測りえぬ者
雷撃を発する少女の瞳は煌々としていた。
攻撃性は強いが、理性の色がある。
緊張感はあるが、動きは硬くない。
ようやく絞り出したように、怯えていた少女が呟いた。
「――、……樹、さん」
(……雷撃少女の名か)
瞼に痙攣を覚えながらイヴは視線を動かす。
爆ぜ躍る電撃は目の前の少女に影響を及ぼしていない。
雷も鳴っていない。
つまり――自然発生の雷ではない。
電撃の正体は何か?
魔術?
詠唱呪文?
――違う。
真実と思しき糸をイヴは瞬時に手繰り寄せる。
レイピアを手にした少女の能力。
(そうか、この者たち――)
トーカから聞いていた。
根源なる邪悪を倒すべく女神に召喚されし者たち。
(異界の、勇者か)
レイピアの先端が、喉元へ伸びてきた。
イヴは声にならぬ咆哮を上げる。
己の身体を奮い立たせるための声なき咆哮。
距離を取るべく、痺れの走る身体を動かす。
少女の周囲で雷華が躍った。
(あの範囲を越えると、雷が綺麗に途切れている……)
強い痺れを及ぼす範囲は、決まっている。
射程は無限ではない。
脳裏に予測を走らせ、跳び退る。
(これで、距離を取れるか……ッ!?)
「嘘だろッ!? こいつアタシの弐號を受けてもまだこんな動けんのかよ……ッ!? ――ちっ、逃がすか!」
雷撃少女の相には焦りが走っていた。
が、少女の攻撃は焦りでブレるどころか加速していく。
(ぬぐっ!? この、速度っ!?)
血闘場でも未経験の速度。
開けた距離を、瞬く間に詰められた。
針山めいた刺突を放つ少女。
両手の剣を巧みに操ってイヴは針の嵐を打ち払っていく。
纏わりつく雷撃のせいで本調子の動きには至らない。
が、
(速度が、出せぬのならっ――)
相手の次の動きを予測し、一手早く迎撃を行う。
先読み。
戦士として得た経験値、
鋭い観察眼と高速処理、
刹那の判断力、
獣の本能。
この四つによってイヴ・スピードはそれを可能にする。
雷撃少女の速攻は凄まじい。
否、強みは速度だけに限らない。
戦才自体がずば抜けている。
荒削りながらその技力も高水準。
野性と理性の融合体と言えるか。
型はあるようでない。
少女の個性に適した窮屈でない型、とも表現できる。
”その戦い方をよくぞ作り上げた”
場が場ならそんな称賛を送りたいほどだ。
しかも成長途上と思われるから末恐ろしい。
血闘士になれば瞬く間に頂点へと駆けあがるだろう。
「本っ気で冗談きっついぜ……ッ! 壱弐で決め切れないのかよ!? そこに姉貴直伝の黄金の攻めパターンをぶっこんでるんだぜ……ッ!? けど――姉貴が間違えることはねぇ! てことは……まだまだ、アタシが力不足ってことだ!」
一方的に攻め立てているのは少女の側。
にもかかわらずその表情には余裕がない。
彼女の表情からうかがえるのは、悔しさ。
(……姉とやらが教えた攻め方で決めきれぬのが、そんなにも悔しいのか)
少女は自分自身を責めていた。
決めきれない原因は姉が教えた戦法ではない。
己の力不足にあると信じている。
けれど少女が諦めることはない。
どころか、少女の攻撃は繰り出すごとに精度を高めていく。
(実戦の中で、成長していく性質か……ッ)
そしてイヴの側にも余裕はない。
雷撃の範囲内においては防戦一方。
範囲外へ逃げても一瞬で距離を詰め直される。
速すぎるせいで白旗代わりの”待った”を示す暇すらない。
少女は初撃以降、超高速で攻め続けている。
息切れ一つ起こさず。
(ぐぅ……っ! 声が出るようになるまで凌げれば……ッ!)
ドチャッ
音が、した。
「――――ッ」
予想外の方向からだった。
思わず視線が音の方へと誘導される。
魔物――ではない。
それは、怯えていた少女が泥の上に膝をついた音だった。
樹に加勢しようとしたのだろう。
しかし膝に力が入らず、そのまま地に膝を落としたらしい。
「見つけた」
(しまっ――)
ほんの一瞬、怯えていた少女に意識を持っていかれた。
そこに隙が生じた。
相手はそれを見逃さなかった。
雷撃の少女の目。
ここにきて、最大の落ち着きを見せていた。
勝負を決するその刹那――集中力を最大化せねばならぬ刻。
決めの局面で気持ちを鎮められる者は、強い。
(まずいっ! 避け切れ――)
「――――待ちなさい、樹」
ピタッ
レイピアの先端が、イヴの喉元で停止した。
「……待ってたぜ、姉貴」
雷撃少女――樹が飛び退く。
彼女は新たに現れた少女の前に立った。
まるで、自らが盾とでも言わんばかりに。
改めて出で立ちを観察する。
樹が着用しているのは”着物”と呼ぶのだったか。
刀と同じく元は異界の装いと聞く。
膝丈は短く、袖は大きい。
イヴの知る形とは微妙に違っていた。
袖が大きいせいで手首の動きが見えづらい。
捉えづらい刺突の原因は、それだったらしい。
その着物に装具をつけている。
姉の方は樹と似ているが微妙に違った。
確か”巫女服”と呼ばれている装束だったか。
着物と同じく、異界発祥のものだったと記憶している。
露出はやや多いものの、それでも清楚な印象を受ける。
あるいはその印象の理由は、彼女の外見や佇まいによるものか。
その腰には長剣を下げていた。
(……あの巫女服の者が、姉とやらか)
イヴも距離を取り、姿勢を低くして身構える。
(それにしても……)
イヴは奇妙な感じを覚えた。
勝負を決するまであとほんの少しだった。
が、樹はあっさり刃を引いた。
引くことに対し、悔しさを微塵も滲ませず。
「鹿島さんは、無事のようね」
「へへ……ま、危機一髪だったけどな」
樹がレイピアを構え直す。
視線はイヴから外さず、彼女は姉に問うた。
「姉貴……一応、とどめを止めた理由を聞いてもいーか?」
「あれは、魔物ではないわ」
「は?」
「今までの魔物とは毛色が違う」
「メスライオンか」
「豹よ」
「?」
「……?」
「?」
「……豹よ?」
「……その二つってなんか違うのか?」
姉は、回答せず薄く微笑んだだけだった。
小馬鹿にする笑みではない。
それから冷静な面持ちに戻り、姉はイヴを見据えた。
「他の魔物との違いは、高い知性を持つことね。これまでの魔物とは知性の性質が違うわ。あの瞳に宿る意思と立ち振る舞いは、むしろ人間と近似していそうだけれど」
樹が濡れた髪を後ろへ撫でつける。
「つまり、さ――――どういうことだ???」
「まともなコミュニケーションが取れそうってことよ」
「あーなるほど……ん? けど姉貴、あいつしゃべれねーみてーだぜ?」
「声帯があなたの固有スキルでなんらかの影響を受けたのかもしれないわね。けれど声こそ出ていないものの、仕草の機微は言語を操る生物のそれに近い。まあ、言語を話せるか否かだけで知性を判断するのは、個人的には愚昧な行為だと思うけれど」
樹が頭を抱えて蹲る。
「……やっちゃった? くそ……やっちゃった、やっちまったぁ……」
一方もう一人の怯えていた少女――鹿島は、その場にへたり込んでいた。
ぽかんとした表情で姉妹を見上げている。
状況に頭がついていけていない様子だ。
姉が、前進してきた。
反射的に樹が手をのばして制止しかけた。
が、姉は幽体のように妹の手をすり抜ける。
(我の攻撃範囲に迷わず侵入してきたが……隙がない)
姉は――軽く、頭を下げた。
「まずは姉の私から謝罪させてもらうわ。あなたから害意は感じない……戦闘行為となったのは、おそらく先走りがちな妹が私の言いつけを優先するあまり猪突猛進した結果でしょう。……樹、あなたも早く謝っておきなさい。許されるかは、わからないけれど」
樹は立ち上がり、ぺこっと頭を下げた。
「す、すみません……アタシ、その……直情型のバカだから……姉貴がいねーと考えなしによく先走っちまって……えっと、その……だ、だいじょぶかよ?」
あたふたしながら両手を右往左往させる樹。
「鹿島さんを弁解材料に使わなかったのは正しい謝罪の仕方ね。とはいえ、私の指示にも不足があったのは事実よ。樹だけが悪いわけではないわ」
姉の方は話せそうだ。
千載一遇の好機。
上手くすればこれ以上の戦闘を回避できるかもしれない。
が、声が出ない。
姉が濡れそぼった垂れ髪を後ろへかき上げた。
同性ながら、艶っぽい仕草だとイヴは感じた。
「これから少し質問をします。まだしゃべれないのなら、仕草による意思表明をお願いしてもいいかしら? 肯定ならあなたの右手を、否定なら左手を上げていただける?」
(む、なるほど……)
「質問をしても?」
右手を上げる。
肯定。
「一応確認させてもらうわ。私たち三人への敵意はある?」
否定の左手。
「では、このまま互いに別れても問題はない?」
肯定。
「……とりあえず質問は以上よ。私たちはそこにいる女の子を連れ戻しに来ただけで、あなたと戦うためにここにいるわけではないわ」
イヴは戦慄を覚えていた。
感情はある。
無口でもない。
言葉の意図も伝わってくる。
しかし、奥底に眠る真意がまるで掬い取れない。
(トーカと似ている気もするが……”種類”が違う感じだ。何者なのだ、この少女は……)
落ち着きようも異様だった。
この魔群帯であれほど穏やかでいられるものなのか。
先の魔物たちの大移動は大なり小なり実感しているだろう。
鹿島はもちろん、飄々とした樹ですら感情の揺らぎがうかがえる。
が、姉には揺らぎがまったくない。
波紋一つない水面のようだ。
いや、
(妹との会話中に唯一、ほんの少しだけ確認できたが……)
いずれにせよ、
(底が知れぬ)
戦う姿を見たわけではない。
舌鋒鋭く論陣を張る場面を見たわけでもない。
なのに、
(我の本能が告げている……化かし合いで敵う相手ではない。この状況では、今の提案に乗らざるをえんか。しかし……もしトーカがこの少女と相対したら、どのような――)
「!」
イヴの横を突閃が、駆け抜けた。
見ると、姉が何かを投げた直後の姿勢になっている。
腰の長剣が、ない。
「――ぐェぇ」
魔物の短い苦鳴。
振り返ると、眉間に刃の刺さった魔物が立っていた。
魔物の体躯が、ぐらつく。
ドチャッ
魔物は泥濘の上に倒れ伏した。
イヴも、気配を感じ取ってはいた。
もはや動く寸前だった。
イヴと姉の初動の機はほぼ同じと言えた。
が、姉の方が速かった。
妹どころの騒ぎでは、ない。
(電撃の影響がまだ残存していたとはいえ……我が、ここまで遅れを取るものか……)
恐るべき才の持ち主だ。
(あの戦才に対抗できそうな者となると、我の知る中ではセラスくらいかもしれぬな……)
尊敬の念を発しながら、スタスタと樹が姉の剣を回収しに行く。
「強くなるほど、姉貴の領域に近づける気がしなくなってくぜ……」
しかし、そう口にする樹はどこか嬉しそうだった。
「最初から特別な人間など存在しないわ。小さな行為の積み重ねで作られた地層が、気がつけば唯一無二の強力無比となっているだけ。そしてそれは、意識と習慣化で誰もが到達しうる領域よ」
「アタシにもわかる言葉でお願いします」
「正しい努力を毎日コツコツ積み重ねるのがとても大事、という話よ」
「ん? それって……普通のことじゃねーか?」
「その”普通”が、意外と難しいのよ」
この間、イヴは必死に思考を巡らせていた。
(異界の勇者……つまりトーカと共に召喚された者たち……しかしトーカは、今は身を隠していると言っていた……)
魔群帯の中で、トーカは少し異界の勇者たちの話をした。
おそらくすべてを話してはいないが……。
(トーカは同郷の勇者たちからは死んだと思われているらしい。それこそ、生存そのものを隠しておきたいような口ぶりだった……ならば、ここでトーカの話題を出すのは避けるべきか)
「私たちを出し抜く思考をしている――と考えるのは、無粋かしら?」
姉の言葉に、ドキッとする。
心を見透かされている感覚。
「――、……とある者のことを、考えていた」
(む?)
声が、出た。
「しゃべった」
ちょうど姉に剣を渡した樹が、パッと明るくなった。
「はぁぁぁ〜よかったぜ……これで声が出なくなったとかなったら、この先も罪悪感に苛まれそうだったよ……いや、ほんと悪かった」
「不用意にカシマへ手を伸ばした我にも責はあった。結果としては、そなたの姉のおかげで場も治まったしな」
「……姉貴、こいつすげぇイイやつっぽいぞ?」
「あなた……一人ではないわよね? たとえば、はぐれた同行者を捜している……違うかしら?」
「む……」
セラスではないが、嘘をつくと見透かされそうだ。
だから正直に答える。
「その通りだ。我は、我が主を捜している」
「その人間、よい主のようね」
「うむ」
「なるほど……」
「!」
(しまった)
同行者が”人間”という情報を引き出されてしまった。
声は戻ったが、逆に迂闊な発言には気をつけねばならない。
分が悪い。
イヴはさっさとこの場を離れることにした。
異界の勇者たちに背を向ける。
「我は先を急ぐ。先の交渉は、合意したと受け取ってよいのだな?」
「ええ」
「これ以上の詮索も控えてもらおう」
「下手な詮索をして、悪かったわ」
「…………不思議な少女だ、そなたは」
「聖よ」
「む?」
「ヒジリ・タカオ――私の名前。アライオンの女神ヴィシスに召喚されし異界の勇者……まあ、あなたはもう気づいていたようだけれど」
意図が読めない。
「なぜ名乗った?」
「私なりの礼儀よ、イヴ・スピード」
「――――ッ」
またも、失態である。
今の反応では、自ら名乗ってしまったようなものだ。
「集めた情報の中で最も適合する者の名を予測した結果よ。姿を消した豹人族の血闘士の話は、私の耳にも入ってきていたから。けれど、今日あなたと会ったことを誰かに話すつもりはないから、安心してちょうだい」
「……そなたが黙っておく益はあるのか?」
「強い意志と力を持った善人……そういった人物との縁は、細くとも繋いでおくべきものよ。特にこの世界では」
イヴは暫し黙考した。
そして、
「ヒジリ・タカオ――そなたの名、覚えておこう」
と、背中越しに聖が言った。
「それにしても……あなたの主という人物、本当に興味深いわね。”捜索”しているということは、あの大移動に巻き込まれても生きているはずだと確信しているということ……けれどあの大移動の中にまじっていた人面種は、四恭聖やヴィシスの徒ですら相手にするのが厳しいと聞くわ。無傷で難なく倒せるのはかつての”人類最強”か女神ヴィシスくらいだろう、と」
「…………」
「つまり、その人物は人面種を敵に回しても生き残る能力――少なくとも、生き残れるであろうと想像されるほどの能力を持っている」
イヴは喉奥で低い笑みをこぼした。
「そなたの明察ぶりには恐れ入る。が、我が主は――」
イヴは、言い放った。
「我のように単純な物差しでは測れぬ人物だぞ」
▽
異界の勇者たちから離脱したイヴは、再び獣と化し、死線の爪痕を辿り始めた。
突き進む道は、異界の勇者と遭遇した方角とは真逆。
道中、次第に雨は勢いを落としていった。
澄んだ空が雲間から顔を出し始める。
日が、沈みかけていた。
夕陽がキラキラと雨粒を照らし出し、煌めいている。
飛槍のごとくイヴ・スピードは、速度を上げた。




