地上の勇者たち
◇【鹿島小鳩】◇
D級勇者の鹿島小鳩は絨毯の敷かれた豪奢な廊下を歩いていた。
大好きなファンタジー映画で目にするお城のイメージ。
最初に浮かぶのは中世ヨーロッパ風という言葉。
自分の語彙力の貧弱さに少し嫌気がさす。
とはいえ、憧れていた風景の一つ。
「…………」
こんな状況でなければ、喜べたかもしれない。
顔を上げる。
視界が自分の足もとから人間の後頭部に変化する。
先頭の女神について行く2−Cのクラスメイトたち。
まるでツアー旅行みたいだ。
『ユニークアイテムを渡す前に一つ、皆さまには済ませていただくことがあります』
女神がそう言っていた。
目をつむる。
祈る気持ちで小鳩は両手を組み合わせた。
(怖いよ……)
急に燃え上がった三つ目のオオカミ。
あの時、心臓を恐怖で鷲掴みにされた。
測定後、小鳩は部屋の隅で身を縮めていた。
絶望して震えている他の十数名のクラスメイトと共に。
魔法陣の方で何が起きているかは理解できた。
飛び交っていたのは恐ろしい言葉。
桐原拓斗も、小山田翔吾も、豹変した安智弘も。
罵倒や嘲りを口にするクラスメイトたちも。
女神も。
怖かった。
『くたばれ、クソ女神』
(三森君……)
目から涙が滲んでくる。
(ごめん……ごめんね……何も、できなくて……)
△
小鳩はある日、倒れている猫を学校の校門近くで見つけた。
ひどく弱っているようだった。
みんな猫を無視していた。
興味を持ったのは通りかかった二人組の男子くらいだった。
彼らは面白がって猫をスマホで撮影した。
『この画像上げてインステで超反応あったらあの猫助けてやろうぜ! 美談とかで一気に広まって、テレビとかの取材くるかも〜!』
インステというのは画像特化のSNSである。
結局、その生徒たちは戻ってこなかった。
小鳩は一人、その場に立ちすくんでいた。
(ど、どうしよう……っ)
ひとまずスマホで”猫””行き倒れ”のキーワードで検索。
指が震えている。
自分はいつもそうだ。
何かに頼らないと、行動に移せない。
自分で、判断できない。
「うっ!?」
猫の死体画像に行き着いてしまった。
スマホを操作する指が凍りつく。
目をキュッと閉じる。
(もう無理……調べるの、いやだよ……)
「鹿島?」
声をかけられた。
男子の声。
「あ……三森、君……」
同じクラスの三森灯河。
話したことはない。
目立たない存在の男子だ。
なんというか……存在感が薄い。
小鳩は少しそこに親近感を覚えていた。
だからだろうか?
桐原拓斗のグループみたいに怖い印象はない。
「って、その猫――」
「あ、うん……」
事情を説明した。
すると灯河は「わかった」と言った。
「え?」
「獣医さんとこ連れていこう。近所にあるから」
「あ」
獣医さん。
そうだ。
なんでまずそこへ気が回らなかったのだろう。
「どっか怪我してるのか、おまえ?」
灯河は優しく猫を抱き上げた。
「おとなしくしてろよ」
(三森君って……あんな顔するんだ……)
そうして獣医に診てもらった。
どうやら足を怪我していたらしい。
あと、栄養不足で衰弱していたようだ。
治療すれば大丈夫だと言われた。
ホッとした小鳩は灯河と二人で動物病院を出た。
「三森君……あ、ありがと……」
「いいよ別に。俺、猫好きだし」
「あ、お金――」
支払いはいつの間にか灯河が済ませていた。
自分はずっと猫ばかり見ていた。
その間に支払ったらしい。
小鳩は慌てて財布を取り出そうとした。
灯河が苦笑した。
「金はいいよ。獣医を提案したのは俺だし」
「でも、そんな……」
「いいって。俺、散財しないタイプだしさ」
食い下がる言葉が思いつかない。
自分はこういう時いつもそうだ。
相手の言葉を受け入れてしまう。
相手に合わせてしまう。
諍いの気配を、先回りで避けてしまう。
沈黙。
(何か話題……話題を、出さないと……)
不器用な笑みを作る。
小鳩は”逃げ”の笑みが得意だ。
「三森君って……ど、動物好きなの?」
「ああ、好きだよ」
灯河の目はどこか遠くの虚空を見ていた。
「人間よりはな」
「……え?」
(三森、君……?)
灯河がハッとする。
彼の笑みが急に困ったものに変わる。
「あっ――いや、今のはその……違くてさっ! ほら、動物って人間と違ってあんまり気を遣わなくていいトコとかあるだろ? それに今の両親のこと、俺、すごく好きだし……っ」
どこかちぐはぐな弁解に思えた。
必死に取り繕っている感じ、とでも言えばいいのか。
年頃の男の子が他の人間と自分が違うとアピールするためにあえて”人間嫌い”を口にする文化(?)がこの世の中にはあるそうだ。
他の人間と感性が違う自分をカッコイイと思いたい(あるいは思わせたい)という心理なのだとか。
ネットにそう書いてあった(小鳩の頼りはネットだ。口ベタな自分にも優しく答えてくれる)。
だけど灯河は、本当に口が滑ってしまって焦っている感じだった。
隠しておきたかったのに失敗した。
そんな感じ。
「えっと……と、とにかくさ……その――優しいんだな、鹿島って」
「え? ううんっ……そ、そんなことないよっ……三森君こそ……え、ええっと……じゃ、じゃあまた明日、学校でねっ……」
「あ、ああ。気をつけてな、鹿島」
あれ以来、三森灯河とは話していない。
話しかける勇気が出なかったのだ。
学校で男子に話しかける。
引っ込み思案の鹿島小鳩にはハードルが高すぎた。
逆に一度だけ、灯河から話しかけられたことがあった。
だけど――無視してしまった。
やっぱりそこでも、勇気が出なくて。
無視してしまったあの時から、自分はずっと三森灯河に対してどこか後ろめたさを感じている気がする。
ちなみにあの時の猫は現在、鹿島家の一員である。
▽
(クラスメイトを、あんな風に……)
このクラスは怖い。
バスで小山田が安の席を蹴った時、小鳩は震え上がった。
小山田翔吾とは目を合わせることもできない。
まともに合わせたら心臓麻痺で死んでしまうかもしれない。
自分は臆病なのだ。
それと、あの三つ目のオオカミ……。
(勇者って、あんなのと戦わないといけないの? 無理だよ、絶対……っ)
女神さまもなんだか怖い。
上手く言えないけど、何か嫌な感じがする。
一方で十河綾香はすごいと思った。
あの状況で女神に逆らったのだから。
綾香は自分と違う。
高雄姉妹もだ。
自分はあんな風には振る舞えない。
桐原拓斗も、小山田翔吾も、安智弘も違う。
このクラスの誰もが自分よりすごい。
足もとを見る。
(臆病者のD級勇者……いつかわたしも、廃棄されちゃうのかな……)
「こ〜ば〜と〜?」
「あ……」
顔を上げる。
「な〜にボーッとしてんの? やっぱ不安?」
「戦場、さん」
後ろ歩きでニッコリ笑いかける女子生徒。
「浅葱」
「え?」
「アタシさぁ? 苗字で呼ばれんの嫌いだってよく教室とかでも言ってるよね? わかってて言ってんなら、今後クラスの女子七割でマジおまえハブるよ?」
「ご……ごめん、なさい」
戦場浅葱。
測定ではB級……だったはずだ。
小山田翔吾のA級判定で浅葱のB級判定はすぐに流れた感じはあったものの、等級の中では上位に入る。
このクラスの序列トップは桐原拓斗のグループ。
しかしこと女子グループに限定すれば、浅葱を中心としたグループが最大勢力と言える。
戦場浅葱に目をつけられたらまずい。
皆、女子はそれを理解している。
だから逆らわない。
取り込まれるか、媚びるか。
無害な中立を装うか。
小鳩は中立の立場を選んでいた。
普段はなるべく空気になるよう努めている。
休み時間は一人でこっそりWeb発の小説を読むのだ。
「でさぁ? ポッポに、確認したいことあんだけどね?」
浅葱は小鳩を”ポッポ”と呼ぶ。
鳩ポッポとかけているのだろう。
「う、うん……何かな?」
浅葱が隣に移動してきて腰に手を回してきた。
逃がさない――そんな空気。
「アタシの読みだと多分このクラス、崩壊するだろうからさぁ――」
(え……?)
「崩、壊……?」




