ひとつの提案と、おやすみ
セラスが洞穴の外へ視線をやった。
「戻ってきたようですね」
外にいたイヴが戻ってきた。
「馬は繋いできた」
「お疲れさまです」
「うむ」
イヴがブルブルと激しく身を震わせた。
毛についた水分が勢いよく弾け飛ぶ。
「繋いできた場所は雨も一応凌げるし、何かあればここからすぐ駆けつけられる」
俺はイヴに乾いた布を放って渡す。
「雨の中、悪いな」
「問題ない」
「食事を取ったら交代で睡眠を取る。モンロイからかなり遠くまで来たし、そろそろ休みが必要だろう。魔群帯へ入る前から疲労困憊じゃ困る」
「うむ、そうだな」
「ピユリ〜」
ピギ丸が俺のローブから抜け出した。
俺から離れて壁際でプルプルし始める。
しばらく休息モードのようだ。
食事の方は日持ちのしない材料を先に片づけることにした。
イヴが手際よく火を起こす。
俺は焚き木の上に小鍋を置いた。
「寝る前に服が乾きそうにないなら、着替えてくるといい。俺は背中を向けてるから」
「わかりました。リズ、行きましょうか?」
「は、はいっ」
セラスがリズの手を引いて奥へ移動する。
「それならば、我は武器と防具を手入れするとしよう」
イヴがドカッと俺の前に座った。
「…………」
「む? どうした、トーカ?」
「体毛のせいかあまり気にしてなかったけど、意外と薄着だよな。防具も軽めのやつだし」
人間で考えればけっこうな露出度だ。
豹人族はあまり露出を気にしないのだろうか。
「うむ、我は動きやすさを重視しているからな。豹人族の強みの一つは俊敏さにある。強みは活かすべきであろう?」
「確かに俊敏さには目を瞠った。もちろん、それを活かした戦闘にもな」
数秒、俺たちは黙り込んだ。
「……そなたは、我やリズの過去を聞こうとしないのだな」
「基本、相手から話したがらない限り俺から聞くつもりはない。話したくない過去もあるだろうしな」
セラスも同じだ。
聖騎士になる前はハイエルフの国の姫だったという。
その姫がなぜ人間の支配するネーア聖国へ身を寄せたのか?
ハイエルフの国で何があったのか?
ネーア聖国ではどんな風に過ごしていたのか?
謎といえば謎だ。
しかし俺から積極的に聞く気はなかった。
俺にだって話してない過去はある。
何もかもを知る必要はない。
俺はそう考えている。
イヴとリズにしても同じだ。
「もし話したくなったら話せばいいさ。セラスの過去も俺はよく知らない。けど、それでいいと思ってる」
「わかった。では、我もそなたやセラスの過去をあえて深掘りはせぬ。互いに、知り過ぎぬ方がよい距離感というのもあるしな」
イヴとリズとの旅は禁忌の魔女の棲み家までだ。
二人も俺たちのことを深く知る必要はない。
クソ女神への復讐まで、二人は辿り着かない。
話が一段落するとイヴは馬の様子を見に行った。
俺は小鍋の横で食材を切り始める。
鍋は楽だ。
食材をぶっこんで味つけさえすればひとまず形になる。
魔法の皮袋は……足りなさそうだったら使うとするか。
「て、手伝います」
着替えを終えたリズが俺の隣にきた。
「疲れてるんじゃないか? 無理しなくていいぞ」
「て、手伝わせていただけませんか?」
「…………」
そんな顔をされるとな。
「じゃあ、そいつの皮を剥いてくれるか?」
「は、はいっ」
リズは嬉しそうだった。
器用に皮を剥いていく。
「ふーん、上手いもんだな」
「お、お褒めいただけて嬉しいです……っ」
照れくさそうに肩を縮めるリズ。
褒められるのが嬉しいみたいだ。
「お料理も、手伝っていましたから」
「料理は得意なのか?」
「お店に来る人は喜んでくれていました。表向きには、おかみさんが作っていたことになっていましたけど……」
またあの女主人にクズエピソード追加である。
ったく……。
腹立たしい気分で額に手を添える。
「ああいう連中は、外ヅラだけはよく見せようとするからな……」
「トーカ様」
「ん?」
「あの……いつか料理番のお役目をわたしに任せてもらえたら、嬉しいです……あと、荷物運びも……」
見るとリズの皮を剥く手は止まっていた。
肩や声には震えがあった。
何か願い出るのはまだ抵抗があるようだ。
「別に無理に仕事を見つけて働かなくてもいいぞ。リズの分は、イヴが働いてくれてるようなもんだしな」
「ち、違うんです」
「違う?」
「白足亭にいた時は、何も感じませんでした……でも、今はトーカ様やセラス様のために……何かお役に立ちたいと、そう強く感じるんです」
俺はリズの背に手を添えた。
「わかった。そういうことなら、前向きに考えておく」
「は、はい……っ」
リズの表情は、綻んでいた。
「ありがとうございます、トーカ様……」
▽
食事後、イヴとリズは眠りについた。
二人はぐっすり眠っている。
絶え間ない緊張が解けてドッと疲れが出たのだろう。
緊張がほぐれると急に眠気が襲ってきたりする。
自律神経の切り替えが起こるため、だったか。
なんか以前そんな話を聞いた記憶がある。
声を抑えて、セラスが言った。
「二人とも、よく寝ていますね」
「元々この二人はモンロイから逃亡する予定じゃなかったからな。普段なら、今は寝てる時間なんだろう」
火を消し、俺たちは二人から離れた位置に並んで腰掛けた。
「トーカ殿もお疲れではありませんか? 見張りは私がしておきますので、どうぞお休みになってください」
「実を言うと、目が冴えて眠れそうにない」
セラスが正座した。
膝をポンポン叩く。
「お貸ししましょうか? この上でしたら、安眠できるかもしれませんよ?」
「疲れてるのはおまえも同じだろ。なんだったら――」
俺はあぐらをかき直した。
セラスと同じように、自分の足をペシペシ叩く。
「貸してやろうか?」
「そ、そうですか? では……」
セラスが、四つん這いで近寄ってきた。
「…………」
冗談のつもりだったのだが。
あぐらの上にセラスが頭をのせた。
視線を落とす。
真下にセラスの顔。
空色の瞳が俺を見上げていた。
ジーッと俺を観察している。
「あの、まさか……」
俺の反応から何か違和感を察したのか、
「先ほどのは、冗談のつもりで?」
セラスが尋ねてきた。
コクッ
俺は頷いた。
みるみるハイエルフの顔が紅潮していく。
羞恥を堪えるような表情で、セラスが目を閉じる。
「……これはまた、失礼を」
「まあいいさ。たまにはこういうのも悪くないだろ」
「お、お気遣いに感謝します……」
セラスは耳まで赤くなっていた。
あごに手をやって、俺は唸る。
「なあ、セラス」
「はい?」
「前から興味があったんだが……耳、触ってみてもいいか?」
やや緊張を孕んだ面持ちで、セラスは自分の長い耳を細い指先で摘まんでみせた。
「ど、どうぞ……こんなもので、よろしければ」
「エルフの耳ってのを一度、触ってみたいと思ってな」
「初めて、なのですか?」
「ああ、初めてだ」
手つきは恐る恐るになった。
……意外と緊張するもんだな。
くにゅっ
「んっ……い、いかがでしょうか……?」
「なんていうか、不思議な感じがする」
特殊メイクの作り物ではない。
血の通った本物の耳。
指で軽くコスってみる。
と、セラスが身をよじらせた。
「いやあのちょっとっ――トーカ殿、それは……ッ」
「……あ、悪い」
耳がけっこう弱いらしい。
▽
セラスが起き上がったあと、俺たちは今後の方針を話し合った。
「イヴの持つ能力はやはり凄まじいですね。魔群帯でも、頼りになりそうです」
「セラスもそうだけど、純粋な戦闘面以外で活躍できる局面が多いよな。旅の仲間としてはありがたい話だ」
「あの、不躾な質問かもしれませんが」
セラスがリズと身を寄せ合って眠るイヴを見た。
「イヴやリズに対して……トーカ殿は、何か特別な思い入れがあるのでしょうか?」
「ん? なんでそう思う?」
「禁忌の魔女のことを別にしても、二人に対する接し方が妙に柔らかいと感じるのです――たとえば、私と同じように」
鋭い部分は本当に鋭い。
こういうところが、やっぱり叔母さんと似ている。
「要するに……普段の俺はガサツってことか?」
セラスが胸に手をあてて慌てて否定した。
「ご、誤解ですっ。決して、そんな意図は――」
「冗談だって」
「ト、トーカ殿……」
安堵と恥ずかしさを滲ませて肩を落とすセラス。
俺はイヴを見た。
「ま、理由はセラスと同じかな」
「彼女も例の叔母さまと似たところが?」
「イヴは、叔父さんの方だ」
「叔父さま、ですか」
「ああ。もちろん性別は違うし、やっぱり話し方が似ているわけでもない。ただ、あの人の良さがな……」
叔父さんは人がいい。
人がいいからこそ、俺を引き取ってくれたのだろう。
縁を切っていた兄から一方的に俺を押しつけられたのに。
叔父は兄――俺の父親を責めた。
だけど俺を責めたことは一度もない。
人がよくて一本気な叔父。
理知的で優しい叔母。
俺がこうして生きているのもあの二人のおかげだ。
セラスの頬が緩む。
「叔父さまと叔母さまは、あなたにとって本当に大切な人なのですね。やはりお二人の話をする時のあなたは、特別な顔をします」
そんなに表情が違うのだろうか?
自分ではよくわからない。
「あの人たちがいなければ、俺はもっとひどい人生を歩んでた。確実にな」
あの人たちには感謝してもしきれない。
叔父夫婦は元の世界に戻りたい唯一の理由と言ってもいい。
せめて、ちゃんとお礼を言いたい。
俺を引き取って育ててくれてありがとう、と。
ひと言でいい
そう伝えたい。
次にリズを見る。
「リズの方は……俺と似てる」
「あの子が?」
叔母を思わせるセラス・アシュレイン。
叔父を思わせるイヴ・スピード。
自分を思わせるリズベット。
ある意味、奇妙な巡り合わせとも言える。
「似てるのは、置かれてた環境だな」
白足亭の女店主は実の親を彷彿とさせた。
幼い頃、劣悪な環境で虐げられていた。
俺とリズはそういう意味で境遇が似ている。
ただし俺とリズでは決定的に違う部分もある。
あの子は虐げられる生活に耐え続けていた。
確かに俺も耐え続ける日々を送ってはいた。
が、当時の俺には殺意が芽生えていた。
自分を虐げる者への殺意――
いずれ殺らねば、いずれ殺られる。
当時は狂気に蝕まれていたといえる。
いや――あるいは狂気こそが、逃げ道だったのか。
片やリズは心根の優しい子だ。
女店主への憎悪を持っている感じはない。
リズは自分に責任を求めるタイプなのだろう。
弱い自分が悪い。
きっとそんな風に思っていたはずだ。
境遇こそ似ているが、やはりそこが俺とは違う。
俺はロクでもない側の人間だ。
自分をおびやかすものがあれば、排除する。
気の赴くままに、蹂躙する。
俺はそういう人間だ。
トーカ・ミモリは世界を救わない。
自分の思うままその目的を果たす。
復讐を果たす。
だからこそ――
「繰り返しになるが、この復讐の旅から抜けたい時はいつでも抜けてくれていい。これは、俺のためだけの復讐だからな」
「ご存じの通り、私もアライオンの女神には思うところがありますから。抜けるつもりはありません」
少しイタズラっぽくセラスが微笑みかけてきた。
「せっかく、副官という大役にも任命されたわけですしね?」
「なら、しっかり頼むぞ」
俺の小芝居につき合ってニッコリするセラス。
「お任せください、我が主」
「そうだな……この旅につき合ってもらうお返しに、なんでも一つセラスの言うことを聞いてやるよ。もちろん……俺にできることなら、だけどな」
「え?」
そういえば今、何時だ?
俺は懐中時計で時間を確認した。
「俺のわがままにつき合ってもらってるんだし、それくらいはな……まあ、今すぐじゃなくてもいい。何か考えておいてくれ」
「……かしこまりました」
懐中時計をしまう。
「おまえはそろそろ寝ておけ。俺はイヴと交代する時間まで起きてるから」
セラスが寝支度を始める。
俺は、彼女の傍らに腰をおろした。
「ではトーカ殿、お願いいたします」
「ああ」
「…………本気で、考えますからね?」
「ん?」
「さっきの話です。なんでも一つ言うことを聞いてくれる、という」
「わかってる。冗談で言ったわけじゃないさ」
セラスは口もとを掛け布で隠した。
「……はい」
「じゃあ、準備はいいか?」
「ええ」
小声でセラスが言う。
「おやすみなさい、トーカ殿」
「ああ」
セラスの顔に、手をかざす。
「【スリープ】」