暗闇の中で、ひずみ
「……何か、まずい」
「ルイン、一体どうし――」
「全員、戦闘態勢に入れぇぇええええ――――――――!」
ルインが、叫んだ。
他の三人は一瞬で悟る。
何かが起きている、と。
全員、即座に意識を切り替えた。
ルインの勘が何かを告げた。
長いつき合いである。
こういう時は十中八九、本物の危機が迫っているのだ。
ルインのこの直感に何度助けられたことか。
互いに背を庇い合うようにし、円陣を作る。
肩越しに、ユーグングが聞いた。
「やべぇんだなっ!?」
「何かわからないが――とてつもなく、何かまずい!」
具体性は欠けに欠けている。
が、疑う余地はない。
「”白壁雑音”を”要塞型”で張ってくれないか、ミアナ!」
「えっ!? よ、要塞型が必要なの!?」
「早く!」
「わ、わかったわ!」
ミアナが右手に手甲を嵌める。
肘までは届かぬ濃い紫色をした手甲。
ツノめいた突起が特徴的な詠唱専用の魔導具である。
詠唱系の魔導具は選ばれし者にしか使えない。
そしてミアナはその選ばれし者だった。
魔素を練ると、魔導具に刻まれた結晶部位が青白い光を放つ。
次いで、彼女の周囲に光文字が現れた。
文字は指輪めいた形でミアナの周りに浮かんでいる。
浮かんでいる文字は詠唱文である。
が、彼女はもうそれを読まずとも”そら”で言える。
詠唱を始めるミアナ。
「――あらゆるものを視ず、聴かず……運命を劇的に弄びし、無形にて遊戯なる罪人……六の名を持ちし壊神の刃により断頭さる、銀乙女に焦がれし雑音なる魔術師――”白壁雑音”!」
詠唱後、光の詠唱文が手甲に吸い込まれる。
そして――
中空に出現したのは、ほぼ正方形の薄板。
板は縦横2ラータル(2メートル)ほどの正方形。
砂嵐のような模様――否、その”砂嵐”は動いていた。
どこぞで発生した砂嵐が板に投影されてでもいるかのようだ。
ゆえにこの板は、視界を遮ってしまう。
が、ルインの狙いはまさに”そこ”にあった。
ミアナが何枚もの板を生み出す。
そして魔素の量を調節しながら、その板を宙に固定していく。
さすがはミアナである。
あっという間に、半円球に近い形で配置を終えた。
要塞型。
この板は防御壁としての機能も果たす。
かつては分の悪い防戦の際によく使っていた。
しかしある時期を過ぎると、出番はなくなっていった。
「いつ以来だろうな、要塞型なんてよっ」
隙間から外を警戒しながら、ユーグングが言った。
不格好な半球に包まれた状態だが、密閉はされていない。
身体を横にすれば通り抜けられるほどの出入り口がある。
ただし――外部から”全身”を確認することはできない。
もし全身を視界に収めるのなら――
出入り口の距離まで近づき、そこから内部を覗き込む必要がある。
「…………」
なぜだろう。
今さらながら、ルインは不思議に思った。
”全身が視界に入るのはまずい”
理由はない。
直感で、そう思った。
けれど――何がまずい?
見えても”半身”ならいいのか?
なぜ自分が”全身だとまずい”と思ったのか。
わからない。
しかも今、辺りは夕闇……。
闇に閉ざされれば、視界は自然と狭くなる。
奥行きも失う。
(全身が相手の視界に入るのがまずいのなら、このまま闇に閉ざされてしまうのを待てばよかったのでは……?)
「…………」
(いや……)
思い直す。
直感が、告げている。
”完全なる闇の時間は、さらに不利になる”
と。
(相手は夜目がきくのか? となると、やはり魔物のたぐい?)
考えれば考えるほど不気味さは膨張していく。
(遠距離戦が得意な相手、ということか……?)
近接戦なら自信がある。
正面からぶつかるなら誰にも負ける気はしない。
あの”人類最強”にすら、だ。
この任務を受ける少し前、ルインは女神からこう言われた。
『あなたとサツキさんは私の大事な切り札なのですねー。”人類最強”や異界の勇者に頼りきりでは何かと危険ですから。道理のわかるまともな味方が必要なのです。ええ、そうです。もし”人類最強”や異界の勇者が錯乱して私に反旗を翻しでもした時、私を守ってくださる善良な方々が必要なのです。ただ、現時点で彼らに対抗できる味方がいると知られてしまうのは避けたいので……今は、できるだけ世間に真の実力を隠しておいてください。今はまだ、その時ではありません』
(あの時……)
女神の部屋を去る前。
こう声をかけられた。
『”人類最強”シビト・ガートランドが人という意味で最強なら……”勇の剣”ルイン・シールは、私の知る限り”勇血最強”です。そして――今後の伸び代で言えば、あなたはあの”人類最強”を遥かに凌駕する。私が、保証します』
女神のお墨付きまでもらっている。
最強。
強者。
昔、ひと目だけシビト・ガートランドを見たことがあった。
一瞬で、理解した。
絶対的な強者のみが持ちうる圧。
(しかしこの近くにいる”何か”は……あれとは、違う)
何かが、ちぐはぐ。
強者、ではない。
純粋に――不吉。
そう、凶性を宿した何か……。
「……ふぅ」
(ごちゃごちゃ考えても仕方がない。ともかく……)
ルインは息を吐き、一度思考を引き戻す。
(ここは、僕の勘を信じるしかない)
自分の予言的直感に従う。
それこそが正しい判断のはずなのだ。
今までもそうだった。
ルインの勘はある意味、占いに似ているかもしれない。
相関関係はわからない。
が、助言に従っていると幸運が舞い込んだり、不幸を回避できたりする。
気を取り直したルインは息を吸い込み、呼びかけた。
「何者だ!? 姿を見せろ! 僕たちは女神ヴィシスより命を賜りし”勇の剣”! 僕らと敵対しても、そちらに得はないと思うが! あるいは、何か誤解があるのかもしれない! どうだ!? まずは、話し合わないか!?」
呼びかけてみたが、反応はない。
闇はただ深く、静かに、沈黙している。
張りつめた顔のアレーヌが、隙間越しに外の様子を窺った。
「ねぇ、ルイン。サツキたち……大丈夫、だよね?」
「……サツキたちはむしろこの異変には行き遭っていないかもしれない。ここに残った僕らだけが……”何か”に、行き遭ったのかもしれない」
大斧を手に外を見やったまま、ユーグングが尋ねる。
「どう思う? 人面種だと思うか?」
「いや、ここは深部じゃない……むしろ外縁部に近いんだ。この前倒した人面種より脅威となるやつがこの辺りにいるとは、思えない」
青ざめたミアナが、息を呑む。
「じゃあ、一体……」
「ただ一つ確かなことがある。最果ての国が近い、ということだ」
「! 向こうが勘付いて、先に仕掛けてきたってことか!?」
「ありうる」
「くそがぁっ! 人モドキどもは、引きこもってばかりじゃねぇってことかよ!」
「……それにしても」
最果ての国の住人たち。
こんなにも――恐るべき相手なのか?
何かが、違う気がする……。
この気配は。
ぬるま湯に浸かっていた者たちには、どうにもそぐわない。
戦いを拒み。
逃げ続け。
果てに、いっときの楽園へと逃げ込んだ臆病者たち。
(いや、これがその臆病者たちの正体だというのか? だったら……)
「ヴィシス様の、言った通りだ」
「ルイン?」
「やっぱり……滅ぼすべき相手だよ、最果ての国のやつらは」
この禍々しさ。
不吉さ。
正体が大魔帝だと言われても、驚きはしない。
(まあ、仮に大魔帝なら邪王素の影響があるはず……となると本当に、この圧の持ち主の正体は一体――)
と、
「!」
ルイン以外も、気づいた。
「誰か、来る」
かすかだが……足音がする。
耳を澄ます。
風が、出てきていた。
木が揺れ、耳が取り込む音を阻害する。
だから、もっと聴覚に意識を集中させていく……。
「――ぁ゛――ぅが――、……ッ!」
声。
声だ。
背を壁に貼り付け、
「魔物の、咆哮……?」
声の正体を見定めんと、双眸を細める。
――ベキバキッ、ガサササッ――
枝の折れる音。
それから、葉擦れの音。
サツキたちではない気がした。
彼らなら、こんな風な荒々しい移動はしない。
が、
「サツキ!」
姿を覗かせたのは、サツキだった。
真っ先にその異変に気づいたのは、ルイン。
「サツ、キ……?」
「ぐるぁぁああああ! がぁぁああああああああ――――ッ!」
「サツキっ!?」
闇からまろび出てきたのは、紛れもなくサツキである。
が、明らかに様子がおかしい。
白目を剥き、唾を飛ばしている。
走り方も不格好だ。
普段のサツキからは考えられない。
手にしているのは、カタナ。
「!」
刃に、血がついている。
何か――斬ったのだ。
それより、
「サツキ、何があった!?」
呼びかけるも、サツキは止まらない。
怯えているのとは違う。
正気を失っている――そう、見える。
「ねぇルイン、サツキの様子がおかしいわ!」
「あ、ああ……っ」
といっても、どうする?
どうすればいい?
魔物が襲ってきたなら排除すればいい。
けれど、駆けてくるのはどうみても正気とは思えぬ”仲間”。
大切な、仲間なのだ。
「ぐがぁぁあああ゛あ゛っ!」
ビタンッ!
サツキが、雑音壁に衝突した。
「おわっ!?」
一度跳ね返される形で転がったのち、サツキは、すぐに起き上がる。
そして、
「ぐぎぃぃ――うがぁぁああああ!」
カタナを、隙間から突き刺してきた。
「きゃあ!」
「ちょっ……よしやがれ、サツキ! おれたちが、わかんねぇのか!?」
ルインは唇を噛み、剣の腹でサツキの突きを流した。
皆、サツキのいる面から離れる。
するとサツキは、刃の届く位置まで素早く回り込んできた。
再びルインは、洗練さに欠けた突きを受け流す。
「サツキ、何をされたんだ!? 捜索中に、何があった!?」
「がぁぁあああ゛あ゛! がっ! がっ! がぁっ!」
突きが収まる様子はまったくない。
言葉が理解できている感じすら、ない。
雑音壁の隙間は身体を横にすれば入れる。
それは見れば誰でもわかることだ。
なのにサツキは、入れないと認識しているらしい。
ルインの呼吸が、乱れていく。
(というか……なんなんだ、この殺意は? なんでサツキが、僕たちにこんな殺意を……)
「ぃ――いやぁぁああああ! こんなの嫌ぁああ! 嫌、嫌、嫌ぁあ!」
頭を抱えて叫び、その場にへたり込んでしまうアレーヌ。
血の気の失せたミアナが助けを求め、ルインを見る。
「どどど、どうすんのよルイン!? 何か方法はないの!? ねぇ!」
「カロと、ナンナトット……」
「え?」
「カロとナンナトットは、どうなった?」
ガチガチ、と。
震えるミアナの歯の根が、合わなくなっていく。
「ねぇ、ルイン……まさか……あの、カタナについてる血って……」
ルインは唇を噛みしめると、悲痛な顔で言った。
「まだ、そうと決まったわけじゃない……ッ!」
四人の顔に絶望が滲み、広がっていく。
あのサツキがこんな状態に陥っている。
なら、サツキに劣る他の二人が無事である可能性は――
「何が……最果ての国を目前にして、何が起こっているっていうんだ!? くそっ……くそぉおおっ!」
そこで、はたとルインは気づく。
何か、そう――
サツキの身体から、泡のようなものが……。
「?」
錯覚……ではない。
ポコポコ、と。
確かに何か、小さな気泡のようなものが浮き出ている。
泡は肌から宙へと浮かび上がり、弾けて消えていく。
(なんだ、あの泡……?)
「ぐぎ、ぐぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃ……ッ」
突然、サツキが首を掻きむしり始めた。
両手の爪が、肌の表面を削り裂いていく。
「ちょっと!? 何してるのよサツキ!?」
それは。
まるで、どうしようもない苦しさから逃れようとするかのようで。
(苦、しんでる? だが、これで動きが止まってくれれば……ッ!)
しかしルインのその望みは叶わず、
「がぁぁあああ゛あ゛っ!」
サツキは苦しみを伴ったまま、攻撃を再開した。
ルインは口を半開きにしつつ、その異変を見極めようとする。
(弱って、きている……?)
どうやらサツキは、少しずつ弱ってきているらしい。
(あの泡のせい、なのか……?)
何がなんだか、わからない。
何が起きているのかすら、わからない。
しかし状況は――進んでいく。
「きゃぁああ!? る、ルイン! サツキが……サツキが、入ってくるぅ――――ッ!」
サツキが、身体を隙間に捻じ込み始めた。
「ねぇちょっとどうするのよ!? なんとかして、ルイン!」
ユーグングが斧を水平に持ち、通せんぼを試みる。
「くそったれがぁ! サツキてめぇ! まさか、おれたちの顔を忘れちまったのかよぉ!?」
「がぁっ!」
スパッ!
「ぐ、ぉ!?」
サツキの放った突きが、ユーグングの片耳を斬り裂いた。
斬られた耳が裂け、上下に分かたれた状態になる。
「ぃ――痛ぇ! いってぇえ!」
ルインは弾かれたように、咎めに近い調子で声を上げた。
「仲間を斬ったのか、サツキ!?」
「がぁっ! がぁあっ!」
「くっ……頼む! 後生だ! 正気に戻ってくれ! サツキぃいい! 僕らの決着が、こんな形でついていいはずがない……ッ! 僕は、こんなの嫌だ!」
涙ながらに訴えるも、
「ぐがぁ!」
突きが、ルインの真横を通り抜けた。
ルインは項垂れ、剣を握る手に――力を込める。
もはや、打つ手なし。
「サツ、キ――」
「ぐがぁぁああ゛っ!」
「…………、――――――――許せ」
ズバァンッ!
下から、上へ。
強烈な斬撃が、凄まじい精度にて放たれた。
的確に”死”をなぞった一撃。
完璧すぎるほどの、太刀筋と言えた。
「が、ぁっ……!? ぁ、が――」
サツキがのけ反り、カタナを取り落とす。
その時、だった。
よく知る光が、サツキの瞳に戻った。
「ルイ、ン」
「え?」
サツキの目が、語っていた。
”なぜ?”
と。
おそらく彼が最後の一瞬に認識したのは、
”わけもわからずルインに斬られた。そして、自分は死ぬ”
そんな感想だったであろう。
隙間の途中で力尽きたサツキの死体……。
皆、しばらく呆然とそれを眺めていた。
やがて、斬られた耳を押さえながらユーグングが口を開く。
「サツキのやつ、最後……正気に戻ってなかったか? まさか……もうちょっと待ってりゃあ、元に戻ってたんじゃあ……」
「ちょっとやめてよ、ユーグング!」
ユーグングを睨んだまま、放心中のルインを抱き寄せるミアナ。
「何よそれ!? まるで、ルインが選択を間違ったみたいな――」
「……ちっ! なんでもルインが正しいと思ってんだよな、おまえさんはいつもよぉ……っ」
「……はぁ何!? 文句あるわけ!?」
「るっせーなぁぁっ……こちとら、怪我してんだよ!」
「何……その、言い方っ――」
「やめろ、二人とも!」
ルインは大喝し、諌めた。
「二人とも混乱してるのはわかる……けど、落ち着くんだ。まだ、危機が去ったわけじゃない」
「ああ、そうだぜ……それに、悪ぃのはニャキだ。すまねぇミアナ……そもそもの原因は、あのクソ人モドキなのに」
「あ、あたしこそごめんっ……そうよね。この怒りは全部――ニャキにぶつける」
「……やってやろうぜ、ミアナ」
「うん、ユーグング」
コツッ
二人が、こぶしを合わせる。
「絶対にニャキを捕まえて――」
「――必ず、みんなの仇を取る」
先ほどまで険悪だった二人の雰囲気が元に戻った。
ルインはひとまずホッとする。
次いで耳を両手で塞ぎ縮こまっているアレーヌを一瞥したのち、
「”光玉”をこの周辺にまいてくれ、ミアナ」
ルインはそう指示を出した。
が、
「わたしが、やる」
名乗り出たのは、アレーヌ。
「光玉ね? 全部、使うの?」
「あ、ああ……」
「わかった」
アレーヌが荷物に駆け寄り、中身を漁り始める。
ルインはちょっと嬉しくなって、口端を緩めた。
(悪かったアレーヌ……君は、僕が思うよりずっと強い子なんだよな……)
光玉を漁りながら、アレーヌが汗をかきつつ言う。
「絶対、ニャキにはわからせるから」
「…………」
「わたしたちをこんな風にしたニャキには……絶対、何がなんでも責任取らせるから……っ!」
ルインは感極まりそうになったが、どうにか抑えた。
そして、ひと言だけ言った。
「当然だ」
外の闇へ向き直るルイン。
「僕たちは、この世界を照らす”光”そのものだ」
深き闇に視線を注ぎ、目をそらさず真正面から睨み据える。
「邪悪な闇なんかに、絶対に負けたりしない」
必ず、勝って――
「――ッ?」
「どうした、ルイン?」
「……いや」
気の、せいだろうか。
それはとても遠く、小さなものだったが。
ふと、聴こえた気がした。
奇妙にひずんだ声で、
”楽しんでるか?”
と。




