壁として立ちはだかるもの
検証は後に回して、俺たちは一旦上へ引き揚げることにした。
エリカがバテ顔で、
「喉渇いた」
と戻りたがったためだ。
なら俺だけ残って検証すると提案してみたのだが、
「このフロアはエリカ同伴でしか、入室を認めません」
そう突っぱねられてしまった。
まあ、ここで頑なになる理由もない。
おとなしく俺はエリカと上に戻った。
俺だけそのままこの家のテラスっぽい場所へ向かった。
巨木の穴から外へせり出しているスペースだ。
手すりまであるので見た目はもうテラスと言っていい。
俺はピギ丸を肩にのせ、手すりに寄りかかった。
「ん? まだやってたのか」
少し遠くでまだセラスとイヴが剣で打ち合っていた。
リズはというと……寝ているようだ。
脱力した様子で、伏せたスレイに寄りかかっている。
「…………」
ここからでも穏やかな顔で寝ているのがわかった。
と、二人分の銀杯を持ったエリカがやって来た。
「そういえばトーカ、傷の具合はどう?」
「ああ、よくなってきてる。あと数日もすれば、戦いに支障をきたさなくなりそうだ」
俺の視線を追うエリカ。
「イヴもリズも、馴染んできたみたいね」
「特にリズはいい傾向だな。ここに来るまでにあった緊張感や恐怖心が、かなり和らいでる」
リズはそういう感情を健気に隠そうとしていた。
が、俺は隠そうとしているのを悟っていた。
「いい子よね」
「ああ」
手すりに背を預け、エリカが息をついた。
「――いいわ」
「ん?」
「あの子の面倒は、エリカが責任持って見てあげる」
「助かる」
リズの望みは静かに暮らすことだ。
復讐目的の旅じゃない。
俺は、エリカから差し出された銀杯を受け取った。
「で、傷の具合を聞いたってことは……ここをいつ頃発つかの目処をつけにきたんだろ?」
呆れたように肩を竦めるエリカ。
「やっぱり腹が立つほど目ざといわね。……ええ、そうよ」
と、エリカが銀杯の表面に映り込む俺を見つめた。
そして彼女は指の腹で杯の表面をなぞり、ねぇ、と言った。
「もし、エリカが禁呪の情報を与えなかったら……そのあと、トーカはどうするつもり?」
「その時は――」
決まってる。
「禁呪以外の方法を探し出して、あのふざけた女神を叩き潰すだけだ」
「…………」
▽
二日が過ぎた。
傷の具合もかなりよくなった。
セラスの手当ても効いたのだろう。
治りも予想より早い。
ま、本来の目的を果たすには治りが遅い方がよかったのかもしれないが。
その日の夕食の席では、すっかりここの生活に馴染んだ空気で食事が進んでいた。
そして、卓上の料理も八割を消化した頃だった。
「使い魔で得た情報なんだけど……」
独り言めいて、エリカが不意に口を開いた。
「少し前、大魔帝の軍勢が本格的な南進を開始したらしいわよ」
大魔帝か。
俺が魔群帯にいる間に動きがあったらしい。
「現段階ですでに過去と比べてかなり厳しい戦いになる見込みらしいわ。迎え撃つ神聖連合側も相当の備えで臨むみたい。早速、アライオンが召喚した異界の勇者も各軍に組み込まれたそうよ」
異界の勇者。
高雄姉妹と鹿島小鳩……。
イヴが遭遇したその三人くらいしか最近の情報はない。
その情報にしても伝聞である。
直接顔を合わせたわけではない。
「五竜士を失ってゴタゴタしてたバクオスは、新たに”三竜士”と名づけた将たちの率いる軍を送り込んたみたいね。黒竜騎士団の主力を失ったバクオスとしては、今回の一戦でヴィシスに自分たちの有用性を示したいところなんじゃないかしら? つまり今回の一戦は、各国にとって功績を上げるチャンスでもあるわけね」
「……そうですか、バクオスが」
バクオスはセラスのいた国に侵略した国だ。
思うところがあるのは当然だろう。
「それと……今回、形式的ながら神聖連合に復帰を果たした国がいるみたい」
口もとを布で拭きながら、エリカが言う。
「今回の戦、ネーア聖国の第一王女カトレア・シュトラミウスの率いる軍が参加するそうよ」
背筋を伸ばした姿勢のセラスが、そっとスプーンを置いた。
彼女の口もとには微笑が浮かんでいる。
「あのお方も、ただでは転びませんね……」
チラッ
セラスを一瞥するエリカ。
「しかも……この一戦の功績いかんによっては、バクオスから国を取り戻せるかもしれないって話らしいわ」
イヴが、腕組みをして唸る。
「国を……? 五竜士を失ったバクオスがいくら弱っているとはいえ、そこまで上手く話が運ぶものか?」
「運ばせたのは多分、クソ女神だろ」
俺が指摘すると、エリカは頬杖をついた。
「……正解。カトレア姫にそう約束したのが、ヴィシスらしいのよね。この戦でバクオス以上の功績を上げれば、ネーア聖国の領土からバクオス軍をすべて引き揚げさせる……その上で、ネーアに再び神聖連合への正式な加入を認める、と約束したそうよ」
「神聖連合への正式な再加入ってのは要するに――」
「ええ、バクオス帝国からの独立を認めるということ。しかも、女神ヴィシスのお墨付きでね」
ふむ、とイヴが得心する。
「女神の命令であればバクオスも逆らえない、か」
「今回バクオスは東、南、西の各軍に大量の派兵を行ったらしいわ」
「…………」
クソ女神の野郎、えげつねぇやり方をしやがる。
”功績いかんによっては独立を認める”
一見これは温情に満ちた約束に見えるかもしれない。
が、実際には見事に両国を煽っている。
ネーアには”バクオス以上の功績”と条件をつけた。
となればバクオスは必死になって兵を送り込むだろう。
五竜士の喪失以降そもそも存在感を失っているのだ。
バクオスとしてはここでなんとか存在感を示したいだろう。
が、この一戦でもし占領下のネーアに劣る働きとなれば……。
帝国の威信もクソもない。
当然、今後の存在感の失墜は免れまい。
一方のネーアも苦しい。
本気で功績をあげにくるバクオスが競争相手となるのだ。
こちらも死にもの狂いで功績を追う必要がある。
そして、女神にとってはどう転んでもオイシイ。
なぜなら、二つの国がケツを叩かれて”高い士気”で戦うのだから。
……クソ女神の考えそうなことだ。
「しかしエリカよ、この魔群帯にいながらよくもそのような情報が得られたものだな」
イヴが不思議そうに言った。
「今や大陸中に広まっている情報みたいよ? 特にネーア聖国では、知らぬ者はいないって感じだわ。カトレア姫が率先して広めてるみたいだから……ま、広めることでヴィシスが約束を破るのを防ぐ抑止力にしたいって意図もあるのかもね」
民にとっても”女神との約束”なら効力が大きい。
となれば広まるほど士気も上がる、か。
「バクオス兵はネーアの領土で横暴を働いていたらしいから、ネーアの民も追い出せるなら追い出したいんでしょうね」
逆に言えば、そこを女神につけ込まれたとも言える。
ギシッ
イヴが椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「ふむ……だが、その戦でバクオス帝国以上の成果を上げるというのもなかなか難しいのではないか?」
「――いえ、そうとも限らないかと」
黙って聞いていたセラスが口を挟んだ。
「姫さま自らが決断し出兵しているのなら、勝算のまったくない話でもないと踏んでいるのだと思います。それにあの方なら、もし勝算が微塵もないのならその約束を広く周知したりはしないはずです」
セラスの言葉には確信めいた響きがあった。
エリカがウイスキーのビンに手をのばしかけて、やめる。
「……セラスは、ネーアの元聖騎士団長だったわよね? だからこの話は耳に入れておくべきかと思ったんだけど、その……逆に、無神経だったかしら?」
微苦笑するセラス。
「いいえ、そんなことはありません。私はすでに死んだとされている身……今は、我が王であるトーカ殿の目的達成のために力を注ぐことが最優先です。姫さまともちゃんと別れは済ませてきました。それに――」
セラスは胸に手を添え、その微笑みを濃くした。
「姫さまとネーア聖騎士団なら、必ずや、ネーアをバクオスの手から取り戻してくれると信じております」
エリカが指の腹で、銀杯の表面を撫でた。
「元聖騎士団長セラス・アシュレインは、誰もあずかり知らぬところで”人類最強”率いる黒竜騎士団の主力を壊滅させたんだから……働きとしては十分すぎると言える、か」
苦笑するセラス。
「彼らを壊滅させたのはトーカ殿です。私ではありません。ただ、そうですね……今は、シビト・ガートランドと実際に相対した者として――」
キュッ
胸に添えた手を、セラスは握り込んだ。
「今後、姫さまの前にあの”人類最強”が壁として現れないことに……安堵を覚えざるをえませんね」




