誤算存在
大魔帝の身体は黒い霧に包まれている。
が、口の位置とあの感じ……
”膝をついた”
と見える。
加えて、この確かな手ごたえとあの出血……。
やはり人型の本体が霧の中に存在すると見ていい。
つまり、
(直接攻撃が、通る……ッ!)
聖から預かった首飾りに触れる。
綾香の判断は早かった。
ここでの躊躇はチャンスを逃す。
大魔帝が何か――吐いた。
(石?)
宝石のようなものが石畳の上に転がる。
何か――嫌な予感がする。
と、黒い霧の中から”手”が出てきた。
紫色の脈の浮いた人型の黒い手。
吐いた石を掴もうとしている。
綾香は止まらず、足先に落ちていた槍を爪先に引っかける。
蹴り上げ、
パシッ
手にし、投擲。
先端が石に当たり、弾き飛ばした。
破壊はできなかったが、石が大魔帝から離れる。
大魔帝の手が止まり顔が――口が、こちらを向いた。
明らかに何かしようとしていたが、
「させない」
固有武器――すべてを、大魔帝へ。
大魔帝が、触手鎌を増やす。
増やす直前、奇妙な間があった。
諦めにも似た間と思えたのは、錯覚だろうか。
”ひとまず抵抗は試みる”
そんな、感じがした。
あるいはあの石は、逃亡の手段だったのかもしれない。
「…………ソが、最大ノ」
「!」
「誤算、だっタ」
喋った。
大魔帝が。
しかし、綾香は――揺らがず。
ここでケリをつける。
元の世界に帰りたい。
もちろんそれは大魔帝を倒す最大の動機。
ただ、それ以外の気持ちもあった。
魔防の白城でたくさんの人が死んだ。
大魔帝の命令で。
(どんな理由があれ、あの光景を見てしまった私は――)
あなたを見逃すことは、できない。
ドシュンッ!
光、が――奔った。
「――まさか」
綾香の固有剣が、防がれた。
防いだのは、
刀。
「十河……まさかおまえ、キリハラのつもりか? いいや、違うな」
桐原、拓斗。
「オレが、キリハラだ……ッ」
横合いから放たれたのは――遠距離からの【金色龍鳴波】。
桐原はその龍鳴波に”乗って”きた。
龍鳴波の中に潜んできた、とも言えるか。
移動手段として龍鳴波を使うことを会得している。
無事、だったのだ。
今まで気絶していて、目覚めたのだろう。
出血はあるが、ダメージはさほどないように見える。
「き、桐原君ッ――お願い! 邪魔をしないで!」
「……その言葉、そっくりそのまま返さざるをえねーな」
綾香は即座に決断する。
今、彼に構っている猶予はない。
極力早めに桐原の意識を刈り取り、大魔帝にとどめをさす。
傷つけず、無力化する。
綾香はほんの一瞬、躊躇した。
だがすぐさま意識を切り替え、桐原を気絶させるべく――
キィンッ!
「!」
鈍器に変形させた綾香の武器が、弾かれた。
弾いたのは、大魔帝の触手鎌。
(大魔帝が、桐原君を助けた……ッ!?)
「ちっ……今のは、最善手と言わざるをえねーな。認めてやるしか、ねーか」
桐原が一度跳び退き、大魔帝の隣に立つ。
「なぜ……異界の勇者であるソが、コを助けル?」
大魔帝の言う”コ”とは、おそらく”私”のことなのだろう。
「どう足掻いても、わかってねーからだ」
「?」
「話はあとだ――来るぞ」
会話が終わるのを呑気に待つ気はない。
綾香は一気に攻め立てた。
が、
「――――ッ!?」
桐原と大魔帝が、二人がかりで防戦へ回る。
綾香はこれを――攻めきれない。
一人ならばどうにかなるであろう。
が、二人の動き。
妙に、息が合っている。
(……いいえ、違う。大魔帝が……桐原君の動きに、完璧に合わせているんだわ! くっ……本当に、学習能力が高い……ッ!)
ここにきて、綾香は攻めあぐねはじめた。
完全に守りに入った大魔帝が厄介なのは既知の通りだ。
が、傷を負った今は戦闘能力がやや落ちている。
しかしそこに、桐原拓斗が加わったことで――
攻めきれず、こう着状態が生まれた。
桐原が、数匹の金波龍を纏う。
「大魔帝……オレがおまえを助けたのは、そこの十河綾香を含む2−Cのやつらが何も理解しようとしないからだ。あいつらには、王の器が視えていない……」
「…………」
「しかも……無能な女神も含め、神聖連合側はオレをまるで活かせていない。そこで、オレは考えざるをえなかった。何が問題なのか? そしてオレはすぐに理解した。オレが味方の側にいるからこいつらは――真のオレに、出会えていないのだと……ッ!」
大魔帝は黙って聞いている。
どうにか理解しようと、懸命に。
そんな風に、見えた。
「ということは、だ。本来のこのオレが備えた本質を、叩きつけるには……本物の王の姿を確かな形として、証明するには……ッ」
綾香へ見せつけるように、桐原は、逆さこぶしを激しく握り締めた。
「あえてオレが敵側の王となり、2−Cどもの前に敵として立ちはだかるしかない……ッ!」
「ソは異界の勇者でありながら、コの側につくというのカ」
「だから、助けた」
「……不思議な男ダ。偽りが、なイ」
「真の王は何も偽る必要がない。そのままの姿で”すべて”だからだ」
裏切りとも取れる桐原の言葉。
綾香は大きなショックを受けていた。
いくらなんでも大魔帝側につくなど――
想像の埒外。
さすがにそこまではないと思っていた。
綾香はそこでハッとなり、自らの動揺を抑えつける。
「き――桐原君! 大魔帝を倒せば私たちは元の世界に帰る手段を手に入れられる! 今が最大のチャンスなの! お願い! そこをどいて!」
ふぅぅぅ、と長く息を吐き出す桐原。
「気づいちまった、というわけだ……」
「え? 気づ、いた?」
「このまま元の世界に戻ったところで、オレの中にある王性が活きることはおそらくない……あっちの世界は、もう身動きの取りづれぇ閉塞感しか残ってねぇからな。オレの持っていた環境でさえ、どれだけ成功しようと”天井”は突き破れない……ッ! 真の王には、なれない! だがこの世界なら国すら持てるチャンスがある! 完全なる新しい国など、前の世界じゃ不可能に等しい! が、ここならどうだ!? 力さえあれば、実現可能……ッ! この世界でこそオレはようやく、解放され――王として、開花せざるをえなくなる! どう足掻こうとオレがッ……花、開くッ!」
「何を……何を言っているの、桐原君……? 本当に、何を……」
「ああ、それと大魔帝……さっきこのオレに攻撃を加えた件は、不問にしてやる……あんなものは所詮、じゃれ合いにすぎねーからな……」
「……よくは、わからぬガ――よかろウ」
ゆらり、と。
大魔帝が一歩、前へ出た。
「ソの言葉に、嘘偽りはなイ……コを騙すのではなく、本心から言っていル……承知しタ」
大魔帝が、桐原の隣に並んだ。
「我が方はソを――キリハラを我が配下として、受け入れル」
「! だ、だめっ桐原君っ! もっと……もっと、話し合いましょう! 私が桐原君にとっての理解者になれるかはわからないけれど……たとえば、聖さんなら――」
「冗談を言ってる場合じゃねーぞ、大魔帝……」
「!」
言葉が、届いて――いない?
「?」
「配下? このオレを? 正気で言っているとすれば、おまえはやばすぎる……」
「では……何を、望むト?」
「理解するしかない。同盟者しか、ありえないと」
「同盟、者……」
「大魔帝軍はこのオレと同盟を結ぶ。つまり、オレとおまえは王と王の対等な立場……この条件しか、ありえてはならない」
「……………………よかろウ。ソとコは同盟者。立場は、対等……」
「今オレは、おまえの中に少しだけキリハラを見た。見せたか、キリハラを」
「?」
その時、一匹の金波龍が桐原から離れた。
綾香は動こうとしたが――大魔帝と桐原が、牽制してくる。
厄介極まりない、と綾香はすぐ理解した。
大魔帝は、桐原の動きに合わせ完璧な連携を取れている。
二人合わさって防戦に回られると、ここまで厄介になるものか。
いや、何より――そう、何よりである。
クラスメイト相手に、本気は出せない。
大魔帝を殺す覚悟はあった。
しかし当然、クラスメイトを殺すなどできるわけがない。
致命傷になりかねない攻撃は避ける。
これを意識して戦えばいやが上にも攻撃の純度は鈍る。
そう、クラスメイト相手では――たとえ気絶目的であっても、意識のどこかで、攻撃することに対する拒否反応がまじってくる。
ブレーキが、かかってしまう。
と、桐原が言った。
「さっきから気にしてるのは、これか?」
金波龍が持ってきたのは、綾香が弾き飛ばしたあの石だった。
桐原がそれを大魔帝に手渡した。
大魔帝がそれを――握り込む。
すると、その手中が光り出した。
「キリハラ……ゆくのだナ? コと、共ニ」
「オレの意思と関係なく……行かざるを、えない。真の王の、責務として」
「わかっタ……これより、北の最果ての地へ転移すル」
「! ま――待って桐原君! 私が……私が桐原君と向き合おうとしなかったのが、悪かったんだと思う! ごめんなさい! 私には、あなたの考えが理解できるとはどうしても思えなくて……でも、わかろうとすべきだった! 結果として、聖さんに任せてしまって……私が、間違ってた!」
「…………」
「だから――もう少しだけ、時間をちょうだい! お願い、だから……ッ!」
「動くなよ、十河……」
刀を構えつつ、桐原が腕をこちらへ向ける。
いつでも龍鳴波を放てるぞ、という牽制。
桐原が少し、首を傾けた。
……コキッ
「安心しろ。できる限り2−Cの連中は生かしてやる予定でいる……死んじまったら、真のオレの器を証明すべき相手が減っちまうからな。だが――容赦もしねぇ。敵同士だぜ、もはや……」
「桐原、君……ッ!」
言葉を投げても、キャッチボールになっていない。
届いていないのか。
もはや、言葉が。
「ソは……ソゴウ、と言ったカ?」
「!」
大魔帝が、話しかけてきた。
「ここでコを仕留め損なったのは、あとあとソらにとって大きな失敗として響くであろウ。覚えておくがいい……必ずやソらは、後悔すル。待っているがいい……このあとに起こる、この世の悪夢ヲ――すべての、蹂躙ヲ。そして……誤算はあったが、こたび戦いでコは完全に理解しタ。最も警戒すべき異界の勇者が一体”誰”なのかヲ……」
魔法陣のような光の筋が地面に出現。
粒子が宙に舞い、次第に青白い光が強くなっていく。
見下ろすように、桐原が、綾香を静かに睨み据えた。
「残念だったな……しかしおまえたちでは、ついにオレの本質を捕まえることはできなかった。真の王を、見抜けなかった。今さら戻ってくれとほざいても、もう遅い……そしておまえらは――どう足掻いても、気づくしかない」
金波龍を纏った桐原が、刀の切っ先を綾香へ向ける。
「自らのミスで失ったものの、その大きさを。……覚えておけ、十河」
姿が消える直前、桐原は言い残した。
「おまえは、キリハラにはなれない」
その日、綾香の説得も虚しく――
「桐原、君……ッ!」
桐原拓斗は、大魔帝と共に姿を消した。
次話より、トーカ視点へ戻ります。




