叱責と、白旗
黄の弾丸と化し、迫る魔物をなで斬りにしていくイヴ。
相手は大攻勢の脱落組。
最強の血闘士の相手にはならない。
刃の血を飛ばしながら、イヴが戻ってくる。
「無事……とは、言えぬようだな」
イヴの毛は重そうに雨を吸っていた。
……雨の中、俺を追ってきたわけだ。
「やっぱり、ジッとしてられなかったか」
確信までいかなかった。
が、想定はしていた。
イヴは意固地なところがある。
よく言えば真面目。
責任感は人一倍強い。
このタイプは良し悪しがある。
しかし、無責任よりはよほどマシだ。
俺はそう思う。
「すまぬ……だが魔物たちを呼び寄せてしまったのはやはり、我に責が――」
手で制す。
「もう聞き飽きた。謝罪は、一回でいい」
口端を緩める。
「……ほんと責任感が強いよな、おまえは」
歩き出す。
「ほら、行くぞ」
イヴは黙って後に続いた。
据わりの悪そうな空気を放っている。
本来あるべきものがない――そんな感じの空気。
「なぜ……我を叱責せぬ?」
「叱ってほしいのか?」
「そ、そういうわけではないが……」
「想定はしてたからな……結果的に見ても俺はイヴのおかげで助かったわけだし。さて……これから暗くなる。夜目での支援、頼んだぞ」
「……目印はつけてきた。セラスたちの元へ戻るまで、迷いはせぬはずだ」
さすがである。
「ここにいるってことは、セラスの説得も上手くいったか」
「そなたの助言が役に立った」
「そいつはよかった」
「うむっ……、――で、ではなくてだなっ」
腰の折れた話を元に戻すイヴ。
「そなたはっ――」
「”甘すぎる”か?」
「い、いや……そなたは決して甘い気質の男ではない。それは、わかっている……のだが、我に対してはいささか寛容がすぎると感じる」
息をつく。
「その寛容ってのは、どの基準での話だ?」
「き、基準……?」
「俺の基準じゃ、お咎めには値しないんだよ」
そう、
「それだけの話だ」
イヴは悪意を持ってるわけじゃない。
……まあ、悪意なき邪悪ってのも世の中には存在する。
あれはあれで厄介極まりないが。
それに、だ。
イヴは自分の行動に決して無自覚なわけじゃない。
自省するし、自罰的な面もある。
「自分の行動を省みることのできる相手をそれ以上責める意味なんて、ないだろ」
「……トーカ」
「それにな」
クク、と嗤いがこぼれる。
「正論モドキをふりかざして他人を叱責できるほど、俺も立派な人間じゃないんでな……」
叱責しようものなら、むしろ滑稽もいいところだ。
イヴはしばらく口をつぐんだ。
黙したまま俺の後ろを静かについてくる。
夜の帳が魔群帯を覆い始めていた。
ムッとしたニオイが鼻をつく。
雨と植物の醸すニオイがまじり合っていた。
雨上がりの涼気が肌を控えめに叩く。
イヴが、口を開いた。
「スレイとピギ丸は、大事ないのか?」
「大丈夫とは思うんだが……戻ったらセラスに診てもらった方がいいかもな」
スレイの身体を、イヴが優しく撫でた。
「ピギ丸と共に、よくトーカを守り抜いてくれた」
「パキュニ〜」
「我が担ごう」
イヴが俺の肩からスレイをひったくる。
しかも、
「……俺もか?」
イヴのもう片方の肩に、俺も担がれた。
ぱっと見、露骨にムキムキな腕ではない。
なのに、この腕力。
改めてすごい。
素直にそう感心させられる。
「ふふ、これが我の取り柄なのでな」
心の声を見透かしたようなことを言う。
「途中で魔物が出たら一度降ろすか……もしくは、そなたの力を頼りにしてよいか?」
「ああ、任せろ」
「うむ、我らの主は頼もしいな」
責任感からくる心のつかえもようやく取れたか。
イヴは迷いなく歩を進める。
と、数分歩いたところで彼女がふと立ち止まった。
何か思い出した、という風に。
「そういえば、伝えておいた方がよさそうな話がある」
「ん?」
「そなたを探す途中、そなた以外の異界の勇者と出くわした」
▽
「――鹿島と高雄姉妹、か」
「カシマという少女は名乗っていないが、そう呼ばれていた」
2−Cの連中。
来てたか、ここに。
目的は、
「金眼の魔物を殺して経験値を得るため、だろうな」
そしてあの大移動に巻き込まれた、と。
鹿島を巻き込んだのは少々気が引ける。
しかしあの高雄姉妹が一緒なら無事戻れただろう。
「トーカよ、あのヒジリ・タカオという少女は何者なのだ?」
「何者、と言われてもな」
「あれはタダ者ではない」
「……ま、同意はする」
高雄姉妹。
双子は2−Cにおいて異質な存在だった。
あの桐原たちすら存在を意識的にスルーしていた。
女好きの柘榴木もあの姉妹とは距離を置いていた。
……まあ、柘榴木は別の意味で姉妹に興味深々だったようだが。
存在としてのアンタッチャブル。
得体が知れない。
妹の樹はまだ把握できる。
が、姉の聖は……。
奥底に潜む感情は、まるで掴めなかった。
「会話を拒否するわけではないし、普通に会話も成立する。やや難解な言い回しを用いがちなものの、内容自体は理路整然としている……そんな印象だった」
「そう聞くと十分まともな人間だよな」
「そうなのだ。しかし――」
「”人間”と話してる感じがしなかった、か?」
「あ、ああっ……そんな感じでな」
あるいは、だが。
高雄聖はいくつかの感情が欠落しているのかもしれない。
単に感情表現が苦手というパターンも、あるにはあるが。
高雄聖とは元の世界で交流があったわけではない。
学内の裏美少女ランキングとやらで上位だったのは知ってる。
ある日、小山田がそれをネタに高雄姉を弄ろうとした。
が、高雄姉は普段通り軽くあしらった。
『そういう順位づけの行為が好きな人たちは、巷で流行しているマッチングアプリでもやった方がいいと思うけれど。もちろん、やりたい人だけの集まりで』
自分自身に興味がないタイプ、とも取れるか。
「にしても……」
鹿島や高雄姉妹が魔群帯にいるってことは、
「当然、他の連中も来てるわけだ」
桐原拓斗。
小山田翔吾。
安智弘。
十河綾香。
誰も脱落していなければ、だが。
「…………」
あと、2−Cには戦場浅葱もいたな。
あいつは桐原とは別ベクトルでヤバいタイプだろう。
なんにせよイヴは遭遇相手に恵まれた。
桐原や小山田と遭遇していたらどうなっていたことか。
俺は2−Cの連中について、少しイヴに話した。
「承知した。キリハラ、オヤマダ、ヤス、イクサバという者に気をつければよいのだな」
「あと、戦場浅葱って女は”イクサバ”って呼ぶと内心すごく不機嫌になるから”アサギ”って呼んだ方がいいかもな……煽って冷静さを失わせたいなら、別だが」
「ソゴウとやらはどうなのだ?」
「悪いヤツじゃない……俺としても一応、恩義がある」
「わかった、覚えておこう」
そしてここで連中と接触する必要はない。
もし女神が同伴してるとなればなおさらだ。
状態異常スキル無効化の対策になるかもしれない禁呪。
それをまだ手に入れていない。
手に入れるまで”三森灯河”には死んでいてもらわないと困る。
2−Cの勇者たち。
女神への復讐の障害となりうるのは予想できる……。
どういう形であれ、いずれ衝突する可能性も決して低くはない。
「高雄姉に俺の名を明かさなかったのは、正解だった」
「ヒジリは言葉巧みな女でな……ヒヤヒヤしながらの会話だった」
「あれは多分、敵に回すと厄介だぞ」
「む、トーカでもそう思うのか?」
「でもまあ、俺が絶対敵に回したくない相手ってのは他にいるけどな……」
その相手と比べれば、気持ち的には何倍も楽と言える。
「と、トーカにそうまで言わしめる者がいるのか」
空を見る。
「ああ」
叔父さんと叔母さん。
もし敵に回ったら、どう戦えばいいのかまるでわからない。
戦えるとも、思えない。
「俺が無条件で白旗を上げてもいいと思えるのは、あの人たちくらいだ」
▽
途中、数匹の魔物と出くわした。
が、難なく片づけた。
俺たちはこうして、セラスたちのいる洞穴の近くまで戻ってきた。
「どうにか、辿り着いたな」
洞穴近くには魔物の死体が転がっていた。
俺とイヴが片づけた魔物ではない。
転がる死体には、眉間に矢傷のある魔物もまじっていた。
イヴと視線を交わす。
「セラスだな」
「うむ」
刃傷を目にしたイヴが唸る。
「見事な剣捌きだ……仲間を呼ばれる危険を避けるため、声を上げさせぬよう喉を狙って確実に掻っ切っている」
俺たちは洞穴に歩み寄った。
と、スレイが短く鳴いた。
「――スレイ殿?」
剣を携えたセラスが、姿を現す。
「と、トーカど――」
ハイエルフの声が、急速に色づいた。
と思ったが、
「――、トーカ殿……よくぞご無事で」
その声色はすぐさま色褪せた。
もう今は平淡な冷静さを取り戻している。
……浮かれかけた自分を律したらしい。
洞穴へ向かってセラスが小さく手招きした。
リズが顔を出す。
「おねえちゃんっ……、トーカ様っ……」
温度の灯った安堵の表情。
が、一転してリズは青ざめると口元へ両手をやった。
「スーちゃんっ……」
イヴから降ろしてもらい、俺は言った。
「セラス、スレイを診てやってくれ」
▽
手当を終えたセラスが近寄ってきて、俺の隣に座る。
「スレイは?」
「命に別状はありません」
「そうか」
よかった。
ピギ丸も疲れがひどいだけのようだ。
休めば大丈夫だろう。
「やっぱり馬の面倒は慣れてるのか?」
「幼い頃から触れ合っていましたから。スレイ殿は普通の馬とは少々違いますが、第二形態までは同じようなもののようです」
セラスには俺の傷も手当てしてもらった。
今、俺の肩口には包帯が巻かれている。
「傷の手当てもできて、幅広い知識もあって……精霊の力も使えて、剣も使えて、馬術も得意で……言うことなしだな」
セラスが項垂れる。
その表情は、暗い。
「…………面白くもないハイエルフですが」
あまりにアレだったので、思わず俺はがくっとなった。
「なんでまだそんなこと気にしてるんだよ、おまえ……」
「面白いハイエルフになるためには、何をすればよいでしょうか?」
「いや……仮にオモシロハイエルフを目指しても、その先の景色はけっこう微妙だと思うぞ……」
眉を八の字にし、肩を落とすセラス。
「生来の気質と言いますか……元の素材がよくないのでしょうか?」
「いや、使うべき料理が違うって話だろ」
俺は息をついた。
セラスの額を、人差し指でつつく。
「……ぅ?」
「変なところでズレてるんだよ、おまえは」
「やはりズレていますか」
「目端は利くし、頭の回転もいいんだけどな……」
セラスが青い瞳を丸くする。
少し、嬉しそうだった。
「トーカ殿からはそう見えるですか?」
口調が少し変だった。
浮かれているのだろうか?
「自分の美点に自覚がなさすぎると、最後はイヤみになるぞ」
苦笑するセラス。
「……王宮でも、似たようなことを言われた記憶があります」
気後れ気味のニュアンス。
なるほど。
社交の場でいわゆる”ウィットに富んだ会話”ができなかったわけか。
「真面目な交渉事や式典における振る舞いなら、それなりにこなす自信はあるのですが……くだけた会話となると、なかなか難しく感じます」
「真面目に返そうとしすぎるんじゃないか?」
相手に合わせ、偽の自分を演じる。
それができないと、そういう場では気疲れしやすいのかもしれない。
「……ま、そういうセラスの存在が俺にはありがたいけどな」
「今のままの私でいいのでしょうか?」
「面白い会話だけが、コミュニケーションのすべてじゃないだろ」
困ったように微笑むセラス。
「うぅむ……納得してしまって、よいのでしょうか?」
フン、と口端を歪める。
「言いくるめられてる気がするか?」
細い指先で、セラスが色白い頬をカリカリとやる。
「……少々」
俺はセラスの膝上を指差した。
裾から、揃えた太ももが顔を覗かせている。
今そこには俺の上着が置いてあった。
今日の戦いで何か所か破れてしまったのだ。
太ももの傍に添えられているのは、簡易式の裁縫道具。
「裁縫もできるヤツとできないヤツがいる。裁縫なんて俺には無理だからな。けどおまえは、できないヤツに存在価値がないとは思わないだろ?」
「もちろんです」
「そういうことだ」
「――あ」
「おまえがどう思おうと、俺はおまえの存在に感謝してるよ」
「…………はい、ありがとうございます」
と、
「よし」
控えめに奮起したセラスが、針と糸を手にした。
いそいそと裁縫を始める。
裁縫の件を褒められて気をよくしたのだろうか?
その薄桜の唇は、穏やかに緩んでいる。
…………。
あれが家庭的な雰囲気ってヤツだろうか?
厳格さ。
包容力。
セラス・アシュレイン。
「…………」
このハイエルフの内にはその二つが、絶妙なバランスで共存しているのかもしれない。