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だから――



 ◇【セラス・アシュレイン】◇



 夜も深くなる頃――


 セラス・アシュレインは寝台の縁に腰をおろし、祈りを込めた。


(姫さま、ご武運を……)


 握り締めているのは別れの日にカトレア姫から手渡された首飾り。

 すでに横になっていたトーカが、セラスの後ろ姿に声をかけた。


「やっぱり、心配か?」

「ええ。心配していないと言えば、嘘になりますね」


 苦笑するセラス。


「ですが、姫さまには聖騎士団もついていますから。彼女たちならきっと、姫さまを守ってくれるはずです」

「信頼してるんだな」

「姫さまには姫さまの道が――私には、私の道があります。今はただ、お互いの道を信じて進むのみです」

「……別れは済ませたんだよな?」

「はい。あの時、もし互いに別れの言葉を交わしていなければ……ここまで心穏やかでは、いられなかったかもしれませんが」


 セラスはすっくと立ち上がると、ドアの方へ向かった。


「すみません、お手洗いへ」

「いちいち断らなくていい」

「ふふ、そうでしたね」


 苦笑を残し、セラスは部屋を出た。



     ▽



 セラスは廊下を少し行ったところで立ち止まると、そっと、胸に手をやった。














「――――――――ッ」













(姫、さま……ッ)


 締めつけられるような強烈な感覚が、胸の内に渦巻いていていた。

 そう……心穏やかでいられようはずなど、なかった。

 胸にあてたその手には、あの日、カトレアから手渡された首飾りが収まっている。


 別れはしっかり済ませた。


 トーカには、そう伝えてある。

 が、バクオス兵――しかもあの五竜士が迫っていたのだ。

 長く別れを惜しむ時間など、あろうはずもなく――


(あの日……)


 自分を逃がそうとするカトレアと交わした、最後の言葉。


『これまで過ごした日々とその思い出さえかけがえのないものなら、それで十分ではありませんこと? では、ごきげんよう』


 自分が、死地に残る側だというのに。

 あんなにも堂々とした微笑みで、彼女は、セラスにそう言った。

 が、セラスの方は――


(思うように、別れの言葉を言えなかった……)


「…………」


 カトレアが自ら率いるネーア軍の参戦。


 エリカの口からそれを聞いた時、内心ひどく動揺した。

 挙兵を求められる程度は予想の範囲内といえる。

 が、まさか国を取り戻す一戦になっていようとは……。

 予想だに、しなかった。

 確かに勝算がなくはないのだろう。

 セラスのカトレア評は間違ってはいないはずだ。


 ただ、セラスが伝えたカトレア評はだけだった。


(あの方は”ここしかない”という時に思い切った賭けへ出る豪胆さも備えている。ましてや姫さまは……必要と判じれば、自らの身すら賭けに投じることも厭わぬお方……)


 こたびの戦、果たしてカトレアは無事に済むであろうか?

 ネーアをバクオスの手から取り戻す……。

 そう――この戦は、ネーアにとって千載一遇の好機でもある。


(逆に、この機を逃せば次にいつそんな機会が訪れるか知れない……)


 ここしかないと、カトレアはそう思ったのではないか。


 カトレアとは実の姉妹のように共に育ってきた。

 だからだろうか……。

 彼女の考え、決意が、手に取るようにわかる気がした。


(ですが、私は馳せ参じることができません。だからどうか……どうか、ご無事で……ッ)


 今の自分はトーカ・ミモリに剣を捧げた騎士……。

 蠅王ノ戦団の副長を任せられている身だ。

 自分は、自分の務めを果たす。


(そう……)


 トーカに勘づかれるのも、避けねばならない。

 彼は驚くほど勘がいい。


(だから――)


 今後は、より気を引き締めて隠し通さなくてはならない。

 彼にいらぬ気遣いをさせぬためにも。


 誓ったのだ――この身を、捧げると。


 この身は彼が目的を果たすために使わねばならない。


 この戸惑いも、


 この焦燥感も、


 この、気持ちも。


 すべて胸の奥に、しまっておかねばならない。


(……感情に負けてしまい、一度は過ちを犯しもしましたが)


 が、あの時だけだ。


(そう、私の気持ちなど……トーカ殿の旅が終わった時に伝えればいい。それまでは、やはり忠実な彼の騎士として……剣として――)



 己を、殺す。



 仕えるとは、そういうことだ。


 彼の目的の夾雑物きょうざつぶつになってはいけない。


 そう、せめて彼が女神に復讐を果たすまでは――


「…………」


(女神……)


 ネーア独立の話は、女神側から持ち掛けられたものなのだろうか?


(仮に女神が姫さまをたぶらかしたのだとして……その結果、もし姫さまの身に何かあったのなら――)


 きっと生涯、自分は女神を許すことはできないだろう。


 もう一度、セラスは深く祈りを捧げた。


「…………」


 トーカが目的を達成した時、もしお互いが幸運にも無事であったなら……


(その時は――)


 会いに、行こう。


 姫さまに。


 おのが胸にそう誓うと、さらに力強く、セラスはその首飾りを握り締めたのだった。















「セラス」















(え……?)


 心臓が、跳ねた。


 いつの間にか背後の少し離れたところに、


「……トーカ、殿?」



 トーカが、立っていた。



「いかがなされたのですか?」

「おまえの様子が、気になってな」

「…………」


 セラスは心を落ち着かせた。

 頭の中で、言葉を組み立てていく。


「私の様子、ですか? 確かにネーアの話を聞いて、少しばかり動揺してしまいました。ですが……」


 ゆっくりと、胸に抱いていた首飾りをしまう。


「もう、大丈夫です」


 努めて穏やかに、セラスは言った。


「こたびの戦の結果がどうあれ、姫さまなら必ずやネーアをいつかその手に取り戻すでしょう。それに……言ったはずですよ? 今の私はあなたの騎士――この身はすでに、一度死んだ身なのです。もう過去を振り返ることはありません。今……私のこの力は、あなただけのためにあります」


「俺だけのため、か――――本当か?」


 嘘を、見透かされた。


 セラスはそれに気づいた。


 ――ドク、ンッ――


「も……申し訳、ございません。さすがに、かつてこの身を寄せていたネーア聖国の話とあって……少々、感情が過去に引きずられてしまったことは認めます。ですが、ご安心を……私は――」



「いい加減にしろ」



「え、あの……トーカ、殿……?」


 トーカが近づいてくるのが、足音の距離でわかった。


 苛立ちを覚えているのがわかる。


 彼の言葉に嘘はない。


 トーカは、本気で苛立っていた。


 それは彼からセラスへ初めて向けられた感情でもあった。


 ――心臓の鼓動が、速まる。


 トーカがすぐ背後で、立ち止まる。


「だから――」


 セラスは、目をつむった。



「…………ッ」









「何を泣いてるんだよ、おまえは」








「……、――え?」



 今、セラスは気づいた。


 滲む視界で床を見れば、たくさんの水滴が落ちている……。


 いつから?


 いつの間に自分はこんなにも――




 涙を、流していたのだろう?




 声は、震えていなかったはず……。



 震えは、消していたはずだ。



 その時、



 ポンッ



 トーカの手が、セラスの頭に置かれた。




「――――ぁ」




「悪いが……嘘を見破るのは、おまえの専売特許じゃない」




「トーカ、殿……?」


「なあ、セラス」


「は、はい――」


 震える声で、相槌気味に応える。


「おまえやっぱり、変なヤツだな」


「え?」


「さっきみたいな感覚で人に苛立った経験は、叔母さん相手でもなかったことだ」


(叔母、さま……?)


「こんな風な気持ちになったのは……正直、生まれて初めてだったよ」


 苛立ったとは、言っているが。


 トーカの声からはもう、完全に苛立ちは消えていた。


 その代わりに、声には優しさがあった。


 そして、若干の困惑。


 彼自身も、自分の感情に驚いている感じがあった。


「それでな、セラス」


「は、はい……」







「いい加減――おまえは、わがままの一つくらい言え」







「――、……え?」


「一度だけ俺がなんでも言うことを聞くって話とかも……おまえ、すっかり忘れてるだろ」


「あ、あの……トーカ殿? 今、なんと……」


「おまえ……本当は助けに行きたいんだろ? 姫さまの、力になるために……だけどおまえは、助けに行きたいと言わない。いや……言えないんだろ?」


「――――ッ」


 だめ、だ。


 これは、だめだ。


「い、いえっ……私は――」


「夕食の時は、エリカとかもいたから指摘しないでおいてやったけどな……バレバレだ」


「ぇ――」


「セラスにとって”姫さま”がどれだけ大事なの存在なのかは、今までのおまえを見てれば余裕でわかる。おまえさ、よく叔父さんたちの話をする時に俺が普段と違う顔をするって言ってるけど……」


 トーカはどこか、自分に重ねるようにして言った。


「”姫さま”の話をする時……おまえ、自分がどんな顔してるか知ってるか?」


「私の、顔……ですか?」


「おまえにあんな顔をさせる”姫さま”が、あんな条件を抱えて生き残るかどうかもわからない戦場に出るとなったら……気持ちを乱すなって方が、無理な話だろ」


「そ、それはっ……」


「おまえが俺の”剣”であることを強く意識して、色々な感情を抑えて仕えてくれてるのには感謝してるさ。けど、本当に大切な人に向ける感情まで押さえつけるのは……違うだろ」


 顔をくしゃくしゃにしながら、セラスはどうにか言葉を紡ごうとする。


 どうにか、持ち直そうと試みる。


「――トーカ殿、私は姫さまとは……もう……ちゃんと別れを、済ませたのです……」


「違うな」


「え?」


「本当に納得のいく別れを済ませてるなら、もっとすっきりした顔をしてないとだめだな。ま……セラスの演技は、まだまだってことだ」


 歯を、食いしばる。


 せめて――涙だけでも止めようと、嗚咽をこらえる。


 疑問が溢れて、止まらない。


 どう、して――


 どうして、この人は。


 こんなにも自分を、




 見てくれて、いるのだろう。




「納得のいく別れを済ませられない辛さは、俺もよく分かってるつもりだ」


 納得のいく別れ。


 セラスは、ハッと息を呑んだ。


 ――ああ、そうか。



 



 彼にとっての”大切な人たち”。 


 彼はその人たちと、まだ納得のいく別れを済ませられていないのだ。


「誓い通り俺の”剣”としてこの先も尽くしたいと思うなら……それはそれでいい。けど、それは……ちゃんと納得のいく形で姫さまにお別れを言ってからでも、遅くはないだろ」


「ですが……」


「食後にエリカからアレコレ聞き出した。カトレア姫の編入された南軍は、まだ本格的な戦いには入ってないらしい」


「!」


「当初は均等に動いてたらしいんだが……いま南へ侵攻中の大魔帝の軍は、他の東や西の軍と比べると、主戦力同士がぶつかるまでにまだまだ時間のかかる距離にいるって話だ。それに……今回の戦には傭兵もたくさん参加してると聞いた。なら、傭兵にまぎれて南軍にもぐり込む手が使える」


「トーカ殿……本当、に……? 本当に、大魔帝の軍勢と戦う戦場へ……、――いえ、で、ですが……ここは、魔群帯の奥深くで……」


「俺たちは魔群帯に入って、ここの魔物どもを突破してここまで来たんだぜ? だったら……」


 トーカは今、背後にいる。


 だというのにセラスの脳裏には、彼のあの凶笑が、鮮明に浮かんでいた。




「出ていくこともできなきゃ、おかしいって話だろうが」




「私は……そ、の――、……………………」

「はっきり言ってやるよ、セラス。おまえはな……」


 トーカがセラスの肩に、手を置いた。


「嘘を見破るのは得意だけど……嘘をつくのは、下手なんだよ」


「私、は……」




「おまえは、自分を騙し切れるほどことができない」




 フン、とトーカは鼻を鳴らした。


「俺に隠し切れると思った時点で、おまえの負けだ」


「――――――――」


 つかえていたものが取れたような感覚が――セラスの身体を、駆け抜けた。


 ……もう、隠しても意味はなさそうだ。


 今の彼の前では何も隠せそうにない。


 おそらく心のままに、なんでも答えてしまうだろう。


「おまえは姫さまの力になりたい。そしてせめて、ちゃんとしたお別れをしたい。それが……おまえの望みだな?」


 嗚咽と共に溢れてくる、滂沱ぼうだの涙。


 それを、左右のてのひらで必死に拭う。


 けれど――その量は、増える一方でしかない。


 拭っても、拭っても。


 激しく揺れ動く感情と共に、とめどなく、溢れてきた。





「はい゛っ……はい、トーカ殿……ッ、――――」





 肩に置かれた手に、少しだけ力がこもった。


「それでいい」


 トーカが、セラスの肩から手を離す。


「行くぞ」


 彼がセラスの横を通り過ぎた。


 そして、セラスの前へ出ると――彼は背中越しに言った。











 もはや止め方を忘れた涙を流し続けながら、精一杯の笑みを浮かべ、セラスは、彼の背に応えた。






「はい――はい、トーカ殿(我が主)っ……」







 トーカが、首を巡らせた。


 しかし彼はセラスの方へ振り返ることはなく、洞窟の深奥めいたその闇色の目は、横手の壁へと向けられていた。


「状況が上手いこと噛み合ってくれればの話には、なるが……」


 彼の温かみを排したその漆黒の瞳は――ここではないどこか遠くを、昏く見据えた。



























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― 新着の感想 ―
お前が主人公でよかった感
話題の展開が気になってとても面白いです。
[良い点] これは惚れる
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