思わぬ死角
「トーカ、指示を――」
「今回は下がっててくれ」
「……承知した」
後ろへ下がったイヴは、疑問を呈さなかった。
勝てない、とイヴは言った。
最強の血闘士がまともにやり合えない相手。
まあ、敵の気を逸らす囮役を頼むことはできる。
しかし怪我をするかもしれない。
重傷を、負うかもしれない。
これは避けたい。
替えのきかないイヴの特性。
夜目。
センサー並の聴覚。
囮として身を晒させた結果、この二つが使用不能となるのは避けたい。
魔物の到達までにピギ丸との融合技を準備する時間はない。
木の幹に身を隠し、様子をうかがう。
軋んだ倒壊音を上げながら木々が次々と地に伏していく。
木と木の間を縫って移動できないほどの巨体。
そいつらの姿が、目視できる距離まできた。
巨大ナメクジ。
まずベース部分はそれを連想させる。
頭頂部の両サイドには、金眼がくっついている。
トンボの複眼を思わせた。
その両眼の中間にある口の感じもトンボっぽい。
また、背中から何かが複数生えている。
生えているのは、象の鼻に似ているだろうか。
さらに体躯の両脇からは人型の腕が生えている。
血管の浮き出た筋肉質の太い腕。
で、極めつけはその巨躯。
サイズだけで言えば、あの魂喰いを軽く越えている。
象ナメクジ。
それが二匹。
あいつら、人面種か?
「…………」
いや、違う。
人面種はもっと”人間”っぽい顔をしている。
道中、セラスからそう教わった。
魂喰いは当てはまるが、こいつは違うと思う。
「ぬゥぅ゛ン゛! ぼォぉォおオおオおオろロおォぉォおオお――――――――ンっ!」
けたたましい怪奇な雄叫びが大気を震わせる。
鳥類と思われる何かが羽ばたき、飛び立つ音がした。
この象ナメクジの存在を感知して逃げたのだろう。
にしても――
「そうか」
一瞬、歓喜が平静さを上回りそうになった。
「テメェか」
ドドドドドドドドドドド――――ッ!
地響きを立てながら、象ナメクジが一気に距離を詰めてきた。
ナメクジと表現したが、速度はナメクジのそれではない。
うねりながらの爆速移動……。
ナメクジのノロノロしたイメージとは合わない。
気味悪く感じる。
ん?
ああ、なるほど。
両脇の腕は、方向変換の時に補助としても使うのか。
象ナメクジは左右へブンブン頭頂部を振り回している。
「…………」
おそらく、俺やイヴを捜している。
感じる。
歓喜と殺意。
獲物らしい獲物を見つけて興奮しているのだろう。
ただ、思いのほか感知能力の方は鈍いようだ。
視野は広そうだが、気配察知方面は弱いタイプか。
で、射程距離に――
「ようこそ」
入った。
「【パラライズ】」
ピキッ、ピシッ――
ビキッ――
「オ゛!? ぉ、ロぉ……オ――っ!?」
”最強の血闘士がまともにやり合えない相手”
鼻を鳴らし、俺は木の幹の陰から姿を現す。
そりゃあ、
「まともに、やり合えばな」
俺は、真正面からやり合ったりなどしない。
正々堂々も、フェア精神も、クソくらえ。
騙し討ち、
不意打ち、
共に、上等。
「逃した獲物をまた見つけて――で、狩りの続きをしようと喜び勇んで足を運んでみたものの……気づけば、狩られる側へと逆転してたって感じか」
停止状態の二匹の象ナメクジ。
そいつらが俺の左右前方に、そそり立つ崖のごとく並び立っている。
魔物が発していた殺意と歓喜。
今やそれらは、困惑と憤怒へと変化していた。
「ぉ――オ゛、ぉ〜ン!」
俺は、重ねがけ可能な他のスキルを使用した。
もちろんスキル数を稼ぐ目的でだ。
で、トドメは――
「【バーサク】」
ブシュゥゥゥッ! ブシャァァッ!
身体中から血泉を撒き散らす二匹の象ナメクジ。
魔物の周囲に血の雨が降り注ぐ。
「お、ゴぇェえエえエえ゛エ゛ッ!?」
両腕を突き出したまま、二匹の巨魔を見上げる。
「悪いが、さっさと片づけさせてもらうぞ」
麻痺状態で暴れれば暴れるほどダメージは大きくなる。
が、魔物は自らの意思で暴れるのを止められない。
付与された暴性には――抗えない。
「ぉ、ゴ……ぎ、リ……、――」
魔物が血の池に沈み、力尽きた。
辺りに、静寂がおりる。
【レベルが上がりました】
【LV1797→LV1798】
「お?」
ここでレベルが上がったか……。
今まで蓄積してきた経験値の分もある。
が、今の二匹の経験値もそこそこ高かったのだろう。
その二つが合わさって、レベルアップまで達した。
「……MPも、これで全快だな」
イヴが駆け寄ってきた。
「終わったのか、トーカ?」
「ああ」
豹眼がまじまじと魔物の死体を眺める。
「あの魔物を苦もなく倒してしまうとは……我が遭遇した時は逃げのびるので精一杯だった。つくづく、そなたには恐れ入る……」
あいつらから逃げられただけでも、すごい気はするが。
「正面からぶつかってたらこんな簡単にゃ勝てねぇさ。ところで、こいつらは人面種じゃないよな?」
「そのようだな。だが、魔物は人面種だけが強敵ではない。人面種でなくとも、恐ろしい魔物はたくさんいる」
「ああ、わかってるさ。十分すぎるほどに、な」
廃棄遺跡の魔物がイイ例だ。
イヴが渋く唸った。
「トーカよ」
「ん?」
「この魔物たちと戦う直前、まるでどこかで出遭ったことがあるような言葉を口にしていなかったか? 確か”そうか、テメェらか”と言っていた気がするのだが」
さすがに耳がいいな。
「こいつらはおそらく”ナゾート”だ」
俺は、リズを連れて歩み寄るセラスに呼びかけた。
「セラス、手伝ってくれ」
もう彼女もピンときているようだった。
セラスが胸に手をあてる。
「はい、お任せください」
ちなみにリズは特に混乱をきたしてはいない風だった。
魔物の出現時も平静を保っていた。
なんというか――信じていた、という目をしている。
俺にはそう見えた。
血だまりに踏み入り、人型の腕を軽く持ち上げる。
魔物のてのひらには半球体が埋まっている。
ブヨブヨした感触。
言うなればアレだ――猫の肉球っぽい。
まあ、感触は悪い意味で猫の肉球とは雲泥の差だが……。
魔物の手。
皮膚の硬度を、確かめる。
よし。
イケそうだ。
腰から、短剣を抜く。
「それをどうするのだ、トーカ?」
「この肉球っぽい部位を一部、削ぎ取る」
「何? これをだと……? ま、まさか――これを、食料にするというのではあるまいなっ? あまり、率先して体内に取り入れたい見た目とは言い難いのだが……」
微妙にイヴが引いていた。
「くすっ――違いますよ、イヴ」
セラスが苦笑する。
「ですよね、トーカ殿?」
「ああ。別に、体内へ取り入れるわけじゃない」
セラスも俺が貸した『禁術大全』ですでに目にしていたようだ。
俺が口にした”ナゾート”とは、象ナメクジの正式名称。
「こいつは、材料の一つだ」
そう、
「ピギ丸の強化剤のな」
「ピ」
名を呼ばれたせいだろうか。
ピギ丸が返事をした。
ようやく得心顔になるイヴ。
「むむ、そうであったか。うむ? しかし――」
首を傾げるイヴ。
難しい表情をしている。
「どうした?」
「そなたは体内に入れるわけではないと言ったが……ピギ丸の強化剤、ということは――」
「プユ?」
「ピギ丸だけは、その気味の悪いブヨブヨを体内に取り込むことになるのではないか?」
「…………ピギー!?」
ピギ丸が、恐怖していた。
けど大丈夫だ、ピギ丸。
強化剤の完成時には、見た目は問題なくなる予定だから。
「…………」
多分、だが。
▽
象ナメクジから素材を回収し、その場を離れて1時間ほど経った頃だった。
それは、なんの前触れもなく起こった。
「――――――――ッ」
なん、だ……?
ザッ!
俺たちは互いを背にし、周囲を警戒する。
「イヴ、何か感じるか?」
「……いや、わからぬ」
「セラス」
「い、いえ……私にも、何が起こっているのか……ッ」
が、確かにある。
魔物の気配。
突如、気配が出現した。
もちろんこれはピギ丸の気配とは違うものだ。
ピギ丸も当惑している。
イヴ、ピギ丸、俺、セラス。
四人のうち、誰も接近に気づかなかった。
予兆も、何もなく。
魔物の気配だけが何もないところから、急に現れた。
近い。
すぐ、そこにいる。
なんだ?
一体、何が起こっている……?
しかも、敵意が感じられない。
殺意もない。
逆にそれが不気味でもある。
脅威の度合いも、いまいち掴めない。
ただ、奇妙な得体の知れなさが漂っている。
今まで出遭ってきたどの魔物とも、違う感じがする……。
「どこからだ?」
辺りを見てもやはり何もいない。
立ち並ぶ木々が延々と続いているだけだ。
隠れていたとしても、近ければ気配で位置は読める。
セラスが、上空へ向けて弓を構えた。
「――上、ではありませんね」
そして、下でもない。
地中からの奇襲はいちばん最初に想定した。
が、気配の位置は地下ではない。
いや、むしろこれは――
「俺、なのか?」
――ピシッ――
音が、した。
気配が一気にその濃厚さを増す。
「ピギィィー!」
ピギ丸の鳴き声と同時、俺は背負い袋を外した。
どうやらピギ丸も”俺”から何か感じ取ったらしい。
「これ、か……?」
イヴが剣を構える。
「背負い袋の中、だと……ッ?」
リズは、イヴに寄り添いながら不安げな顔をしている。
セラスは冷や汗を流しつつ、何やら準備態勢に入った。
精式霊装の準備。
「――あ」
俺は一つ、思い当たった。
「まさか――」
背負い袋に手を突っ込む。
――ピシッ――
「……これか」
俺は”それ”を、そっと地面に置いた。
一歩下がってみんなに声をかける。
「警戒はしておけ」
自分から気配を感じたのも当然だ。
なぜなら、
俺の背負い袋の中身の”アレ”が、気配の発生源だったのだから。
セラスが俺を見る。
「トーカ殿、これは……」
「ああ」
ミルズ遺跡で入手したあの黒い卵。
そう、あれが――
「孵化しようと、してるのか」
――――――メリィッ――――――