消失、結集
◇【ウルザの王】◇
魔戦王ジンは頭を抱えていた。
(アシントが姿を消しただとぉぉ……ッ!?)
先日、モンロイから逃亡した血闘士のイヴ・スピード。
ズアン公爵はその豹人を追って王都を発った。
公爵にはアシントが同行していたという。
(現場に残っていたのは……公爵とその私兵、雇われた傭兵の死体だけ……)
アシントの姿はどこにもなかったそうだ。
(ズアンのやつめ、まさかアシントと揉めたのか……? ぐっ! あれほど連中の扱いには注意せよと、口酸っぱく言いつけておいたというのに……ッ!)
何かが起きたのだ。
(連中のもので現場に残されていたのは、武器や装具の一部のみ……馬で素早く逃げるため、重量のかさむ武具は置いていったか)
武器がなくともお得意の呪術があれば十分と判断したのだろう。
ちなみに、金品のたぐいは持ち去った形跡があった。
(得た情報からすると、どう考えてもイヴ・スピード一人でやれる数ではない)
アシントがイヴ側についたのか。
けれどイヴの側につく理由が見当たらない。
やはり内輪揉めが起きたと考えるのが妥当か。
(読みが、外れた……)
ズアン公爵は荒くれ者をまとめ上げる手腕に長けていた。
部下や雇った者に適度な自由を与えるためか。
あるいは、金払いがよいためか。
公爵はああいった手合いに好かれる傾向があった。
ジンは公爵のその能力を買っていた。
厄介そうな相手との交渉。
そういう交渉はこれまでズアン公爵に任せてきた。
個性の際立つ者たちの集う血闘場。
公爵はその運営にも携わっている。
癖の強い者たちの扱いには慣れていた。
もちろん、彼にまつわる悪い噂は承知している。
(しかしアシントの連中は格別に厄介そうだった。ああいう手合いを任せるのならやはりあの男だろうと、一任したが……)
まさか、このような事態になるとは。
(五竜士殺しを名乗る者たちを駒として手もとに置いておきたかった……他国に力を誇示する材料として……)
あの竜殺しも時間をかけて手駒にできたのだ。
アシントもいずれ手駒にできると考えていた。
(考えが甘かったのか? ぬぐ、ぐ……ッ! 何より、何よりだ――)
女神にどう報告すればいい?
あれは魔防の白城で会談が終わったあとのことである。
ジンはアシントの件で女神にこう提案した。
『アシントの件、この魔戦王にお任せいただけませんでしょうか? ふふふ……本当に連中が五竜士殺しなのかどうかも、必ずやこの私が暴いてみせましょうぞ!』
女神は任せると言ってくれた。
ウルザの王を女神は信頼してくれている。
証拠として、先日ヴィシスの徒が自国へ引き上げた。
各国に派遣している監視役を引き上げさせる。
これは女神の信頼を勝ち取った証と言える。
何より、
(あのニャンタンとかいう目障りな小娘が、ようやくいなくなって喜んでいたというのに……ッ)
取り柄は眉目秀麗な顔立ちとカラダつきくらいだろう。
装いも相俟って目の保養にはなっていた。
しかしそれ以外においては気疲れの種でしかなかった。
愛想など、欠片もなかった。
何もかもを見透かすようなあの冷たい瞳。
王たる自分に対するあの温かみのない態度。
目障り、この上なかった。
しかし何もできなかった。
ヴィシスの徒の中で彼女は特別とも聞いている。
手を出せばどんなしっぺ返しがくるかわかったものではない。
(ぐぐぐ……またあの忌々しいニャンタンを、派遣されてしまうかもしれない)
報告書をクシャリと握りしめるジン。
(アレがいる時はいつも監視されているようで、心休まる気がしなかった……うぅ……)
どうにかアシントを捜し出して再交渉するしかない。
コステロを含むズアン公爵の私兵隊を全滅させたのだ。
聞けば名のある傭兵もたくさんまじっていたらしい。
(例の五竜士殺しの件、真偽は時間をかけて探るつもりだったが……)
もはや疑う余地はない。
五竜士を殺した実力は本物。
魔戦騎士団を差し向けても始末するのは難しいだろう。
(といって、ここで女神のもとから竜殺しを呼び戻すのも難しかろう……)
「あの……王よ、いかがいたしますか?」
ジンはハッとした。
家臣が傍にいたのを忘れていた。
慌てて取り繕い、ジンは手で目を覆った。
「う、む……少々ズアン公爵の死に衝撃を受けてしまってな……しかし、もう大丈夫だ」
「して、こたびのアシントの件……アライオンへの報告はいかがいたしましょう?」
脂汗が滲んでくる。
「せざるを、えまい……あとで、すぐ報告しなかったと判明する方が、もっとまずい……」
女神は恐ろしい存在だ。
あの美しい見た目に騙されてはいけない。
機嫌を損ねたら何をされるか知れたものではない。
ネーア聖国にまつわる噂を思い出す。
バクオス帝国の侵攻を受けてネーアは占領された。
今この大陸で他国への侵攻などありえない。
女神が実質的に禁じているからだ。
しかし侵攻時、女神の横槍は入らなかった。
ネーアが女神の”加護”を失った理由は何か?
一説には、ネーアの聖王が女神の機嫌を損ねたためと言われている。
そう、女神は絶対なのだ。
(妙に反抗的なあの狂美帝の小童も、いずれ女神の恐ろしさを知るであろう。すべては、女神のてのひらの上なのだ……)
恐怖のためだろうか?
不意にジンは眩暈を覚えた。
椅子の端に肘をつき、ふらつく身体を支える。
「捜せ……なんとしても、アシントを捜すのだ……」
「陛下、豹人の方はいかがいたしましょうか? それから豹人の関係者と思しきダークエルフの少女も姿を消しております。それと、少女を養っていた白足亭の女主人も――」
ジンはイラッとした。
「臆病風に吹かれた豹人や無力な小娘など捨て置け! どうせそのうちどこかで野たれ死ぬに決まっておる! それより今はアシントだ! アシントの足取りを追うのに全力を尽くせ! よいなっ!?」
「――はっ! しょ、承知いたしましたっ!」
歯ぎしりするジン。
(ぐ、ぐぅぅ……女神の心証をよくしつつ、アシントを都合のよい駒として使う予定が……まさか、こんなことになるとわぁぁ〜……ッ)
魔戦王の苦悩の種は、尽きそうにない。
◇【ニャンタン・キキーパト】◇
「ふむふむ……例の呪術師集団がウルザの公爵を殺して姿を消しましたか。物騒な話ですねぇ。怖い怖いです」
女神が報告書を手にして言った。
先日ウルザからもたらされた報告書。
五竜士殺しを名乗っていた呪術師集団。
彼らが行方をくらませたそうだ。
内容はそれを報告するものだった。
「しかし呪術など本当にあるのでしょうか? とても信じられませんねぇ。ん〜? 私が存じていないだけでしょうか? あなたは、ご存じですか?」
女神の自室。
ニャンタン・キキーパットはその壁際に控えていた。
彼女は女神の問いに短く、
「いえ」
とだけ答えた。
女神は、
「そうですか」
と平板に言って、報告書に視線を戻した。
「怖い怖いです。ん〜、ですがアシントをもし狂美帝あたりが拾うと、ちょっと面倒なことになるかもしれませんねぇ……ん〜、ですがこの時期にニャンタンを戻すのはちょっと難しいですねぇ〜……ニャンタンには、大事な役目がありますから……」
女神が報告書を手中でクシャクシャに丸めた。
次いで、彼女は息を落とした。
「この大事な時期に、面倒なことが起きてしまいましたねぇ。アシントの捜索には魔戦騎士団も投入するようですし……本当に五竜士殺しの力を持つとなると、私も一切無視というわけにはいきませんし……」
ぷくぅ〜
女神が頬を膨らませた。
けれど表情は、笑顔のまま。
「とっても困ってしまいます」
「問題、あるのかな?」
男の声が軽やかに女神に問うた。
声の主は四恭聖の一人、アギト・アングーン。
柔和な顔立ちの青年である。
黒髪で片目が隠れていた。
捉えどころのない空気の男と言える。
フワフワとした雰囲気の持ち主だ。
ただしその実力はあなどれない。
今、この室内にいるのは女神とニャンタンだけではなかった。
ヨナト公国から呼び寄せた四人の男女。
四恭聖。
彼らも部屋に集っていた。
あのヨナトの聖女をも凌駕すると言われる四きょうだい。
四人は勇者の血を引いていた。
つまり彼らは勇血の一族である。
長男のアギトが続けた。
「ヴィシスが危惧すべきは、神族の力をも弱体化させる邪王素持ちの大魔帝とその軍勢じゃないのかい?」
「ん〜、そうなのですけどね〜」
「五竜士だろうとそのアシントだろうと、ヴィシスが彼らと戦る分には、邪王素による弱体化の影響はない。そうだろ?」
ニャンタンは理解する。
アギトはこう言っている。
五竜士もアシントも女神の敵ではない、と。
涼やかな微笑みを浮かべてアギトが言う。
「今、ヴィシスが注力しなくちゃいけないのは、どう考えても動きを活発化させている大魔帝の軍勢だろ? 違うかい?」
「おっしゃる通りなのですが……背後に五竜士級の不穏分子がいると思うと戦にも集中しづらいですからねぇ〜」
「ははは、ヴィシスって意外と心配性だよね?」
「え? それの何が悪いのでしょうか? ごめんなさい。悪気がないのは重々承知なのですが、言い方が少し引っかかってしまいました」
「…………」
「…………」
ニコッと笑うアギト。
「ごめんね?」
女神も笑顔になる。
「いえいえ、お気になさらず〜。すみません、私もついつい口が滑ってしまいまして……お恥ずかしいです♪」
ニャンタンはやり取りを眺めていた。
彼女は思った。
女神は苛立ちを覚えているのだろうか、と。
アシントが消えた今回の一件……。
女神は意外と腹立たしく感じているのかもしれない。
面倒な案件が増えた、と。
アギトとの今のやり取り。
女神がピリピリしていたからこそ起きた可能性はある。
部屋の扉がコツコツと叩かれた。
「女神さま」
「何か?」
「ベインウルフ様がご到着されました」
「あ、来ましたか。大分、予定よりご到着は遅れたようですね〜」
女神が椅子から腰を浮かせた。
体格のよい大男がヌッと部屋に足を踏み入れる。
大男は、ボリボリと頭をかいた。
「あ〜……遅れて、悪かった」
「いえいえ、ようこそお越しくださいました」
たおやかな姿勢で歓迎の意を示す女神。
「 竜殺し 」