絵空事
◇【十河綾香】◇
アライオン軍は一時、魔防の白城へ立ち寄った。
目的は補給である。
さらにここでバクオス軍、ネーア軍と合流した。
補給が終わり次第、三つの軍はここを発つ。
規模こそ大きくないが魔防の白城には城下町が存在する。
普段はさほど活気はないものの、今日ばかりは賑わっていた。
城下町の外に広がる各国の陣営でもひとときの穏やかな時間が流れている。
なだらかな丘に建つ白き城にもいつもより多く明かりが灯っていた。
この城は定期的に国の代表たちが集う場としても有名である。
すぐ南には魔群帯が広がっているが、今では魔物もほとんど出てこない。
昔は定期的に森から魔物が出てきたらしいが、
「この城は長きに渡り金眼の魔物からマグナルを守ってきました。異界の勇者が城主としてとどまった過去もあります。危機の際には、女神様がそのお力で魔物どもを駆逐してくれました。そう……この城はあの人面種すら打ち払ってきた歴史がございます」
現在この城をあずかるハイト辺境伯がそう説明した。
ギーラ・ハイトは口ひげを蓄えた恰幅のよい初老の男だった。
勇血の一族だという。
かつてここの城主だった異界の勇者の子孫だそうだ。
歴史の語り部さながらに、ギーラは口を躍らせる。
「魔群帯が危険地帯として名高いのはご存じかと思います。ですが今やこの城の周辺こそ魔物たちにとっての危険地帯……事実、気づけば魔物どもはこの近辺に姿を現さなくなりました。加えて地理やら何やらに恵まれているのもあって、神聖連合の各国代表が集まるのにも適しており……我が城は魔物の脅威に備える城というよりも、各国代表を迎え入れる栄誉ある城としての地位を確立したのです」
集狼の間に集った顔ぶれをギーラは得意げに見渡した。
彼にとって、この城は大きな誇りなのであろう。
さて――最近も各国代表が顔を突き合わせたという集狼の間には、本日はまた別の顔ぶれが集まっている。
南軍を離れた女神にアライオン軍を任されたポラリー公爵。
バクオス軍、バッハ・ミングース。
同軍、ワルター・アイスバイン。
同軍、ガス・ドルンフェッド。
このバッハ、ワルター、ガスの三名が”三竜士”だそうだ。
かつて最強の名を欲しいままにした五竜士の後継者とのことである。
バッハが、不服げに卓上の杯を脇へのけた。
「こたびの戦、女神殿の近くで新生黒竜騎士団の力を示せるよい機会だと思ったのだが……危急の事態とはいえ、南軍を離れてしまったとは。やれやれ、期待外れもよいところですな」
責めるようなバッハの視線に、ポラリー公爵は唇を尖らせた。
「五竜士を失った黒竜騎士団にどれほどの価値があるのか私には測りかねますが……今や五竜士と共に各国への影響力も失ってしまい、必死なのは承知しておりますがね?」
バッハは青筋を立てると、卓に両手を突いて腰を浮かせた。
「失礼ですぞ、ポラリー公! ぐっ……この三竜士、必ずやこたびの戦で五竜士以上の働きをご覧に入れてみせましょう!」
ポラリー公爵は白けた態度でご自慢のヒゲをいじった。
「五竜士以上とは、これまた大きく出しましたな」
「何を、貴様……ッ! 女神に指揮権を与えられた者と思って、下手に出ていれば……ッ!」
「まあまあ、お二人とも」
仲裁に入ったのはアギト・アングーン。
ここには四恭聖も顔を揃えている。
行き場のない握りこぶしを震わせながら、バッハは着席した。
「ヨナトの四きょうだいか……ふん、若造がしゃしゃり出おって」
城主のギーラは場が収まって胸をなで下ろしていた。
細面で切れ長の目をした三竜士のワルターが、視線を滑らせる。
彼の鋭い視線は、壁際に並ぶ若き三人の男女を捉えた。
「若造といえば、あどけなさの抜けておらぬそこの勇者たちは本当に戦えるのか?」
ここにはS級とA級の勇者だけが呼ばれていた。
綾香、小山田、安の三名である。
小山田が、挑発的にてのひらにこぶしを打ちつけた。
「あ~? なんか舐めたこと吹いてるイキりがいんなぁ~? 喧嘩売ってんのか? あ~? 舐めてるとぶっ殺――ぐぎぎぎぎぎぃぃっ!?」
隣にいたアビスが、肩を組むと見せかけて小山田の首を絞めた。
「ぶっちゃけこいつはアタシよりはよえーよ。本当にやべー勇者は、東に集合するみてーだな」
「はな、せっ……この……デカ、パ、イ……女が……っ」
「おー、横チチが当たってイイ思いしてんじゃんかオヤマダー? ん~? 聞こえねーぞ? おら、腹から声出せ!」
「ぐ、ふぅっ!?」
アビスみぞおちを殴られ、小山田が腹を抱えてくずおれる。
「げ、ふっ!? て、てめぇぇ……マジでそのうち、殺す!」
「おーおーやってみろや? お役目を終えて元の世界に戻る前にアタシをぶっ殺せるといいなぁー? ん~? ボクちゃんに、できるかな~?」
「死ね、や……ッ!」
この一連の流れには、城主も三竜士もドン引きであった。
バッハもワルターもこれには気勢を削がれたようである。
と、同じく壁に背を預けていたベインウルフが不敵に口端を歪めた。
「心配せずとも、ここに残った勇者も十分戦力になるさ。戦い方はこの竜殺しが伝授したしな」
バッハが卓に腕を乗せ、ひたとベインウルフを見る。
「……竜殺しか。城の敷地の一角に置かれたあのデカブツを見るに噂は本当のようですな。でなくては、あんなものをわざわざたくさんの兵士を使って運びはせぬ」
ベインウルフは肩を竦めて曖昧に応えた。
城主のギーラが、主導権を取り戻そうと話を引き継ぐ。
「勇者殿は邪王素の影響を受けぬと聞いております。それだけでもまことに心強い。先に陥落したアーガイルでは、邪王素のせいで元白狼騎士団長すらまるで歯が立たなかったと聞きますし……いやしかし、偵察に出た兵士から伝わったアーガイル城壁の”死骸旗”の話など、いやはや、想像するだけでもおぞましい……」
バッハが、腕を組んでふんぞり返った。
彼の視線は斜め正面に座る縦ロールの女に注がれている。
「ギーラ殿、王宮育ちの姫君にはそのような凄惨な話はちと酷かも知れませぬぞ?」
ワルターが軽くニヤける。
ギーラやポラリー公爵の目は好奇に染まった。
が、軍装姿の”ネーアの姫君”は泰然としている。
カトレア・シュトラミウスは、口もとに薄い笑みを浮かべた。
「どうかお気遣いなく。戦火の中で起こる悲劇が時にどれほどの残虐性を帯びるかは、温室育ちなりに知っているつもりですわ」
「口ではどうとでも言えますが、これは本物の戦ですからなぁ……夜会で耳にしていた心臓に優しい武勇伝とは、まるで別ものですぞ?」
カトレアが、長手袋をはめた手を楚々と唇に添える。
「我が国は実際にバクオスから侵略を受けておりますから……心臓に悪い侵略者の横暴ぶりは、しっかり経験しております」
バンッ!
「あまり調子に乗るなよ、小娘……ッ!」
突然、バッハが卓をこぶしで叩いた。
「我らに勝る功を立てて国を取り戻すなどと息巻いておるようだが……その話は急な五竜士の死によって舞い込んできたにすぎぬもの! でなければ貴様は今頃シビトの妻として哀れな見世物になっていたはず……ッ! そもそも貴様がいっぱしのネーアの代表づらをしてここに列席していること自体、気に食わんのだ!」
激昂したバッハがカトレアを睨みつける。
が、カトレアは澄ました表情を崩さない。
ちなみにバッハがこぶしで卓を叩いた時も、彼女は身じろぎ一つしなかった。
「バッハ様は何か誤解をなさっているようですわ? わたくしは最近、父と婚約者を立て続けに失った身……ですのに、今のお言葉はまるでそれが幸運だったかのような物言い。わたくしがまさか、婚約者の死を悲しんでいないとでも?」
「ぐっ、ぬけぬけと……」
「この戦の功績によってネーアを神聖連合に復帰させるお話も、ヴィシス様のご提案によるものです。不満がおありなのでしたら、わたくしから軍魔鳩で”ヴィシス様の案にバッハ様が難色を示しておられる”とご本人にお伝えしてもよろしいですが――」
「き、曲解されては困る! 私は、女神殿の提案に不満があるわけでは……カトレア姫の態度が……れ、礼儀知らずなのを窘めただけであって……」
バッハの歯切れが悪くなってきた。
ワルターが旗色の悪い仲間に助け船を出す。
「しかしネーア軍が戦力になるかは疑問だ。我がバクオスに侵略された際に抵抗一つせず占領された過去がある。聖騎士団にしても、女だけというのがな……」
汗ばんだバッハが下卑た笑みを浮かべる。
「そういえば……侵略時に真っ先に逃げ出したという恥知らずの元聖騎士団長殿はどうなったのですかな? 現在は、死亡説が有力なようですが」
「おぉ、セラス・アシュレインですな?」
興味なさげに静観していたポラリー公爵が急に口を開いた。
「私の屋敷にも肖像画がありましてなぁ。死んだとすればまことに惜しい……いやしかし、先日カトレア姫から譲っていただいた衣装には、まだかぐわしい匂いが残っている気がして……」
「おや? ポラリー公もカトレア姫より遺品を引き取ったのですか?」
「む? では、ギーラ殿も?」
「左様。セラス・アシュレインゆかりの品は、今や金でどうこうなる段階を越え始めましたからなぁ。皆、金を積んでもなかなか手放そうとしませんよ」
「しかしそこで、最も近しい存在であったカトレア姫のご登場というわけです。まだ世に出ていない貴重な姫騎士の遺品……感謝しておりますぞ、カトレア姫」
カトレアは優美に微笑んだ。
「喜んでいただけて、何よりですわ」
「叶うならば、生きたセラス・アシュレインと酒でも酌み交わしたかったですがなぁ。カトレア姫も、お辛いでしょう?」
「いえ……あるいは、死んでしまってセラスも幸福だったのかもしれません」
「?」
ポラリー公爵が首を傾げる。
カトレアの言い方には含みがあった。
”仮に生きていたとしても、死んだと思われていた方がいいのかもしれない”
綾香にはなぜか、カトレアの言葉がそんな風に聞こえた。
バッハが目を血走らせて再びカトレアを睨みつける。
「ちっ! 弱小国の小娘がつまらん媚びを売りおって……ともかく! 相当な腕と聞き及んでいたセラス・アシュレインが尻尾を巻いて逃げ出すほどの軍が、我がバクオス軍なのです! ゆえにギーラ殿! 出立までの城の警備は精鋭なる我がバクオス軍にお任せいただきたい! お望みなら、黒竜も出しますぞ!?」
「バクオス軍は、長い行軍で疲れているのではありませぬか? 別に見回りの警備くらい我がマグナルの兵で行いますが……」
「何をおっしゃる! この程度の道のりでへたるほど、我が軍は貧弱ではありませぬ!」
バッハは身を乗り出し、アライオンの指揮官に目配せした。
「ポラリー公! 警備を願い出た件は、しかと女神殿にお伝えいただきますよう……!」
必死の迫力に圧されてか、ポラリー公爵はやや身を引いた。
「わ、わかりました。バクオス軍のご献身、ヴィシス様にはしっかりお伝えしましょう……」
ふん、とバッハは勝ち誇った顔で腰をおろした。
その視線は露骨にカトレア姫へ向けられている。
室内には、妙な空気が漂っていた。
”誰か空気を変えてくれ”
ギーラがそう言いたげに視線を忙しなく動かしている。
城主の意を汲んでか、カトレアが口を開いた。
「たとえば……あの金棲魔群帯を突っ切ることができれば、行軍距離もかなり短縮ができるのでしょうけれど……」
ポラリー公爵が、ふむ、と細長いヒゲを指先で整えながら言う。
「それが不可能なことは長い歴史が証明しています……魔物が外へ出てこない以上、あの地帯は放置が最善と結論が出たわけです。そもそも並みの馬では正気すら保てぬので行軍は難儀ですし、何よりまず、無事に抜けられるとは思えません。過去の異界の勇者たちですら、ついに魔群帯に棲む魔物の駆逐は果たせなかったのですから。地下遺跡の分も合わせればヴィシス様もさじを投げるほど数が多いわけです……なので周縁部の魔物を勇者の”レベルアップ”の餌に使うのが、せめてもの有効な活用法でしょう」
ギーラが杯の酒を呷る。
「とある情報筋によると、例の五竜士殺しやらモンロイの豹人が逃げ込んだそうですが……それが本当なら馬鹿な者たちですよ。死を約束された地へ、わざわざ足を踏み入れたのだから。隠れ棲むという禁忌の魔女とやらも、今頃は骨になっているのでしょう」
バッハが嘲弄気味に鼻を鳴らす。
「それにしても……浅慮な発言でしたな、カトレア姫」
腕組みを解き、バッハは背もたれに深く身をあずけた。
「金棲魔群帯を突っ切るなど、あまりに非現実的な戯れ言。いくら仮定の話といえど、このような場でそのような絵空事を口にされるようでは……正直、この先が思いやられますな」




