道の標
先日、書籍版1巻にまた重版がかかったとのご連絡をいただきました。さらにコミック版1、2、3、4巻も重版とのことです。ご購入くださった皆さま、ありがとうございました。
しかし……提示のタイミングも含め、提示する情報の適切な取捨選択は難しいものですね……毎度、最適解を探るのに苦労しております(汗
「そういうもの、でございますか」
「人や状況によるだろうし……あくまで”俺はそう判断した”ってだけだ」
「しかし今回、あなたはこれが適切と判断したのですね?」
「あいつと俺の関係性の中にある、細かな感情の機微ってのがあると思う。それはきっと、あいつと俺にしかわかんねぇ微妙な感情なんだろうけどな」
「なる、ほど……」
「もちろん女が繊細じゃないってわけじゃないが――男ってのは、きっとセラスが思う以上に繊細なヤツが多い」
だから。
必要以上に自分を守ろうとして、無闇に攻撃的になったり。
立ち位置ばかり気にしてるうちに、ドツボに嵌まっていったり。
挙げ句――出口のない独り相撲的な思考に、陥ったり。
「今の安は……悪くない方向に変わろうとしてる気もする。そっちに変わるなら、それでいいだろ。もちろん……あいつの今後についての話を受け入れたのは、俺にも得があるからだが」
安智弘には自由を与える。
つまり――解放。
安自身にはまだ伝えていないが、そう決めた。
仲間に引き入れるのはむしろリスクが高い。
俺はそう踏んだ。
第一に、正体がバレる危険性を排除し切れない。
元クラスメイトが”仲間”となると、正体が露見する危険は一気に増す。
俺を”三森灯河”と認識していないまま――解放する。
現状はこれが最善手に思えた。
始末はしない。
そして今の安は、もう女神側ではない。
まあ、十河側につく可能性は残るが――
「たとえば安が十河たちと合流できたあと、謝罪も、和解も成功し……そこで安を助けたのが”蠅王”だと十河に伝われば、だ」
あ、とセラスの顔に理解が走る。
「そうだ。俺たちがこの先十河と敵対することになっても、かなり十河はやりにくくなるはず。十中八九、今回の安の件は十河の”足かせ”となる」
俺は”女神に殺されかけたクラスメイト”を救った恩人となる。
「お聞きしていたソゴウ殿の人物像ですと、確かに……」
「しかもだ。安本人の口から十河が真実を知れば、クソ女神への心証も一気に悪い方へ傾く。ヴィシスは自分の手駒である第六騎兵隊に安を――クラスメイトを始末するよう命じてたんだからな」
セラスが、あっ、とまた何かに思い至る。
「そう、お察しの通りだ。狂美帝の言ってた”S級勇者をこちらへ引き込む”って方針にも、いくらか現実味が出てくる」
「確、かに」
とはいえ、あくまでそれは”そうなったらいいな”くらいに留める。
S級勇者を引き込む策を安頼みにするのは危うい。
軸はやはり浅葱グループにすべきだろう。
いざとなれば――俺も、いよいよ正体を明かす時となるかもしれない。
「ま……安がまだ精神的に不安定で不確定要素が多すぎるってのも、解放する理由の一つだがな」
言ってしまえば――余裕がない。
安智弘に割く、リソースがないのだ。
「この復讐の旅も決着が見えてきてる……逆に言えば、これからさらに余裕がなくなってくるとも言える」
これが異世界を楽しく巡るみたいな旅ならいい。
行く先々で誰かを救うのが目的の旅ならいい。
が、これは復讐の旅。
しかもおそらく佳境は――近い。
ここからのんびり安のケアをしている余裕は、ない。
「要は、あいつを管理し切れる自信がないのさ。それこそ”俺”だと知られないようにするには、膨大なごまかしや演技が必要となる。仲間――つまり傍に置くとなると、な」
安はA級勇者。
能力も先ほど聞いた。
きっと戦力にはなる。
だがそれ以上に、俺は安智弘を完全に見極め切れていない。
確実にいい方に変われるのかどうかもわからない。
だから正体をバラすのも今はまだリスクとしか思えない。
正体を隠しながらの共闘は現状、不確定要素に満ちている。
「何より安自身も、十河のとこに一度戻りたがってる。聞いた通りこの世界も少し見て回りたいそうだ。が、さっき言った通り今の俺にはそれに付き合う余裕がない」
「――となると解放が最善、となるのですね」
「だと思う」
俺は、顔だけで背後を振り返った。
「突き放すように聞こえるかもしれないが……あいつはあいつで、自分の行く先を見つけるしかない。俺にできるのは、ここまでだ」
クソ女神に殺されかけている以上。
今後、敵に回ることもあるまい。
捕まったら捕まったらで、安は俺の正体を知らない。
問題はない。
ただ、
「安が生存してても、クソ女神がそれほど気にするとは思えないが……一応”ここを出たあとは素性を隠すべきだ”くらいのことは、あとで忠告しとくさ」
一緒に背後へ身体を向けていたセラスが、
「しかし正直言いますと……想像がつきません。以前あなたからお聞きした彼と今の彼では……違う人間としか思えません。彼の言葉はすべて本心でしたが……本心を明かし、敵対意思がないのを私たちに示してなお、彼は自ら拘束の継続を望みました。その方があなたやこの国の者たちに不安を与えないで済むだろうから、と」
それは、とセラスは続ける。
「とても客観的で、他者を思いやれる者の口から出る言葉です」
「元々は……ああいう素直なヤツだったんじゃねぇかな」
いつ頃からか――ボタンを掛け違えて。
絶え間なく流れ込んでくる情報に惑わされて。
気づけば情報洪水の波に、飲み込まれていて。
真偽不明なネットの膨大な情報を浴びて混乱し、情報に振り回され続けた結果が――少し前までの、安智弘だったのかもしれない。
「ま……いわばあいつも――」
自分の部屋のドアノブに手をかけ、
「今までずっと何かの状態異常にかかってた、とも言えるのかもしれない」
……上手いこと言ったつもりか、俺は。
上手くねーよ、ったく。
なのにセラスはセラスで、
”さすがです、よくご理解していらっしゃるのですね”
みたいな顔をしているし……。
ともかく――安智弘の処遇については固まった。
あいつはあいつの道を行き。
俺は、俺の道を行く。
▽
俺たちは俺たちでそのまま、出立の準備に入った。
準備の合間にちょこちょこ合議にも顔を出して、今後の指針を固めたり。
ムニンがお手製の自分用の蠅騎士のマスクを作っていたり。
ちなみにマスクは、ニャキの分も作ってあげたようだ。
二人が出来上がったそれぞれのマスクを被り、俺とセラスにお披露目しに来たりもした。
ニャキと言えば、
『ニャキも強くなりたいのですニャ!』
といきなり奮起。
その件で四戦煌に相談へ行くのに、俺がついて行ったりもした。
他には、セラスと一緒に風呂に入りながら今後の方針を話し合ったり。
無断でそこへ、アーミアとキィルが入ってきたり。
夜、改めて禁字族の集落を訪ねたり。
七煌たちと食事をし、色々話し合ったり。
この時、もう一人のラディスという神獣のことも話し合った。
騒がしい捕虜だがあれはミラへ渡すわけにいかない。
”ラディスはこちらで管理したい”
狂美帝はすでに、その条件も呑んでいる。
”最果ての国とこうして国交を持った以上、神獣を無理に手に入れる必要はなくなった”
とのこと。
食事後は、グラトラとも腰を落ち着けて話す時間を作れたりもした。
さらにはその夜、リィゼの部屋に呼ばれ、また料理を振る舞われたりもした。
そんな中。
俺たちに先んじて出立することになったのが――安智弘。
その日、俺たちは安を見送るため扉の前まで来ていた。
安も今は歩けるようになっており、血色もよくなっていた。
失った耳を隠す耳当てや、握力を失った片手。
剥がれた爪の部分を保護する手袋や、包帯など……。
よく見れば所々に痛々しさの爪痕が残っている。
が、今は普通に動けるくらいには回復していた。
この辺は勇者のステータス補正の力もありそうか。
安は背負い袋を担いでいた。
中には野宿に必要なものを筆頭に色々詰めてある。
路銀もそれなりに渡した。
アライオンに辿り着くくらいまでは十分もつだろう。
戦闘面での危険は――大丈夫なはず。
第六にはいいようにやられた。
が、安は腐っても固有スキル持ちのA級勇者。
そこいらの金眼や野盗程度くらいなら、油断しなければ容易に打ち払えるはず。
俺とセラス以外には、安の面倒をみていた亜人たちも来ていた。
安を見つけた竜人やケンタウロスたち。
扉を開ける役として、ニャキも来ている。
安が足を揃え、頭を下げた。
「お世話になりました。本当に、何から何まで」
俺は安の前まで行き、
「これを」
細い紐に通した紋章入りのペンダントを、安の手に握らせる。
視線を上げる安。
「あの……これは?」
「これを持つ者は最果ての国の客人ですので、見逃してもらいたい――ミラ帝国側に、そう伝えてあります。ミラの領内で通達の行き届いている地域であれば、無用な面倒ごとは避けられるかと。南の戦場を避けて西へ行くのであれば、有用でしょう」
「ありがとうございます。この恩を、どうお返しすればいいか……」
「今はどうかお気になさらないでください。ところで、最初の行き先は考えてあるのですか?」
「いえ……まだ、具体的には。ただ……南回りでアライオンを目指すと、おっしゃる通り戦火に巻き込まれるかもしれません。今、アライオンとミラの軍がちょうどやり合っているでしょうから。ですので北回りで、ミラ、ヨナト、マグナルと巡って、この世界の人たちをこの目で見てみるのもいいかな、と……」
「ここからはもう、あなたの自由です。よき旅になることと、そして、あなたがおっしゃっていた勇者殿たちと合流し、よき未来となることを……心より、祈っております」
「ありがとうございます……ベルゼギアさんにも、よい未来が訪れることを」
次に、安はセラスに礼を言った。
続いてニャキにも礼を述べる。
そして最後に安は――ここにいる間面倒を見てくれた竜人やケンタウロスたちに、特に強く感謝の念を述べた。
「元気になられて本当によかったです、トモヒロさん。どうか道中、お気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。皆さんもどうか、お元気で。受けたご恩は一生忘れません。そして僕も……遅いかも知れないけど、誰かに感謝してもらえる人間になれるよう……できる限り、がんばってみたいと思います」
「はい……そうなれることを、わたしたちも心から祈っております」
安は一度俺を見てから、
「それじゃあ、お願いします」
ニャキに、頭を下げた。
こちらをうかがうニャキに、俺は頷きを返す。
やがて――外へと繋がる扉が、開いた。
「それじゃあ皆さん……改めて、お世話になりました。また、いつの日か……自分が心から誇れる自分になれた時に……再び、皆さんにお礼を言えたらと思います。最後に……本当に、本当に、ありがとうございました」
安智弘はこうして、最果ての国から旅立った。
▽
この日、無効化の禁呪をムニンに定着させた。
定着自体は難なく成功。
そのあと王城の一角を借り、試し撃ちも行った。
青竜石を一つ、消費して。
発動の可否は――――――――問題なく、クリア。
あとは、
いつ近づくか。
どう、近づくか。
どうやって――騙すか。
「…………」
もう、少し。
もう少しで――届く。
クソ女神の、首に。




