禁呪
前回更新後にまた新しく1件レビューをいただきました。ありがとうございます。
それから次話更新の告知についてなのですが、執筆の進捗状況を見て、更新日が告知できそうな進捗状況の時には今後も告知していければと思います(本当は、決まった日や曜日に定期更新できるのが一番なのですが……)。
女神の名を聞いたムニンは、
「……そうしたい理由は、なんなのです?」
「復讐」
きっぱり、俺は答えた。
ムニンが視線を彷徨わせる。
言葉を探している感じ。
「ベルゼギアさんは、その――」
ムニンはそこで言葉に詰まると、俯いた。
彼女の口もとはきつく結ばれている。
ほどなくして、
「あの」
と、顔を上げるムニン。
「わかりました」
禁字族の族長から次に出た言葉は――それだった。
やや間を取って俺は確認する。
「今の”わかりました”は、どう解釈すれば?」
「ご協力します、という意味です。あなたの――復讐に」
「…………」
先ほど禁呪の名を出して以降。
彼女の感情は明らかに揺さぶられていた。
反応を見ればそれは明白だった。
そんな彼女の瞳や表情の中に宿っていたもの――
期待。
希望。
禁呪の名が出た時から、彼女はソワソワし始めた。
そして、その膝の震えも。
深呼吸も。
こんな、感じだった――
”ついにきた”
というような。
待ちわびた、というような。
だから俺は率直に禁呪の力を得たい理由を話した。
要するにだ。
「女神に対して……あなたも何か、内に抱えているものがあるのですね?」
俺は問う。
ムニンは薄く目を開いたまま、口もとをきつく引き結んだ。
やがて、口を開く。
「女神はわたしたち禁字族を……この世から、消し去りたいと考えているのです」
復習するみたいに、俺は言う。
「それを知ったあなた方は、この国へ逃れてきた」
左右の手を膝の上で重ね、頷くムニン。
「禁呪がどのような呪文かまでは知りません。ですがご存知の通り、禁呪は女神にとって都合の悪い力のようです」
ムニンが疲れた吐息を漏らした。
「代々そう伝えられてきました。わたしたちの世代は……外の世界を知りません。そんなわたしたちが女神に見つかってしまえば……きっと、一人残らず殺されてしまうでしょう」
ムニンの微笑みは悲しげである。
「禁字族が、まだ外の世界で暮らしていた頃……たくさんの同胞が殺されたと聞きました。禁呪の存在を知った女神は、禁字族を根絶やしにしようとしていたようです。ただ……その時ちょうど、根源なる邪悪が降臨しました」
混乱の、どさくさの中で。
亜人族たち。
魔物たち。
禁字族たちの――
大規模移住が、始まった。
「降臨したその根源なる邪悪はかなり凶悪だったと伝えられています。侵攻も人々が震えあがるほど苛烈だったとか。ただ……皮肉なことに、そのおかげで、女神及び人間勢力は、根源なる邪悪との戦いにすべてを注ぎ込まねばなりませんでした。つまり、わたしたちの方へ割く余力が一切なくなってしまったのです」
当時の亜人族や魔物たち。
彼らはこの大陸で暮らしていくことに限界を感じていた。
亜人族は迫害されがちだった。
金眼ではない魔物も、
”いつ金眼になるか知れたものじゃない”
そんな風に危険視されていた。
大陸の大半がそんな空気の中――
一部の者たちが、どこかへ隠れ住む計画を立て始める。
人間たちに見つからぬ安住の地。
どこかにそんな場所があれば、と。
計画者の中には不死者ゼクトもいた。
そんな彼らが目をつけたのは――とある巨大地下遺跡。
大陸では、まだ存在の知られていない遺跡。
さて。
これに手を貸したのが、当時のアナオロバエルである。
彼女は彼らに知恵と道具を与えた。
そうして、不死者ゼクトらを中心として――大規模移住が行われた。
そこまで語り終えると、一度ムニンは言葉を切った。
虐殺された過去の同胞に想いを馳せているのだろうか?
黙祷めいた間があってから、彼女は再び口を開く。
「当時、根源なる邪悪が引き起こした大混沌期……女神たちが根源なる邪悪の対処で手一杯となっていたその時期にしか、好機はなかったのです」
「なるほど……あなたたち禁字族は、そうして女神の目と手から逃れた。しかし――」
女神はまだ、諦めていない。
ムニンもついさっきそれを知ったそうだ。
ゼクト王の使いから”さわり”は聞いているだろう。
が、改めて俺は今のヴィシスの目論見について語った。
先日、勇の剣という連中がここを突き止めたこと。
女神がニャキ以外の神獣を所有していること。
今、女神の手の者たちがここを目指しているであろうこと。
「今お話しした通り、女神はあなたたち禁字族をこの世から消し去るのをまだ諦めてはいません」
「そのよう、ですね」
悄然となって、ムニンが肩を落とす。
が、彼女はすぐさま毅然と顔を上げる。
「女神は、禁字族がある時この大陸から姿を消したのをのちに知ったはずです。大量の亜人族や魔物と共に。長らくここが見つからなかったのは……ゼクト王の推測では、外にいたアナエル様が何か対策を講じてくれたからではないか、と」
「……なるほど」
あのエリカのことだ。
ここが見つからぬよう何か対策を講じていた可能性はある。
「ですが、ベルゼギアさんもご承知の通り女神は決して諦めなかった。そう……諦めることはないのでしょう。わたしたち禁字族を――確実に、根絶やしにするまで」
「ワタシも、そう思います」
逆に言えば。
完全に、ウィークポイントなのだ。
禁呪の存在は。
女神にとって。
「で、あれば――」
ムニンがしかと、目を開く。
「女神を打ち倒さなければわたしたち禁字族――クロサガに、安息の日は永遠に訪れない」
「つまり――」
「ええ、ベルゼギアさん」
スッと。
ムニンが立ち上がる。
「あの女神を打ち倒すためでしたら、わたしたち禁字族は、あなたにご協力いたします」
強い決意を伴った目。
彼女はその目で俺を真っ直ぐ見つめた。
マスクの下で、俺は――ほくそ笑む。
望みは一致していた。
禁字族と。
確かにそうだ。
あのクズ女神はいつまでも生きるように思える。
死なずに、生き続ける。
で、あるならば。
女神潰し。
そう。
彼らが生き残るには――叩き潰すしかない。
あの性悪女神を。
俺も立ち上がる。
そして、頭を垂れた。
「ご協力の意思を示してくださったこと、感謝いたします。これで、とても心強い味方を得られました」
顔を上げ、続ける。
「さて、となると……」
いざ協力を仰ぐことには成功したものの……。
何からすればよいものか?
「ムニン殿」
「そんなかしこまった呼び方をしなくとも、よろしいですよ?」
先ほどの厳しい表情をいくらか和らげて。
ふふふ、と目もとを緩めるムニン。
「わたしだって、ベルゼギアさんと呼ばせていただいているのだし」
「……では、ムニンさん。あなた方が禁呪に関して知ることを教えていただけないでしょうか? 実を言いますと”これが禁呪の呪文書であり、どうも女神に対して有効らしい”ということくらいしか、ワタシは禁呪について知識を持っていないのです」
そう、実際のところ――
禁呪のことを、驚くほど俺は知らない。
ムニンは目を細め、
「かしこまりました」
そう微笑んだ。
「ではまず……わたしたち禁字族はその名の通り”禁字”とされた特殊な古代文字を読むことができます。ちなみに――」
苦笑するムニン。
「”禁字族”という名称は、女神がそう呼称していたものが定着しただけ。つまり、わたしたち自らがそう名乗ったわけではありません」
「本来は”クロサガ”ですね」
「ええ。ただ、わたしたちは幼い頃から”自分たちは禁字族なのだ”と教えられてもきました。ですから”禁字族”と呼ばれることにそこまで抵抗はありません。そこはどうか、お気遣いなく」
「わかりました」
今のは、
”禁字族と呼んでもいいですよ”
と、断りを入れてくれたわけである。
「禁呪の発動方法については、ご存じなのですか?」
「発動させたことはありませんし、呪文書を目にしたこともありません。呪文書は、この集落にもずっと存在していませんでした」
そうなるか。
ただ、とムニンは続ける。
「発動させる方法は、知っています」
「――――――――」
これは朗報である。
これで、ここから発動方法を探す手間はなくなった。
次にムニンは、発動方法の説明を始める。
「まず、呪文書に綴られた呪文を読みます。そして――自らに、禁呪を”定着”させます」
自分自身に禁呪を宿らせる、みたいなイメージか。
「すると、身体の一部に紋様が刻み込まれます。その状態で、使用したい時にまた呪文を唱えると発動するという話です。それから……発動には魔素を必要とします。わたしたちクロサガは魔素の練り上げや操作には長けていますので、問題はないでしょう。ただ……実は、最も重要となるのが――、……ベルゼギアさん? 何か、気になることでもおありですか?」
俺は無意識にあごのところへ手をやっていた。
「発動へ至る過程以前の問題、と言いますか……」
そのまま疑問をぶつける。
「禁呪の性質のようなもの……つまり、どういう効果や作用を持った呪文なのかは、実際に使用するまで不明なのでしょうか?」
言われてみれば、という顔をするムニン。
「禁呪は一種類ではないと教わっています……発動前にどういう呪文かの判断方法があるかどうかは――そうですね、確かにそれは……」
彼女の目が薄ら開き、俺を上目遣い気味に見た。
「その呪文書……一つ、見せていただいてもよろしい?」
「どうぞ」
結び紐を解いて呪文書をムニンに渡す。
彼女は呪文書を受け取って、開いた。
上下を持って呪文書とにらめっこするムニン。
やがて――目を見開く。
次いで彼女は俺の隣に立つと、呪文書の下部を指差した。
「ここは詠唱用の呪文ではありません」
「呪文ではない?」
今の立ち位置。
顔を横へ向けると、すぐそこにムニンの顔がある状態。
「ここは、この禁呪の効果について綴られたものです」
「――――――――」
正直なところ。
詠唱する呪文の内容から効果を推察する流れかと思っていた。
が、ご丁寧に効果が書き記されているらしい。
「……して、禁呪はどのような効果を?」
「”神族のあらゆる防壁系統の能力を消し、封じる力”と」
脳裏に、蘇ってくる。
あの時の光景――クソ女神の、耳障りな声。
『私には【女神の解呪】という保護膜が常時付与されているのです』
保護膜。
つまりは――薄く覆う”壁”、ともいえる。
『そうですね……あなたようなE級にもわかりやすく言うなら、状態異常系統の呪文を私は自動で絶対防御できるのですよ』
絶対防御。
つまりは”防ぐ力”、ともいえる。
防壁系統の能力。
決まりだ、とまでは断言できまい。
絶対は存在しない。
ゆえに――確実とまでは、言い切れない。
が、
「十分です」
目の前に広げられた呪文書。
人差し指をその中心に添え、俺は言った。
「十分――賭けるに、値します」
▽
ところでムニンさん、と俺は呪文書をしまいながら言った。
「単刀直入にお尋ねしたいのですが……禁呪は、禁字族以外の者でもその”定着”は可能なのでしょうか? つまり……読み方を教わるなりして呪文さえ読めるようになれば、禁字族でなくとも、使用できるのですか?」
ムニンはそこで、困った風な顔をした。
「可能であり――不可能です」
可能であり不可能。
どちらでもある、という意味に取れるが。
ムニンもその言葉の曖昧さを理解しているのだろう。
すぐに、補足を始める。
「結論から言えば”定着”自体は可能です」
「しかし他に、問題がある」
「はい」
シュルッ
言うと、ムニンが肩近くの結び目を解いた。
結ばれていた布地が解け、ひらりと垂れる。
ムニンは、数歩距離を取ってから俺に背を向けた。
すると――彼女は、衣服を腰のあたりまでずり下げた。
上半身が完全に露出した状態となる。
ムニンは胸の辺りを片腕で覆いながら、そっと振り向いた。
「これを、ご覧ください」
肩甲骨の辺りから生えた黒き翼。
左右の翼のちょうど真ん中の位置――
首から少し下に、紋様があった。
薄らとした灰色。
タトゥーっぽく見えなくもない。
「この紋様は、両翼、片腕、片目、剣、盾、そして……鎖を現していると伝えられています」
こうして説明を受けないと分からないものの……。
パーツごとに分解すると、そう見えなくもない。
言われないとわからぬほど簡略化されすぎた記号だが。
ともあれ……。
ムニンが俺にこれを見せた意図は何か?
おそらく、
「この紋様を持つ者でなくては、使用できない?」
「”定着”だけなら誰でも可能です。しかし……この紋を持つ者以外が禁呪を使うと、その者は死に至ります」
「…………」
「この世のものとは思えぬ死痛の果て、全身から血を噴き出して命を落とす……そう伝えられています」
不吉な調子で言い、彼女は衣服を着直した。
なんか【パラライズ】と【バーサク】の合わせ技みたいな死に方だな。
しかしなるほど、
「だから”可能であり不可能”とおっしゃったのですね」
紋を持たぬ者でも禁呪の”定着”だけなら可能。
が、使用する際は死に至る。
ふむ。
ちなみに、と俺は聞く。
「紋を持たぬ者が使うと、死には至るとして……発動自体は行われるのですか?」
「…………」
「そこまでは、わかりませんか?」
死と引き換えに禁呪を発動させる。
いや……しかし。
仮にそれができたとしても――
「残念ながら」
ムニンが、申し訳なさそうに首を振った。
駄目か。
死ぬだけで発動もしない。
となると、
「禁呪を発動させるには、どうあってもその紋を持つ禁字族が必要となるのですね」
こくり、と。
頷くムニン。
「そして、この紋を持つ禁字族は……集落にはわたしと、もう一人しかいません」
禁字族全員が紋持ちではない。
二人。
たった、二人か。
「ですので、私が同行いたしましょう」
「ワタシとしてはありがたいですが……よいのですか? あなたは、族長でもあるのでは?」
薄く目を開きムニンは――微笑みを浮かべた。
「族長だからこそ、クロサガの未来のためにやるべきだと思うのです。それこそが、族長の使命かと」
柔らかくはあるが、覚悟を決めた微笑。
俺はその場に膝をつき、改めて頭を垂れた。
「……わかりました。あなたの覚悟に、心より感謝を……決して無駄にせぬよう、最善を尽くすと誓います。全力をもって――女神ヴィシスを、叩き潰してみせましょう」
ムニンは姿勢を正すと、下腹の辺りで両手を重ねた。
それから、ふふふ、首を少し傾けて笑った。
「ええ。わたしからも、心よりの感謝を」
と、彼女のその笑みが苦いものへと変わっていく。
「ただ……禁呪を使用するためにはもう一つだけ、魔素の他にどうしても避けて通れぬものがあるのです」
まだ何か必要なものがあるらしい。
「それは”媒介”です」
「媒介……」
「本当に申し訳ないのですが、この集落には昔からその媒介が存在しておりません。そして――呪文書と同じくらい、その媒介は入手難度の高い代物のようなのです」
「見たことはありますか? たとえば、形状などは……」
「すみません……見たことがないので、あまり適当なことも言えません」
「いえ。あなたが謝ることではありませんよ、ムニンさん」
面を伏せ気味にし、顔に陰を落とすムニン。
「あの、一応ですが……この国へ入る前に”大陸西のナシュル山脈で入手できた”という情報は得られていたみたいです。ただ、その当時ですでに希少品だったらしく……今でも入手可能なのかは、わたしにも――」
わからなくて、とまた申し訳なさげに首を振るムニン。
「…………」
なるほど。
禁呪の呪文書を読むだけでは習得はできない。
呪文書と習得者の”仲立ち”をする媒介が必要、と。
「その媒介は消耗品なのですか? それとも、一つあればずっと使い続けられるものですか?」
「宿す時に消費される、と伝わっています。そして、発動後に定着させた紋は消えるそうです」
てことはだ……。
媒介の個数分しか発動できない。
MPさえあれば連発できるスキルとは違う、か。
要するに――無駄打ちは不可能。
禁呪の場合は、決められる時に確実に決めねばならない。
……しかし、希少品か。
あご部分に親指を添え、俺は言う。
「希少品といえば……西地方の国に、少し心当たりがあります」
そう、
ヨナト公国とミラ帝国。
この二国である。
ヨナトは聖遺物と称する希少品を溜め込んでると聞いた。
ミラも、大量の希少品を集めた大宝物庫とやらがあったはず。
しかも、なんでもかんでも女神に献上してはいないという。
もっと言えばその二国は大陸の西地方に位置する。
そして、その希少品とされる媒介が入手できる山脈も西地方。
「…………」
先の大侵攻でヨナトはかなりの被害を受けたと聞いている。
王都までもが相当な損害をこうむったとか。
今なら案外――潜入しやすいかもしれない。
ミラは、確か勇の剣から得た情報によると……。
狂美帝の兄でもある将軍が、神獣を狙ってるのだったか。
ニャキをこの国から出せるかは微妙だろう。
できる限り俺もそれはしたくない。
が、ニャキをこの国から出さずとも……。
その存在をダシに交渉の場に引きずり出すくらいは、できるのではないだろうか?
「媒介の入手のために、わたしにも何かご協力できることがあれば遠慮なく言ってください。つまり、その……それを探す旅に出るのでしたら、わたしもご一緒させてほしいのです。あ――この翼は大丈夫よっ。あまり長時間だと厳しいけれど、小さくすることはできるからっ。それに……後でお見せするけれど、紋を持つ者にはちょっと便利な特技があって……」
黙考していた俺は、あご部分に親指を添えたまま顔を上げた。
「ちなみにムニンさん、その希少品の名は?」
「青竜石、というのですが」




