洗脳?)
あの様子。
解けた――と、解釈すべきか。
おそらくは、女神が彼に施していた洗脳が。
解けたきっかけはやはり、先ほどの突起の引っ掻きで走った痛みか。
「あー綾香とかに今の強くなったおれを見せつけてぇ! つーかやばくね!? 拓斗のやつ、裏切ったってマジか!? 高雄ズも反逆!? ウケるわ! 何裏切ってんだよあいつら!? 高雄ズに至っては失敗してるし! ぎゃはは! ていうか拓斗、大魔帝側についたとかやばくね!? どーなんだこの異世界ファンタジー物語は!? あ!? もー無茶苦茶じゃん! ぎゃーもうめんどくせーっ! もうおれ、こっちで好きに生きてーわ! 女神ん下で権力とか握って、上級扱いでおいしい思いして生きていきてーっ! あ、そうだ! もうあっちに戻るとか考えねぇで女神に媚びときゃ……この世界でおれ、けっこう上いけんじゃね!? こっちなら元いた世界より上の階級狙えんじゃね!? 拓斗から、女神に乗り換えっかなーっ!?」
「…………」
隙が、ある。
今なら――やれるの、だろうか?
近づいて。
一撃で。
セラスは慎重に、オヤマダの背後へ回り込もうと――
「あー……もう、こいつはいっか……禁字族いねーっぽいし……始末しちまおーっと! 邪魔くせーし!」
「!」
「てか、ここ帝都とか言われても知らねぇし! あとは追放じいさんがやってくれるっしょ! あーそういや剣虎団にちょっとイイ女何人かいたなー。隙ついて叩き潰せば……あいつら喰えっかな? あのさっみー馴れ合い傭兵団の女どもね! つーか、異世界でイイ女飼って暮らしてーっ! お願いボクちんの夢を叶えてー女神サマーっ! ぎゃはははっ! ……あー、こいつそこそこ重要キャラっぽいから……こいつ殺したのお土産にして、女神んとこ戻っか。んじゃ、さいなら――」
「ま――待ちなさい!」
もう少し近づきたかった、が。
「あ?」
「その人を……解放、しなさい」
「……あぁ? ええっと……あれ? ――あ! おま、え……」
セラスを凝視したまま、ぽんっ、とホークの頭上を叩くオヤマダ。
「マジで、セラス・アシュレインじゃね?」




