きっとここから、すべては始まる
「ぁ、ぐ――っ!?」
白目を剥き、くずおれる十河。
十河はそのまま動かなくなった。
「そ、十河……っ」
無意識のうちに俺は十河の方へ手を伸ばしていた。
今のはクラス委員として取った行動だったのだと思う。
だけど、嬉しかった。
反面、申し訳なかった。
自分の情けなさが。
無力さが。
女神が指示を出すと兵士が女官を連れてきた。
数人の女官が意識のない十河を担架にのせる。
「彼女はS級です。細心の注意を払って扱わねば、死んだ方がマシと思えるほどの裁きをこの私があなた方に与えます。いいですね?」
怯えた顔で女官たちが頷く。
十河は運び出された。
「では続きを始めましょう」
儀式が再開。
クラスメイトたちがざわつく。
「十河さん、優しいよね……」
「でも女神さま、なんか怖かったよな」
「ていうかあの十河さんでも勝てないんだ……」
「女神ちゃんに逆らうのマジでヤバそう」
「つーか、あの強キャラっぽい女神さまでも大魔帝とかいうの倒せないわけ?」
「大魔帝どんだけヤバいんだよ……」
桐原は不機嫌っぽくムスッとしている。
小山田は隠しもせず不快げな表情。
安はなぜかイライラ顔で歯ぎしりしている。
「さあ皆さま! 廃棄勇者の姿をよ~く目に焼きつけてください! あれが持たざる者の末路ですよ! あなたたちの世界の表現で言えば負け組! ですがあなたたちは勝ち組の側です! 負ける者は悲惨ですよ! あのような結末が待っているのですから!」
女神は発破をかけているのだ。
ああなりたくなければ強くなれと。
使命を、果たせと。
「――――――――」
いつの間にか俺は、
腕を、
上げていた。
「くそ、ったれ」
女神が片眉を上げる。
「あら?」
三つ目オオカミを焼き尽くした魔法。
あれの、見よう見真似。
女神の姿を、確と捉える。
「――【パラ、ライズ)】――」
唯一の武器。
それを、ぶつけた。
カッとなっての行動。
意味がある行為なのかさえわからない。
だけど。
ぶつけるしか、なかった。
湧き上がる怒りを。
唯一の武器で。
だが、
「無礼な。効くわけがないでしょう」
効果、皆無。
「あ――」
腕が虚脱し、ダラッと下がる。
「私には【女神の解呪】という保護膜が常時付与されているのです。そうですね……あなたようなE級にもわかりやすく言うなら、状態異常系統の呪文を私は自動で絶対防御できるのですよ」
女神が双眸を細める。
哀れみ。
蔑み。
「皆さんご覧になりましたか? あれが廃棄勇者の姿です」
魔法陣が鳴動を始める。
わかる。
近づいているのだ。
転送の時が。
刹那、
「――【金色、龍鳴波】――」
迸る光。
レーザーみたいな太めの光が俺のすぐ横を、通り抜けた。
ドゴォン!
反射的に振り向く。
俺の背後の壁に、穴が空いていた。
「なんだ、オレのはちゃんと使えるみたいだな」
桐原だった。
使ったのだ。
固有スキルを。
S級のスキルを。
俺にあてるつもりだったのだろうか。
わからない。
「三森のスキルがショボすぎてオレのも似たようなレベルなのかと思ったが――ま、今のは軽くやっただけなんだが……それでも威力が高すぎたらしい。悪いな。壁、壊しちまった」
桐原がダルそうに俺を眺める。
ゴミを見る目。
ゴミを憎む目。
「消えるならさっさと消えろよ、E級」
「――――ッ!」
わかっている。
クラスメイトたちが今、女神に逆らえないことは。
それは仕方ない。
だが、
「…………」
最後に放つ言葉が、それなのか。
これから一人死地へと送られるクラスメイト。
その相手に対して放つ言葉が、それなのか。
ローブ男たちが桐原のスキルに驚いている。
「うおぉ!? LV1なのにあの威力! タクト殿はこの先、まことに楽しみな勇者さまですな!」
「ん?」
桐原が何かに気づく。
「【スキルLV】が上がったとか、通知みたいなのがきてるんだが」
「おぉなんと! 一度使っただけでレベルアップとは! タクト殿は経験値補正まで凄まじいときましたか! E級勇者とは段違いですな!」
光が増していく。
刻一刻と近づく、転送の時。
溢れてきたのは、
涙、だった。
堪えてきたものが溢れてきた。
悔しかった。
目をつむる。
こぶしを強く、握り込む。
「ちく、しょう……」
小山田がゲラゲラ笑う。
「おいおいおい? なんか底辺勇者クンが一人で打ちひしがれてんぞぉ〜? ぎゃはは! ま、因果応報ってやつだな! バスん中でおれに逆らうとか身の丈合わねーコトしてっからだよ! ざまぁみろや! いや〜でも三森が無様に死ぬ姿は見ときたかった気もするなぁ〜! すっげぇ残念だわ〜!」
涙だけではない。
色んなものが溢れてくる。
感情。
不安。
怒り。
「すべてを忘れて安らかに眠るがいい、三森灯河……R、I、P……」
自分に酔った安の声。
顔を上げる。
頼りなく目を開く。
クラスメイトたちの顔。
勝ち誇った顔。
優越した顔。
クラスメイトたちの声。
俺を罵倒する声。
俺を馬鹿にする声。
大半が場の空気にのまれていた。
完全に。
もしかすると全員ではないのかもしれない。
だが、全員の状態を判断する余裕などない。
ひたすら目につくのは、俺を見下す顔と声。
いや、違う……。
二人だけ、この場で浮いているのが目に入った。
「どう思う、姉貴」
「カスぞろいね」
高雄姉妹。
身を翻し、姉妹が部屋の扉へ向かう。
「行くわよ、樹。女神ヴィシスの狙いはわかるけれど、これは悪趣味がすぎるわ」
「だなー……ま、三森には悪いが今のアタシらにあの女神を止める力はねぇしなー。じゃあな、オッサン。見てて不快だからアタシらはもう向こう行くわ」
ローブ男が呼び止める。
「そ、そこの二人! 何を勝手に出ていこうとしているかーっ!?」
しかし姉妹はスルーし、ツカツカと扉へ歩いて行く。
姉妹を連れ戻そうと兵士たちが駆け出す。
「放っておきなさい」
兵士たちを制止したのは、女神だった。
「ですが、女神さまっ!」
「あの二人には無理に協調を求めない方がよさそうです。何よりあの二人はS級とA級なのですよ。扱いには配慮が必要です……特に、S級の方は」
いつも通りだった。
あの姉妹は。
女神が俺の方へ向き直る。
「では、そろそろ転送開始ですね。トーカ・ミモリ、改めて最後に何か言い残すことはありますか?」
最後、か。
…………。
取れた、気がした。
ずっと自分にかかっていた、フィルターみたいなものが。
今まで抑えていた何か。
三森灯河は”本当の自分”ってものを抑えて生きてきた気がする。
なぜか?
簡単だ。
トラブルを避けるためだ。
誰かにとって人畜無害な自分であるために。
自分を殺して、過ごしてきた。
なんとなく、わかっていた。
本当の自分はまた別なのだと。
ひたすら無害のイイ人でいようとする自分。
だが時おり、暴性の自分が顔を覗かせた。
三森灯河は抑え込んでいた。
もう一人の自分を。
本来の自分を。
「…………」
もういい。
もう、関係ない。
なんでだろう。
こんなにもひどい状況なのに。
俯いた俺は、
歯を剥き、
笑った。
「くたばれ、クソ女神」
口にしてから、自分で驚く。
でも、
なぜか、
スッキリした。
クラスメイトたちも一瞬、面食らった顔をしていた。
女神は能面だった。
「慈悲の心で黙っていましたが……そういう態度なのでしたら、いいでしょう」
女神の瞳に濃い闇が溜まっている。
「あなたがこれから送られる廃棄遺跡の最下層には、不適格とされた屈強な勇者や戦士たちもたくさん廃棄されてきました。そして、生きて遺跡を出た者は一人もいません。定期的に遺跡の点検に行く調査隊だけがわかる目印が入口にあるのですが……その目印に変化があったことは一度もありません。つまり、ただの一人もあの遺跡から生きて出られた者はいないのです」
笑顔を満面に輝かせる女神。
「せいぜい無様にお死になさいませ、トーカ・ミモリ」
強く青白い光が俺を包み込む。
「慈悲の心で黙ってた、だと? はっ……よく言うぜ。さっきは答える必要がないとか、言ってたくせによ」
女神を、見据える。
確と。
「もし生きて戻ったら――覚悟、しておけ」
「生きて戻ったら? ふふふ、冗談きつすぎですね――ありえません。最期に底辺らしい強がりの遠吠え、ご苦労さま」
奇妙な浮遊感。
視界が、消える。
果たしてクソ女神にちゃんと見えただろうか――
最後に中指を立てた、廃棄勇者の姿が。