潰
「トーカ殿」
「……ああ」
俺とセラスの視線は、同じ方向へと注がれていた。
何かが近づいてくる気配――音。
意識を、聴覚に集中させる。
「何かから、逃げてる」
この感じ。
演技じゃなければ、相当必死に逃げてる。
いつでも戦闘に入れる準備はしつつ、俺たちは待機した。
やがて、
ガサッ!
葉が舞い散り、一人の少女が飛び出してきた。
少女は一度、大きく口を開いた。
それからややあって、
「に、逃げてくださいニャ!」
……猫耳。
亜人族か?
髪は薄桃色。
背丈はかなり低い。
子ども、って感じだ。
しかし……。
こんなところに、なぜ子どもが?
「……何かに追われてるのか?」
尋ねると猫耳少女は立ち止まり、背後を確認した。
再び、俺たちに向き直る。
「お、恐ろしい魔物が出たんですニャ! ニャキは、ここで取れる珍しい薬草を採りに来てましたニャ! でも、魔物に襲われて命からがら逃げてきたんですニャぁ! だからお二人も、早くお逃げくださいニャ!」
ニャキ――というのは、名前だろうか。
少女が南を指差す。
「知ってるかもしれニャいですが、あっちへずっと行けばウルザ領に出ますニャ! ええっと――」
少女は次に俺たちが来た方角――東を指差す。
「ニャキは、あっちに逃げますニャ!」
「……一緒に逃げないのか?」
「ニャッ!? そのぅ……信じてもらえるかわからニャいのですが、ニャキが魔物を引きつけますニャ。その隙に、お二人はどうか逃げてくださいニャ」
「…………」
こいつ。
どんっ!
得意げに胸を叩く少女。
「ニャぁに! ニャキは足が早いんですニャ! 見ての通り少し魔物の攻撃を受けて傷こそ負いましたが、ニャキはこれでも頑丈なのですニャッ♪ だから心配ご無用ニャっ♪ ですから早く、あっちにお逃げくださいニャ! それ行くニャ!」
少女が横を走り過ぎようとしたところで、
「おい」
俺は、少女を呼び止めた。
「一つ、聞いていいか?」
「な、なんですかニャ? 早く、逃げニャいと……」
「おまえ……俺たちの前に姿を現した時、最初に――」
俺には、わかった。
「”助けて”って、言おうとしたよな?」
「ニャッ――」
ピタリッ、と。
ニャキの動きが、止まった。
「き、気のせいですニャ……♪」
「嘘、ですね?」
セラスの真偽判定。
「にゃ、ニャキは……ニャキは、その……、――も、申し訳ないですニャ!」
急にニャキが俺たちの方へ向き直り、土下座した。
「実は、ニャキは命を狙われて追われているのですニャ! 追ってきている人間さんたちはとっても強いのですニャ! もしかすると、そのっ……お二人も巻き込まれてしまうかもしれませんニャ! だから、急いでここを離れてくださいニャ!」
「…………」
この子は。
自分の命が危機に晒されている、この状況で。
逃がそうとしたのか――俺たちを。
一方の自分は、より危険な魔群帯の深部へと向かう選択をして。
逆に俺たちの方を、深部から離れゆく南のウルザへ逃がそうとした。
しかもだ。
最初に言いかけた”助けて”を、咄嗟に飲み込んで。
魔物に追われているなどと――嘘をついた。
自分が助かるのなど、二の次で。
嘘を。
なんのために?
俺たちを――巻き込まないために。
「――――――――」
露わになった少女の腕。
それが、目に入った。
震えを抑えた声で、俺は聞く。
「名前は……ニャキか?」
「へ? あ、そうですがニャ……あ、の……早く、逃げニャいと……」
「その腕……」
「ニャ?」
「おまえを追ってるヤツらにやられたのか?」
「…………」
「嘘は意味がない。わかってるだろ」
「……そう、ですニャ」
深刻な顔つきのセラスが、俺に頷いて見せる。
……嘘ではない。
「わかった。答えるのは辛かったかもしれないが……答えてくれて、礼を言う」
俺は、荷物から蠅王のマスクを取り出す。
まだその”気配”は遠い……。
こっちから出向くくらいの余裕は、ある。
少女――ニャキが、呆然と俺を見上げた。
「あ、あの……あなた様は、その……な、何をするつもりなのですニャ……?」
「おまえを追ってるヤツらを叩き潰してくる」
「ニャッ!?」
心底びっくりした表情をして、ニャキが跳ね上がる。
「だ、だめですニャ!」
「何か問題か? そいつらはおまえの命を狙ってるんだろ? そして、おまえだって生きられるなら生きたい……だったら、そいつらを俺が――」
「ニャキの命を狙ってるのは、あの”勇の剣”なのですニャ!」
「…………へぇ」
ニャキが忙しなく両手をバタバタさせる。
伝わり切らない部分をどうにかジェスチャーで、付け足そうとするみたいに。
「か、彼らはとっても強い人たちなのですニャ! あのバクオス帝国の”人類最強”にも挑みたいとか、そんな話をするくらいの人たちなのですニャぁ!」
その”人類最強”はもう死んでるけどな。
……ん?
ってことは――そいつら、まだシビトの死を知らないのか。
”勇の剣”
”人類最強”
いまいち俺がその両名にピンと来ていないとみてか、
「それとっ……ええっと、ええっと――、……そうニャっ!」
ニャキは慌てた様子で、さらに別の名を付け足した。
「――勇の剣さんたちは、あの強者揃いで有名だったスピード族を壊滅させているほどの猛者なのですニャ……ッ!」
…………。
「………………………………今、なんて言った?」
何族、だって?
「そ、そうニャのです! あのスピード族さんたちでも勝てなかったほどの人たちなのですニャ! しかもその時、勇の剣さんたちはまだ子どもだったそうですニャ……ッ!」
多分、ニャキは。
スピード族の名を出して、ようやく勇の剣の強さが伝わったと思った。
が、違う。
当然――違う。
『いや、名はわからぬのだ。年にそぐわぬほど異様に強かったのだけは、鮮明に覚えているが……』
スピード族を襲撃した者たちについてエリカに尋ねられた時の、イヴの言葉。
「……そうか。ああ、そうかよ……そうか――――そいつらか」
セラスも、状況を把握したようだ。
「つまり、ニャキ殿を追っている者たちは……」
「ああ」
スピード族を――イヴの両親を、殺した連中。
まあ、
「…………」
どのみち――
ニャキの件を考えれば、逃げ場などあるはずもなく。
勇の剣は、
ここで、叩き潰す。




