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A級勇者



 ◇【十河綾香】◇



 立ち塞がった人面種は、残った片腕を大きく振って、しがみついていた魔物たちをまとめてこちらへ放り飛ばした。


 放り出された魔物たちが、宙から広範囲に降り注ぐ。

 虫の大群がワッと押し寄せたかのようでもある。

 莫大な数の魔物が飛び迫る光景は、凄まじいものがあった。


 逃げ惑う者、

 放心状態の者、

 迎撃態勢へ移る者……。


 戦いはあっという間に、混戦状態へと突入した。


「みんな、陣形を崩さないで!」


 取り囲む魔物を薙ぎ払いながら、綾香は呼びかける。

 魔物は小型、中型が入り乱れている。

 中型は最低でも2メートル以上あった。

 それらが、そこかしこで暴れまわっている。

 しかも土埃まで立ちこめている――当然、視界は悪い。

 が、綾香グループは幸い散り散りにならず固まっていた。

 互いに背を預ける形で円陣を組んでいる。

 そして円の中には、支援スキルが得意な勇者が待機する形だ。


(よかった、崩れてない)


 円陣の外側をなぞるようにして、綾香は駆ける。

 駆けながら、魔物を殺していく。


「綾香ちゃん!」


 両手で剣を構える萌絵の呼びかけに、綾香は力づける笑みで応えた。


「大丈夫! 今は自分の身を守ることだけ考えて! 危険そうな魔物は――」


 大型に近い魔物の脚に槍の刃を深々と突き入れ、特殊スキル【内爆ぜ(インナーボム)】を使用。


「私に、任せて」


 爆音がして、魔物の脚が内部から破裂した。


 片脚の使えなくなった魔物が膝をつく。


 綾香は流れるように跳躍すると、その低くなった魔物の頭部へ、さらに【内爆ぜ(インナーボム)】をお見舞いしとどめをさす。


 ふぅぅ、と息を吐き出す。

 混乱渦巻く中、辺りには怒号と悲鳴が飛び交っている。

 おかげで遠くの声が聴き取れず、近くの声しか聞こえない。


(他のグループは、どこ……!?)


 桐原グループと安グループ。

 二つがどこにいるか、わからない。

 それに、


(あの立ち塞がった手足のたくさんついた人面種は、どこなの……!?)


 人面種は要警戒である。

 が、位置が不明だった。

 土煙のせいだろうか?

 いや、あれだけ巨大な人面種だったのだ。

 巨大な影なり移動時の足音くらい、感知できてもよさそうなものだが……。


「ソゴウ」

「あ……アビスさん!」


 現れたアビスは、凶悪な笑みを浮かべていた。

 その目はギラギラとして鋭い攻撃性を帯びている。

 彼女は魔物の頭部を手でひっ掴み、引きずっていた。

 引きずられている魔物は、上半身だけだった。

 下半身は、ねじ切られるかしてどこかに転がっているのだろう。

 引きずっている上半身の状態から、盾として使用しているのがわかった。


「ひとまず、目につく魔物を片っぱしからぶっ殺せ」

「アビスさん、後ろに!」

「わぁってるって」


 アビスは後ろを見ず、こぶしを背後へ叩きつけた。

 跳びかかった魔物が水風船のように盛大に破裂し、粉々になる。


「さー……どっからでもかかってきな、金眼ども……」


 一向に減る気配のない魔物を必死に蹴散らしながら、綾香は息をのむ。


(やっぱりアビスさんは、桁が違う……)


 アビスの右腕が、真紅に染まっていた。

 殺した魔物の血の色ではない。

 肌そのものが変色しているらしい。

 左腕よりサイズは大きくなっている。

 形自体も、いくらか変異していた。

 あの腕はなんなのだろう?

 何か特別な力でも宿っているのだろうか?

 もはや、人の域を超えているとしか思えない。

 周囲の魔物も、アビスの放つ威圧感に少し怯んだ様子だった。


「うるぁぁああああ! せっかくの獲物を、取られてたまっかよぉおお!」


 赤い攻撃エネルギーで魔物を吹き飛ばしながら、小山田が土煙から姿を現した。

 

「おー? いつでも威勢だけはいいよなぁ、オヤマダはー」

「るっせぇぞクソアビス! 黙っておれに獲物ゆずれや! おらぁああ!」


 固有スキルで魔物を殺しながら小山田がアビスに迫る。

 そして――両者は、互いに背を預ける形となった。


「アビス! てめぇの背中を守ってやってもいいけどよ、獲物はおれに回せ! 殺して殺して殺しまくって、おれはいつかてめぇをぜってぇ泣かす! てめぇは弱みもクソもねぇからな! 弱みを握って潰せねぇなら、力でねじ伏せるしかねぇぜ!」


 綾香は、小山田に呼びかけた。


「小や――」

「いつも言ってんだろーが! 頭打ちのてめぇら四恭聖と違って、おれたち勇者は、まだまだ成ちょ――」


 両手に赤いエネルギーを溜めこみながら、小山田が、挑発的に背後を振り向く。


「……………………あ?」





 腰から下だけが残った姿で直立するアビスが、そこに、



「――は?」



 放心顔の小山田の視線が、ゆっくり、上昇していく。


「ムしャ、べキ、ぼリ……あ、ム……」


 ボトッ


 綺麗に生えそろった歯に噛み千切られ、地面に落下した


「わ――」


 少し前まで魔物をあっさりねじり殺していた、真紅の右腕。











「わ゛ぁぁああああぁぁぁああああああぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛――――ッ!」











 小山田が、絶叫した。


「わ、う゛わぁああ゛! うわ゛! うわ゛ー! う゛わぁぁあああ゛あ゛――!?」

「そん、な……ッ」


 綾香は背筋に冷たいものを感じながら、目を瞠った。

 いつ、現れたのか?

 今、小山田の正面で”食事”しているのは憤怒面だった。


 数多の手足で構成され、身体に大量の魔物をしがみつかせていたあの人面種である。


 そういえば、姿が見当たらなかった。

 広範囲で土埃が立っていても、あの巨大さで見当たらないのはやはり妙だ。

 もしかして、と綾香は思った。


「うォぉォおオおオおオっ!」


 メリメリと音を立て、夥しい数の手足が憤怒面の身体の内部から生えてくる。


 巨大化、していく。


 聖眼に消滅させられた腕も、再生していた。


(あの、人面種……ッ)


 サイズを、変えられるらしい。


 20メートルほどに達すると、憤怒面は、両手をつき、絶叫する小山田にその憤怒顔を突き合わせた。


「うォぉオおオおォぉォおオおオおオっ!」

「うわぁぁぁあああああ゛あ゛! わ゛ーう゛わ゛ぁぁああああ!」

「小山田君、逃げてぇ!」


 今、綾香は近くの魔物を蹴散らすので精一杯。

 ここを離れたら、今度はカヤ子たちが危険に晒される。


(だめ! 魔物の数が、減らない!)


 むしろ数は増えてきている。


 少し遠くからスタートした憤怒面の腕以外にしがみついていた魔物も、ついにここへ到達したのだ。


 綾香はアギトと安の姿を探した。


「アギトさん、安君! 聞こえたら返事をして! 小山田君が――」


「ば――――【赤の拳弾(バレット)】! 【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】【赤の拳弾(バレット)】ぉお!」


 派生スキルの存在を忘れているのか、初期のベースの固有スキルを乱発する小山田。


「うォ!? ぅオ!? ぉオ!?」


 拳で殴られたような動作で、憤怒面がわずかにノックバックした。

 顔を構成する手足が千切れ、吹き飛ぶ。

 しかし、憤怒面が怯んだ様子はない。


「ぎゃぁぁああああ効ぃぃかねぇぇええええ!? う、うわ゛ー!? アビスが勝てねぇんならもうだめだ! 無理ぃだろうがぁぁあああ゛あ゛!? あ゛ー! わ゛ー! う゛わ゛ぁぁああああ! う゛、う゛わー!」


 人面種に背を向け、小山田が駆け出す。


「お、小山田君!?」

「う゛わぁぁあああ゛あ゛死にたくねぇぇえええ゛え゛! ……、……、――――ぁ」


 雷に打たれたように、小山田が立ち止まった。

 彼はぽかんと口を開き、手をぶらんっと脱力させた。

 すると彼は、突然、あさっての方向へ駆け出した。


「だずげでぇぇええええ! う゛わ゛ぁぁああああ! う゛わ゛ーん! う、うわ゛ー! 死ぬ! じ、じぬぅ! ぎぃゃーっ! ま゛んまぁぁぁああああ゛あ゛! 怖い゛よぉぉおおお゛お゛! あ゛ぁ゛ぁ゛ああああ゛あ゛! ぎぃぇあ゛ぁ゛ぁ゛ああああぁぁぁああああああッ!」


「お、小山田……君……」


(正気を……失って、る……?)


 土と血がまじり合った煙の中に、小山田は消えて行った。

 綾香グループの一部は、呆然と、駆け去った小山田の方角を眺めている。

 速まる呼吸を整えながら、綾香は懸命に思考を巡らせた。


(どうにか、あの人面種の気を私の方へ向けないと……ッ!)


 倒し方など思いつかない。

 が、グループのみんなを守らなくてはならない。

 その時だった。

 再び動き始めた憤怒面の背で、爆発が生じた。

 どこかから放たれた攻撃魔術か何かが、命中したらしい。


「うォぉオおオお!?」


 吠え猛りながら回れ右をして、憤怒面は、攻撃の放たれた方向へ跳躍した。

 最初現れた時のように、錐揉み状態で飛び去っていく。


(誰の攻撃かしら……? でも、助かった……だけど、小山田君……ッ!)


 本当なら追うべきだ。

 今の彼は、戦えるような精神状態とは思えない。

 が、カヤ子たちを放って追うわけにもいかない。

 そして、今のカヤ子たちは移動できそうもなかった。

 防御陣形を保つのでギリギリだ。

 綾香は奮戦しながら、小山田が姿を消した方角を悔しげに一瞥した。


(小山田、君……ッ!)


 自分より強き者の想定外の死。

 悪罵を浴びせようと、彼にとってアビスは絶対的強者だった。

 いつかは超えると信じていた相手。

 しかし今はまだ遥か遠くの存在……。

 そのアビスがなすすべなく食い殺された。

 さらに彼はあの距離で、人面種と相対した。

 彼の内に湧き上がったのは、想像を超える絶望感だったのかもしれない。


 人面種。


 最初に見た時、綾香も凄まじい恐怖と戦慄を覚えた。

 威圧感も、やはり他の魔物の比ではなかった。

 遠目に見ただけでも、その禍々しさに肝が縮む思いだった。


(ベインさん……)


 ふと不安感が膨らみ、綾香は南壁の方角を見やった。

 ベインウルフはその人面種を三体も相手にしていた。

 今、南壁の方はどうなっているのだろうか……。


「ソゴウさん!」


(この、声……)


「ブラウンさん!? よかった、無事だったんですね!」


 四恭聖の次男が、こちらに歩いてきていた。


「あ……」


 ブラウンは片腕を失っていた。

 腕の付け根をベルトで硬く縛り、止血している。

 が、彼は魔導具の攻撃魔術で周りの魔物を殺しながら近づいてきていた。

 さすがは四恭聖の一人。

 苦戦している様子はない。

 まだ十分、戦えるようだ。

 ブラウンは先ほどまで南壁の辺りにいたはずである。

 ベインウルフがどうなったか、知っているかもしれない。

 ブラウンが呼びかける。


「ソゴウさん、兄さん”――ピッ――”たちは!?」

「あ――ブラウンさん!」

「?」


 ブラウンの鼻から両耳にかけ、一筋の赤い線が、走っていた。

 赤い線の上下がスライドしながら左右へと、分裂し――


「あれ?」


 ブラウンの頭部が、上下真っ二つになった。

 力を失い、彼の身体はそのまま地面に倒れ伏す。


 ドチャッ


 綾香グループの女子が、悲鳴を上げた。


「ぃ、ゃ……いやぁぁああああ!」


 綾香は心臓が縮まった気がした。

 寒気が背を、駆け抜ける。

 頬を伝う冷や汗は、まるで肌の温度を奪うかのように冷たい。


「ブ……ラウン、さ、ん……」


 よく見ると、彼の背後で何かがキラキラ舞っている。

 太陽の光を反射しているのだろうか?

 あれが、ブラウンの頭部を断裂させたのだろうか?


(だとすれば多分……かなり切れ味の鋭い、糸状の武器か何か……)


「フひヒぃィいイいイ!」


 二足歩行のイタチみたいな魔物が、砂塵の中から姿を現した。

 魔物――糸イタチが、目もとを歪める。

 まるで、嘲笑うみたいに。

 綾香は不思議な違和感を覚えた。


(あの魔物……もしかしてわざとブラウンさんを逃がして、ああやって死ぬのを私たちに見せつけるために?)


 とすれば、悪趣味極まりない。

 糸イタチがブラウンの屍を通り過ぎ、近づいてくる。


「あ、綾香ちゃん! あの魔物、こっちに来るよ!?」

「みんなっ」


 カヤ子の指示で、綾香グループが遠距離の攻撃スキルを放った。

 が、糸イタチはものともしない。


 ギリッ


 綾香は、恐怖を噛み殺すように歯噛みした。


「任、せて」


 糸イタチとの距離を測る。

 決めるなら……素早く。

 地を、踏みしめる。

 光の軌跡からして――糸は、二本。

 動きは、その煌めきと土煙の揺れが教えてくれる。

 落ち着け。

 焦ったら、だめだ。


(私、やれるの?)


 なぜだろう。

 速度が足りない気がして、ならない。

 相手の方が速い気がして、ならない。

 綾香の特殊スキルは近接用のみ。

 こういう時は、遠距離攻撃可能な小山田や安のスキルが適しているが――


「ひィぃィいイいイいイっ!?」

 

 と、糸イタチが黒炎に包まれた。


 黒焦げになった糸イタチは仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。


「小汚い小山田の悲鳴を聞いた気がしたのだが……綾香よ、何があった?」


 馬に乗った、安智弘だった。

 綾香は事情を説明した。


「ふっ……小山田翔吾、なんとも脆弱なり! 脆弱脆弱ぅ! くはは! よいか綾香? 力があっても、精神が伴わねば真の勝者にはなれない……脆弱なやつの精神では、この過酷な戦場に耐えられなかったのであろう! 所詮、夢見心地の勇者ごっこだったのだ! そして、ようやく小山田は現実に直面した! 普段はあんな調子乗っているくせになぁ……実は、しょぼメンタルであった! あー愉快! 痛快! やはり真の勇者の器を持つ者は、この安智弘というわけだ!」


 黒炎の翼を広げ、哄笑する安。

 両翼から放たれた黒き炎の羽が、弾丸のごとく周囲の魔物へ襲いかかった。

 羽の刺さった魔物が次々と黒炎に包まれていく。


(安君の固有スキルも、さらにレベルアップしてる……)


「安さん、待ってくれ!」


 少し遅れて姿を現したのは、安グループの面々。


薄色の勇者(負け組)たちか……遅いぞ、下郎」

「げ、下郎?」

「事実を口にしたまでであろう?」

「ぅ……その通りです、安さん。ただ、あの……おれたちは馬に乗れません。もう少し、おれたちにスピードを合わせてもらえると……」

「問おう――速いのは、罪か?」

「え?」

「否! 遅いのが、罪なのであろうが! この黒炎の勇者に助けてほしくば必死でついてこい! 貴様らには必死さが足りぬ! そんな脆弱な小山田精神では、厳しさを増す格差社会を生き残れぬぞ!」

「お、小山田がどうかしたんですか……?」


 安が、得意げに右手で空気を薙いだ。

 同時に――綾香は、反射的に動き出していた。


「ふっ、聞いて驚くがよい。小山田は――ん?」


 スパッ


「……は?」


 安の右手の指先が――三本、切断される。


 ボトッ、ボトボトッ


「え?」

「ふ、ヒ、ぃ」


 安の指を寸断したのは、糸イタチだった。

 まだ、死んでいなかったのだ。

 あるいは、息を吹き返したのか。

 呼吸している様子もなく、黒焦げになった後はすっかり沈黙していた。

 誰もが、死んだと思っていた。


「ぐぁぁああああ!? 指ぃいい!? 僕の指、がぁぁああああ!?」

「フ、ぎ、ィぃィ、い……ッ!? ぎ、ィ……」


 一矢報いた糸イタチは、しかし、心臓部を綾香の槍先に貫かれていた。


 発生した糸イタチの殺気を感じ取った瞬間、綾香は、槍での攻撃に移っていたのだ。


 一方、綾香も腕から出血している。

 糸イタチも、瞬時に反撃に出たのだ。

 かろうじて致命傷は避けたものの、綾香はその反撃で腕に少し傷を負ってしまったのである。


 が、もし安の炎で弱っていなければこの程度では済まなかっただろう。

 ただ、安への攻撃を防ぐのは間に合わなかった。

 位置的に、安が糸イタチに近過ぎた。

 安は馬から転げ落ち、


「ぎゃぁぁああああ!? 指はどこだ!? 僕の指ぃ!」


 錯乱し、地面に落ちた指先を探し始めた。


「な、治してもらわないと! 拾って……くっつけてもらわないと! 女神さまにぃ! あぁくそぉ! なんでこんなぁぁああああ!?」


 綾香はというと、すぐに次の行動へと移っていた。

 間断なく殺到する魔物たちを、一秒ごとに血の海へ沈めていく。

 魔物の数が、増えてきている気がした。


(多分、南門の方から私たちを追ってきていた魔物たちも合流したんだ……ッ!)


 さすがに数が、多すぎる。


「安君、落ち着いて! 治癒系のスキルが使える子は、安君の指を――」

「見つけた! よし、撤退だ綾香ぁああ!」


 指先を布にくるんで懐へ入れると、安は鞍にしがみつくようにして馬に乗り直した。


「わ、わかったわ! みんな、防御陣形を崩さないで! 私と安君がみんなを守るように動きながら、北門の方へ誘導を――」

「馬鹿を、言うなぁ!」

「……え?」


 片手で手綱を握る安が目を剥き、激昂した。


「何を勘違いしている!? この状況で僕がそいつらを守る必要はない! むしろそいつらが、僕を確実に生かすために努力せねばならぬ状況であろうがぁ!」


「安、君? 何を……何を、言っているの……?」


 今も、安は近寄ってくる魔物を【黒炎ノ剣眼(レーヴァテイン)】で焼き殺している。

 まだ十分に戦う余力はあるのだ。

 が、


「考えてもみろ! 桐原と高雄姉妹が東で大魔帝に敗北したらどうする!? 小山田はこの戦場でこのままくたばるに違いない! そして綾香……貴様は、B級降格! となれば、最後の希望はA級であるこの僕しかいないであろうが! 伸び代を考慮すれば、上級勇者の方を生き残らせるのは誰がどう考えても必然! 最優先で生き残るべき者が誰かは、火を見るより明らかである! 僕を生かさなければ……すべてが、終わってしまう!」


 早口気味に、安はそう言った。

 正直、綾香からすると論理としては理解しがたいものがあった。

 安グループの男子が、蒼白になって叫ぶ。


「な、何を言ってるんですか安さん!? 態度で尊敬の念が感じられれば、おれたちを守ってくれるって……ッ」


「えぇい! なぜわからぬ!? 貴様らが生き残っても、意味などないのだ! ここは、僕が生き残ることに全力を注がねばならん! ゆえに、守ってやる余裕など皆無! なぜ、言ってもそれがわからない!? わかろうとしない!?」


「安君! ここは、私たちが力を合わせて――」


「黙れ黙れ黙れB級風情がA級に指図するなぁぁああああ! えぇい! こんな話の通じぬ負け組どもとはもう付き合っていられぬ! 撤退だ! 撤退ー!」


 安が横腹を蹴ると、馬が走り出した。


「だが、これは僕にとって敗北ではない……ッ! あくまで、そう……戦略的撤退! 生きねば……女神のために、この、世界のために……ッ! 生きなくては!」


 安グループが涙を流し、怨嗟の声を上げ始めた。


「ふざっけんなよ安ぅぅうううう! おれたちが生き残るにはA級の力が必要なんだよ! 頼むよ! 助けて……助けて! 助、けろよぉ……」

「待って安君! お願い、力を貸して!」


 綾香も、懸命に制止の声をかける。

 ただ、今は押し寄せる魔物を捌くのに手一杯で、必死に声をかけるしかできない。


「安君! お願い!」

「生きなくては!」


 安智弘は、追いかけてくる魔物たちを炎で焼き尽くしながら、黒炎と共に、その姿を砂塵の向こうへと姿を消した。


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クズやゲスは改心しないのかな?
[気になる点] 何で安のクズを死なせない?
[一言] 「生きねば。」 みたいでかっこいいね
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