間章.侵攻
◇【北西都市アーガイル】◇
マグナル王国の北西都市アーガイル。
ここは西方の最前線に位置する要塞都市でもある。
大誓壁陥落後、次に陥落したのがこのアーガイルとなった。
アーガイルは今、燃え盛る炎と黒煙に包まれていた。
当初は人間たちの戦意に満ちた気勢も聞こえていた。
だが、その気勢は今やすっかり失われてしまっている。
今はそれへ取って代わった絶望の苦鳴が、悲劇の都市を覆っていた。
逃げ遅れたアーガイルの民は、蹂躙されていた。
市内では今も筆舌に尽くしがたい光景が繰り広げられている……。
「グるグぁギぇァぁアあアあアあッ!」
「オぐルぉエェぇ! グるゥ! グへァ〜!」
「ぐゲいィ! げィエ! あヒげァ゛あ゛〜」
「ひーゲげゲ! ひゲげ♪ ヒげー♪」
凄惨な光景を見おろす城壁の物見塔。
一匹のオーガ兵が、その屋根にのぼった。
手からぶらさがっているのは守備隊長の生首。
オーガ兵は遠くでけぶる砂塵を眺めた。
砂塵が都市から離れていく……。
目を細めるオーガ兵。
湧き上がってきたのは、苛立ちに似た感情。
獲物を、逃した。
もっと、遊ばせろ。
オーガ兵は、感情を解放するかのように、空へと向かって雄叫びを上げた。
「キしュぉェえアあアあアあアあアあ゛ア゛――――っ!」
◇【元白狼騎士団長】◇
「アーガイルの民の避難はこの時点で放棄する! 全部隊に告ぐ! 撤退だ! ひとまず、南のシンバパまで撤退するぞ!」
大魔帝の西方侵攻軍。
その攻撃を最初に受けたのが要塞都市アーガイルだった。
敵の進軍速度は当初の予想を遥かに上回っていた。
結果、アーガイル民の避難は遅れに遅れた。
当然ながら取り残された者も多数いる。
防衛の要のアーガイル守備隊も、その半数以上が戦死していた。
▽
雪崩めいた馬蹄音が砂の大地を打ち鳴らす。
老騎士マルグ・ノッグは馬上から背後へと首を巡らせた。
瞳に映るのは、黒煙を上げる要塞都市。
「くっ……薄汚い、オーガどもめがぁぁ……ッ」
敵の主力はオーガ兵。
オーガ兵は死を恐れないとも言われている。
また、攻め入ってきた数も尋常ではなかった。
(聞いてはいたが、あれほどとは……ッ)
「マルグ殿!」
守備隊の副長が馬首を並べる。
「おぉ!? しっかり生きておったな!? しんがり、ご苦労だった!」
「いえ、この身を盾にすることは戦士の本懐でもありますから!」
「オーヴィスは!?」
守備隊長の名である。
副長は苦渋の相を浮かべた。
「わかりません……ただ、この一団に姿は見当たらず……」
歯噛みするマルグ。
「ぐっ……邪王素による弱化さえなければ……ッ!」
襲撃してきた魔物たちは邪王素を放っている。
敵の親玉である大魔帝が備えている邪気。
この邪気の漂う範囲にいると人間は負荷を受ける。
まず、身体の動きがわずかに鈍くなる。
魔素一つ練り込むのにも普段より消耗が激しくなる。
他にも、とにかく弱体と呼べる影響を受けてしまう。
ゆえに本来の力が発揮できない。
本来の戦闘能力で勝っていても、邪王素の影響で負けたりする。
願いを込めるように、副長が声を荒らげた。
「ですが、白狼騎士団ならッ……大陸唯一の神魔剣使いであられるソギュード様なら、連中にも負けませんよね!? マルグ殿!?」
「そう思いたいが、あのソギュードとて邪王素の負荷からはのがれられん……ただし……」
希望はある。
「大魔帝さえ倒せれば、話は変わってくる」
そう、大魔帝さえ討てば金眼の魔物の放つ邪王素は消える。
正確に言うと大魔帝との”接続”が切れるらしい。
邪王素はその”接続”によって供給されているそうだ。
だからこそ、
「だからこそッ……邪王素の影響を受けぬ異界の勇者が、大魔帝を倒してさえくれれば……ッ!」
残る金眼の魔物を、本来の力で一掃できる。
邪王素は個体によってその濃度が違う。
過去の情報によれば、強力な魔物ほど邪王素が濃い傾向にあるようだ。
大魔帝が周囲に放つ邪王素の量となると、これはもう想像がつかない。
(アライオンの女神ですら根源なる邪悪の放つ邪王素には対抗できぬと聞く……やはり我々が頼るべきは、異界の勇者しかおらぬのか……あるいは……)
あのシビト・ガートランドなら、倒せたのだろうか?
(そういえば……”人類最強”を殺したと言われているアシントとかいう呪術師集団……もしその者たちが戦列に加わったなら、ものすごい戦力になるのではないか……)
と、
「ん?」
前方に砂煙が見えた。
何かがこちらへ向かってきているようだ。
マルグは部隊の速度を落とさせた。
戦闘態勢を取るよう指示を出す。
目を細める副長。
「荷馬車のようですが……、――ッ!?」
血相を変えた副長が、号令を飛ばす。
「弓兵を前へ! 腐肉馬だ! 撃てぇ!」
敵の腐肉馬が荷車を引き、突進してくる。
速度がやけに出ている。
(荷台部分に敵兵の姿が見えぬが……)
荷車とそれを引く腐肉馬のみに見える。
眼光鋭くマルグは前方を見据えた。
「しかし、巨大な荷車だな……あの速度では安定せんだろうに……」
地面は悪路ではないが、良路とも言えない。
事実、荷車の動きは怪しくなっていた。
マルグは敵の意図を探ろうとする。
「……荷車に何か罠でも仕掛けておるのかもしれん。警戒しておけ」
「はっ! 対戦車隊は前へ出る準備を! 騎馬隊も準備しろ!」
その時、
ガッ!
先頭を走っていた腐肉馬が、転倒した。
そして、次の瞬間――
誰もが動きを止め、息を呑んだのがわかった。
「そん、な――」
大きく跳ねた荷車から飛散したのは、
「あ、あれは……先に避難した、アーガイルの市民……ッ!?」
死体の山であった。
副長が青ざめる。
「さ、先回りされていたのか……」
「しかしいつの間に……、――っ!?」
弾かれたように、マルグは他の後続の荷車を睨みつけた。
「まさか……他の荷車にも――」
一頭の腐肉馬が眉間を矢で射貫かれ転ぶ。
倒れ込んだ腐肉馬はそのまま地表を滑りながら、砂をまき上げた。
そして一緒に横転した荷車から投げ出されたのは、
「ぐ、ぅッ!?」
やはり、死体の山。
中には護衛としてつけた守備隊の顔ぶれもあった。
「マルグ殿、あ、あれを……」
言われ、腐肉馬の列のさらに向こうへ視線をやる。
砂塵が、舞っていた。
砂のカーテンの向こう側で影が鳴動している。
砂煙と影の群れはこちらへ近づいてきていた。
シンバパからの援軍では、ない。
「……敵だ」
腐肉馬に乗ったオーガ兵。
それが、列をなして迫ってくる。
と、副長が何かに気づいた。
「ん? オーガ兵の槍の先に何か……、――ッ!?」
言葉を失う副長。
さすがのマルグも血の気が引いていくのを覚えた。
馬上のオーガ兵が手にしている槍……。
その先端に、人の首が刺さっていた。
生首の掲げられた槍は何本もあった。
先頭のオーガ兵が、雄叫びを上げる。
「シぃギごギごエぁァあアあア――――っ!」
それは、愉悦と殺意の混声合唱。
ギュゥゥゥ……
手綱を握る副長の手に強い力が込められる。
「や、やつら……人間をなんだと……人間を、なんだと思っているんだぁぁぁああああああ――――っ!?」
その時、マルグの耳が何かの音を拾った。
”ガォン!”
多分、そんな音だった。
次にマルグが覚えたのは――違和感。
「……?」
(影?)
反射的に頭上を仰ぎ見る。
次の瞬間、
ドシィン!
地が、震えた。
背後を仰ぎ見たマルグは目を剥く。
「馬鹿、な……空から、き、金眼の魔物だと……ッ!?」
金眼の魔物に制空権は存在しない。
ヨナトの誇る”聖眼”がすべて撃ち落とすためだ。
ゆえに根源なる邪悪の軍勢は地上からのみ侵攻してくる。
そう、
存在しないはずなのだ。
しかも、
「――聞け、人ヨ゛――」
背後にいた身の丈6ラータル(6メートル)ほどの魔物が、しゃべった。
人語を介する魔物。
(こいつ、魔族か……ッ)
「我が名は大魔帝に忠誠を誓いし魔帝第三誓――ドライクーヴァ」
ヤギの頭部。
紫炎めいた体毛。
威圧的に広げられた紫紺の翼。
二足歩行。
そして、金眼。
誰もが、立ちすくんでいた。
目前に迫るオーガ兵を忘れ、皆、背後に現れたその凶姿に釘づけになっていた。
身体が、重い。
おそらく黒ヤギの魔族が放つ邪王素の影響だろう。
この場にいる者は邪王素の影響だけで、戦闘力を根こそぎ奪われてしまっていた。
(こ、これほどの……動けなくなるほどの邪王素を放つ敵が、存在するのか……ッ)
ならば、だ。
(大魔帝は……一体、どれほどの……)
「人よ、生きることを簡単に諦めてはならヌ゛。強き意志を持ち、己の力で生存を掴みとるのダ。安心するがよイ゛。さすれば、その命……」
重々しい空音を撒き散らし、大きな爪のついた巨椀を振りかぶる黒ヤギの魔族。
「必ずや無慈悲に、我々が、踏みにじってやろうゾ」
□
白狼王のもとに、アーガイルに続きシシバパ陥落の報がもたらされた。
生存者は一台の馬車に収まるほどしかいなかったという。
アーガイル同様、シシバパでも虐殺の限りが尽くされたそうだ。
シシバパ陥落から、三日後。
戦の準備を終えた異界の勇者たちは主戦場となるマグナルの地を目指し、女神に率いられ、アライオンの王城を出立した。
というわけで、間章でございました。
次話より第五章開始となります。五章は緩急が激しい章になるかもしれません。
試行錯誤しながらではありますが、どうにか五章も無事完結まで走り抜けられたらいいなと思います。
それと四章~五章の間にポイントが150000ptを超えていました。連載当初はここまで伸びると思っていなかったので……驚いております。皆さま、ありがとうございました。
五章開始となる次話は明日更新予定です。時刻は17:00か21:00を予定しております。




