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笑わない魔女


 セラスの合図もない。


 ”魔女が嘘を言ったら咳払いをする”


 それがないということは、だ。


 魔女は女神側ではない。


 これはほぼ確定とみていいだろう。

 万が一の懸念はこれで排除された。

 このまま交渉は継続でよさそうだ。


 セラスたちが発言する気配はない。

 魔女との交渉はすべて俺に託している。

 ……失敗はできない。


「それじゃあ、こっちの質問に戻させてもらうわ」


 魔女はそう言うと、質問を繰り返した。


「エリカのもとへ来た目的は、なに?」

「目的は二つある」

「二つ? 強欲ね」

「人間だからな」

「……ふん。言ってごらんなさい? 一応、聞いてあげる」

「一つは、俺の後ろにいる豹人とダークエルフの保護だ」


 クイッ、と。

 杖の先端が軽く上へ跳ねた。


「続けて」

「二人はわけあって追われる身だ。ここで保護してもらわないと、外で望みのない逃亡生活を続けるしかない」


 見定める視線を向ける魔女。


「きみとそこのハイエルフは保護しなくていいわけ?」

「できれば一時的に俺と彼女の保護も頼みたい。ただ、もう一つの目的を果たせば俺たち二人はさっさと出て行く。それと、口約束にはなるが……あんたについての情報を外で漏らすつもりはない。俺があんたの情報を触れ回るメリットもないんでな」


 イヴとリズからやや動揺がうかがえる。

 おそらく、


 ”俺たち二人はさっさと出て行く”


 この部分に対する反応だろう。

 魔女が杖を支えにし、前屈みの姿勢になった。


「きみ……話術に自信アリって感じね?」


「ま……自信がないとは言わないさ。だからこそ、この一団のリーダーとして交渉役を買って出てるわけだしな」


「はりぼての自信家でもなさそう、か。身の丈に無自覚な虚勢でもない。ふん、今のところそれほど印象は悪くないわね」


「保護者になってくれるかもしれない魔女のご機嫌を損ねたらだからな。それなりに気は配ってるさ」


「笑止」


 ……薄々感じてはいたが。

 あの”笑止”ってのは口癖らしい。

 ただ”笑止”とは普通、


 ”笑うべき時”

 ”おかしく感じた時”


 そういう時に用いられる言葉だったはず。

 が、笑わない。

 そう……魔女は一度も笑みを見せていない。

 愉快以外の感情からくる笑みすらない。


 嘲弄ちょうろうも、

 苦笑も、

 皮肉も、

 自嘲も、


 ない。


 笑わない魔女が、聞いた。


「それで、もう一つの目的は?」


 俺は背負い袋から三つの紙筒を取り出した。


「こいつだ」

「何それ? 地図か何か?」

「呪文書だ」

「なに、きみ? エリカにその呪文書の読み方でも教えて欲しいっていうの? って、わざわざこんなところまで足を運んで教えてほしい呪文って何よ?」


「禁呪」


 瞬間、魔女の顔色が変わった。


「…………へぇ」

「こいつを読めるヤツを探してる。禁忌と呼ばれるほどの知識を持つ魔女なら、と思ってな」

「三つ揃ってるのね……つまり、きみ……」


 察した顔をする魔女。


「アライオンの女神を倒すために、禁呪の力が欲しいってこと?」

「そうだ」


 魔女が肩を竦める。



「無理」



 今の言い方。

 知らない――ではない。

 知っているが教えるつもりはない。

 そっちに近いニュアンスだ。

 セラスから合図はない。

 彼女から伝わってくるのは躊躇いと戸惑い。

 合図を出すかどうか迷っている。

 そんな感じだった。


 ”無理”

 

 これが、


 ”不可能だから無理”


 ではなく、


 ”心情的に無理”


 だとすれば……。

 魔女の言葉は”嘘”ではない。

 それに魔女は”三つ揃ってる”と口にした。

 確実になんらかの情報を持っている。

 持っていなければ、そんなことは口にできない。


「知ってはいるんだな」

「正解。まあ――」


 前屈み姿勢のまま、魔女は紫紺の瞳に瞼を薄く重ねる。


「禁呪の知識を与えるにふさわしい相手かどうか、わからないし」

「教えてもらうには……どうすればいい?」

「さあ?」

「わかった」


 鼻頭にシワを寄せる魔女。


「…………何が?」

「だったら、先に後ろの豹人とダークエルフの保護の話をしたい」


 禁呪の方はまだ取りつく島もなさそうだ。

 なら先にこっちの交渉に入る。


 別の島から取りつく。


「エリカがきみたちを保護しなくてはならない理由は? 保護してエリカになんの得があるわけ? ……とまあ、普通ならそうやって切り捨てたいところなんだけど」


 目を閉じ、黙考する魔女。

 彼女はやがて目を開いた。

 紫氷の視線がイヴとリズに注がれる。


「そこの豹人族のきみは、スピードの一族の子?」

「相違ない。我は――」


 イヴが一歩前へ出る。


「エイディム・スピードの娘、イヴ・スピードだ」


 交渉役は俺だが、交渉を禁じているわけではない。

 それは全員に伝えてある。

 発言自体は自由だ。


「イヴ・スピード……」


 魔女が、


 ”やっぱりか”


 みたいな顔をした。


「エイディムとパキィは?」


 魔女の問いに、イヴの答えは一拍遅れた。


「父も母も死んだ」

「……辛いことを聞いたわね。悪かったわ」

「いや、事実なのでな」


 示すように腕を上げるイヴ。


「そなたが我が一族に与えたこの地図。我はそれを辿ってここへ来た。『もし禁忌の魔女の力が必要となった時はこの地図を使って魔女を頼れ』……父エイディムが我にそう教えた」

「スピード族には世話になったからね。けど、そう……エイディムとパキィは、死んだのね……」


 魔女の顔に欠片ほどだが陰が落ちた。

 ……あの表情。

 イヴの両親とは良好な関係を築いていたようだ。


「きみが、あの時の娘……イヴなのね」

「我を知っているのか?」


 イヴは、面識がないと言っていたが。


「覚えてないか。ま、そうでしょうね。エリカと会った時、きみまだ赤ちゃんだったし」

「……そうだったのか」

「スピード族はある時期から、消息がわからなくなっていたけど……」


 こぶしを握り込むイヴ。


「我が部族はある日、襲撃を受けて壊滅した……我一人を残して」


 直後、



 魔女の声が、重く静かな紫炎を纏った。

 急変と言っていいトーンの変調。

 片や、イヴの声音は意気消沈に近い。


「襲撃者がまだ年端もいかぬ子どもたちだったのは、覚えているのだが……」



 命令に近い語調。


 ”その子どもらの名前を言え”


 魔女はそう促している。


「いや、名はわからぬのだ。年にそぐわぬほど異様に強かったのだけは、鮮明に覚えているが……」


 達観の息をつくイヴ。


「それくらいしかわからぬゆえ、あだ討ちするわけにもいかなくてな……顔立ちも、今ではすっかり変わってしまっているだろう」


 魔女が小さく舌打ちした。

 思ったより情に厚いタイプのようだ。

 仲の深かった相手のために怒れるなら、情に厚いと言えるだろう。


「その後、唯一生き残った我は一人この大陸を彷徨っていた。そんな折に出会ったのが、我と同じく一人放浪していたリズだったのだ」


 リズの小さな肩に手を置くイヴ。


「我らは安息の地を求め、二人旅を始めた……しかしある時、奴隷商の一団に目をつけられてしまってな。数で勝る連中から逃げ切れそうにはなかった。そこで……我らは一縷の望みにかけ、魔群帯へと逃げ込んだのだ。だが……」


 力なくかぶりを振るイヴ。


「魔群帯の魔物は奴隷商の一団より遥かに恐ろしい相手だった。そうして仕方なく引き返したところを、待ち構えていた奴隷商たちに襲撃され……捕まってしまったのだ」


 イヴはその後のいきさつを滔々と魔女に話した。


 モンロイで奴隷として売られたのち、血闘士になったこと。

 自分とリズの身を買い戻すためがむしゃらに戦ったこと。

 血闘場を運営する公爵に裏切られた末、俺たちに救われたこと……。


 魔女は黙って耳を傾けていた。

 聞き終えると、魔女はリズに視線を移動させた。


「きみ、姓は?」

「すみません……リズベットという名前しか、わかりません」

「じゃあ、親は……」


 言いかけて、口をつぐむ魔女。

 聞くのが酷な話題だと思ったのだろう。


「わたしは……おねえちゃんと出会う前は、森の中のダークエルフの集落でひっそり暮らしていました」


 リズは、ポツリと話し出した。


「みなしごだったので、本当の親が誰なのかはわかりません。記憶もまったくなくて……。リズベットという名前は、わたしを引き取って育ててくださった方の、その……亡くなった娘さんの名だったと、あとで知りました」


 と、リズの顔に恐怖の線が走る。


「ある日、その集落が……アライオンの騎兵隊だと名乗る人たちに壊滅させられて……理由までは、わからなかったんですが……」


 アライオン。

 クソ女神のいる国か。

 つくづく悪いイメージのチラつく国だ……。

 魔女は引き続き、苛立ちをのぞかせた。


「だけどきみはどうにか生き残って、そのあとは……一人で放浪していたわけね。で、放浪の途中でイヴと出会った」


「はい。そして……」


 俺を見るリズ。


「危ないところをトーカ様に救っていただきました。どういう経緯で救われたかは、さっきおねえちゃんが話した通りです」


 魔女はついに、露骨な苛立ちを表へ出した。


「すべての人間が下劣とは言わないけど……やっぱりエルフ族や亜人種に対する意識や扱いには眉を顰めるわね。どれほど年月を経ても、その愚かさは変わらない。そういう意味でも世俗から距離を置いたのは正解だったわ。ただ、そうね……」


 魔女が項垂れる。


「いや、普通ならとっとと追い返すところなんだけど……まいったわね。エイディムの娘に、故郷を失った同種族の女の子……」


 緩く首を振ると、魔女は自問を始めた。


「いやいやいや、待って? そもそも今の話って、どこまで信じていい話? だけど……エイディムの話は、スピード族の者じゃなければ知りようがないし……言われてみれば、エイディムの面影もあるし……」


 葛藤しているらしい。

 今ならスキルも余裕で入りそうだ。

 やらないが。


「…………」


 ただ、目論見は成功したとみていい。


 ”魔女とゆかりのある豹人族”

 ”不遇な過去を持つ同種族の少女”


 俺とセラスだけなら多分こうはいかない。

 あの葛藤も引き出せなかっただろう。

 たとえば、


 ”禁呪のことは教えない。悪いけど、信用できないから帰って”


 そんな風に一蹴されて終わりだった可能性はある。

 情はありそうだが、リアリストの面の方が強そうだ。

 よほどの理由がない限り情は引っ張りだせないだろう。

 情の部分を引っ張り出すには、やはりイヴとリズは必要な要素だったと言える。


「いいわ」


 意を決した風に、魔女が顔を上げた。


「ひとまず、譲歩してあげる」


 が、どこか納得のいかない表情をしている。


「けど一つ言わせてもらっていい? いえ、許可がなくても言うけどね? イヴとリズ……きみたちはそこの”トーカ様”に、エリカを体よく抱き込むためのダシに使われたかもしれないわよ?」


 考えを、そこまで広げてきたか。

 やはり魔女は鋭い。

 と、


「かまわぬ」


 イヴが、力強くそう答えた。


「たとえそうだとしても、トーカに利用されるなら我はかまわぬ。そう思うに足るだけのことをこの男はしてくれた。何より、この男は自らの身を危険に晒してまで我らをここまで連れてきてくれた。ならば、我とてトーカを利用したことになるであろう」


「わ、わたしも……っ」


 リズが続いた。


「と、トーカ様にならどのように使われてもかまいません! その……わたしがもし、トーカ様のお役に立てるのならですけど……」


「……二人は、そこのトーカと出会ってどのくらい?」


 魔女が問う。

 イヴは、正直に日数を話した。


「ふぅん……日数のわりに相当厚い信頼関係を築いたのね。となると……そこのトーカって男は相当なお人好しか……もしくは、よほどのペテン師か」


 俺は鼻を鳴らす。


「後者だろうな」

「笑止」


 杖で一つ魔女が床を叩く。

 

「きみ、なかなか喰えない男みたいね……悪くないわ」


 魔女は踵を返した。


「ま、ゴーレムも無闇に壊さなかったし……いえ、それも計算のうちだったのかもしれないけれど……そう、妾の信頼を得るための……」


 振り向き、肩越しに顔を覗かせる魔女。


「だけど……そこのトーカという人間、なかなか興味深い人間だわ。少しだけ交流を持ってみるのも悪くないかもしれない。最近、ちょっと退屈してたし」


 魔女は手もとで杖を一回転させた。


「いいわ。エリカの家に、招待してあげる」

 


 よし。  



 二つの目的のうち一つは、これでクリアした。

 取っかかりとしては悪くない。

 むしろ上々と言える。

 まあ……魔女もこっちの狙いを看破した上で、あえて受け入れる感じだが。


 とにもかくにも”島”に取りつくのは成功した。

 あとは魔女からの信用さえ得られれば、この金棲魔群帯での目的を達成できる。


 そう、



 あのクソ女神の禁じた呪文に近づける。



 しかも魔女はすでに禁呪の重要な情報を一つ明かしている。

 本人が気づいているかどうかはわからないが……。

 俺の持つ情報だと”それ”はまだ確定ではなかった。

 セラスもそれは知らなかった。

 ずっと”かもしれない”の状態でしかなかった。


 口もとを、てのひらで覆う。


 そうだ。


 魔女は俺に、こう尋ねた。




『アライオンの女神を倒すために、禁呪の力が欲しいってこと?』




 俺はまたも思わずニヤけそうになった。



 それはつまり、だ。



 禁呪なら、






 






     ▽



 木の階段の上にある扉が開き、そこから魔女が姿を現した。


「入って」

 

 リズの手を取ったイヴが一度こちらを見る。

 許可を求めるような視線だ。

 俺が頷き返すと、二人は階段の方へ歩き始める。

 そこに、スレイが続いた。


「……俺たちも行くぞ、セラス」

「はい」


 セラスはそう返事をしたあと、小走りで俺に身を寄せて声を潜めた。


「どうにか、懐に入り込めましたね」


「ああ。ひとまずイヴとリズの保護を取りつけられたから――まずは、上々と言えるだろうな」




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