エリカ・アナオロバエル
荷物を置き、俺は部屋の壁に背をあずけた。
「どうにか、ひと息つけそうだな」
「ええ、そうですね。ですが……」
俺たちの泊まる部屋のスペースは狭かった。
いや……正確に言うと、足の踏み場が少ない。
床の上に調度品がたくさん転がっているのだ。
なので元の部屋自体はそこそこ広いと言える。
空間を奪っているモノの中には大きめの家具類も確認できた。
が、ホコリを被った中型以下の調度品が最も多い。
使っていない部屋が物置になる……。
よくあることか。
ドアからベッド付近のスペースはかろうじて空いていた。
なので俺たちの荷物を置く余裕はあった。
片づけなくとも、ベッドで寝るだけなら問題なさそうだ。
「…………」
ただ、俺が床で寝るにはもう少しスペースを空けないといけない。
「これは文句を言っても仕方ないな……掃除して使うってのが条件だ。あとで掃除する時の細かい決め事なんかを魔女に確認したら、今日中に可能な範囲で片づけるとしよう。セラスも、それでいいな?」
セラスはしばしベッドをジッと見つめていた。
やがて、返事がきた。
「はい」
もはやセラスとの同室も慣れた。
共に夜を過ごしたのは一夜どころではない。
同じ部屋で何度も一緒に寝ている。
互いに抵抗感はない。
……まあ、セラスの方はそれなりに意識するかもしれないが。
意識しているのはこの前のアレのせいだろう。
と、スレイが空きスペースの敷き物の上で伏せをした。
第一形態は省スペースなので、どうにか休めるスペースを確保できたようだ。
「パキュリ〜……」
さすがに疲れているらしい。
が、これでようやくスレイもひと息つける。
俺は、背中を撫でてやった。
「ゆっくり休め」
「パキュ〜ン……♪」
一方、
「ピギ〜♪ ポヨ〜ン!」
ベッドの上に跳び乗るピギ丸。
ポヨンポヨンと上下に跳ねている。
「ピニュイ〜♪」
こっちはすっかり元気が戻ったようだ。
ピギ丸とスレイは、ひとまず俺と同じ部屋に来ることになった。
魔女には、
『……夜、邪魔じゃない?』
といらぬ気を遣われたが。
俺とセラスを”そういう間柄”だと思ったようだ。
まあ、そう見えてもおかしくはない。
「トーカ殿……」
「ん? どうした、妙に改まって」
「あの、就寝時のご相談なのですが――」
俺は手で制止する仕草をし、セラスに歩み寄った。
肌が触れ合うか触れ合わないかの至近距離。
彼女の耳に、自分の口を近づける。
「え? あ、あの――ッ」
「一応、普通の声量で話す時は盗み聞きされてる前提で話してくれ。あの魔女は信用できそうだが、俺たちはまだ彼女をよく知らない。ただ、聞かれてもいい話なら普段の声量で問題ない」
「ぁ――」
声を潜め、吐息のかかる距離で俺に耳打ちするセラス。
「かしこまりました」
警戒を解くにはまだ早い。
「で、大事な話か?」
「え? あ……そう、かもしれませんね」
「なら、それは後で話そう。いいか?」
「ぁ――はい」
セラスの耳が赤くなっている。
……近づきすぎたか。
俺は身体を離すと、声量を戻した。
「……でもまあ、禁忌の魔女が人の好さそうな人物でよかった」
セラスは上品に膝を揃え、ベッドの縁に腰かけた。
「そ、そうですね。もっとこう、近寄りがたい荘厳な雰囲気を放つ方だと想像していましたので」
「近寄りがたい荘厳な雰囲気でなくて悪かったわね」
「ひぁっ――」
セラスの両肩が、ビクッと跳ねる。
魔女が、部屋のドア枠に寄りかかっていた。
背中側だったのでセラスは気づかなかったらしい。
ちなみに俺の方は、姿を見せた魔女に声をかけようとしていたところだった。
弁解か、謝罪か。
セラスが慌てて口を開く。
「あ、あの――」
「セラスが言いたかったのは、要は親しみやすいって意味だろ?」
「ふぅん、褒め言葉ってこと?」
「だろ?」
同意を求めると、セラスは頷いた。
「ええ、私が魔女殿をけなす理由などありませんから。ですが……」
セラスは立ち上がり、魔女に向き直った。
膝をつき、頭を垂れる。
「気分を害されたのであれば、心より謝罪いたします」
「セラス、きみ……」
魔女が緩く腕を組む。
「”生真面目すぎてつまらない”とか、言われがちだったんじゃない? もしくは、陰で言われつつ、本人も薄々そうなんじゃないかと内なる疑問を持つような……」
「…………」
土足も土足だった。
セラスが首だけで俺の方を向く。
「トーカ殿」
哀しげな目が、語っていた。
”やっぱりそうなのでしょうか?”
と。
たとえば、
”セラスと二人で話しているとすごく楽しい”
嘘判定に引っかからずにそう言われようものなら……。
意外とあっさり攻略されてしまう姫騎士なのかもしれない。
「おまえの生真面目さは長所だって言っただろ。おまえの長所はちゃんと俺が知ってる。今はそれで我慢してくれ」
「あ、その――――はい」
セラスはちょっと嬉しそうに首肯した。
俺は魔女の方を見る。
「けどちょうどよかった。あんたとはもう少し話したかったんでな」
向こうから来てくれたので出向く手間が省けた。
「だと思って、こうして訪ねてきてあげたのよ」
魔女が廊下の向こう側を見やる。
その先にはイヴとリズのいる部屋があったはずだ。
「あの二人がいると話しづらい内容もあるでしょ?」
それで会話を一度打ち切って部屋分けをしたのか。
俺たちとイヴたちを、分けるために。
「ま、こっちもまだ話し足りなかったしね。それに……久しぶりの外の者との会話だから、思ったよりエリカも浮かれてるのかもしれないわ。ここに引きこもってはいるけど、人嫌いってわけではないし」
「エリカと呼んでも?」
「どうぞ? ちなみに、エリカというのは本当の名前じゃないんだけど……ま、好きなように呼んで」
と、セラスがちょっと怪訝そうな顔をした。
エリカと名乗った際、嘘判定に引っかからなかったからだろう。
「妾もリズベットと同じで、本来はアナオロバエルという名しか持っていないの。だけどほら……長いし? 略すにしてもロクな候補がないから。そこで、アナオロバエルの方を姓にしちゃって、名の方を短めなエリカにしてみたわけ。ま……過去の異界の勇者の記録から適当に引っ張ってきただけなんだけど……この名前に決めた理由は、響きが気に入ったから。文句ある?」
魔女は”エリカ”を”本当の名前”として認識している。
なるほど。
こういう場合も嘘判定にはならない、か。
「あ、ちなみに自分のことを時々”妾”と呼んじゃうのは”エリカ”と名乗る前の名残りよ。今はなるべくエリカって言うようにしてるんだけど……たまに昔の”妾”の方が出ちゃうのよね。けどほら……”妾”ってなんか古臭い感じしない?」
「ひょっとして……リボンで結ったそのツインテールも、新しい名前と同じノリと勢いでやったとか?」
俺が聞くと魔女――エリカは手でツインテールに触れた。
ここで初めて、彼女は不安感を滲ませた。
「若く見えるかなって思ったんだけど、やっぱり似合ってない……?」
「似合ってないな」
「う、ぐっ……きみ、ずいぶんはっきり言うのね……」
半眼で睨まれた。
が、その瞳に憎悪や怒りはない。
エリカは肩を落とすと、リボンに手をのばした。
そして、
シュルルッ
リボンを、ほどき始める。
「でもま、素直な他人の意見が聞けてよかったわ」
眉を下げ、息を落とすエリカ。
「気を遣われてるとわかっちゃうほうが、だるいしね……」
両側のリボンがほどかれた。
長い黒髪がエリカの腰あたりまで垂れる。
けっこうなボリュームの髪だ。
ほどいたリボンを、エリカは腰の紐に括りつけた。
「年を重ねてくると、感覚をもっと若い頃に合わせた方がいい気がしてくるんだけど……上手くいかないものね」
つまり……。
自分のことを”エリカ”と呼ぶのも、ツインテールも。
若作りみたいなもの、なのか?
「俺の感性からすると、そっちの髪型の方がしっくりくるけどな」
リボンを取ると印象もけっこう変わる。
心なしかセラスの言う”荘厳な雰囲気”も前より出ている気がする。
「セラスはどう? こっちの方がいい?」
「え? 私は、その……どちらの髪型も素敵だと感じましたよ?」
「エリカ、そういうリスクを取らない逃げの回答は嫌い」
しゅんとするセラス。
「申し訳ありません……」
「俺がリスクのある言動をする分、セラスが堅実な言動でバランスを取ってくれてるんだよ」
「きみ、ちょっと恋人のこと庇いすぎ。見せつけてるわけ?」
「まあな」
セラスが「と、トーカど――」と何か言いかけた。
エリカが、やれやれと肩を竦める。
「まー、お熱いこと」
にしても、エリカはけっこうおしゃべりな性格みたいだ。
当人の言う通り、会話に飢えているのかもしれないが……。
ただ、俺としては好都合だ。
「しっかし、いざ相手にすると厄介なものなのねー……」
エリカの目はセラスを捉えていた。
「偽りの風音を見抜く精霊とくれば、おそらく――シルフィグゼア」
セラスの使う風精霊の名だ。
「けど、代々アシュレインの一族が正式に契約を結んでいる精霊ではないわよね?」
セラスが神妙な面持ちになった。
「……ご存じでしたか」
ふーん。
一族と正式に契約を結ぶ精霊とかがいるのか。
「どういう事情があったかは知らないけど……セラス・アシュレインは、はぐれ精霊と契約を結んだ。ネーア聖国へ身を寄せたのは……はぐれ精霊と契約したせいで、国を追放されたから?」
セラスは黙りこくった。
エリカがかぶりを振る。
どこか、自分を責めるみたいに。
「……踏み込みすぎたみたいね。ごめん、忘れて。ともかく……嘘を見破るそのシルフィグゼアがいる上に、きみでしょ?」
エリカが面倒そうに俺を見た。
「化かし合いをするには、こっちが不利すぎるわ」
「なら――腹を割って話せばいい」
実を言うと、エリカに隠すべき情報はほとんどない。
「エリカも同意。腹の探り合いをするには、きみはちょっと相手が悪い。何より、面倒だし」
「で……あんたの信頼を得るには、何を話せばいい?」
「まずは……禁呪が必要な理由、かな? 悪いようにはしないから、正直に話しちゃってくれる?」
と、エリカが胸の谷間から懐中時計を取り出した。
その時計を俺の方へ雑に放り投げる。
俺は、それをキャッチした。
「きみたちもしばらく休息が必要だろうし……話す時間は、たっぷりあるでしょ?」
こっちの疲労度合いも見抜いているようだ。
俺は、部屋の大半を占拠する調度品を見た。
「その時間、まずは掃除にあてたいところだけどな」
「後にして。最悪、エリカも手伝うから」
フン、と俺は口端をゆるめた。
「わかった」
時計を手に、意を決する。
「なら話そう。俺たちが、ここへ至った経緯を」
▽
話の途中で、エリカが話を止めた。
「話を止めて悪いんだけど――は? ちょっと待って、嘘でしょ?」
エリカが額に指を添え、眉間にシワを寄せる。
「きみ、あの廃棄遺跡に落とされて生還したっていうの……? え? つまり……え? 待って? それって……」
確認でも取るように、エリカは問いを重ねた。
「あの魂喰いを、倒したってこと?」