魔女の領域
森の中を進む途中、セラスが何かに気づいた。
上体を深く前傾させ、木の幹を観察するセラス。
「これは……魔術刻印ですね」
木の幹の低い位置。
記号めいた印が彫り込まれていた。
低い位置なので、地面から生える雑草で見えづらい。
わざと見つかりにくくさせているのだろう。
セラスは刻印の意味を探るように、印を眺めている。
「条件が揃うと発動する罠みたいなヤツか?」
「この刻印は確かそのようなものですが、式の一部が破損しているのでおそらく発動はしません。かなり古いもののようです」
古いもの、か。
「実は魔女がもう死んでるなんてのは、勘弁してもらいたいところだが」
言ってセラスに水筒を渡す。
彼女は、
「あ、すみません。いただきます」
と礼を言い受け取った。
飲み口の紐をほどき、彼女が口に水を含む。
こきゅっ
音を鳴らして飲み下すと、セラスは続けた。
「エルフ族は魔術の不得手な者がほとんどです。ご存じの通り、私たちの身体は魔素を練り込むのに適していませんから。ですが、禁忌の魔女は魔素を練り込むのが得意なエルフなのかもしれません」
エルフ。
ハイエルフ。
ダークエルフ。
総じてエルフ族は魔素を練り込むのが苦手。
魔術には不向きな種族。
その代わりに精霊の力を行使する契約精霊術を得意とする。
どの種族でもそれは変わらないらしい。
が、
「例外もいるってわけか」
「ええ、ごくまれに」
「なるほど。まあ……」
まずは生存してるのかどうか。
たとえば、初対面が干からびたミイラだった……。
ありえなくもない。
そこはもう、対面してみないとわからないが。
セラスに視線を飛ばす。
「トーカ殿?」
「……疲れは、残ってなさそうだな」
「? え、ええ……トーカ殿の【スリープ】のおかげで……」
ほんのわずか。
ほんのわずかだが。
セラスの表情に罪悪感が走った。
その揺らぎを俺は見逃さなかった。
罪悪感の理由は明白だろう。
彼女が昨晩俺にした行為。
……そうか、覚えてはいるのか。
だが、俺が気づいたことには気づいていないようだ。
なら――このままでいい。
ここであえて言及する必要はない。
自分なりに反省もしてるようだし……。
それに、と思う。
セラスならいずれ自分から打ち明ける。
そういう人格の持ち主だ。
俺の方は普段通り”我が主”を演じていればいい。
俺はただ、その時を待てばいい。
セラスの中でこれと思う時機がくるまで。
▽
「なんだか木の感じが違うな」
汚染樹が近いのも関係しているのだろうか。
セラスが足を止め、木の枝をそっと撫でた。
「この辺りは木々の生命力が強いようです」
樹木のコンディションがわかるらしい。
さすがは森の部族。
……イメージだが。
にしても、
「魔物の気配がとんとないな」
「……結界?」
独りごちるようにセラスが呟く。
「結界の力、かもしれません」
「結界、か」
やっぱりあるのか、そういうの。
「結界は高度な術です。魔術由来と精霊由来の二つが存在しますが……今の時点ではどちらのものか、私には推測できません」
俺たちはさらに先へ進んだ。
「なんだ、あれは?」
最初に”それ”を目に留めたのはイヴだった。
現れたのは複数本の石柱。
それが大地に深々と突き刺さっていた。
各々サイズが微妙に違う。
点在しているのは10本そこそこ。
石の表面に刻印が確認できる。
刻印は、ぼんやり淡い光を発している。
「あの刻印は機能しているようですね。ここから先は、警戒を――」
イヴの耳がピクッと動く。
「セラスよ……その刻印とやらだが、もう発動しているらしいぞ」
剣の柄に手をかけるイヴ。
が、かけた頃には――
俺は両腕をもう、前へ突き出している。
「【パラライズ】」
――ピシッ、ビキッ――
刻印の光が弱まっていく。
石柱は何か形を成そうとしていた。
変形?
変身?
なんにせよ侵入者対策の何かだったはずだ。
が、変形は完了せず。
今は人型になりかけたと思しき状態で停止している。
セオリー通りの、先手必勝。
「ま……侵入者迎撃用のゴーレムとか、そんな感じだろ」
ミルズ遺跡で遭遇したあの変身する石像。
あれに効くなら、効くかもしれない。
そう思った。
「効いたらしい」
「トーカ」
イヴが視線で荷物を示す。
示したのは背負い袋に括りつけられているハンマー。
以前、アシントの死体を砕いたものだ。
あれで壊すかどうか尋ねているらしい。
俺は、
「いや」
却下した。
「麻痺中に自分から無理に動いて壊れるなら仕方ないが、こっちから無闇に破壊して魔女に好戦的な輩だと思わせたくない。可能な限り、ああいうたぐいは壊さない方向でいく」
麻痺状態の石柱は無理に動こうとはしなかった。
動くとヤバいと本能的(?)に察したのだろうか。
ゴーレムでも命が惜しいのか?
あるいは――魔女の命令か。
石柱ゴレームの強さもわからぬまま、俺たちは森を抜けた。
開けた場所に出る。
湖畔のほとり――そんな景観だ。
鬱蒼としたおどろおどろしさはない。
むしろ、活力に満ちているとでも言おうか。
瑞々しさの漂う樹林。
心なしか他と比べて空気も澄んでいる気がする。
きょろきょろするイヴ。
関心を滲ませつつ、彼女は感嘆を口にした。
「魔物の気配一つ、ないとは」
つまり、
「完全に魔女の領域に、入ったか」
▽
楕円形に近い湖の縁。
セラスが首を伸ばし、湖面を覗き込む。
「水底が、光っていますね……」
俺は隣に立つ。
「あれは魔素の光なのか?」
「おそらくは」
澄み切った水
岩肌もよく見える。
魚はいない。
「魔素ってのは、水中であんな風に光るんだな……」
「あれは魔素量が多いためでしょうね。この深さであの光量は、相当な量です」
前かがみ姿勢のまま斜め後ろへと首を巡らせるセラス。
その視線の先には――汚染樹。
「この豊富な魔素量と、あの枯れ切った巨樹……真逆の印象ですが」
「……莫大なあの魔素を、魔女が日頃から使用してるのかもな」
セラスが唾を呑む。
続き、彼女はコクッと頷いた。
俺とセラスは並び立ち、ある一点に視線を注ぐ。
湖のほとりに建つ少しいびつな形の小屋。
後ろで控えるイヴたちに声をかける。
「行くぞ」
▽
湖畔に建つ小屋のドア。
鍵は掛かっていなかった。
ドアを開ける。
警戒しつつ、中を覗き込む。
……中は意外と普通だ。
いかにも”湖畔に建つ小屋”といった風情である。
「中は我が探ろう」
イヴが率先して願い出る。
「セラスはここでリズと外の見張りを」
「わかりました。気をつけてくださいね、イヴ」
「うむ……トーカ、そなたはドア付近で待機していてくれるか? 何かあれば、頼む」
「わかった」
俺は腕を突き出し、もう片方の手で短剣を抜いた。
「何かあれば、すぐ動く」
イヴが物色を始める。
部屋の壁際には梯子があった。
手と足をかけるイヴ。
そのまま彼女は、二階へのぼって行った。
が、すぐ戻ってくる。
「なんの変哲もない屋根裏部屋だ」
イヴは再び一階を家探しし始めた
屋根裏を除き部屋数は二つ。
俺は、ザッと見える範囲へ視線を配した。
少ない家具や調度品は古びて映る。
暖炉は長らく使われた形跡がない。
各所に埃も溜まっている……。
人が生活していた余韻がない。
少なくともひと月、この小屋は使われていない。
「トーカ、しばらく静かにしていてくれるか?」
「わかった」
イヴが耳を張り、部屋の壁や床を手甲で叩き始めた。
彼女が動きを止める。
注視しているのは部屋の中央。
そこには絨毯が敷いてあった。
踵でイヴが、何度か絨毯を小突く。
「下に、何かある」
絨毯を剥ぎ取るイヴ。
すると、手が入るくらいの窪みと取っ手が現れた。
よく見ると床に四角い継ぎ目がある。
……床下に何か隠されてるわけか。
俺も家の中に入ってイヴの隣に立つ。
ピギ丸の突起が伸びてきて、
「ピニ?」
一緒に取っ手を覗き込む。
視線でイヴが問うてきた。
俺は頷きで返す。
イヴは視線を元に戻し――取っ手を、引いた。
と、床が跳ね上がった。
そして、下の闇へと続く階段が姿を現す。
「ふむ、典型的な隠し方だが」
「魔女は多分これを隠すのに、そこまでこだわってないな……」
隠し部屋というより、ただの出入り口に思える。
この時点で罠のたぐいはなさそうだった。
セラスたちを呼び、俺は魔法の皮袋に魔素を注入する。
皮袋が淡く光り出した。
「ここからは、俺が先頭で降りる」
▽
途中からは螺旋階段になっていた。
降り切るとそこには、解放感ある空間が広がっていた。
岩の天井。
岩の壁面。
岩の地面。
壁面の凹凸は削られて滑らかになっている。
魔素由来と思われる燭台が、いくつか壁面に設えてあった。
「あれも、ゴーレムか……?」
土くれの魔法生物。
俺たちに背を向けていそいそと動いている。
壁の整備でもしているのだろうか?
スキルは、使わなかった。
まず注意自体こちらへ向けてこない。
壁の傍で何か黙々と作業している。
「トーカ殿」
セラスが俺の名を呼んだ。
彼女の視線の先。
巨大な扉があった。
扉には、水晶球が嵌め込まれている。
俺たちは扉の前に立った。
「セオリー通り、魔素で開くといいんだが……」
ちなみに俺たちが移動してもゴーレムはどこ吹く風だった。
振り返りすら、しなかった。
無視してよさそうだが――
「ピギ丸、あいつに妙な動きがあれば一応知らせろ」
「ピギッ」
「さて」
水晶球にてのひらをあてる。
魔素を練り込み――送り込む。
水晶球内で魔素が波打ち始めた。
まるで中で液体が躍っているかのようだ。
水かさがゆっくりと、上昇していく。
おそらく満タンになれば開く仕組み。
「この扉、魔素を喰う量が並外れてやがる……」
必要量が馬鹿みたいに多い。
廃棄遺跡にあった扉の比じゃない。
が、
「MPの多さだけは、自信アリでな」
魔素の供給を続ける。
ユラユラした青白い光が水晶球を満たしていく……。
そして、
「これで、満タンだ」
半透明の黒だった水晶球が完全に青白い光で満たされた。
――キュィン――
開錠と思しき、短い音。
そして、扉が開いた。