黒馬の魔獣
背後のセラスたちは、気圧されていた。
ただ、首の横で突起を覗かせるピギ丸だけは、
「プニュ〜」
平然としている。
害意がないのをいち早く感じ取ったのだろうか?
セラスが問う。
「トーカ殿……大丈夫なの、ですか?」
威風堂々たる黒馬の立ち姿。
この外見を穏やかと表現するのは難しいだろう。
巨躯もさることながら、赤眼の持つ鋭さからしてもう違う。
佇むサマを目にするだけで圧を感じ取っても、おかしくはない。
セラスたちが懸念を抱くのも無理はあるまい。
俺は黒馬に手をのばした。
目を細め、黒馬がてのひらに頬ずりする。
きょとんとするセラス。
「――馬が甘える時の仕草、ですね」
「変わったのは見た目だけみたいだ。そして、こいつは俺を親だと思ってるのかもしれない」
黒馬の顔を撫でてやる。
目を閉じ気味にし、黒馬が尻尾を大きく振った。
気持ちいいみたいだ。
「トーカ様」
おずおずと話しかけてきたのはリズ。
もう警戒心は解けたようだ。
「あの、お名前はどうなさるのですか……?」
「ああ、名前か。そうだな――」
名前は必要だろう。
今後、何度も呼びかけることになるはずだし。
「…………」
馬に似た幻想生物。
いくつか思い浮かぶ。
ユニコーン。
バイコーン。
ケルピー。
スレイプニル。
有名どころだと、こんなあたりか。
神話などに登場する幻想生物。
これらは元の世界にあったゲームや小説で名を知る機会もあった。
そして”八本脚の馬”で、真っ先に思い浮かぶのはやはり――
神獣スレイプニル。
北欧神話に登場する馬だ。
主神オーディンが駆る馬として有名である。
まず思い浮かぶのは、これか。
まあ、二本角はバイコーンに寄った特徴だが……。
皆の方を見る。
「何かよさそうな名前の候補はあるか?」
「見たところその黒馬はそなたに懐いているようだ。そなたが決めてやるべきではないか?」
わたしもそう思います、とリズが同意を示した。
セラスが続く。
「トーカ殿がお決めになった方が、この子も喜ぶかと」
「わかった」
あまり名前をつけるのは得意ではない。
が、やるしかないか。
そうだな、連想する神獣の名から拝借して――
「”スレイ”ってのは、どうだ?」
最初の三文字を取っただけだが。
二つの赤眼を見つめ、反応を待つ。
「ヒヒィィ〜ン♪」
黒馬がいななき、尻尾を振った。
セラスが緩く腕を組み、口もとを綻ばせる。
「気に入ってもらえたようですね?」
セラスがスレイに近寄って手をのばした。
スレイはおとなしく、その手を受け入れる。
「これからよろしくお願いします、スレイ殿――んん?」
頬ずりしていたスレイの顔が、撫でていたセラスの手を滑り抜けた。
「あ、あの……?」
セラスの首筋に接近し、鼻をスンスンさせるスレイ。
その鼻先が、セラスの身体の部位を舐めるように嗅いでいく。
「ス、スレイ殿っ!? そ、その……そこはちょっと、困るのですが――ッ!?」
スンスンスンスンッ
「いえですから――こ、困ります……ッ」
動揺を目に宿したセラスが俺を見た。
「トーカ殿……ッ!」
なんとかしてもらえないでしょうか、と視線が語っていた。
馬は特に嗅覚が鋭い。
以前そう聞いたことがある。
ただ、なぜセラスだけに……。
「ん?」
ひょっとして、
「ニオイ、じゃないか?」
「ニ、ニオイ……」
スレイの鼻先をちょっぴり押し戻すようにしながら、セラスが青ざめる。
「わ、私……そんなにもにおうのでしょうか?」
「いや、逆だと思うぞ?」
「逆? あ、スレイ殿! で、ですからそこは――」
「馬での移動中、後ろから密着してる時に思ったんだが……なんていうか、セラスってニオイが薄いよな?」
「薄い、ですか……? 自分ではよくわからないのですが」
ま、自分のニオイってのは意外と自覚しづらいものだ。
「セラスの匂いってのは、確かにあると感じた。けどそれは密着していてわかるくらいの匂いだった。つまりセラスの体臭が薄いから、スレイはそうやって確認してるんだろう」
「とすると、あまりスレイ殿を責められませんね……」
観念した様子のセラスは結局、スレイのさせるがままにした。
が、
ペロッ
「あ、あの――ッ!?」
スレイがセラスの頬を、舌で舐め上げた。
「だ、唾液まみれになってしまいますので……ひぁっ――」
ペロペロと、ハイエルフの姫騎士が顔を舐められている。
「……大分、気に入られたらしいな?」
ま、少し前の反応からしても明白だろう。
俺の次にスレイが好意を寄せているのはセラスだ。
舐めているのは、親愛の情を示しているのだと思われる。
「なあ、ところでスレイ」
「?」
首を傾げるような仕草をして、スレイが俺の方を向く。
確認しておきたいことがある。
「おまえ、元の姿には戻れるのか?」
下へ押し込むジェスチャーをまじえ、聞いた。
要するに、
”小さい姿に戻れるのか?”
と俺は伝えたい。
すると、
「ヒヒィ〜ン!」
適度に声量を抑えつつスレイがいななき、その身体が光を帯びた。
光が強くなっていき黒馬を包み込む。
すぐに光は、おさまった。
そして、そこには――
「パンピィー」
第一段階に戻ったスレイがいた。
白いマスコットさながらのあの姿である。
鳴き声も愛らしいものへと戻っていた。
「で、また魔素を注入すれば段階的に姿を変えられるわけか……」
短い二本脚で立つと、丸っとした両手でスレイがバンザイした。
「パキュ〜ン♪」
まるで”正解〜♪”とでも、言っているようだった。
▽
「ほら」
染み一つない布をセラスの顔の前に突き出す。
布には、さっき綺麗な水を含ませた。
「あ、申し訳ありません」
布を受け取ろうと手を差し出すセラス。
が、俺は布を渡さなかった。
セラスが疑問符を浮かべる。
「……トーカ殿?」
フン、と俺は口端を歪めた。
「俺が、拭いてやる」
「え?」
「嫌か?」
うかがうように、上目遣いで見てくるセラス。
「……よいので?」
冗談めかして言う。
「我が子がやったことの責任は、親が取らないとな」
「ふふ、スレイがあなたの子なのですか?」
「俺への好感度を上げる意味合いもあるさ。副長どのには、俺への好意をもっとたくさん持ってもらわないとな」
セラスは上品に微笑むと、髪を手で梳いて頬を露わにした。
「――では、その策に乗るとしましょうか」
セラスの白い頬を布地で撫でる。
力を入れ過ぎないよう、気をつけないとな……。
今、スレイはイヴとリズの傍にいる。
ひとまず仲良くなれそうな感じだった。
打ち解けやすい性格の馬らしい。
その点は、ホッとした。
「で、どう思う?」
「ん……スレイのことですか?」
「ああ」
「第二形態であれば荷物の大半を任せられそうですね。そうすれば私たちが身軽になります。ですので、戦闘面ではこれまでより有利になるかと」
「第三形態の方は、いざという時の機動力になるかもしれないな」
機動力など、諸々の能力はまだ試していない。
戦闘力の面もいずれ確認したいところだ。
セラスが、懸念材料を述べる。
「ここの魔物と遭遇した時が、分かれ目になるでしょうね」
「……だな」
スレイを見る。
本質的な正体は判然としない。
が、戦力としての期待はできそうだ。
特に――あの第三形態。
「しかし……あの卵からまさかあんな魔獣が生まれるとは、思いませんでした」
「結局、禁忌の魔女に心当たりを聞くことになりそうだな」
「ええ、そのようですね」
セラスと話すと思考がまとまりやすい。
聞き役的な側近として優秀なのかもしれない。
力を込めすぎぬよう、セラスの肌の上で手を動かす。
滑らかで柔らかな乳白色の肌。
「……それにしても、ずいぶんと綺麗な肌をしてるよな」
「それはまあ、生まれたばかりですから」
「いや――スレイのじゃなくて、おまえの肌だよ」
セラスが視線を逸らす。
「…………今のことで鈍い女だと思われるのは、いささか心外なのですが」
俺はまだ何も言っていないのだが。
「そうなのか?」
「む……そうです」
照れを隠しつつ、唇を尖らせるセラス。
ちなみにエルフ族は軒並み肌が綺麗らしい。
契約した精霊が体内の不純物を取り除くためだそうだ。
スキンケアを精霊が自動でしてくれるようなものだろうか。
「ですが、それには時間を要します。瞬時にとはいきません。ですので、こういう付着した唾液をすぐ取り去ってくれるわけではないのです。風の精霊の力で、乾かすことくらいはできますが……」
「即効性は、ないわけか」
「はい」
それからこの自動スキンケア、ハイエルフだとより”純度”は高まるらしい。
染み一つない肌の理由にもこれで納得がいった。
しかし、
「…………」
エルフ族には化粧水も乳液も、売れなさそうだ。
▽
「トーカよ」
「ん?」
「スレイを調べて一つ、わかったことがあるのだが」
セラスの顔が綺麗になると、イヴがシリアス顔で近寄ってきた。
「どうした?」
「スレイは、メスのようだ」
そんなことか。
「へぇ、角があるからオスってわけじゃないんだな」
というか、調べたのか。
「ピギー!」
ん?
見るとピギ丸とスレイが対峙していた。
ピギ丸はさっきまで、リズに抱きかかえられていたが……。
「パキュー」
「ピギ!」
「パンピィ〜」
「ピニュ〜」
「パキュ?」
「プニュゥ〜?」
「…………」
「…………」
「パキュ」
「ピ」
「……パキュル〜ン♪」
「……プユ〜ン♪」
「パキュッ!」
「ピ!」
ポヨ〜ンッ!
なんとピギ丸が、スレイの背に飛び乗った。
スレイの背でプルプルしている。
「ピギ〜!」
「パキュ〜ン!」
トコ、トコ、トコ
ピギ丸を背にのせたまま、スレイが俺たちの方へ歩いてきた。
傍らのセラスは、穏やかな表情で微笑ましげに眺めている。
俺は、ひと息ついた。
よかった。
「どうやらあいつらも、気が合ったらしいな」
執筆ペースは少しずつですが復調してきた気がいたします。前回更新後には、温かいお言葉などもくださりありがとうございました。
更新ペースを崩している中での書籍発売のご報告というのも個人的にどうなんだと思うところはあるのですが……おかげさまで『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』の1巻が7/25(水)発売の運びとなりました。
書籍版では全体の文章を二度に渡ってチェックし直し、縦書きの書籍版用に細かな加筆、修正、改変を行いました。他に追加シーンも少し収録されております。そして、このたびイラストを担当してくださったKWKM様には、この追加シーンに対応する口絵、挿絵を描いていただきました。KWKM様の描いてくださったイラストは、どれも本当に素晴らしいものばかりでございます。トーカ&セラスを始め、逃亡者(ミスト)、ヴィシス、十河綾香、桐原拓斗、高雄姉妹、鹿島小鳩といった面々なども、KWKM様にビジュアル化していただきました。
個人的に書籍版の追加シーンでは、できるだけセラス(ここまでWeb版をお読みくださっている読者さまはもう”逃亡者”の正体をご存じなので、セラスの名を出してしまいますが)、もしくはトーカ&セラスのシーンを入れていきたいなと思っております。そして可能なら、その追加シーンを口絵や挿絵にできましたらと……。ですので書籍版の追加シーンは今後も、イラストになった際により魅力の際立つシーンを入れられたら、と考えております。ある意味それこそが、イラストのつく書籍版の最大の強みでもございますしね。
上記のような点もあって、イラストの割合的な意味合いも含め、言うなれば書籍版は”セラス本(?)”的な色合いの強くなる側面も出てくるかと思います。ですので、書籍版はなんといいますか……セラス・アシュレインを手元に置いておきたい(という表現でいいのかわかりませんが)といった方には、おすすめできる媒体となるのかもしれません(ちょっと上手く表現できず、申し訳ないです(汗)。要するにセラスの魅力がイラストでより高まっている、くらいに捉えていただけましたらと……)。
ともあれこうして書籍版の刊行に辿り着けたのも、日頃よりWeb版を応援してくださっている皆さまのおかげでございます。改めて、この場を借りてお礼申し上げます。
このところ執筆ペースに波があって大変申し訳ないのですが、今後とも『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』をどうかよろしくお願いいたします。
……こういうご報告になると、やはりあとがきが長くなってしまいますね。相変わらず長々としてしまい申し訳ないです(汗
次話は、もう少し早めに更新できたらと思います。




