人面種
きやがったか。
再び半身を出して様子を窺う。
「…………」
あいつも奇怪と呼べる外見。
無数の足。
細い毛のような大量の足がワシワシ蠢いている。
印象としてはムカデの足に近いか。
で、その足の群れがあのふざけた巨体を支えている……。
身体部分は言うなれば弾丸を縦に置いたようなフォルム。
縦に長い。
ぱっと見、不気味な前衛芸術みたいだ。
「あれが、人面種……」
俺のあご下から身を乗り出し、外を窺うセラス。
キワモノめいた見た目に衝撃を受けているようだ。
まあ、無理もない。
身体部分を埋め尽くすのは、いくつもの巨大な顔だった。
両瞼を縫いつけられた人型の顔面。
それらがひっきりなしに無言で口をパクパクさせている。
まるで、金魚みたいに。
が、一つだけ他と違う顔があった。
身体の前面部。
その中心。
そいつだけ、目を縫いつけられていない。
顔つきも他と違う。
笑い面。
あえて言えば、
”七福神のエビスさまを濃くリアルにした顔つき”
だろうか。
そのせいか表情だけだと凶暴性を抱かせない。
しかし逆にその笑顔が不気味でもあった。
何か、聞こえてくる……。
「む゛ゥぅ……ム゛ぅゥぅン……う゛ゥ゛〜ん…ム! む! ム! むゥ〜ん……」
何やら唸っている。
太った中年男性の唸り声を想わせた。
独り言っぽい調子にも聞こえるが……。
「不気味、だな……」
そのイヴの声には怯みが含まれていた。
戸惑っているのだろう。
襲ってくるわけでもなく。
階段の遥か下に、ただ、陣取っている。
視線はこちらを見てもいない。
今は、俯きがちにムンムン唸っているだけ。
意図が、読めない。
が、
「あんなもんだろ、人面種は」
わかる。
まだその場から動いていなくとも。
こちらを、見てなくとも。
俺たちはあいつの獲物。
視線が向いていなくとも、人面種からはすでに発されている。
純然たる殺意より遥かにえげつない感情――
ドロドロと溢れ出る、嗜虐心。
過去、人面種と直に遭遇したのはこの中では俺だけだ。
この遺跡を出る前、いち早く俺だけが人面種の気配を察知した。
その理由……。
やはり、魂喰いと似たドス黒さを感じたからだろうか?
「あの隠し切れない嗜虐心……少なくとも、アレが味方ってことはねぇよ。ありゃあ俺たちを見逃すつもりもねぇな。ここで殺らなきゃ、こっちが殺られる。と、いうわけで――」
経験済みだからわかる。
「これから俺たちは、あいつを殺す方向で動く」
まぎれもなく、排除すべき敵。
「二人ともそれでいいな?」
戸惑いを引きずりつつもセラスとイヴが了承する。
少し奥にいるリズとスレイにはその場での待機指示を送った。
奥にいたリズが、こくん、と首を縦に振る。
「さて」
階段の遥か下に陣取る人面種を改めて見下ろす。
「どう攻めるか」
「トーカ」
「ん? 何か気づいたことでもあったか、イヴ?」
「人面種は、我らに気づいているのか?」
人面種の視線はこちらを向いていない。
イヴがそう感じても無理はない。
が、
「ああ、気づいてる」
「しかしまるで攻撃をしてくる気配がない。ここへのぼってくる様子もない。あれは、眠っている可能性もあるのではないか? なら、気づかれぬよう通り過ぎる手もあるのでは――」
「フン、気づいてねぇわけがあるかよ……」
口の片端を吊り上げながら、人面種を睨み据える。
「なあ、人面種?」
ズズゥッ、と。
人面種の顔が、上がった。
「むゥ〜んッ! ムーん、ム! む! ム゛! む゛ゥぅゥん……ッ!」
人面種の気色悪い笑みがやや曇った気がした。
いや……。
笑顔のまま怒っている、とでも言おうか。
案外、図星だったのかもな。
「…………」
人面種の通ってきたと思しき道筋を目で辿る。
次に、遺跡の周囲の地面を確認する。
地面が抉れていた。
人面種が通った跡。
「あの人面種、遺跡の周りを何週かまわってるな……」
「トーカ殿? あの足跡が何か気になるのですか?」
「ああ、少し……」
人面種は遺跡の周囲をぐるぐるまわっていた。
つまり、今さっきここへ来たわけではない。
そこそこの時間待機してたってことだ。
……ん?
もしかして、
「あいつ、平面じゃないと移動できないのか?」
「?」
「高所にのぼったりはできないのかもしれない、ってことだ」
だから下でずっと待ち構えている。
遺跡をぐるぐると周回していたのは、他の入口でも探していたのだろうか?
あるいは、暇潰しか。
イヴがあごに手をやった。
「なるほど。であれば、あそこから動かない説明もつくか……」
「ま、そう思わせて油断させる罠って可能性も捨てきれないけどな」
とはいえ可能性の話ばかりしていても仕方ない。
今は仮説を前提に攻め手を考える。
さて、次は――
「セラス」
「はい」
「そこから矢で攻撃してみてくれるか?」
セラスが弓矢の準備を始める。
身に沁みついた素早い動作だ。
準備はすぐ終わった。
イヴを下がらせると、俺は凜と弓を構えるセラスに言った。
「おまえが矢を放ったあと人面種に攻撃の気配があれば、すぐにこっちへ引っぱり込む……反射神経にはそこそこ自信があるんでな」
「――お願いいたします」
セラスが唾を飲む。
さすがに気が張っているようだ。
が、程よい緊張感は悪くない。
「合図を出す」
「はい」
人面種の様子を確認。
「…………」
セラスが攻撃態勢に入っても反応はなし、か。
俺は、合図を出した。
「撃て」
鋭い風切り音。
引き絞られた矢が一気に、解き放たれ――
ビシッ!
「――ッ!?」
イヴが一歩、後ずさった。
……パラパラパラッ……
粉々になった矢が、乾いた音と共に階段に落ち、無惨に散らばった。
ほぼ、俺たちの目の前で。
何が起きたのか。
矢が放たれた瞬間、人面種が叩き落としたのだ。
叩き落としたのは何か。
目を縫いつけられた顔の口から飛び出した数本の触手。
勢いよく飛び出した矢は2メートルほど飛んだところで粉々にされた。
セラスの弓の技術力は言うまでもない。
飛矢の鋭さも十分だった。
「……あの速度で放たれた矢を瞬時に叩き落とすスピードと、あの破壊力か」
触手の速度も尋常ではなかった。
魂喰いの反射レーザーを思い出す。
あれも俺の攻撃を察知した瞬間に超速で放たれるレーザーだった。
「チッ……つくづく厄介なモンを持ってやがる連中だ」
触手が縫い面の口内に戻っていく。
ごくんっ!
縫い面が触手を飲み込んだ。
あの触手、攻撃を終えるといちいち収納するのか。
「……トーカ、殿」
「ん?」
「も――もう、大丈夫ですので」
そう言ったのは、俺の胸元に抱え込まれたセラスだった。
セラスは俺に思いっきり抱き寄せられたまま、身体を密着させていた。
そうだった。
さっき攻撃の予兆を察知して引き寄せたんだったな……。
俺はセラスを解放する。
「言っただろ、反射神経には自信があるって……ま、結局あいつの攻撃は矢を叩き落としただけで終わったわけだが――」
ん?
「どうしました、トーカ殿?」
「……射程距離」
「え?」
「今の攻撃……矢を放ったセラス本人じゃなく、放たれた矢だけを叩き落としていた」
動揺の鎮まったイヴが尋ねる。
「それがどうかしたのか?」
「触手は一本じゃなかった」
触手は”数本”あった。
なのにその”すべて”が矢を叩き落しに向かったのだ。
が、本来なら残りの何本かが俺たち目がけて攻撃してきてもおかしくはない。
いや、むしろそれが自然だ。
「むォ……お、ォ、む゛フ〜ん……」
その時、人面種の縫い面が一斉に大口を開けた。
ドバァッ!
歯の生え揃った口から、大量の触手が飛び出した。
触手が中空でウネウネと動いている。
まるで大量のミミズみたいに。
あるいは、汚らしく吐き出されたパスタみたいだった。
セラスがゾクッとした表情で、再び俺に少し身を寄せる。
「ど――どうしたの、でしょうか?」
理解不能なものへ対する恐怖。
今、セラスの顔にはそれがあった。
笑い面。
露骨な怒りを表へ出すわけではない。
表情は感情を示すためにある。
が、人面種はそれがわかりづらい。
不気味に感じるのも無理はないだろう。
俺は、人面種を観察する。
「……クカカ」
不意に笑みを漏らした俺を、セラスとイヴが不思議そうに見た。
が、嗤いたくもなるというもの。
「野郎、苛ついてやがる」
「い、苛ついている? わかるのですか?」
「多分、届かねぇのさ」
イヴが眉根を寄せる。
「どういうことだ?」
「あいつの触手の射程距離じゃ、おそらくここまで届かすには少し足りねぇんだ」
数本の触手がありながら、セラスの矢だけに攻撃が集中した。
そう――当然だ。
届かなかったのだ。
射程距離。
たとえば、スキルやピギ丸との合体技で俺は普段からそれを意識している。
射程距離には敏感になっている。
だから、すぐ思い至ったのかもしれない。
セラスが理解を示す。
「つまり、あの人面種が手をこまねいている理由は……」
「ああ……のぼってくることもできず、スピードとパワーを持ったご自慢の触手を届かせることもできない。あいつは今まで指をくわえて見てることしかできなかったのさ。フン……ま、指ってよりは触手か」
遺跡自体に攻撃が向いていないのは幸いと言えた。
あえて破壊しないのか。
もしくは、破壊するほどの威力はないのか。
どちらかはわからないが、ともかくこの点は幸運と言えるだろう。
粉々になった矢の残骸に視線を落とすイヴ。
「不用意に出て行ったら、やられていたかもしれんな……」
「臆病ってのも意外と悪くないだろ?」
「む……そなたの場合は臆病と言うより、慎重と呼ぶべきであろう」
「フン、もっと褒めてもいいぞ。さて……」
俺は屈み込み、こっちを見上げる人面種を眺めやる。
「のぼってこねぇのも、射程が微妙に足りねぇのも、フェイクの可能性はある。俺たちを油断させるためのな……けど、どーもそいつはなさそうだ」
俺は、言い切った。
「魂喰いの野郎もそうだったが、人面種ってのはどーも感情を隠すのが下手くそらしい。隠してるつもりなのかもしれねぇが、俺にはわかる……トラブルを起こさないために……モブ化するために、人サマの顔色ばっかうかがってきたからな……」
人面種。
最初の俺たちに気づいていないフリも、お粗末すぎた。
人を欺くなら、もっと巧みにやれ。
嘘をつくなら、もっと上手くやれ。
けど……その下手くそが、大量の経験値を持っていやがる。
「そういう意味じゃいいカモの素質があるかもな、おまえら」
「ム゛? む゛ゥぅゥ〜ん……ム゛、む゛、ム゛……っ」
人面種の口が、歯を剥いた笑みに変化した。
歯茎が思いっきり前方へ突き出ている。
言葉を解しているのかは、わからない。
が、気分を害するのには成功したようだ。
いいぞ、
「もっと、冷静さを失え」
冷静さを欠くほど空隙を見つけやすくなる。
そう。
正面からまともにぶつかる必要はない。
傾向と対策。
どんな状況でも戦い方によっては勝機を掴める。
シビトの時もそうだった。
だからきっと、クソ女神相手でも同じだ。
禁呪を始めとする”対策”を用意すれば、勝ちの目は十分あるはず。
「末恐ろしい男だな、そなたは……」
イヴが口を開いた。
「ん?」
「あの人面種を前にして、よくもまあそう冷静でいられるものだ……恥ずかしながら、我はこの距離で相対しただけで激しく動揺してしまった。あの攻撃のあとなどは余計に動揺した。実を言うと、今もまだ落ち着きを完全に取り戻せていない」
冷静、か。
「……冷静ってのとは、ちょっと違うかもな」
言って、俺は立ち上がる。
「人面種は自分たちが絶対的な遊び殺す側だと思ってやがる。人間なんて、反応の面白いオモチャくらいにしか思ってねぇんだろ」
口もとが、笑みの形に、歪んでいく。
自然と吊り上っていく口端を、抑え切れない。
ならば、俺も、人面種と同じ側。
なぜなら――殺すのを”楽しみ”と、感じているのだから。
「だからこそ思い上がったその先入観を完膚なきまでに叩き潰して、否定してやった時は――」
カカッ、と。
邪悪な嗤いが、短く漏れる。
「まったく楽しくて、仕方がねぇ」




