開始
「……ふっ、まったくそなたは奇妙な男だ。あの人面種を前にして冷静なだけでなく、どこか嬉しそうですらあるのだから」
うぅむ、と唸るイヴ。
「しかし人面種の攻撃がここまで届かぬと判断する理由はわかった。だが、それではこちらの身の安全が担保されただけだ。やつを倒す方法を思いつかぬ限り、我らもここから動けぬぞ」
イヴの言葉はもっともだ。
俺は、昨晩泊まった背後の部屋の方を見る。
「他の脱出ルートも期待できなさそうだしな」
あの部屋に隠し扉のたぐいはなかった。
部屋の奥に祭壇らしきものがあっただけだ。
多分この遺跡は祭祀用以上の役割はないのだろう。
なので、中へ戻って別の脱出ルートを探すのは現実的ではない。
「しばらくあのかび臭い部屋でみんな仲良く暮らすか?」
俺は、冗談っぽく言った。
イヴが耳をピクッとさせる。
「む? それは、人面種が去るのを待つという意味か?」
「……ま、持久戦になっても食料問題はどうにかなりそうだが」
皮袋に送られてくる食料。
一日一回。
全員でそれを分け合う。
そこそこの長期生存は可能かもしれない。
「とはいえ、俺はそうするつもりはない。のんびりしてるうちにあの野郎が勝手に死んじまっても、困るからな」
イヴに復讐相手の話はしていない。
なので、ここはぼかしておく。
緊張のためか軽く脇を締めたセラスが、控えめに挙手をした。
「あの、例のピギ丸殿との合わせ技はどうでしょうか?」
「ピ」
ニョキッ
突起状態のピギ丸がローブから顔を出す。
俺は、その先端を軽く撫でた。
「ピユ〜♪」
「黒竜騎士団戦やアシント戦の時の合体技をそのまま使っても――多分、速度負けする。全部、叩き落とされるだろうな」
あの二戦には不意打ちの要素も入っていた。
一方、この今の状況は現状その不意打ちの要素がない。
また、触手攻撃にパラライズを合わせることもできそうになかった。
触手が人面種の一部とするなら、射程距離的には十分パラライズは届く。
攻撃のために近づいてきた触手に合わせてスキルを放てばいい。
が、触手の”戻り”が尋常でなく速いのだ。
いわば超速のヒット&アウェイ。
俺が”パラライズ”を言い終えるより早く、触手は射程距離外へと逃げていった。
速度がガクッと落ちるのは縫い面の口内へ収納される直前くらい。
その時にはもう状態異常スキルは届かない……。
発動条件のスキル名を口にし終えるより相手の動きが速い。
ここは魂喰いと同じ問題が発生していた。
あの時もそこがネックとなった。
俺がさっき言った”速度負け”にはそれも含まれていた。
要は、
「相手に、隙がない」
そう、まずは隙を作る必要がある。
神妙な表情で白い手を口もとへやるセラス。
「ん……隙、ですか……」
「セラス」
「え? はい」
「弓矢の準備をしてくれるか」
「――承知しました」
弓矢の準備を始めるセラス。
イヴが聞いてきた。
「トーカよ、また人面種に矢を放つのか?」
「まあな。けど、次に狙うのは別の場所だ」
俺は人面種から少し離れた場所を指差す。
準備を終えたセラスが前へ出て、弓を構えた。
「あそこに放てばよいのですね?」
「今回は合図を出さない。タイミングは、任せる」
「わかりました」
矢を引き絞るセラス。
「…………」
何度見ても、弓を射るだけでつくづく画になる。
体幹が綺麗、というか。
歪みを感じない。
弓矢を得意とするエルフの特徴なのだろうか?
あるいは、歪みのない性格の賜物とでもいうのか。
歪んだ俺とは大違いである。
次の瞬間、
ヒュッ!
矢が、放たれた。
ズルッ――バシュッ!
矢は再び、粉々に砕け散った。
「…………へぇ」
人面種が最初に矢を触手で粉砕した時、俺はその射程距離に目測で見当をつけていた。
そして、今ほど矢を放った位置はあいつの射程範囲外を指定した。
そこへアクションを起こしたらどう反応するか?
飛んできた矢に反応した人面種は少し動いてから矢を粉砕した。
あの場で鎮座し続けるわけではないようだ。
それと、もう一つ確認したかったのは――
「よしよし……しっかり、動きやがったな」
移動速度である。
俺たちは人面種が移動する姿を一度も見ていない。
素早いのか?
鈍足なのか?
これを確認したかった。
で、
「逃亡案を取るのは、難しそうだな……」
デカブツのくせにいやに速い。
超鈍足なら逃げる案も取れなくはなかった。
あるいは、それなら囮を使う手も容易に取れただろう。
「さすがは人面種……最恐の魔物の名に恥じないスペックなわけだ。ただ……」
あいつが動いた時、何かが引っかかった。
人面種を殺す糸口になりそうな”何か”……。
口もとに手をあてる。
人さし指を、カリカリ動かす。
なんだ?
俺は、何が引っかかった?
思い出せ。
人面種が、動いて攻撃した瞬間のことを……。
「……、――――そうか」
わかった。
見つけた――つけいる隙。
セラスはジッと人面種の触手を見据えている。
彼女が思案げに呟いた。
「今の、矢を叩き落とした時なのですが……最初の時とは異なる、何か違和感が……」
さすがは名高い姫騎士。
セラスは”あの瞬間”を見逃さなかったらしい。
「セラス」
縫い面の口へ戻っていく触手を見つつ、俺は言った。
「その直感は正しい」
足もとの小石を拾い上げる。
俺はその石をそのまま、勢いよく投擲する。
小石は階段下の地面に当たると、少しだけ跳ねて落ちた。
「え?」
セラスが不可解に眉をひそめる。
「今度は、動かない……?」
人面種は飛んできた石に、反応すらしなかった。
「むム゛……むゥん゛……ム゛……」
と、相変わらず気味悪く唸っているだけだ。
「なるほど。触手の射程から遠すぎると、反応してこないか」
どれもこれも脊髄反射的に触手で叩き落とすわけではない、と。
もしくはこちらに攻撃の意思があるのかどうか。
それを見定めてから、動くかどうかを判断しているのかもしれない。
ならば、こちらは”攻撃”と判断させる一手を打つ必要がある。
「ピギ丸」
「ピギ!」
ピギ丸に指示し、俺は準備を開始した。
「トーカ殿? やはり……あの力を、使うのですか?」
――ミシッ――
「確かにシビトやアシントの時と同じ手でやっても勝てはしない。ただ……さっきの人面種の動きを見て、一つ手を思いついた」
手数頼りの攻撃もあの人面種相手には無意味と思われる。
ゆえにこの戦いは、超短期戦で決まる。
――ミシッ――
勝ち筋の光明が見えれば、もはや出し惜しみは不要。
勝負の分かれ目は、ほんの一瞬――
「む……その姿、セラスから話だけで聞いてはいたが」
「ん? ああ、そういえばイヴはこの合体形態を目にするのは初めてか」
「う、うむ。人と魔物の融合とでも言えばいいのか……そうか、これがあのアシントを壊滅に陥れた力か」
「融合ってよりは”接続”って感じかもな。ま……融合の方がらしい気はするが」
――ミシッ――
よし。
準備は、整った。
「セラス、もう一度あそこに矢を頼む」
「もう一度? わかりました」
肩にかけた矢筒から、鮮やかに矢を取り出すセラス。
俺は彼女の耳もとに寄り、
「射程距離の外ギリギリ、いけるか? できるだけこっちに攻撃の意思があると思わせたい」
声を潜めて聞く。
一応、人面種に聞かれて悟られないために。
弓を構えたままヒソヒソと答えるセラス。
「問題ありません。戦意をのせればいいのですね? どうか、お任せを」
頼もしい限りだ。
俺の合図のあと、セラスは再び矢を放った。
狙わせた場所は先ほどと同じ。
人面種の触手の射程からやや外れた、ギリギリの位置へ――
「!」
矢を放ったセラスがハッとする。
一方――準備を終えていた俺の攻撃も、不発。
「ピ?」
「…………これも、動かずか」
一本目の矢は触手で叩き落とされた。
が、二本目の矢には反応してこなかった。
野郎、
「これも動く必要なしと判断しやがった」
こっちが何か測ってるのを察したのかもしれない。
先ほどの小石と違って、十分に戦意は伝わったはずだが……。
そうか。
あの人面種、思ったより鈍感でもないらしい。
「つまり……」
俺は背後を振り返った――スレイのいる、背後を。
「ここからは”触手を出すに値する攻撃”が、必要ってわけだ」
フェイクではない”本物の攻撃”が。
仕方ない。
と、その時スレイがトコトコ歩み寄ってきた。
「パキュ〜」
魔力供給の水晶部分を俺の方へ向けてくる。
「…………」
こいつ、まさか……。
これから俺が何をさせようとしてるかを、察したのか?
「……スレイ、先に謝っておく」
「パキュ!」
それは、奮起の一声だった。
不服もなければ、怯えもない。
フッ、と。
思わず笑みが小さくこぼれた。
この局面で、よくもまあ。
ありがたいほど、肝が据わっていやがる……。
スレイの眼差しには信頼しかない。
それは、絶対的な俺への信頼。
「…………」
少し胸の痛みを覚えるも、今はスレイに頼るしかない。
俺は振り向いた。
「セラス、イヴ、これから俺は――」
「トーカ」
イヴが俺の肩を掴んだ。
「その役目、我が受け持とう」
俺が何を考えているかをいち早く悟ったらしい。
遺跡の外へと首を巡らせるイヴ。
「生半可な騙し手では、あやつはもう動かぬであろう」
「……察しがいいな」
「ふふ、これでも一応あのモンロイで”最強”と呼ばれていた血闘士なのでな。それに――」
イヴがスレイを見やる。
「馬の扱いは、そなたより我の方が優れている」
それは、反論しえない事実。
「……危険だぞ」
「ふっ――無論、承知の上だ。それにそなたもわかっているはずだ。そなたは決めの一手に集中した方が、勝率は上がる」
ふぅ、と息を吐く。
「わかった」
スレイも、イヴも。
覚悟は、決まっているようだ。
再びピギ丸との接続を、深くする。
――ミシ、ミキッ、ピキッ――
ここでこの二人を失うわけにはいかない。
絶対に。
「スレイ、イヴ」
誓いを込めて、言う。
「俺の方も必ず決める」
スレイに魔素供給を始める。
必殺。
必ず、殺す。
「――――――――」
対人面種、攻勢開始。