雨、来たりて
小雨が、降り出した。
俺はスレイに乗っていた。
後ろには、セラスが乗っている。
今は二人とも豹王装に身を包んでいる。
俺たちの背後には、竜兵と魔物たち。
豹王のマスクの視界を、一筋の雨水が流れていく。
夕刻と呼べる時間はすでに過ぎていた。
ただ、日が異様に長いせいか視界はまだ十分と言える。
「最大の懸案事項だった第六騎兵隊は潰したが、他の騎兵隊もまだ残ってる。神獣のこともあるしな……そういうわけで、俺たちは一旦ここを離れる」
そうしてまとめ役の竜兵に指示を出し、俺たちは彼らと別れた。
スレイを、走らせる。
……安のことも気にはなるが。
今は他に優先すべきことが多すぎる。
と、後ろから抱き着いているセラスが口を開いた。
「あと、もうひと踏ん張りですね」
「ああ――疲れてないか?」
苦笑するセラス。
「あの演技は、少々」
「疲れた分、完璧な微笑だったけどな」
「ああいう微笑が……お好みですか?」
「嫌いじゃないが……ああも完璧だと、逆に不自然な気もしたな。セラスはやっぱり自然と出てくる普段の微笑みが、一番いい」
「そ、それは――、……」
俺を抱き締める腕に、さらに力がこもる。
「はい……ありがとう、ございます」
声の熱っぽさから、照れているのがわかった。
しかしその火照りはすぐに引っ込み、
「第六騎兵隊を倒した件……リズ殿には、報告すべきでしょうか」
「……どうかな。リズにとっては、集落襲撃の一件はもう思い出さない方がいい過去かもしれない。だから……リズにはまだ、黙っておこう」
「はい。私もその方がよいかと思います」
「ま……結局は今回のも俺の自己満足にすぎない。リズの仲間をやったヤツらがのうのうと生きてたら――俺の気分が悪い。それだけの話だ」
「いいえ、それは違うかと」
「?」
「今回は、私の自己満足でもあります」
「……そうだったな」
「あの……」
「なんだ?」
「あなたは……わかっていたのですね? 復讐を果たす際、竜煌兵団の者たちは第六騎兵隊と同じ方法はとらないと」
俺がフェルエノクに吐いた言葉。
セラスはあれを、あくまで脅しでしなかった、と思ったのだろう。
ただ、
「どうかな……仮に竜兵たちが同じ手法で”やる”と言ったら、俺は止めなかったかもしれない。あいつらはやらないだろうと予想してた面は、確かにあるけどな……」
「……私も、彼らは同じ方法は選ばないだろうと思っていました。やはり……優しい方たちなのです、最果ての国に暮らす方たちは」
セラスが俺の背に、顔をあずけてきた。
「…………」
同じ手法で、復讐していたら。
セラスは、彼らに失望したのだろうか?
彼らが同じ方法で復讐はできないと言った時……。
確かにある意味、ホッとした――気もする。
しばらく走ったあと、セラスが、再び口を開いた。
「この戦い……終わりは、近いのでしょうか」
「かもな。いずれにせよ、着実に終わりには見えてきてるはずだ」
無数の雨粒を弾きながら、灼眼黒馬が雨の岩場を駆け抜けていく。
残る他の騎兵隊。
たとえば最大規模を誇るという第七騎兵隊。
ジョンドゥ曰く、まだ動いている気配はないらしい。
第九や第二ってのも気になる。
他にもある。
安智弘。
神獣。
当然、これらも気にかかる。
特に神獣は、なんとしても確保したい。
が、どうも一つ……。
いやに気にかかっているのは、
「――狂美帝、か」
そう独りごち、俺は、スレイの速度を上げた。
◇【第九騎兵隊】◇
「どうにも、嫌な感じがする」
第九騎兵隊長ナハト・イェーガーは、鼻をひくつかせた。
「どうも嫌なニオイだねぇ、こいつは……」
ナハトは垂れ目気味の色男で、口もとはいつも緩い。
その亜麻色の長髪を後ろで一つに括っている。
右目に泣きぼくろ。
纏う空気もゆるゆるとしている。
主な武器は、奇をてらっていない大振りの長槍。
腰には、長剣が鞘に納まっている。
「いかがいたしましょうか、ナハト?」
尋ねたのは、副長のスノー・ヴァンガード。
新雪のような白い肌。
髪も同じく白いが、瞳の方は血のように赤い。
兎めいた印象を持つ女騎士である。
ただし、兎のような愛嬌はうかがえない。
彼女の表情は常に冷淡にして希薄。
その薄い唇が微笑をかたどったのを目にした者はいないという。
「ジョンドゥの言ってた神獣が来る気配はなし……上がってくる報告だと、他の騎兵隊は珍しく苦戦してる。こいつは一度撤退して、女神様に報告した方がいいかもなぁ」
「フハハハハ。臆病風に吹かれたか、ナハトよ」
笑いながら声をかけたのは、副長のスノーではない。
第五騎兵隊長ブランゾール・スタニオンである。
彼の瞳は長い前髪で隠れていて、はっきり窺うことができない。
髪は赤毛で、もみあげと繋がったあごヒゲも赤銅色である。
顔面には、戦でできた傷や火傷の跡が多い。
”灰葬のブランゾール”
その名は特に、傭兵たちの間で広く知られている。
片目を瞑り、ナハトは苦笑した。
「あんたはさ……ちょいと死に急ぎすぎだよ。人生ってのは、命あっての物種だと思うけどねぇ」
「フハハハハ、まるで鎮火のように冷める意見だな。命とは、燃やし尽くすものだろう。そして、好敵手の死体は燃やして灰にし……その灰を葡萄酒にまぜ、飲み干す。すべては、燃えるためにある。命も、人も。フハハハハ」
「ぼくは勘弁願いたいけどねぇ……戦いってのは”戦い”以上じゃなくていい。さっさと終わらせて、日常へ戻るに限るよ」
「フハハ、第六はもはや別枠として――アライオン十三騎兵隊において無類の強さを誇る第九の隊長が、何を言う」
「お褒めにあずかり光栄だけど、隊の総合戦闘力じゃ第二の方が上だよ。いや、隊長としても向こうの方が上じゃない?」
「フハハハ、面白い。向こうは向こうでナハトを持ち上げ、ナハトはナハトで向こうを持ち上げている。一度くらい、どちらが強いか白黒つけてみてはどうかな? お――おぉ!? 白と黒! まぜると、灰か! フハハハ! 亜人の灰はどんな味だーっ!? フハハハハーっ! ではな!」
ナハトとスノーは、そのまま第五騎兵隊を見送った。
「行ってしまいましたね。引きとめなくてよかったのですか、ナハト?」
「言っても聞かないのは、キミもわかってるでしょ」
「まあ、そうですが」
口端の笑みを消し、空を見上げるナハト。
「……ひと雨来そうかねぇ、こいつは」
ひと呼吸し、ナハトは決断を下した。
「撤退しよう」
「よいのですか?」
「この戦場はどうにも……ニオイがよくない。まさかあのジョンドゥ率いる第六が負けるなんてことはないと思うけど……ここまできな臭いとなると……多分この戦場、ぼくたちにはちと荷が重い」
「他の騎兵隊にも通達しますか?」
「一応ね。警告だけは、送っておこう」
「かしこまりました」
「ただ……ご存じの通り、ぼくはこの第九さえ生き残ればそれでいいって人間なんでね。極論、他の騎兵隊がどうなろうと知ったことじゃない。アライオン十三騎兵隊の大半はまともじゃないから……正直、見ていてしんどいよ」
「十三の騎兵隊の中では、わたしたちの方が少数派ですよ」
「まともなやつから先に死んでくんだ、この世の中ってやつは」
「あら? 副長に手を出すような隊長殿がまさか、まともだとでも?」
「うははは……て、手厳しいねぇ。でもさぁ? ぼくとしては一応、常に本気なんだけど……」
「それなりにでいいので、責任は取っていただきます」
「はいはい……ほんっと昔っから手ごわい副長さまだよ、スノーちゃんは……、――!」
ナハトとスノーは瞬時にその方向を見た。
ここは戦場全体で見ればかなり後方である。
いわば魔群帯の端っこだ。
つまり――ここは森の中に等しく、視界は開けていない。
この暗さと雨音も、接近に気づくのを遅らせたか。
「ナハト」
「ああ」
「――来ます」
一筋の冷や汗が、ナハトの頬を伝う。
が、その口端は吊り上がっている。
「こりゃ……まいったね、どうも……」
第九騎兵隊の前に姿を現したのは、
「そうか。ジョンドゥの読み通り、やっぱりいたわけだ……あんたが」
ナハトは苦い笑みを浮かべた。
スノーはすでに手で指示を出している。
第九騎兵隊が、戦闘態勢に入った。
「第六の陰に隠れてはいるが、第九騎兵隊の話は余の耳にまで届いている。最大規模とやらの第七は……まだ、動いていないようだな。最も警戒すべきは第六だが……ここで第九を先に滅しておくのも、この戦を有利に運ぶ一手となるであろう」
「狂美帝」
ミラの兵は横列を作っている。
目視できる限りでは……数は、やや第九側が優勢か。
「ですが、数を頼みにやれる相手ではありません。特に、あの狂美帝は」
「腰に差してるあの剣……あれが、白狼騎士団長ソギュード・シグムスの神魔剣ストームキャリバーと対を成すと言われる神聖剣エクスブリンガーか……」
しかも狂美帝はまだ剣を抜いていない。
「舐められたもんだね……ま、噂の狂美帝じゃ仕方ないか」
それにしても、とナハトは思った。
なんという美しさだろうか。
度を越えて――美しい。
少年が青年へと移り変わる中途に醸す独特の瑞々しさ、とでもいおうか。
印象が少年寄りなのは、その小柄さゆえであろう。
スノー以上に白く、艶めかしい白磁の肌。
細いあご。
どこまでも深く澄んだ青の瞳……。
切れ長の目は妖しく――鋭く。
滑らかな彫刻のそれと見紛わんばかりの唇。
一本一本が上等な金細工めいた光沢のある髪。
左右一つずつに結ばれた二つの髪束は、膝に届くほどの長さがある。
誰が見てもわかる上品な居住まい。
白を基調とした装い。
気品を感じさせる優雅さがある。
しかし、ある種の皇帝たる威圧感は損なわぬ仕立て……。
すべてが調和し、落ち着いた威厳が放たれている。
齢20にすら満たぬというミラの現皇帝。
ナハトは、賞賛に近い疑念を抱いた。
出せるものなのか?
あの年齢で、あの風格を。
耳朶を撫でる声は、凜とした鈴の音がごとく澄んでいた。
そこへ、妖しい包容力がひとさじほど混ざり込んでいる。
色香というか――蠱惑というか。
まるで、相手を魅了しようとするかのように。
人を惑わす声だ、とナハトは少し恐ろしく思った。
妍麗にして、妖麗。
あれはもはや、性別を越えた美しさと言っていい。
女と言われても受け入れてしまう独特の魔性すらある。
「嫌んなるねぇ……同じ男として、ここまで差があると」
「確かに」
「いや……そこは否定してよ、スノーちゃん」
「あれでは無理でしょう。さすがに実物は、美しすぎました」
「対抗できるとしたら、ほらあれ……あのセラス・アシュレインくらいだろうねぇ。一度生で見たことあるけど、あれを見てなかったら、狂美帝が美しすぎて心臓止まってたかも」
「あながち冗談と思えないのが怖いですね。いやしかし、この距離で見ると……確かに少々おかしい美貌ですよ、あれは」
「けど今さ、状況的にはぼくたち命の危機だよ? 見惚れてばっかりも、いられないと思うけど」
「え? ちゃんと殺しますよ? 惜しくはありますが」
「え、捕虜にするって考えはないんだ……スノーちゃん、怖っ……ま、でも――」
ナハトはそこで槍をひと振りし、馬上にて構えを取った。
「捕虜なんて甘っちょろいこと、言ってられる敵じゃないよね。美しさに気を取られてちゃいけない……聞けば、あれでミラ最強の剣士だって話だ」
狂美帝がかすかにその細い首を傾むけ、剣の柄に、手を置いた。
「おまえは――余と、したいのか?」
「ま、興味はあるねぇ……ぼくはこれでも腕にはそこそこ覚えがある。噂に聞く狂美帝が一体、どれほどのものか――、……ッ!?」
「ナハト」
「……ああ。けど……なんだ、あの一団? 何か、とてつもなく嫌なニオイが……」
「さてさて、よ~やっと浅葱ちゃんたちの出番ってぇわけですにゃ〜」
少女だ。
年の頃は狂美帝と同じくらいか。
他にも何人か他の感じの違う少女たちがいた。
あの一団だけ、他の兵とは雰囲気が違っている。
「ね、ねぇ浅葱……でもあの人たち、すっごい強そうなんだけど……」
「わははー、きっとツィーネ様たちがお膳立てしてくれるからダイジョブさー! アタシたちはやれるっ……! やれるんだあっ……!」
「な、なんか妙に気合い入ってるね……浅葱……」
「エェーっ!? そこはタバコを吸うポーズで『まるで……悲鳴だな……』って返してほしかったんじゃよー……とほほ……」
「? ま、まあっ……とにかく、ツィーネ様が頼りになるのはマジだよね! あぁ、ツィーネ様……」
「んもう、すっかりうちの子たちはツィーネ様にメロメロですにゃー」
「も、もうやめてよ浅葱〜! それ、今する話!?」
「ふひひ、そう言いつつ照れとるくせに〜」
「あ、浅葱さん……本当に、わたしたち……」
「お、ポッポちゃーん! にゃはは、ほんとにチミは怖がりさんだなー。今は見違えて有能ちゃんなのにねー?」
アサギと呼ばれた少女の隣。
胸の大きな愛らしい少女がいる。
おずおずとアサギに声をかけた少女は、名をコバトというらしい。
アサギが、コバトの肩に手を回す。
「頼むよ〜小鳩ちゃ〜ん? 開花したチミの固有スキルは地味だけど、ほんと今のアタシには必要な能力じゃけん。今や浅葱さんグループにとっては、と~っても大事で、重要な鹿島小鳩ちゃんなのじゃ〜」
「う、うん……がんばる、ね」
「ほれほれ、気負わない気負わない。ほら、みんなも!」
少女たちに、アサギが呼びかける。
「いつも言ってるように、これも元の世界に帰るためだよー! デジタルデトックスな異世界ライフもまー悪くないけどさ! 一方で、やっぱり物足りないものもいーっぱいあることがわかってきたわけで! そろそろ恋しくなるわけよ、元の世界が! ほら……旅行ってむっちゃ楽しいけど、やっぱり家に帰ってきて”やっぱ我が家がいちばんだわ〜”があってこそなとこ、あるじゃん?」
「た、確かに……」
「まだまだ若いあたしたちにとっては、前の世界でやりたいことがいっぱいある――戻りたいんだよね、やっぱり」
「う、うん! それ、すっごい共感!」
「じゃーがんばろー♪ ほら、アタシたちさ……ヨナトで、あの大激戦を潜り抜けてきたわけだからさぁ……」
アサギの目に独特の昏さが灯った――気がした。
口もとは、笑っているのに。
「あそこで……人が死ぬ姿とか、それこそ、ぐっちゃぐちゃになった死体とか……予習的にたくさん目にできたのは……ある意味、幸運だったよなー……」
人差し指を、アサギが唇に添えた。
「ただ、ほら……アタシたちはまだ、死体をたくさん見たってだけでさ。そして、敵は魔物だった」
ごく、と。
他の少女たちが強張り、唾をのむ。
と、アサギは一転して緩い空気を纏った。
「メ――メンゴメンゴっ! 浅葱さん、ちょっと空気読まずにシリアスモードになっちった! 今の時代、シリアスいくない。うん、いくないよ〜……とまあ、そんなわけでさー……」
「!」
アサギが、第九騎兵隊の方を見た。
第九と相対しても彼女はまるで怯んでいない。
むしろあの顔。
どこか獲物を前にした、凶獣のような――
「ちょいと、やってみるとしようかい」
アサギが、言った。
「人を殺す、練習」
前回更新後に新しくレビューを1件いただきました。ありがとうございました。
体調の方は、どうにか安定している感じがいたします。何ごとも無理は禁物ですね。
次話は十河綾香視点となります。
どこかで一度触れた気もするのですが、8章は少し構成が特殊な章となっております。
そして次回更新ですが、今のところ、9/10(金)21:00頃にできたらと考えています(その日時に更新がなかった場合は、更新延期ということでご了承いただけましたらと……)。