一夜が明けて
遺跡内に入った俺たちは、まず荷物をおろした。
灯りはひとまず皮袋の光で十分そうだ。
一応、そう広くはない室内も改めて調べてみた。
やはり特に気になるものはなさそうである。
単なる建造物として残っているだけのようだ。
短い探索のあとはサクッと夕食を済ませた。
夕食後は、明日のことを軽く確認し合った。
それが終わると、最後に俺たちは寝支度を始めた。
「その服、我が脱ぐのを手伝おう」
「だ、大丈夫だから……ん〜っ」
リズの苦戦する声。
イヴが、リズの服に手をかける。
「ほらみろ、言わんことではない」
「……うぅ」
魔群帯へ向かう途中で立ち寄った村。
そこで買ったリズの服。
とある貴族が愛しの娘へ贈ったが、拒否されたという代物。
リズは依然その服の着脱に手間取っていた。
脱ぎやすさを度外視した衣装。
その作りにしても睡眠時の快適さは想定していない。
なので、寝る時に熟睡のさまたげになるのも必至だった。
ただ、上質で丈夫なのは確かだと言えた。
金がかかっているだけのことはある。
デザインはやはりいささか悪趣味な気もするが……。
上着をはだけるリズに背を向けて、俺はセラスの傍に座った。
「いずれリズには、ちゃんとした服を買ってやらないとだな」
「あの服も、あれはあれで似合っていますけどね」
艶やかな細い金の髪を櫛で梳きながら、セラスが言った。
魔群帯に来ても彼女は身だしなみを気にしている。
俺は腕を枕にして、寝転がった。
「リズの場合は元の素材がいいからな。大抵の服は、着ればどれもイイ感じに見えるだろ。あんな服でも」
髪を梳く手を止め、セラスが人さし指を唇に添える。
んー、と彼女は視線を上へ向けた。
「それはまあ、そうですね……」
「セラスも、何を着ても似合うクチだよな」
「……そう思いますか?」
「ああ、そう思う」
視線を横へ滑らせる。
セラスは物思いに耽る表情をしていた。
過去を懐かしむ風でもある。
「どうした?」
「ええ……姫さまに、よく色々な衣装を着ろと勧められたのをふと思い出しまして。あの方は、新しい服を手に入れては私に着せたがっておりました。いつの間にか、それが姫さまの趣味のようになってしまっていて……」
「ま、着せがいがあったんだろう」
セラスが自発的に過去の話をするのは、珍しい。
「パキュ〜ン!」
「ピギ〜!」
ちっこいスレイが俺たちの前を通り過ぎた。
スレイの背にはピギ丸が乗っている。
すっかり仲良しになったようだ。
「その姫さまとは、仲が良かったんだな」
「私は、そうだったと思っています」
セラスは聖王に対してずっと大きな思い違いをしていた。
あの件のせいで、自分と姫さまの関係性に少し自信がなくなっているのだろうか?
「…………」
姫さま、か。
かつてセラスが身を寄せていたネーア聖国の姫君。
そういえば……。
その姫さまって、シビトと婚姻を結ぶ予定だったんだったか。
シビトが死んだ今、彼女はどうなったのだろう?
おそらくセラスもそれが気にかかっているのだろう。
普段は、表に出さないようにしているようだが。
「セラス、もし――」
「私はあなたのためにこの剣を振るうと誓いました。ですので、どうかお気になさらず」
先回りして、セラスはそう言った。
「それに、姫さまでしたらきっと大丈夫です。賢いあの方のことです……今も、うまく立ち回っておられるはずです」
姫さまへの信頼は厚いようだ。
姿勢よく座るセラスを見やる。
秀麗なその貌を、憂いが薄っすらと覆っていた。
薄っすらと。
彼女は憂いの感情を表情に出さぬよう努めている。
つぶさに観察しないと、奥に秘めたその感情は読み取れまい。
姫さまを信頼している。
だから、気にならない。
「…………」
そんなわけにも、いかないだろう。
セラスがハッとなった。
言葉は発さず、彼女は視線を泳がせた。
つい妙なことを口走ってしまった――そうとでも言いたげな雰囲気。
彼女の薄い唇が何度か開きかけて閉じる。
話題を変えたいらしい。
で――その話題が見つからない、と。
「この遺跡に入る前、遠くで何か光っていたのを見たか?」
なので、こっちから話題を振った。
「あ……は、はい――見ましたがっ」
なぜか、勢い余ったみたいに上半身を寄せてくるセラス。
俺は少し身を引いた。
「……あの光、なんだと思う?」
「魔物同士の争いかと、推測します」
「ここの魔物も、やっぱり魔物同士で戦ったりするのか?」
「生み出した根源なる邪悪が違う場合、金眼の魔物同士でも争いが起こると言われています。ただ、その論は実証されたわけではありませんが」
俺は、セラスの教えを振り返った。
この世界に蔓延る金眼の魔物は、歴代の根源なる邪悪が生み出した。
過去の根源なる邪悪は異界の勇者によって滅ぼされている。
しかし、生み出された金眼の魔物の何割かは一掃されず残った。
その多くが、各地の地下遺跡やこの魔群帯に逃げ込んでいる。
「ふーん……言うなれば”産みの親”が違うと、仲違いするわけか」
「とはいえ、他の生物と比べると金眼の魔物同士の同族意識は強いようですね」
なるほど。
仲間意識は強い、か。
だから、ないわけではないが、争いも少ないと。
「…………」
「トーカ殿? 何か?」
「ん? ああ……いや、あの光なんだが……」
魔物同士、ではなく。
「人間と魔物が戦っていたなんてパターンも、ありうるのかと思ってな……」
▽
夜が明けた。
寝る直前にセラスがいきなり神妙な面持ちで、
『トーカ殿があまり愉快そうに笑わないのは、私がつまらないハイエルフだからなのでしょうか……』
と謎の苦悩を告白し、セラスを除く”蠅王ノ戦団”メンバーが総出でフォローを入れるという珍妙なひと幕こそあったものの、それ以外は特に問題なく一夜を明かすことができた。
時間を確認し終えた俺は懐中時計をしまった。
もう外は朝になっている。
朝食後、今日の指針を改めて確認し合った。
そして、ほぼ出立の準備を終えた俺たちは遺跡を出ることにした。
セラスとリズは今、最後の荷造りに取りかかっている。
ピギ丸をローブ下で身体に巻きつかせながら、俺は二人に言った。
「先にイヴと外に出てる」
「わかりました。私たちも、すぐ行きます」
「ああ――行くぞ、イヴ」
イヴが革帯を着け終わる。
「うむ」
外へ出る扉を目指して歩く。
ややセラスたちから離れたところで、隣のイヴが口を開いた。
「しかし……昨夜は我も驚いたぞ。まさか、セラスがあんなことで悩んでいたとは」
「昨日、セラスが昔の話を少し口にしたんだが……多分、それで一緒に思い出したんだろうな」
昨晩の当人によれば、
『セラス殿は比類なきほど麗しく、実に魅力的な女性ではありますが、いささか諧謔の妙には欠けているようでございますな』
といった趣旨の言を、聖騎士時代に貴族たちから何度も言われたのだとか。
「だが、セラスには優れた部分が他にたくさんある。鼻持ちならん貴族どもの諧謔趣味など、今のセラスには必要あるまい」
うーむ、と腕を組むイヴ。
「それにしても……我も昨夜はセラスの長所を並べ立てたつもりだったのだが。どうもセラスにとっては慰めになっていない様子だった。どころか、困惑させてしまっていた感じだったのだが……」
俺は頭を掻く。
「おまえには、もう少しデリカシーってやつが必要かもな……」
「何? でりかしーだと?」
「傍から見れば長所と思える部分も、当人にとっては悩みの種だったり、触れられても対応に困ったりすることはある」
相手がイヴだからか。
性格が寛容だからか。
イヴに対し、セラスも怒ったりはしなかったが。
グルルルゥ、とイヴが低く唸る。
「何がマズかったのだ……我には、まったくわからぬぞ……」
これが、イヴ・スピードが鈍感と言われるゆえんだろうか。
「ところでイヴ、気づいてたか?」
俺の声のトーンが変わったのを察したようだ。
イヴの空気が引き締まる。
「いや、我にはまだ何も……が、何か感じたのだな?」
「……ああ」
この気配にはまだ気づいていない、か。
今のところ違和感を覚えているのは俺だけらしい。
扉の前に立ち、宝石に魔素を流し込む。
「イヴ、扉が開いてもすぐには身を出すな」
「……承知。なるほど――セラスたちより先に外へ出ると言ったのは、これが理由か」
イヴもここにきて”それ”に気づいたようだ。
しかし、寝起きの時点でかすかながらもこの気配に勘づいていたのは、俺だけだったらしい。
なんというか。
意図的に、気配を押し殺している。
そんな感じがある……。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴッ――
燦々とした日光が、開いていく扉の隙間から差しこんでくる。
扉が、開き切った。
身を隠せる位置で、扉の脇にはりつくイヴ。
俺も逆側の扉の脇にはりつく。
扉の先はくだりの階段になっている。
ゆっくりと、俺は下の様子をうかがった。
階段をおり切った先に”それ”は、いた。
俺だけがその気配を感じ取った理由。
それも、なんとなくわかったような気がした。
同じく下を確認したイヴが、唾をのむ。
「――――ッ」
彼女は瞠目したまま、無意識とも思える動作で、身を引いた。
「人面種」