死にやがった
「あっちに小さめな食堂があるんで、雑談すんのに向いてますよ。アタシたちも元の世界の学食に雰囲気似てて居心地いいんで、よく使うんすけど……一部の城の人からは煙たがられてるなりー。まーアタシらで占拠気味になる時もあるんでー、仕方ない」
あのあと浅葱は食事がてらの雑談を持ちかけてきた。
今、俺は浅葱の後ろを歩いている。
これは向こうから自然な形で好機がきたとも言える。
俺から誘ったのではなく、浅葱から誘ってきた。
会話をする取っ掛かりとしては不自然さが消える。
浅葱の考えは俺も探りたかった。
可能なら奥の手――固有スキルの正体も。
何より。
俺の正体にこいつらが気づいているかどうか。
会話を交わすのは正体を隠す上でリスクがある。
が、そのリスクを飲み込んででも探りを入れておきたい。
これは――俺の演技力が上回るか。
戦場浅葱が一枚、上手か。
そんな勝負とも言える。
とはいえ正体バレについての本命はやはり鹿島だろう。
今回は別の部分に探りを入れたい。
浅葱は食堂に入るなり、慣れた調子で料理番に軽食を頼んだ。
次いでトノア水の入った木製の杯を手にすると、食堂の隅をあごで示す。
「隅っこ、いきまひょか」
隅の席に行き、俺たちは対面に座った。
座るなり、
「ささ、まずは一杯」
手で促す浅葱。
「ああ、先に言っておくべきでしたね――」
「飲まんですか」
「申し訳ありませんが」
俺の前の卓上に置かれたトノア水。
飲むのにマスクを外すか否かを試してきたようだ。
「正体を隠すのも大変ですなぁ。暑くないので?」
「見た目より通気性はよいのですよ」
「女神様、嫌いなんだ?」
……いきなりぶっ込んできたな。
「好ましいとは、言えませんね」
「蠅王ちんの身内を預かる最果ての国を攻めたから?」
「まあ、そうなります。あれこれ聞くに、あまり褒められた素行の神でもなさそうですし……そうおっしゃるあなたは、どうなのです?」
「トノア水うめーっ! 元の世界で売りてぇーっ! ん? アタシ?」
「異界の勇者とのことですが、何か理由があって女神の敵側に?」
「んー、女神様は大魔帝倒したらアタシらを元の世界に戻すっつってんですけどね? 浅葱さんにはどうも、女神様が普通にその約束を守るようには思えんのですよ」
「そう思ったのは、確証に至る何かがあって?」
「うんにゃ、ねぇっす。そうねぇ……人間観察の結果的な? ま、相手は人間じゃなくて神族なんじゃが」
「確証がないとおっしゃるわりに、自信がありそうに聞こえます」
「あるよ?」
浅葱は、言い切った。
さらに、
「神様っつってもさ、感情とか行動の指向性はうちらと一緒に見えるんだ」
「ふむ」
「こっちの世界の神様ってのは、ほら、ギリシャ神話とかの神様に近いんでねーかな? 神様なのに感情の動きが、いやに人間っぽいとことか。嫉妬したりとかねー」
「”ぎりしゃ神話”とは、あなたの世界の神話なのですね?」
「おっと……アタシらの世界のことは、グルメ系や名前系以外はあんま知らん方がいいらしーっすよ? こっちの世界の人が知りすぎると、災いが降りかかるって」
俺は肩を竦めた。
「ですね。深掘りは、やめておきましょう」
その件は、エリカやセラスから聞いてはいた。
こちらの住人を演じるなら、こう答えるしかあるまい。
「――話を戻しますと、あなたはこれまでの人間観察の経験から、女神も人間的な性向を持っていると判断した。そしてその結果、信用ならないとの結論に至った」
「かもしれないですにゃー。まーあなたが真実と考えるものが”真実”ですから。大抵の人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かないし、信じたいものしか信じませんので。時に事実すら蚊帳の外にするのが人という生き物にござる。ゆえにあなたもお好きな”真実”を信じるとよろしい。ほい、もちろん誰かからの受け売りです、っと」
と、軽食が浅葱の前に置かれた。
炙った小ぶりの骨付き肉。
香草が添えられている。
同じ皿の上には潰したポテト。
緑色のソースが細くかかっている。
皿の上には他に、切った果物がいくつか。
……にしても。
小難しい微妙な屁理屈を並べられたが。
浅葱は結局、結論をぼかした形になる。
そう。
まるで”真偽判定”を、避けるみたいに。
「ともあれあなたは異界の勇者でありながら、女神との敵対を選んだ」
果物を飲み込んだ浅葱が、骨付き肉を一つ差し出してきた。
「食います? やっぱマスク外すの嫌っすか? 蠅王さんの正体は何者?」
「元アシントです」
食い気味の質問。
俺の正体を知ってる上での質問、って感じはない。
ひとまず……。
浅葱は俺の正体にはまだ気づいていない、と見ていいだろう。
「じゃ、呪術って何? 術式とか詠唱呪文とかアタシらのスキルと、何が違うんすか?」
「呪神の力を借りた魔術とでも言いましょうか。分類としては、エルフの使う精霊術式に近いものなのかもしれません」
「呪術って、アタシにも使えるんすか?」
「いえ、呪術とは呪神に見初められて生来備わるものだそうです」
「つまり生まれながらに持ってる魔法みたいな?」
「はい」
「……ほんとーにぃ?」
「ワタシも、そう伝え聞いただけですので」
「シビト・ガートランド」
…………。
「強かったですよ、彼は」
「マジに人類最強でした?」
「おそらくは」
「でも、蠅王さんは勝った」
「ええ、幸運によって」
「運がよかっただけ?」
「最後の最後で勝敗をわける要素は、やはり運かと」
あの戦いは、賭けでもあった。
勝率は限りなく上げたつもりだ。
が、絶対に勝てる保証はなかった。
ふーん、と。
浅葱は親指についた肉の脂を舐め取り、
「蠅王さんは決して自信家ではない。けど、卑屈な謙遜家とまではいかないですなー。冷静に、事実のみを見ている」
「人間分析がお好きなのですか?」
「それなりに。ただし、少しでも興味を持った相手じゃないと浅葱さんはやる気が起きない。まるで起きない」
「ふむ……では、たとえば狂美帝に興味は? 持ったのなら、人物評を聞いてみたいものですね」
これは普通に、聞いてみたいところだ。
浅葱は親指を服の袖で拭きつつ、
「ツィーネちんはあれだ……能動的な人たらしかねぇ。冷徹だけど、身内への目配りはしっかりやれる。理想と現実の狭間で奇跡的に上手くやってる……そう、すっげぇ曲芸的な綱渡りをやってる人って感じ。で、超美形っすな。何あの耽美世界の住人。元の世界に連れてって、コスプレさせようぜぃ」
……なるほど。
後半はともかく。
前半部分は俺が抱いた印象にかなり近い。
いや――言語化は俺より、浅葱の方が上手いか。
「彼は女神より信用に足る、と?」
「うーむむ……浅葱さんの口からはなんとも。ま、味方してるってことはそうなんじゃない?」
はぐらかしがつくづく巧みだ。
意図的に断言を避けている。
「いずれにせよあなたは彼の信用を得て、例の奥の手と呼ばれた力を用い――女神を引きずり降ろそうとしている」
ポテトをフォークの裏でさらに潰しながら、
「アタシの奥の手を知りたいようだねぃ?」
「興味はありますね。あなたがワタシの呪術の正体に、興味を持ったように」
「にゃるほど、ギブアンドテイクと言いたいわけでしゅか――ま、いいでしょう」
フォークの隙間から、にゅる、とポテトが飛び出した。
「固有スキルってやつ」
あっさり答えた。
……やはりそれしかない、か。
「それは……異界の勇者が持つ特殊な能力の中でも、さらに特別な能力のことですね?」
「考えようによっちゃ、むっちゃ強い。多分、効けば女神ちんすら倒せる……アタシの固有スキルの能力を知ってからミラでの待遇も上がったくらいだ。つまりS級勇者の説得役から筆頭戦力へ格上げになったのよ。期待の星じゃ。ただにゃあ……どうもあの【女神の解呪】ってのが、浅葱さんは気がかりでありんす」
「狂美帝もおっしゃっていましたね。あなたの奥の手の確実性を上げるために、封印部屋の秘密が必要かもしれない、と」
フォークの端を持ち、手もとでピコピコ上下に振る浅葱。
「つってもアタシの固有スキルが状態異常系統なのかっつーと……実は、何気に違うと思うんだよねぇ」
その時だった。
「……ん?」
浅葱が視線を横に逸らし、片眉を上げた。
まるで、何かの気づきを得たみたいに。
「女神様は、三森君が廃棄される直前……そう、彼がやけくそ気味に状態異常スキルを使った時だ。確か、こう言った……あの女神バリアが”状態異常系統を無効化する”って。そして他の系統についちゃそれ以降、何も言及していない。攻撃系は効くっぽいし……つまり、他系統の自動バリアはやっぱないっぽいのか? てことは案外……ずっと昔は状態異常系統の力が猛威をふるってた、とか? ネトゲなんかで、強すぎた新職に運営側が極端なナーフをかますみたいに……あえて使えないもんにされた、とか? 要は”使えすぎる枠”から……外された? そうだね……でないと”クソ弱設定の状態異常系統を無効化するバリア”なんてのが、わざわざ女神に標準装備されてるのに説明がつかない……気が、する」
「…………」
勇者のスキルは五つの系統に分かれる。
固有スキルも、変質こそ著しいが元を辿ればいずれかの派生なのだとか。
これは召喚直後にも、女神から説明を受けている。
【攻撃系】
【防御系】
【治癒系】
【能力強化系】
【状態異常系】
攻撃系は効くらしい、と浅葱は今ほど言った。
防御系なら”女神を倒せる”という表現にはなるまい。
治癒系も同じ。
で、状態異常系とも違う気がすると言っている。
つまり浅葱の固有スキルは……能力強化系と、推察できる。
強化系統にはいわゆるデバフ系――弱化も含まれるのだろうか?
”神をも引きずり降ろす力”
「…………」
特殊な弱化能力、か?
……にしても、さっきの浅葱の話。
独り言めいてはいたが。
口にした洞察は面白い気がした。
役立たずとされる状態異常系統の力。
けれど女神はそれに対抗するバリアを”わざわざ”持っている。
対状態異常のみに特化――限定した神の防御機能、か。
「…………」
ま、つっても現状はどのみち禁呪なしじゃ効かないわけで。
その事実は変わらない。
ここでさっきの浅葱の洞察を深掘りしてもあまり意味はあるまい。
……奥の手についての探りは、こんなとこか。
話題を転じる。
「ところで、イクサバ殿」
「あー……できれば呼び方はアサギ殿でいいっすか? 苗字呼び、嫌いなんで」
「失礼しました。では、アサギ殿……この前の交渉時、隣に具合の悪そうな少女がいましたね」
「バトちん?」
「?」
「名前がコバト・カシマ。だからバトちん。またの名を、ポッポちゃん」
「彼女も、勇者なのですか?」
「そっすよ」
ここで俺が鹿島に固執する感じは、避ける。
「他にも勇者の仲間が?」
「五本指以上の人数は」
「皆、女神を裏切るのに納得を? いえ……させたのでしょうね。アサギ殿は説得が得意そうですから」
「やることねーからね」
「?」
ギシッ……
後頭部を左右の腕で抱えるようにし、背もたれに寄りかかる浅葱。
「自らにミッションを課し……それを達成できるように、最善と思う”操り”を行っていく。リアルでやる操りほど面白いことはないよ。たとえば操りだけで自殺まで追い込めれば……自らの手を汚さず――間接的な人殺しだって、できる」
まるで。
過去にそれを、してきたかのような。
そんな物言いにも、聞こえる。
ぺろ、と。
浅葱は、舌を出した――真顔で。
「アタシの実の父親ね? 自殺させ――、……しちゃったんすよー」
あえてか、否か。
途中で、浅葱は言い直した。
「お気の毒に」
「死にやがった」
……パチ、パチ、パチ……
舌をちびっと出しつつ、乾いた拍手をする真顔の浅葱。
にこっ、と。
その目だけが、不気味な弧を描いた。
「おかげでママは守られました。めでたし、めでたし……くかかか。あいつマジに――自分から、死にやがった」
浅葱の家庭事情など、俺は知らない。
が、おおよそ察しがついた気もした。
こいつを、
”俺と似てる気がする”
そう思った理由も、わかった気がした。
端々のニュアンスから察せられる。
おまえも――クソ親だったか。
俺と違って、母親は味方側だったようだが。
……その境遇への共感はなくはない。
しかし。
だからどうした、とも言える。
今の状況ではあまり意味のない情報だ。
浅葱は目を瞑ると、指で眉根を揉んだ。
「……むー、むむむ? なぜにアタシは突然こんなサイコな身の上話を? まー……今のはほら、同情を引くためのかまってちゃんな即興創作ってことで。そう、浅葱さん実は虚言癖持ちなんすよ。あーえっと……まあこっちの勇者はみんな納得してくれましたんで。最後は他の勇者たちも合流して、丸く収まればいいなぁ……と! ぬふふ。さっきの浅葱さん、怖かった? でも、呪い殺さないでくり~」
と、
「ベルゼギア殿――、……と、アサギ殿もおられましたか」
食堂に入るなり俺たちの姿を認めたのは、ホーク。
俺を呼びに来た、って感じだが――
「ワタシに何か?」
「陛下がお呼びです――、……ッ! へ、陛下っ!?」
「歓談中、失礼する」
この城の規模で言えば決して大きくはない食堂。
そこへ優雅な足取りで入ってきたのは、狂美帝だった。




