北方魔群帯へ
風景が、流れていく。
暗い樹林帯は、どこまでも続いているように見える。
陽光を拒否する木々の中を駆ける一台の黒い戦車――
悪魔めいた角を持つ黒の巨馬が、快音を響かせ、太い蹄で大地を蹴りながら進んでいた。
「スレイの方は……問題なさそうだな」
戦車の屋根に設えられている足場。
俺はそこに立ってスレイの様子をチェックしていた。
スレイがこの戦車を引けるかは一抹ながら不安があった。
しかし蓋を開けてみれば、軽々と引いている。
負った傷もすっかり完治しているみたいだ。
戦車の屋根部分は広めの足場になっている。
低めだが落下防止(?)の柵もついている。
三人いても窮屈な感じはない。
なので、この足場に陣取って迎撃という戦法も取れそうだ。
腰をおろす。
「本当に、ついてきてよかったのか?」
膝を立てて隣に座る彼女に問いかける。
彼女は、ジッと前を見据えたまま答えた。
「出立前に言った通りだ。我の気は変わらぬ」
そう答えたのは、イヴ・スピード。
今回の救援作戦には彼女も同行していた。
当初セラスは、イヴの同行を考えていなかった。
『これは私の事情で行うことです。それに……イヴとリズはもう安心して暮らせる場所に辿り着いたのですから、もう戦う必要はありません』
俺とイヴが交わした約束は二つ。
”イヴが禁忌の魔女の居場所を俺に教える”
”俺が力を貸して、イヴとリズをそこまで連れて行く”
この二つはすでに果たされている。
イヴの願いはリズと平穏に暮らすことだ。
だから無理についてくる必要はなかった。
が、イヴはこう言った。
『我が魔法の地図でここへ導いたことで、仮に、トーカへの恩返しは果たしたとしよう。だが、我はまだセラスへの恩を返していない』
イヴは続けた。
『我やトーカが戦っている時、いつもリズを見てくれていたのがセラスだ。ゆえに我らは、リズの守りに割く意識を少なくして戦えた』
最後にイヴは堂々と、こう締めくくった。
『スピード族の誇りにかけて、セラス・アシュレインへの恩は返さねばならぬ。そして……それが今なのだ、セラスよ』
イヴの声には揺るぎない意志が宿っていた。
これにはセラスも、拒否とはいかなかったらしい。
俺も魔群帯でのセラスの貢献度は理解していた。
今、そのセラスは車内で休んでいる。
見張りは交代制にしてあった。
前を向いていたイヴの目が、俺を捉える。
「この北方魔群帯を抜けるのなら、トーカも我がいた方がよいと考えていたであろう?」
俺は、視線を逸らした。
「まあ、な」
イヴの持つ目や耳のもたらす恩恵は確かにでかい。
特に、こういう危険地帯を抜ける時には。
「ただ、リズの気持ちを考えるとな……正直、同行を頼むかどうかは俺も迷ってた」
「ふふ……実は、リズとは二人で話し合っていたのだ。今後トーカやセラスが我の力を必要としたらどうするか、とな」
リズは、こう言っていたという。
『わたしは、おねえちゃんと二人で幸せに暮らすのが夢だった……でも、おねえちゃんがトーカ様とセラス様が幸せになるためのお手伝いをしたいなら、わたしは応援するよ? わたしは、自分たちだけが幸せになればいいとは思えない。トーカ様とセラス様にも、幸せになってほしいから。それに……わたしたちの幸せは、トーカ様とセラス様がいなかったらなかったものでしょ? だから……わたしは大丈夫だよ、おねえちゃん』
ふっ、と低く笑むイヴ。
「リズは”一つだけ悔しいのは、自分が守ってもらう側だからついていけないことだ”と言っていた」
俺は、舌打ちした。
「……健気すぎるんだよ、リズは」
物分かりもよすぎる。
リズはまだ子どもである。
ぐずってイヴを引きとめてもよさそうなものだが。
「我もリズも、大切に思う者の存在の大きさは知っている。その者の力になれぬ悔しさも、な……ここで力を貸さねば、我は一生後悔するであろう」
今回の救援作戦を立てた経緯は出立前、イヴにも話した。
「それにトーカ、リズの心配の負担が減ったのはあの魔導具の存在も大きい」
俺は、懐に手を入れる。
「これか」
転移石。
鮮やかな紫色の宝石。
宝石の中に、さらに小さな宝石がいくつも入っている。
各宝石には極小の複雑な術式が彫り込まれている。
エリカによれば、これも古代の秘術を用いた魔導具だそうだ。
”一度だけ、決められた場所へ効果範囲内の人や物を送り込める”
魔術師ギルドの秘宝庫に入るレベルの貴重品、とのことである。
エリカ曰く、
『三回分持ってたんだけど、二回分は使っちゃったのよね。最後の一回分は、ここを出た後に何かあったらここへ緊急避難する用として取っておいたんだけど……リズを見てたら、これの存在を黙ってるわけにもいかなくてね。はぁ、エリカってばお人好しすぎ……』
とのことだった。
転移石は二対でワンセットになっている。
まず片方を発動させ、術式をその場に定着させる。
で、もう片方を発動させると、その術式を定着させた場に転送される仕組みになっているそうだ。
定着用の転移石は、あの棲み家の一角に使用されていた。
なので、この転移石があれば最悪イヴだけはあの棲み家へ送り返せる。
「我としては、リズを安心させる以上の役目をその石には期待しておらぬがな」
「言っただろ、イヴ」
俺は、言い含めるニュアンスで言った。
「おまえが危なそうだと判断したら、この転移石は俺の独断で使う」
イヴは、ふっ、と不敵に微笑んだ。
「では、深手を負わぬよう気をつけねばな」
俺は冗談っぽく、フンッ、と鼻を鳴らす。
「ああ、そうしてくれ」
とはいえ、全員帰ることができればそれに越したことはないが。
ちなみに今のイヴは豹人状態に戻っている。
人間状態だとやや能力が落ちるためだ。
今は姿を隠す必要もない。
だから、北方魔群帯を抜けるまでは豹人状態でいい。
「それにしても……そなたとアライオンの女神に、そんな因縁があったとはな」
俺と女神の因縁。
イヴが知ったのは、エリカのところへ来てからだった。
元々イヴとリズは魔女の棲み家までのつき合いの予定だった。
だから俺としては、知る必要はないと思っていたのだが……。
結局、結果的に成り行きで明かすことになってしまった。
「もし、出立の時点で禁呪を使えるようになっていたら……今回の救援作戦の後、トーカはそのままアライオンの女神に挑むつもりだったのか?」
「呪文書を見せた時点で、エリカが呪文書の文字を読めないのには気づいてたからな……はなから、その選択肢はなさそうだと思ってた」
「む? エリカが呪文書を見た時は我もいたが……その時点でエリカが読めないとわかっていたのか?」
「視線だよ」
「視線?」
「呪文書を見せた時、エリカは広げて確認しただろ?」
「う、うむ」
「ぱっと見、あの呪文書に書いてあるのが”文章”なのは俺にもわかる……そして文章として読めるなら、視線は”文章を読む動き”をするはずなんだ。けど、エリカの目は興味深そうに見てはいたが、そういう動きはまるでしてなかった」
「うぅむ……そんなところまで、観察していたのか……」
「あれは”読む”というより本物か偽物かを判断する感じだった。つまり、あれが禁呪の呪文書だと判断する情報は持っているが、読めるわけじゃないのかもしれない――その時、そう考えたんだ」
通常、呪文書は”読む”ものだ。
読めなければ本来の役割は果たせない。
だから、
「エリカはおそらくあの呪文書を読める誰かを知っていて……そして、あいつが時間をかけて俺の人間性を見極めたがったのは、俺をそいつに会わせて大丈夫かを確かめたかったんじゃないか、と思ってな。で、棲み家を出る前にエリカ本人に確認を取ってみた。そしたら――」
「その予想が、当たっていたのか」
「ああ」
そんなわけで、今回の救援作戦に合わせて禁呪を習得とはいかなかった。
なので、俺の正体が向こうに割れるのはまだ避けるべきだろう。
今回は、そのように動く必要がある。
「ふむ、しかしエリカは信用できたら情報を渡すと言っていたが……結局のところ、どうなのだろうな?」
俺は再び、懐に手を入れた。
「どうやら――信用は、得たらしいがな」
借り受けた”それ”は、服の裏地に縫い付けてある。
「とある場所の話をされた。そこに禁字族と呼ばれる亜人種がいるらしい。そして、その場所へ入るための”鍵”を、エリカは俺に貸し与えてくれた」
イヴが反応し、耳を立てた。
「その場所とは、まさか――」
「”最果ての国”とかエリカは言ってたが……知ってるのか?」
「う、うむ。しかし、あくまで伝説上の国かと思っていたのだが……」
「その国の外に住むヤツが”門”とやらを通るには、この大陸に二人しかいない神獣族ってのが必要らしいんだが……エリカはそれとは別に、そこの当時の王から門を通るための”鍵”をずっと昔に譲り受けたらしい」
「うぅむ、そうであったか。であれば、エリカが貸し与えるべきか慎重になるのも頷けるというものか……」
「根本的に、善意に溢れたヤツなんだよなエリカは……」
しばらく一緒に過ごしてみて、わかった。
この世界への厭世感は持っているのかもしれない。
が、まだ他者を信じるのを諦めてはいない。
そんな、気がする。
俺たちを受け入れたのも――あるいは、まだ誰かを信じてみたかったからなのかもしれない。
「……………」
だから……エリカも、甘い。
イヴやリズよりは邪悪に対する冷徹な視点を持っている。
が、どこかでやはり非情に徹し切れない面がある。
信じたいと、願ってしまうのだろう。
人は誰しもが善性を持っている、と。
けれど、世の中には救えないクズが存在する。
善意の面を被った邪悪など、そこら中に蔓延っている。
結局エリカは、俺を信用して”鍵”を貸し与えた。
甘い。
甘すぎる。
だからこそ――俺は、エリカに好感を持った。
そう、その甘さがあるからこそ……。
俺は、好ましく感じるのだと思う。
セラスにしろ、
イヴにしろ、
リズにしろ。
皆、純粋な善意を持っている。
”純粋な善意”
それは、叔父夫婦が持っていた素晴らしい美点だ。
俺が、それを否定できるはずなどない。
そして、純粋な善意を持てる者は守られるべきだ。
少なくとも、俺はそう信じている。
が、世の中には解毒に至らない猛毒も存在する。
善意を食いものにする邪悪が、確かに存在するのだ。
ならば――毒をもって、毒を制す。
邪悪が邪悪を、喰らえばいい。
そう、
邪悪の始末は可能な限り、すべて同じ邪悪の側がつければいい。
戦車が、暗き森を突き進む。
「…………」
自然と、笑みがこぼれる。
ま、
「クズどもを叩き潰すのは、俺も気分がいいしな……」
俺の内にあるこの嗜虐性は、認めざるをえまい。
「む? 叩き潰す……? トーカよ、一体なんの話――」
「イヴ」
「う、うむ」
イヴが少し脇を締め、身を正す。
薄く陰る虚空を見据えて、俺は言った。
「今回の救援作戦、俺はおまえらの生存を最優先で動く。だからこの転移石……どんな使い方をしても、恨むなよ」
▽
こうして、禁忌の魔女から譲り受けた魔戦車は、スレイの適度な休息を挟みつつ、予定していた北方魔群帯の約半分を駆け抜けた。
▽
「スレイの移動速度と魔戦車の認識阻害のおかげで、予定よりかなり早く到着できそうだな……」
俺は地図を懐にしまい、屋根部の足場に膝をついた。
左右には、黒の衣装を身に着けた二人の仲間がいる。
セラス・アシュレイン。
イヴ・スピード。
そして俺の肩には、スライムの相棒がのっている。
戦車を引いているのは、凶なる大角を持つ黒馬の魔獣。
やや遠くの斜め前方で、盛り上がった草木が爆ぜた。
「ぎィぃシぃェぇェあアあアぁァあアあアあ゛ア゛あ゛ア゛――――っ!」
飛び出してきたのは、巨大な金眼の魔物。
戦車の特殊能力の認識阻害は、使い切った。
ここからは、北方魔群帯の魔物との戦いが始まる。
セラスが巻き上げ済みのクロスボウを斜め前方へ向ける。
イヴが、長い鎖にトゲつきの鉄球をあつらえた武器を手にした。
いずれも、魔女の棲み家から持ち出した武器である。
指示通り、スレイは動きを止めず駆け続けている。
「そのまま駆け抜けろ、スレイ……安心しろ、立ちはだかる魔物はすべて排除する」
襲ってくるなら、容赦はしない。
射程距離を測りつつ、右腕を、前へ突き出す。
「それじゃあ――」
セラスとイヴが、構えを取る。
「始めると、しようか」




