生物としてあまりに本能的な本能
俺は最初に転送された場所へ戻ってみた。
転送直後はドクロを見つけただけだった。
見つけたところで、ミノタウロスに襲われた。
探索どころじゃなかったからな……。
廃棄された勇者や戦士たちの持ち物。
「何か役に立つものがあれば、いいんだが……」
もちろん周囲の警戒は怠らない。
今の俺が最も警戒すべきこと。
不意打ちや奇襲。
反射神経が今は肝と言える。
もし状態異常スキルを使用するのが遅れたら――
魔物の一撃で死ぬ可能性がある。
廃棄遺跡の魔物はおそらく手練れでも勝てない超強敵だ。
中にはA級クラスの勇者もいたかもしれない。
当然ここの魔物には俺のステータスでは対抗できまい。
今の俺の唯一の対抗手段は固有スキル。
文字通りまさに”先手必勝”が鍵となる。
とにかく魔物から一撃も喰らわないこと。
今のところ確実に注力すべきはそれだ。
考えをまとめていたら、目的地に到着した。
魔素を込めた光る皮袋を掲げる。
今は闇に身を潜めるのはむしろ危険に思える。
視界があった方が闇討ちされづらい。
まあ、敵に飛び道具があると危なくもあるのだが……。
「にしても――大したものは、なさそうだな……」
酸で一部の溶けた人骨がいくつかあった。
ミノタウロスにやられたのだろう。
武器もいくつか落ちていた。
しかしほぼすべて、酸で半壊していた。
持っていても無用の長物となりそうだ。
「使えそうなのは、これくらいか」
骸骨の纏っていた黒い外套。
古びた短剣。
洞窟は少し冷える。
この外套を、羽織っていくか。
バサッ
俺は外套で身をくるんだ。
若干、暖かい。
短剣は革製の鞘に納まっていた。
最初はこれもだめかと思った。
だが刃を出して確認したらまだ使えそうだった。
短剣を皮袋に突っ込む。
左手は皮袋を持たないといけない。
空いた右手はスキル用だ。
対象の方へ手を向けるためである。
あれをしないと、ロックオンできないっぽいからな……。
武器よりもスキル使用が最優先。
この短剣でここの魔物に傷をつけられるとは思えない。
防御力、と言えばいいのか。
鳥頭に斧で切りかかった時の皮膚の硬さはトラウマものだ。
転送場所を眺める。
魔法陣が彫り込まれている。
「この魔法陣は……まあ、使えないだろう」
使えるのはクソ女神だけのはずだ。
でないと、ここへ送り込む意味がない。
「…………」
2‐Cのやつらは今頃、どうしているだろうか。
いや……。
今はあいつらのことは考えるな。
現状、最も生命の危機に瀕しているのは俺のはずだ。
まずは地上へ脱出する糸口を掴むのが先決である。
俺は洞窟の探索を再開した。
一度、激戦を繰り広げた場所へ戻ってみた。
当然だが、魔物の死体の山が変わらずあった。
「改めて見ると、けっこうな数だったな……」
自分でやった実感が薄い。
鳥頭たちが逃げ去った方角を見る。
「行ってみるか、この先に」
▽
先を行くと、開けた場所に出た。
皮袋で照らし切れない。
上を仰ぐ。
天井が高い。
鍾乳洞みたいに上から尖った岩が伸びている。
ぎゅるる〜、
ぐぅ〜
うっ……。
やっぱりか。
先ほどから微妙に感じてはいた。
空腹。
思えばバスに乗る前から何も食べていない。
実は喉も渇いてきている。
魔物から逃げるための全力疾走。
魔物との死闘で汗も大量にかいた。
かなりの水分が失われたと思われる。
ここへ来るまでに水場がないかもチェックしてきた。
今のところ、確認できていない。
魔物の脅威の次に立ち現れた問題。
水と食料。
魔物の危機から一転、今度はシンプルだが深刻な問題が立ち上がった。
「……とりあえず、もっと先へ進んでみるか」
魔物の水場や魔物が食糧にしている何かがあるかもしれない。
闇の広がる空間を、俺は再び歩き始めた。
▽
似たような景色を歩き続けていた。
そんな中、上のエリアへ続いていると思しき場所を発見する。
行ってみると、またも似たような景色が続いていた。
「…………」
気の遠くなるような時間が経過していた。
いや――実際はどうなのだろう?
感覚的には長い時間が経った気がする。
が、本当は大した時間じゃないのかもしれない。
洞窟の中では日が昇らない。
ただひたすらに――闇。
時計はない。
時間感覚も、破壊されてくる。
ぎゅるるるる〜、
きゅぅぅぅ〜
「はぁ、はぁ……、――っ」
なる、ほど。
レベルが上がっても。
ステータス補正がついても。
腹は減る。
喉は渇く。
腹が減った。
いや、それよりも……。
特にひどいのは喉の渇きだ。
「はぁっ……はぁ……」
靴底が磨り減っていく。
神経も磨り減っていく。
それでもスキルだけはすぐ発動できるようにしておかねばならない。
魔物がいつ飛び出してくるかわからないのだから。
常時、意識の隙を埋めていかねばならない。
歩く。
何かないか?
歩く、
歩く。
何もない。
歩く、
歩く、
歩く。
本当に、何もない。
岩。
岩、岩。
岩、岩、岩。
岩、岩、岩、岩。
岩、岩、岩、岩、岩。
ゲシュタルト、崩壊。
岩ってなんだ?
山と石で岩?
は?
山?
なんだそれ?
地下だろ、ここ……。
山じゃないだろ。
「…………」
気が、どうにかなりそうだ。
極度の空腹。
極度の渇き。
こんなに辛いものなのか。
今は魔物にすら出遭わない。
遭遇したら。
殺す。
食料。
肉。
もうなんでもいい。
誰か、食べ物をくれ。
「あ、そうだ……」
ひらめく。
あの最下層で殺した、魔物の死体。
「食える、かもしれない」
喉の渇きのせいだろうか。
かすれた声で、俺はひらめきを口にした。
俺はそこで引き返した。
先に広がる地下砂漠めいた地帯に何か嫌な予感を覚えたからだ。
この先もあの砂漠めいた地帯が続くだけかもしれない……。
一方、確実な食糧のある場所。
魔物の死体。
わかっているなら、行くべきだろう。
ミノタウロス――牛肉。
鳥頭――鳥肉。
いけるだろ。
いけるはずだ。
時間をかけて、俺はあの場所へ戻った。
大量の魔物の死体がある場所へ。
もう汗も出なくなった気がする。
水分……。
血か?
血を、飲めばいいのか?
短剣を取り出す。
逆手に持つ。
手が、止まる。
「そういえば、こいつら……」
毒で死んだんだよな……?
食えるのか?
いや。
もう毒スキルは解除されてる。
紫色ではない。
ポワポワしてないし。
食える――捌くことさえ、できれば。
食えるはず……。
食えてくれ……。
皮袋を置く。
左手はスキル用。
右手に、力を込める。
ミノタウロスの、肉……。
力を振り絞って柄を握り込む。
皮膚部分は硬すぎて刃が通らないだろう。
触った感じ死後もその硬さは変わっていない。
ならば、頭部の中でも鍛えようのない部位。
そこから、攻める。
グリッ
目玉を、抉り出した。
よし。
ここはいけた。
「…………」
眼窩を覗き込む。
内側から捌けるか?
いけるか?
これを、内側から捌く……。
気持ち悪い――が、気持ち悪がっている場合じゃない。
死ぬ。
何か、食べないと。
何か、飲まないと。
よし。
まず眼窩の奥に刃を、突っ込んで――
ジュゥッ!
「う、ぁ……っ!? ぁ、がっ!?」
慌てて手を離す。
酸。
だめだ!
中が、酸になってる!
「――――――――」
地面に転がっている牛の目玉。
食う、のか?
これを?
…………。
死ぬ。
食わないと。
被りつく。
がぶっ!
ジュゥゥゥッ!
「ぶは――ッ!? ぺっ! あ、ぁぁああ゛あ゛――ッ!」
目玉の中にも酸!
「ぺっ! ぺっ――げほっ! ごほっ!」
こいつら、体液が酸みたいなものなのか。
自分には無害で。
他生物には有害。
制服の袖で勢いよく口を拭う。
口内も……。
多少生地は溶けるが、仕方ない。
「……ふぅ」
のみ込まなくてよかった。
すぐ吐き出して正解だった。
まだ舌がヒリヒリするが……。
しかし幸い口内の被害は極小のようだ。
ここで意外と【防御力】が仕事をしたのかもしれない。
鳥頭を見る。
「…………」
一応、鳥頭も試してみた。
同じ結果だった。
食えたものじゃない。
考えてみればそうか。
ここは送り込んだ者を殺すための場所。
転送先の魔物が食料にできたら、一気にイージーモードだ。
遺跡の魔物の肉が食えたり、
遺跡の魔物の血が飲めたり、
するわけがない。
本気で殺すつもりなら、
食える魔物のいる場所へ送り込むわけがないのだ。
水場のあるところへ送り込むわけがないのだ。
ここへ送り込まれる者たちは、当然ながら水や食料を持たされて転送されるわけではないだろう。
突きつけられるのはまさに、生物としての実にシンプルな生存問題。
「生存率ゼロの……廃棄遺跡、か」
送り込まれた勇者たちがもし、ミノタウロスや鳥頭より強かったとしても――
「クソッタレ……この遺跡、徹底して廃棄勇者を殺しにきてやがる……」
死ぬのだ、
飢餓で。