TRAMPLE
泥が、激しく、舞い上がる。
けれど、泥を突き破り地を蹴る黒馬の蹄の音は、頼もしいほど硬い。
気温が低下してきたのか。
スレイの口から漏れる息が、白く、後ろへ流れる。
反転し直進してくる俺たちに魔物たちは、一瞬、当惑を見せた。
しかし今はもう、
”あの獲物も、いよいよ進退窮まったか”
とでも言わんばかりに歓喜し、押し寄せている。
スレイの舵を、左へ切る。
状態異常スキルを伴うピギ丸の触手を、斜め右にばら撒きながら。
魔物の群れが方向転換につられて押し寄せてくる。
中には泥でスリップして盛大にすっ転んでいる魔物もいる。
魔物が横転するたび、砲弾でも直撃したかのように泥が宙へ巻き上がる。
しかし滑って転ぶ魔物の割合など微々たるもの。
脱落者は少ない。
……たった一人にご苦労なことだ。
「そんなに人間で遊ぶのが好きか、テメェらは」
おそらく金眼の魔物は本当に好きなのだ――人間が。
廃棄遺跡の時点で薄々気づいていた。
連中の持つ人間への執着心。
それはこの遺跡の魔物どもに限った話じゃないのかもしれない。
金眼の魔物や人面種にとって”人間”は垂涎のオモチャ。
高い知性。
時に、尊く気高い意志を持ち。
時に、醜悪な感情を発露する。
壊すには、
損なうには、
遊ぶには、
絶好の、玩具。
その対象にはエルフ族や豹人族も含まれるかもしれない。
「まあ人間でも人間をオモチャにしたがる連中はいるけどな……、――【ダーク】」
視界を失った魔物が、足を泥にとられて横に倒れる。
ドチャッ!
状態異常スキル。
射程。
効果。
その二点において最も使いやすいのは【パラライズ】である。
スキル中では最大射程。
麻痺させたあとにどう料理するかの選択の幅も広い。
ただこのスキルは時に致命的と化す弱点もある。
スキルの発動には一定以上の声量でスキル名を口にする必要がある。
そしてスキルの中で【パラライズ】は唯一の”五文字スキル”。
つまり――言い終えるまで他スキルより時間がかかる。
なお早口で発動可能かは過去に試してみた。
発動しなかった。
スキル名を口にする際はある程度の速度調整が必要となる。
要するに”早口でさっさと速射発動”はできない。
そしてその”一文字”にかかるわずかな秒差が、対強敵において明暗をわける。
だからこそ、
「【ダーク】」
効果はともかく発動最速は三文字スキルの【ダーク】。
事実、方向転換後で人面種に唯一ヒットしているのは【ダーク】のみ。
連中は【パラライズ】や【バーサク】を想定して構えていた。
が、そこへ急に”三文字”がまじってきた。
当然、対処が遅れる。
結果、視界を奪われる。
混乱し、周りを巻き込んですっ転ぶ。
これも定型崩し。
五文字と四文字に慣れさせたのち、三文字で攻める。
ここまで【ダーク】を温存してきたのは、これを考えてのこと。
隠し玉の一つ。
功は奏したようだ。
ただし【ダーク】は視界を奪うのみ――殺すには、至らない。
現状持てる限りの攻撃を、走り、駆け、疾走し、疾駆しながら――放つ。
しかし魔物の数が目に見えて減った感触はなく。
いよいよ、魔物の群れとの距離が詰まってくる。
けれど、もう少し。
辺りになぎ倒された木々の数が多く目につき始めている。
これまで通過してきたエリアに戻ってきているのだ。
疲労を見せ始めていたスレイが絞り出すように気を吐き、速度を上げる。
もう、少し。
そして、
「入った」
射程圏内。
そこは少し前に麻痺をばら蒔いた地点。
そこでは麻痺状態の十数匹の魔物が固まっていた。
――ドクンッ――
鼓動が一つ、激しく、鳴る。
いやがった。
人面種。
一匹【パラライズ】状態と思しき人面種を視界が捉えた。
周りの魔物が邪魔で迎撃が遅れたのか。
今までのヤツよりも能力が低かったのか。
いや、それはどうでもいい。
理由など、どうだっていい。
大事なのは目の前の事実。
麻痺状態の人面種がそこにいるというその事実のみ。
一応その人面種を観察する。
発される怒り、満ちる悔しさ、溢れる憎悪。
擬態の確率は低いと判断。
麻痺にかかったふりをしているわけではない。
だから、
「【バーサク】」
そのまま、遠慮なく死ね。
その人面種を筆頭に麻痺中の魔物へまとめて暴性を付与する。
耳障りな濁った悲鳴が巻き起こった。
天へ向かって噴射する血の間欠泉。
噴き上がった血が雨とまじり合い、辺りに魔血の雨を降らせる。
【レベルが上がりました】
黒の弾丸と化して血雨を浴びながら、駆ける。
【LV1903→LV1921】
ステータス表示を一瞥。
MPが、全快している。
「…………」
スレイの首の後ろにある水晶球。
光がやや弱まっている。
さっきからそれが気になっていた。
おそらく第三形態は次第に魔素を消費していく。
形態維持にも継続的な魔素が必要となる。
ピギ丸との合体技だけじゃない。
スレイの方にも魔素補給が必要になる。
水晶体に魔素を送る。
走る速度がわずかに向上した。
姿勢を低くしてスレイの耳に顔を寄せ、指示を送る。
指示を送り終えたあと、俺は言った。
「ここからが本番だ。もう少し、辛抱してくれるか」
「ブルルルルッ!」
任せて!とでも言いたげな鳴き声。
スレイの首筋を軽く撫でる。
「…………」
覚悟はできてるか?
ピギ丸とスレイにそう聞きはした。
だがピギ丸とスレイはいざとなれば逃がせる。
魔物と、魔獣。
俺と切り離せばこいつらは上手く魔物に紛れて逃げられるかもしれない。
コツッ、と。
少し硬くなったピギ丸の触手に肩を小突かれた。
「ん?」
「ピッ!」
窘めるような鳴き方。
……まさか、察したのか?
最悪、ピギ丸とスレイだけでも逃がす算段を。
ピギ丸の突起を緩く掴む。
安心させるようにして、三本の指で撫でてやる。
「よく知ってるだろ? 俺は優しいんだよ……イジメられてたおまえも助けたしな」
「プュ〜……」
フン、と鼻を鳴らす。
「バカ、なんで俺が死ぬ前提で考えてるんだおまえは」
「プィ?」
「あくまで案の一つを考えてただけだ。それに……あのクソ女神に吠え面かかせるまでは、死ぬに死ねねぇからな……」
「――プィィッ!」
と、ハッとなったピギ丸が合図をした。
ピギ丸の”根”は俺の背にも張っている。
今まで、根が俺の背を叩く位置で魔物の距離や方角を教えてもらっていた。
「……近いな」
避けられない。
もう、逃げられない。
空を仰ぐ。
「…………」
この強い雨は俺たちにとっては幸運かもしれない。
雨がニオイを洗い流す。
ニオイによる追跡を避けやすくなる。
やり方によっては気配も消しやすくなる。
ここから取る戦法は、強襲と、離脱の繰り返しになる。
離脱しながら敵を少しずつ分散させ、機を見て孤立した敵に強襲をかける。
各個撃破に近い戦法。
スレイを反転させる。
キレのある見事な反転。
八本脚の性能は目を瞠るものがある。
四脚だと不可能な動きを多脚が可能にしていた。
八本の脚が互いに互いを補助し合っている。
特筆すべきはその小回りだ。
小回りが利くので、細かな移動ができる。
ゆえに回避性能も高い。
「……ふぅ」
呼吸を、整える。
一応、魔素を練り込むのには負荷がかかる。
しかし疲労など気にしている暇はない。
「MP量は、十分……」
あとはもう、
「殺し合いだ」
▽
泥を吸った雨水が連弾がごとく跳ね飛ぶ中、
「ぎョるェぐエぐギょルあァぁアあァぁァぁアあアあ――――ッ!」
魔物の悲鳴が、続けざまに響き渡る。
横殴りの雨のカーテンを突き破りながら疾駆するスレイ。
飛んできた葉がマスクに貼りつく。
それを手で払う。
一帯は今や、半乱戦状態と化していた。
強襲と離脱を繰り返した結果、魔物の群れも大分散り散りとなった。
俺が姿を現したり消したりするせいだろうか?
魔物側がわずかに混乱をきたし始めたようである。
逃げている時にバラまいた攻撃も牽制として機能していた。
強そうな気配を放つ魔物ほど以前より安易に接近してこなくなった。
が、包囲されているのは変わっていない。
雨がひどいので、こちらも魔物の分布状況をいよいよ感知できなくなっている。
移動中、繁みの多い一帯を見つけた。
ここなら身を隠しやすいか。
……とはいえ、魔物をやり過ごせるほどの隠れ場所にはならない。
ボタボタと雨粒が葉を鳴らす。
雨が止む兆しはない。
「は、ぁっ――、……はぁ……はぁ……、――ふぅ」
俺も少し息が上がってきている。
手の甲に小さな裂傷が走っていた。
移動中、枝で引っかいてできたものだ。
この繁みの中だと特に細かな傷がひどい。
「……二匹」
背後から二匹、でかいのが追ってきてやがる……。
この感じは人面種だろうか。
と、
「グるアぁァ!」
繁みの前方から突然、近距離で魔物が飛び出してきた。
「――ッ!? チッ!」
後方の二匹に気を取られ過ぎた。
反応が、遅れる。
瞬間、
「ヒヒィィイイイインッ!」
スレイが大きく前足を、振り上げた。
そして、
グチャアッ!
巨大な蹄で、魔物の顔面を蹴りつけた。
スレイはそのまま魔物の頭部を圧し潰す。
そして前足が接地するなり、スレイは再び走る速度を上げる。
ドドドドドドドド――――ッ!
「……よくやった」
「ブルルルルッ!」
▽
バサッ!
スレイが、繁みから勢いよく飛び出す。
やや遅れて二匹の中型人面種も繁みから飛び出し、それを猛追し始める。
「後ろだ」
その人面種の背後から、一つにまとめたピギ丸の突起を飛ばす。
背後から不意をつかれた中型人面種を、射程内にとらえる。
俺の方が、速い。
途中、ピギ丸の突起を二つに分離させる。
「【パラライズ】」
俺は地面に膝をつき、繁みの中に身を隠していた。
人面種の中には単純なヤツもいるらしい。
スレイに俺が乗っていないのにも、すぐ気づかなかったようだ。
雨の向こうで駆ける黒馬をなんの疑問も持たず追いかけようとしていた。
それが――隙となった。
眠らせた人面種のところへ行き、暴性付与でとどめをさす。
【レベルが上がりました】
【LV1921→LV1929】
半分以下になっていたMPが、回復した。
時間をかけず殺すなら麻痺&暴性のコンボしかない。
途中、一部の殺し切れなかった魔物に【ポイズン】をばらまいたりもしたが……。
戻ってきたスレイに騎乗。
「……まだ、様子見しながらジリジリ詰めてくる連中がいるな」
正確な距離まではわからないが。
息を、細く吐く。
身体が熱い。
汗をかいているせいだ。
実は、乱戦に入ってから紙一重なシーンもわずかにあった。
相手は金棲魔群帯の誇るバケモノたち。
気を抜けば、あっさり喰われる。
俺はすぐさま、スレイを走らせた。
感じていた魔物の気配が遠くなる。
まず、この包囲網をどう突破するかだが――
――ゾクッ――
「――ッ! スレイ、頭を低くおろせ!」
言いながら俺も身体を限りなく真横に倒す。
ブォンッ!
「――――あ?」
何かが、通り、抜け、た?
たとえばそう、それは――
巨大な鎌。
見ると辺りの木々が寸断されていた。
支えがなくなりバランスを失った木々が続々と横倒しになっていく。
スレイが地面に倒れる木を避け、跳びながら進む。
何かが、刈り取った。
「ギょルるルるルるルぃィぃィイいイい――――ッ!」
両手が鎌の刃のようになった巨大な魔物が、遠くで吠えていた。
触手の先に鎌がついているようなフォルム。
雨の向こうなので、本体はほぼシルエットしか見えない。
「クソが……あの距離から、届いたってのかよ」
今いる辺りには真っ二つになった魔物の死体が散乱していた。
雨が死体の血を洗い流している。
首から上を失った状態でペタペタ歩く人型の魔物が見えた。
切断面から、とめどなく血が流れている……。
「ピッ!」
「ああ、わかってる……ッ」
鎌が一つ、こちら目がけて飛んできた。
今度は察知できた。
先ほどと同じく上体を横に倒して回避。
回り込むように移動しながら、両鎌の魔物を確認する。
と、
ドシィン!
突如、巨大な人面種が現れた。
人型の人面種。
妙に厚い唇の大口。
泣き喚いているような造りの顔をしている。
体毛は異様に濃い。
髪と思しき部分は無数のミミズになっていた。
……セラスが見たら卒倒しそうだ。
無骨な手の爪は大きく、鋭い。
「チッ……もう一匹、増えやがったか」
が、
「ウぐルぎェがァぁアあアあアあアあア゛あ゛――――ッ!」
「ギょルるルるルるルぃ――――ッ!? ギょルぅ!? ギょ……ッ」
そいつは――なんと、両鎌の魔物を襲い始めた。
人面種が巨大な魔物の肩にガブリと噛みつく。
よく見ると、襲いかかった人面種はわき腹から出血していた。
「ああそうか。あの人面種、さっきの大鎌で傷を負って怒り狂ってやがるのか……」
「カぶルぅアっ! がブぅ! ブちィ!」
次々と身体を食い千切られていく両鎌の魔物。
「ごッ……ぎョるェぇ……ッ」
両鎌の魔物の声が、弱っていく。
ふぅぅぅ、と息を吐く。
「好機」
▽
「――【パラライズ】――」
二匹とも、気配を消しつつ回り込んで近づく俺の接近に気づいていなかった。
「ひギぇッ!?」
「ギょルぅ……ッ!?」
人面種。
両鎌の魔物。
「悪いな……」
漁夫の利。
「まとめて、経験値になってもらう」
暴性付与。
盛大な花火のように上がった血しぶきの横を、そのまま通り過ぎる。
【レベルが上がりました】
【LV1929→LV1966】
緊張が一気に解ける。
「はぁっ……はぁっ……は、ぁ……」
レベルが上がっても、疲労が消え去るわけではない。
……無茶がある。
本来なら超短期決戦用のピギ丸との合体技。
身体にのしかかる負荷がそれなりにキツくなるのは、火を見るより明らかだ。
「ん?」
斬り倒された林の向こう側。
魔物の群れの影が見える。
さっき殺した魔物の鳴き声に、引き寄せられたか。
凄惨に上がった血のしぶきに、引きつけられたか。
あるいは、俺が弱るのを舌なめずりをして待っていた連中か。
獲物を追いつめた時の嗜虐的な空気がここまで伝わってきている。
「はぁっ……はぁっ……はぁ、はぁ……」
気温が低いせいか。
吐く息が、白い。
「…………」
理由はない。
なんとなく、俺はステータス表示を切り替えた。
【トーカ・ミモリ】
LV1966
HP:+5898
MP:+64478/64878
攻撃:+5898
防御:+5898
体力:+5898
速さ:+5898
賢さ:+5898
【称号:E級勇者】
E級勇者。
このふざけた称号から、このすべてが始まった。
スレイの速度を上げる。
ピギ丸を大きく、散開させる。
だからこれからもこのふざけた力で――
「すべてを、蹂躙してやる」
魔物の群れ目がけて突進を開始。
皆殺しだ。
「皆殺しだ」




