交渉準備へ
◇【リィゼロッテ・オニク】◇
リィゼロッテ・オニクにとって、忙しない日々が始まった。
最初にやるべきはまず使者の派遣である。
ここへ向かっているという女神の勢力。
彼らに敵意がないと伝えなくてはならない。
「使者さんが出たり入ったりする時に、ニャキが扉を開け閉めすればいいのですかニャ?」
「そう、それがアンタの仕事よ。今はそれだけやってれば仕事として認めてあげる」
「はいニャ、わかったのですニャっ」
扉の鍵は数が限られている。
が、今はこの神獣がいる。
鍵を消費せずとも扉の開閉ができる。
神獣はあの蠅が連れてきた。
そこだけは、あの男を評価してもいい。
蠅王ノ戦団が去った日。
リィゼはその前日から動き出していた。
オニク族を総動員し、外と交渉するすべを模索した。
四戦煌への”再教育”についても話し合わねばならない。
好戦的な性向を、矯正せねばならない。
特に、ジオやキィル。
やることは山積みだ。
そして、やれる部分はすべて自分でやる。
リィゼロッテ・オニクがやらねばならない。
失敗は許されない。
交渉の場にはこれから何度も出向くだろう。
この国の食糧問題はリィゼも承知している。
古代魔導具の劣化の件もだ。
内政の中心を担うのはオニク族……。
重要な古代魔導具の管理もアラクネが担っている。
なので当然、リィゼはどちらの問題も把握している。
そう、なんとかしなくてはならない。
そしてその問題を解決するには、この国はもう外へ開くしかない。
リィゼもそれはわかっている。
開いた場合、交渉相手は女神の勢力にとどまるまい。
他に国があればたくさんの国と交渉する必要が出てくるはずだ。
その時、人間たちに自分たちの危険性のなさを説く。
やれる。
どんな相手だろうと。
一滴の血も流さずに、解決してみせる。
自分なら、やれる。
「…………」
許せなかった。
自分たちに血を流させようとした、あの余所者が。
自分たちを利用しようとした、あの蠅が。
三日間、リィゼは扉の外へ使者を放った。
リィゼは、今後の交渉を見据えた仕事に全霊を注ぎつつ報告を待った。
現在、まだ戻ってきていない使者が数名いる。
人間の軍らしきものを見たという報告はまだない。
つまり。
女神の勢力は、まだずっと遠くにいる可能性が高い。
なら――まだ時間はある。
備えなくては。
まだまだやることは山積している。
寝食すら削り、リィゼは動き続けた。
▽
「リィゼ様!」
一人のアラクネが、息せき切って部屋に飛び込んできた。
彼女の名はイダタ・オニク。
「どうしたのよイダタ? うーん……悪いけどアタシ、ちょっと疲れてて……今からちょっと休もうかと――」
「消えました」
「あのねぇ……それだけ言われてもわからないわ。何が消えたの?」
「ジオ・シャドウブレード及び、キィル・メイル――」
まだイダタが言い終わらぬうちに。
リィゼは、無意識に椅子からおりていた。
「豹煌兵団と、馬煌兵団がです!」
「どういうこと!?」
「夜時間のうちに、気づかれぬよう移動したと思われます!」
まさか――国の決定に、逆らった?
この国を出ていくつもりなのだろうか?
自分たちの主張が、通らなかったから……
「あ」
リィゼは目を丸くし、呆けた声を出した。
「まずい」
「リィゼ様、いかがなさ――」
「イダタ!」
「は、はいっ」
「急いで竜煌兵団と蛇煌兵団を集めて! あ、でも武器の携行はさせないで! これは絶対遵守! いいわね!? それから、ロアのところへ行って巨狼たちを集めさせて!」
「わ――わかりました! というか兵団を……まさか、ジオたちを追うのですか!?」
「当然でしょ!」
「捜索であれば、その……グラトラに話を通し、ハーピーの力を借りる手もあるのでは……」
「! そ、そうねっ……グラトラにもハーピー兵を出すよう要請して! ただしハーピーも――」
「武装はなし、ですね!」
「よし、わかってるじゃないの! さ、急いで! 手遅れになる前に!」
イダタは慌てて部屋を飛び出して行った。
リィゼもそのまま、部屋を出る。
(まずい――まずいまずいまずいまずい!)
ジオたちはおそらく、戦いに行くつもりだ。
女神の勢力を叩きに行ったのだ。
リィゼが交渉を始めるより先に。
この数日間、陰で準備していたのだろう。
リィゼ及びアラクネたちはその間、多忙を極めていた。
彼らに、目が行き届かなかった。
(ジオもキィルも、多数決の結果を受け入れたんじゃなかった……ッ! 違った!)
が、そこへ考えが及ばなくても仕方ないのかもしれない。
皆、多数決で決まった結果には今まで必ず従ってきたからだ。
たとえ、不服を口にしようと。
この国の誰もが、である。
七煌の投票によって決まった方針。
これは絶対であり――掟。
でなければ、安定した統治など夢のまた夢。
ゆえに皆、従ってきた。
七煌も。
ジオも、キィルも。
これまで、ずっと――
ずっと。
(どうしてなの!? 何がアンタたちを、そこまで変え――、……ッ)
「…………」
決まっている。
あの蠅。
あの、蠅だ。
アナエルの知人だったのが不幸だった。
そこに忖度せず、早めに追い出しておくべきだったのだ。
この間もリィゼは城内を駆けている。
ビッ!
糸を腹の後ろから吐き出す。
時にその糸を巧みに使い、走るより速く移動する。
糸を柱にくっつけ、弧を描いて宙を飛ぶ。
階段などはこれであっという間だ。
走るより速い。
――急がなくては。
城門を出る。
ほどなくして巨狼が集まってきた。
彼らの機動力なら、追いつけるかもしれない。
▽
移動しながら他の者たちと合流し、リィゼたちは銀の扉の前まで来た。
「この地面の状態……それからこの足跡の新しさと、数……」
すでに、外へ出ている。
「ねぇイダタ、鍵の管理は?」
「し、していました」
「数は合ってる?」
「先日ベルゼギアに渡して以降は、一つも減っていませんでした」
辺りを見回すリィゼ。
「神獣の姿がないわ……今日もこの辺りで、待機のはずなのに」
最初から、あの神獣まで裏切る算段だった……?
いや、現時点で決めつけはできない。
ジオやキィルに脅されたのかもしれない。
神獣の姿は――見えない。
「……とにかく」
今は、ジオたちを追わなくては。
ケンタウロスより巨狼の方が速い。
追いつけるかもしれない。
違う。
絶対に、追いつく。
三つ首の巨獣犬――ケルベロス。
巨狼たちを束ねるその魔物の名は、ロア。
「ロア、アタシを乗せて」
「追うのであるな?」
ロアは巨狼と話せるだけでなく、こちらの言葉も解する。
ちなみに喋れるのは、真ん中の頭部のみ。
「最悪、アタシだけでも追いつければいい! いいわねロア!? ジオたちの足跡とニオイを辿るのよ!」
「わかったのである」
ロアに飛び乗る。
振り落とされぬよう糸で身体をロアに固定。
と、リィゼはそこで目を細めた。
続き、舌打ち。
「――アーミア! 盾の後ろに、短刀を隠してるわね!?」
「武器を持つなとは言われたが……やはりここから先は、武器無しだと危険ではないかと思ったのだ」
「だめ! 盾で十分よ! 攻撃性のある武器は必要ない! 幼子を持つ母ラミアを殺したいわけ!? さ、ここへ置いていきなさい! 他のラミア騎士も!」
アーミアが盾の後ろに隠している短刀を捨てるよう指示を出す。
短刀が放り捨てられ、高く硬質な音が立て続けに鳴った。
リィゼはアーミアをつぶさに観察する。
「? アーミア、それは何っ!?」
革帯の小袋を開き、中身を見せるアーミア。
「これは、音玉だが」
音玉とは魔導具の一種である。
魔素を一定量以上注ぐと、その名の通り音を発する。
「互いに離れることがあるかもしれない。外は広いだろうしな……離れた位置での合図に必要だろう。というか、これはリィゼ殿も持っているものでは? ……大丈夫か? 少し、神経過敏になっているのでは?」
「……そうかもね。ごめん、アーミア」
リィゼは、汗ばんでいる額を拭った。
睡眠不足や連日の疲労のせいもあるだろうか?
確かに、今の自分は普段通りとは言えないかもしれない。
(気を、入れ直さないと)
一つ深呼吸し、リィゼは声を張って号令を発した。
「ラミアと竜人は乗れるだけ巨狼に乗って! ハーピーは上空から捜索! ジオたちや女神の勢力らしき者たちを見つけたら、すぐにアタシへ報告して! イダタ――開門!」
「は、はい!」
イダタが鍵を窪みに嵌めると、門が開いた。
リィゼは彼女からその鍵を受け取る。
受け取るやいなや、ケルベロスは矢のように外へ飛び出した。
巨狼たちとハーピーがそれに続く。
止める。
止めて、みせる。
もしくは――
先に人間たちを見つけて、説明する!
敵ではないと。
必ずジオたちは説得するから手を出さないでほしい、と。
リィゼの頭の中を一つの疑問が渦巻き続けている。
ジオ。
キィル。
なぜ?
どうして?
なぜなの!?
どうしてなの!?
(アタシが交渉しさえすれば、すべて上手くいくのに――)
丸く、収まるのに!
前回更新後にまた1件、レビューをいただきました。ありがとうございます。
そして、次話更新は5/12(水)か5/14(金)の21:00頃を予定しております(今のところは12日目標で考えております。その時の推敲状況を見て……という感じになるかと思います)。