間章.この世界でたった一人の、最高の妹
8巻出版時点で『ハズレ枠』がシリーズ累計80万部突破とのことです。ご購入くださった皆さま、ありがとうございました。
◇【高雄樹】◇
ついに、姉の高雄聖が倒れた。
吐血し、目の端から血を流して。
「姉貴!」
高雄樹は倒れ込みかけた姉を抱きとめる。
かすれた声で、聖が言う。
寝かせて、と。
一瞬、樹は逡巡した。
けれど、言う通りにした。
姉を横たえる。
周囲に気配はない。
二人以外は、誰も。
ここには二人だけ。
そう、今も二人――二人、だけ。
「どうにか逃げ切って……態勢を整えられると、思ったけれど……」
聖の声は、弱々しい。
これ以上、もう喋ってほしくない。
だけど――話したい。
相反する気持ちが、樹を苛む。
聖は目を閉じ、自分の胸に手をのせた。
「まさか――毒とはね……ごぶっ」
反旗を翻したS級勇者。
これを生きたまま逃したとなれば女神も放置はできまい。
一旦、聖は女神の近くから姿を消すことを選んだ。
そして再度、次の案を組み立てるつもりだったらしい。
が、
「女神の、あの隠し剣の刃に……毒が仕込んであった、みたい……」
傷をつけられると傷口から毒が侵入するようになっていた。
毒物は所持を禁止している国が多いそうだ。
聖曰く、これは主にアライオンの要請によるものだという。
当然、流通自体も禁じられている。
特に堅く禁じているのはアライオンとヨナトらしい。
他の国も、表向きは所持や流通を禁じている。
「禁じる、ということは……その分野の知識や技術が蓄積していかない、ということ……禁忌にするとは、そういうことよ。たとえば、そう……新種の毒物が出てきても……解毒剤が出回らず、普及しない……」
所持すら禁じられているのなら。
研究すら、できない。
薄らと、まぶたを上げる聖。
「となると、その新しい毒物の知識や解毒剤を持つ者はそれを用いて……様々な面において、ことを有利に進めることもできる……」
解毒剤が存在しないに等しい毒で誰かを殺す、とか。
この解毒剤がほしくば要求をのめ、とか。
毒物の独占。
女神はある種の毒物を独占し、己のために有効活用したい。
ゆえに毒物を厳しく禁じているのではないか?
自分以外の者が知識をつけないために。
対抗策を、もちえぬように。
聖は、そう分析した。
それでも解毒剤を探す手はなかったのか?
これは無理であった。
何よりの問題は、毒が遅効性だったこと。
症状が出てきた頃には、姉妹はもう人里から遠く離れていた。
身を隠すために。
樹も治癒スキルは一応使える。
が、毒にはなんの効力も発揮しない。
だんっ、と地面を叩く樹。
「――こんなのって、あるかよ! ちくしょう……ッ!」
ふぐ、と目に涙が滲む。
「こんなの、アリか……ッ!? なあ、姉貴!? いつもみたいに、どうにかさ……どうにか、姉貴の機転で起死回生の一発を――」
「樹」
空を眺めたまま、聖が言った。
「これから言うことを、よく聞いて」
「……姉、貴?」
「私はどうやら、ここまでみたいだから」
「!」
そん、な――
「けれど……女神に刃向ったこと、後悔はしていないわ。たとえ、間違っていたとしても」
「姉、貴ぃ……」
「人生というのは、選択の連続よ。そして――正しかったか間違っていたかは、結果が出てみてからじゃないとわからない。予測はできても……観測時には、ゆらぎが――ブレが生じることがある。それがプログラムとは違う”現実”というものの正体……最後には結局、私たちはサイコロの目に一喜一憂するしかない……ただ――」
聖が緩慢に手を上げ、樹の頬に触れる。
「望む目を出す確率を上げることくらいは、できる」
「姉、貴ぃい゛……」
「それが”最善を尽くす”ということ」
「うん……うんっ」
「あの黒玉という誤算要素さえ、なければ……勝てていた、はずだった。まあ……それも、言い訳でしかないわね……けれど、次は勝つのよ――あなたたちが」
聖はそう言って、樹にすべてを伝えた。
命が燃え尽きる前にすべてを託そうとしているのだ。
聖は十河綾香についても話した。
綾香は大丈夫だろう、というのが聖の考えらしい。
実は、綾香は今回の裏切りの詳細を知らない。
女神もそれは理解するはずだ、と聖は告げた。
「じゃあ、その渡したメモってのは……?」
「どう動くべきかを書いただけ……詳細は、書いていない。あとは……彼女自身がどう考え、どう動くかよ」
――完全には、十河さんを巻き込みたくなかった――
聖は、そう言った。
ギリギリまで、迷ったそうだ。
すべてを明かすか、どうか。
「で、アタシはっ……アタシはっ、委員長に会いにいけばいいんだなっ!?」
「ええ。私がここでいなくなったら、こうするしか……接触の機会を図って……さっき言ったことを、すべて……十河さんに、伝えて……それと……」
ありがとう、と。
ごめんなさい、を。
伝えて、ほしい。
聖はそうつけ足し、さらに吐血した。
血が喉に詰まらぬよう、樹は姉を抱え起こす。
「……大丈夫よ、樹。女神がいなくとも、あなたたちはきっと――戻れる……」
聖の呼吸が浅い。
ここまで憔悴した姉を見るのはいつ以来だろうか。
いや――最後、なのか。
こんな姉を、見るのは。
「姉、貴――や、やっぱり待って……無理だって……アタシ一人じゃ、やっぱり……アタシは姉貴がいないとっ……ねえ、姉貴ぃ!?」
安堵しきった微笑みを浮かべて。
聖が樹の胸に、体重をあずけてきた。
「樹、あなたはね……」
聖が目を閉じ、言う。
「この世界でたった一人の――最高の、妹」
「! ッ――おねえ、ちゃんッ!」
もう堪えは、きかなかった。
「い――いやだよぅ! ま、待って! アタシは聖おねえちゃんがっ……ひぃねえがいないと、なんにもできないんだよ!? ねぇ!? ひぃねえがいなかったら、いつき――いつきは、どうしたらいいの!?」
「……大丈夫。あなたなら、やれる……私の妹、なら……、――」
「お――おねえちゃん!? し、死んじゃやだ! やだやだ! やだ、ったらぁぁ……」
樹は、泣きじゃくった。
恥も外聞もなく。
命の火が消えようとしている姉に、縋る。
縋り、きった。
けれど聖は、諌めない。
優しく――微笑んで。
ただ穏やかに、樹を眺めていた。
「あとは――――――――頼んだわよ、樹」
「……ひ、ひぃねえ?」
弱々しい手で、聖が、樹の手を取る。
本当にあの姉なのかと思えるほど緩い力だった。
聖の手が、握り合った手を掴もうとしてきた。
樹は、それを握り返す。
聖が言う。
「そうね……ならせめて、最期の時間……姉妹らしく、過ごしましょう……? ちゃんと、お別れを――、……しましょう」
「! う――うんっ……わ、わかった! わかったよ、姉貴っ……アタシも、アタシも変な形で別れるのだけは、絶対いやだから! だから、だからっ――」
「樹」
「う、うん……」
「あなたと、過ごした……この、十数年。私は、とても満足だったわ……楽しかった」
「――う゛んっ! アタシもだよ、姉貴っ……!?」
「死に別れても……ずっと一緒、ね?」
「! う、うんっ……そうだよな! アタシ、死ぬまで忘れないからっ……姉貴の、ことっ……絶対っ……」
それから……穏やかな時間が、流れた。
姉妹二人きりの時間で――空間で。
誰にも邪魔できない、たった二人だけの、今。
二人ぼっちだ。
いつだって。
最後の――最期の、いま。
会話の内容は全部、昔のことばかりで。
あんなことがあったね、とか。
こんなこともあったね、とか。
そして……
「……なあ、姉貴? まだ、生きてるよな? …………姉貴?」
「…………ええ」
「は、はは……よか、った……び、びっくりさせんなよな……」
「勇者の、ステータス補正の……おかげかしら、ね……」
静かだ。
とても。
それから――
「――――大好きだよ、姉貴」
「――――私もよ、樹」
「…………」
「…………」
「……姉貴? ど、どうした?」
「目が、ね」
「え?」
「目が、見えなくなって……きているの」
「…………うん」
「樹」
「うん」
「ありがとう……あなたのおかげで――死が、怖くない。きっと幸福な死なのね、これって……」
「……うん」
「それから……ごめんなさい。そして……もう一度だけ――――ありがとう」
「う゛ん……う゛ん゛っ……」
「――――――――イツキ?」
「え?」
高雄樹は。
ずっと姉しか、見えていなくて。
周囲のことなど、もう、見えていなかった。
けれど今この瞬間、高雄樹の目は――視界は。
様々なものの輪郭を鮮明に……そして、確かなものにしていく。
雨降る深い森の中。
辺りに散乱するは、倒し尽くした金眼の魔物――その死体。
そして、
「おま、え――」
見覚えのある豹人が、
そこに、立っている。
先ほど『イツキ』と呼びかけた人物。
確か、名は――
「イヴ……スピー、ド?」
「タカオ姉妹か――こんなところで一体、どうしたというのだ?」
そう、
高雄聖は、反アライオンを掲げる狂美帝のもとへは向かわなかった。
ミラへ向かうルートはすべて女神が手を回しているに違いない。
そう読んだからだ。
なれば――
身を隠すという意味で”絶好の場所”が、一つある。
危険ではある。
けれどもし”彼女”に出会えたなら――強力な味方と、なりうるかもしれない。
そこは、禁忌なる魔女の棲むとされる禁忌の地。
高雄聖が一縷の望みを託し、妹と目指したその地の名は――――金棲魔群帯。
ここに二人の勇者と豹人の元血闘士が――
奇妙な再会を、果たしたのだった。




